嫌な予感
商品企画部でポン酒の会で集っていた。広報戦略部のメンバーがニヤニヤ俺を見てくる。俺はそれを無視してパーコレーターを使い珈琲を煎れていた。
「流石、ミスター珈琲候補の手際は違う」
澤ノ井さんがそうからかってくるのを、久保田さんがエッという顔をして机の上のパソコンのブラウザーを立ち上げる。
「ホントだ! 三番目の写真、清酒君だ!!」
久保田さんらの叫びに、俺は溜息つくしかない。ウッカリ白鶴部長らに、取引先の子に『Vanguardは珈琲のイメージボーイとしてはピンと来ない』と言われてしまったという話を漏らしたら、何を考えたのか『貴女が選ぶミスター珈琲』という企画を立ち上げてしまった。ネットで珈琲のイメージの男性の写真を募集、投票して『ミスター珈琲』なる人物を選ぼうというもの。そして優勝者と推薦者にはマメゾンカフェでの一年間フリーパス券、優勝者には『ミスター珈琲』の称号が与えられるというもの。
そこに俺の写真が何故かアップされてしまったのだ。推薦者は『雑誌編集者W.Tさん』で『いつも私の職場に珈琲を素敵な笑顔で届けてくれるマメゾンの営業マンM.Sさん。その紳士的な優しさに元気貰っています!』と書かれている。
「あの、『社員』はナシでしょうに」
俺は出来上がった珈琲をカップに移しながらそう反論する。
「いや~推薦者が社外の人だし、ウチのショップの店員の写真を送ってきている人多いからね~それで外すというのはできないんだよ」
白鶴部長はニヤニヤしながらカップを受け取る。
「まあ、優勝はしないだろうからいいのでは? 賑やかしで」
俺はこの期間もう耐えるしかないようだ。その事を広報戦略企画部のメンバーから教えられネットを確認したらあの時撮影したであろう俺の写真がそこにあった。煙草さんに慌てて電話をしたところ『はい! 推薦しました!』と明るく返されてしまった。『私の目が確かな事、証明できます!コレで!』と根拠のない自信を見せつけられて何も文句が言えなくなってしまった。エントリーナンバー三番ってどれだけ気合い入れて投稿したのか。
「しかし、『素敵な笑顔に』『紳士的な優しさ』って、清酒くんもやるなぁ、結構タラシ?」
澤ノ井さんの言葉に俺は顔を顰める。
「営業として普通にしているだけですよ!」
「しかし、随分良い笑顔だな、この推薦者は女の子?」
俺はその写真の中で優しげに笑っているが、そのように言われると恥ずかしいだけである。彼女から見えている俺がこう言う感じなのだろう。俺は溜息をつくしかない。そうしているとポケットの中の俺の携帯が震える。見ると営業部から。
『二件貴方に電話がきたわ!』
鬼熊さんからだった。いつになく、固く低いその声のトーンで俺は廊下に出る。
「どこからですか?」
『エルシーラと高澤商事。
エルシーラの丸山部長直接会って話をしたい事があると。高澤商事の棚瀬部長は連絡して欲しいと』
嫌な予感しかしない。その二社から同時に俺に対して連絡が来たと言う事が気持ち悪い。
『……分かりました。棚瀬部長に電話してからエルシーラに向かいます』
そう返してつい溜め息を吐いてしまう。
『大丈夫?』
俺を案ずる鬼熊さんの声。
「……万が一やらかしてしまったら……フォローしてもらえます?」
馬鹿な事を聞いてしまう。鬼熊さんはフッと笑う音が聞こえる。
『好きなようにしたら。でも自分でやってしまった事は自分で後始末しなさい!』
「簡単に言ってくれますね」
これは、俺としては精一杯の、この時言えた冗談だった。だから鬼熊さんもその体で返してくれた。しかし下手な事いうべきではないものだと後思う事になる。
『無駄話してないで、電話しなさい』
そう言って電話切られてしまう。俺は深呼吸して高澤商事に電話をかける。
『エルシーラさんの方から何か連絡はきているかな』
挨拶交わすと直ぐに、棚瀬部長はそう聞いてくる。
「何かありましたか?」
やはり二社は同じ件で俺に連絡してきたようだ。
『実はウチの会社の者が丸山部長に失礼をして、かなり怒らせてしまった状況で……』
大体の状況が見えてきた。
「不思議ですね、丸山部長は担当者もかなり気に入っていて、高澤商事さんとのお仕事満足されていたようですが」
だいたいの状況察していたもののあえて聞く。あの専務の息子とかいう馬鹿がやらかしてくれたようだ。
ずっと気にかかっていた事があった。それは高澤の専務の息子。アイツは非常に社外での評判は悪かった。何をもってそこまで勘違いしているのか分からないが、社内や業者である俺に対してだけでなくあの傲慢な態度を顧客相手にも見せているようだ。アチラコチラでアイツに対する悪口を聞かされたし、アイツが担当になったことで喧嘩になり高澤を切った会社も数件知っている。そんな感じで初芽から奪った客も次々と怒らせているようだ。それゆえに同業者からは付け入る隙として恰好の注目の的になっていている。自分の顧客相手にだけそうしていれば良いのだが職場の仲間の美味しそうな相手に横槍入れて奪おうとするのだ。そんな内輪揉めを見せられた顧客も溜まったものではない。
そして予想通りの事をヤツがエルシーラにもしでかした。しかも丸山部長に対してではなく、丸山部長の直属の部下に話をもっていった。部長を出し抜き互いの手柄にしようと持ちかけたようだ。丸山部長に目をかけてもらい育ったその部下の男は当然断り、丸山部長にその事を報告した。何よりも礼節と義を重んじる丸山部長が激怒した光景が目に浮かぶ。
なんとか俺に丸山部長に対してとりなしを頼む電話に俺は溜息をつくしかない。
初芽が関わっていないならば、自業自得だし面倒見きれないと突っぱねたい所。しかも俺が丸め込める程、丸山部長は甘くない。
「エルシーラさんには行ってみます。そして状況の方は私の方でも確認させていただきます。
しかしあくまでもその問題は、高澤商事とエルシーラさんの問題です。丸山部長を怒らせたその社員本人にちゃんと謝罪させ解決させるべきだかと、でないとあの方も納得はされないと思います」
俺の言葉に、棚瀬部長は鈍い声を上げる。あの馬鹿にそんな芸当は出来ない。自分のやらかした事の重要さも分かってないだろう。自分の非を理解していたならばそもそも、客先を怒らせるという事を繰り返していない。そして無理矢理謝罪にいかせてもますます怒らせる事になりかねない。
俺も下手に動けば、丸山部長の信頼も失う。
どうする? 良い打開策を見つける暇もなくエルシーラに到着する。俺は促されるままに応接室へと進む途中に廊下に一人の女性が佇んでいるのに気が付く。いや、視界に入った瞬間気が付いていた。初芽だ。何もない白い壁をジッと見つめている。その壁にどんな未来を描いているなかわからないが、何かに立ち向かう覚悟を決めたかのような表情だった。
丸山部長は今手が離せないと理由つけられて放置されているのだろう。応接室でもなくこんな所で。俺は軽く会釈だけして前を通り過ぎる。初芽は硬い表情に業務用の笑みを浮かべ同じように会釈だけ返す。
映画のヒーローのように、窮地にいるヒロインの元に駆けつけ抱きしめてやることも出来る筈もない。
そして案内された応接室に座り、マメゾンのサーバーで煎れたであろう珈琲を飲むが喉を潤す意味しかなく味も分からない。美味しいとか不味いとか思う心の余裕がない。
そうしていると、ドアが開く音がして丸山部長が入ってくる。光沢のあるシェルピンクのブラウスを着ている事もあり、その頬は明るく見えた。それだけでなく表情も朗らかで俺に向かって笑っている。想定とは異なるその態度に俺は戸惑いを覚えつつ立ち上がり笑みを作り挨拶をした。