二人の未来
俺は総務に提出する書類を仕上げながらチラリとミーティングルームを伺う。佐藤部長と鬼熊さんが入って十分程たっていた。部長が鬼熊さんを呼んだのではなく、鬼熊さんが部長を呼んで時間をとってもらっていたのを見て、とうとうこの時が来たのかと感じていた。
そのミーティングルームが開いて、佐藤部長が顔を出し俺を呼ぶ。そして改めて三人で向き合ったところで部長は深呼吸してから口を開く。
「実はな、清酒くん驚かないでくれよ」
そう前置きをしてチラリと鬼熊さんに視線を向ける。
「なんとこの度鬼熊くんが、結婚する」
「そうなんですか」
あっさり答える俺に、部長は驚いた顔をする。そりゃ清瀬くんから指輪を選ぶところからその後の流れはシッカリ報告されているから今更驚く方が無理である。
「あら、清酒くん驚かないんだ?」
鬼熊さんはクスクス笑う
「清酒くん指輪選んでくれたのものね、今更驚けないわよ」
清瀬くんは、その事も鬼熊さんに話しているようだ。
「え? まさか鬼熊くんの相手って……」
二人で笑ってしまう。
「違いますよ、それだったら俺が報告に行きますよ。鬼熊さんの婚約者は俺の友人でもあるので」
佐藤部長はホッとしたような、残念そうな顔をする。逆に俺と鬼熊さんが結婚なんて事になっていたら、俺は堂々と営業部出られたなと、アホみたいな事考える。同じ部署の同じグループに夫婦が揃う事はない。
「貴方には、その事で公私共に色々迷惑かけると思うので来てもらったの」
俺は笑って頷く。
「お世話になった恩を返せる数少ないチャンス活用させて頂きますよ」
鬼熊さんはフフと笑う。
「別に遠慮しなくて何時でも恩返しは受け付ける心準備出来ているのに」
いつも感謝はしているものの、こう言う恩返しは言葉やモノては全く足りない所がある。だからこそのチャンスなのだ。
「いつから、新しい名前でお呼びすれば?」
鬼熊さんは顔を横にふる。
「仕事では旧姓のままでいくわ。この苗字にも愛着あるから」
俺は笑みを作り『了解しました』と頷く。
結婚するかと言っても、鬼熊さんは仕事を辞める事はしないので、仕事上でのカバーはせいぜい新婚旅行中の時のフォロー。後は清瀬くん関係者との二次会の準備とその打ち合わせくらい。たまからこそ想いを込めてそのお手伝いさせてもらう。
しかしその作業は俺にいやおなしに結婚というものを意識させた。初芽も親友が結婚という事で俺以上に気に掛かっていたとは思う。俺達の間で清瀬くんや鬼熊さんの話題も増えたが、しかし自分達の未来については何故か言い出しにくい空気があった。俺がその方向に話を持っていこうとしても、絶妙に逸らされる。そんな時間を過ごしていた。
そして清瀬くんからは幸福絶好調の連絡報告メールが俺の元に届き続ける。
式は清瀬くんの仕事の関係で前期後期の間の夏の中断期間に行われる事になった。ボールを奪ったら一気にゴール向かって走り出す清瀬くんのプレーそのままで、その流れは迷いなく早い。俺と初芽は清瀬くんの仕事仲間と共に受付をしていたが、初芽は俺の会社関係の人の目を意識して引いた感じで接してくる。苗字で呼び合う事にモゾモゾした気持ち悪さを感じた。
初芽とのやり取りは気持ち悪かったが、式そのものは素晴らしかった。結婚式も披露宴も二次会も異様に盛り上がっていて素直に良い式だったと言える内容だった。松川FCはプロスポーツ団体。流石にエンターテーメントを仕事にしている所だけに場の盛り上げ方が違う。人を楽しませるという意味では松川FCの働きが見事だった。その浮かれた躁状態は酒なんかなくても俺を酔わせてくれた。
清瀬くん以外のサッカー選手や、チームの広報等の人との交流も新鮮な刺激だったし、こう場においても名刺を交換し人脈を広げる仕事している俺。そんな俺を初芽は笑みを浮かべ見つめているのは常に意識していた。共に受付をして一緒に二次会の裏方をしてと一緒に行動もしているのに、他人がいるところでは初芽の事が何故かいつも以上に遠くに感じた。
三次会まで出席した俺と初芽は二人で帰路につく。いつものクールな雰囲気の格好も良いが、こういうドレス姿になると女性は更に美しくなる。ブルーのドレスにピンヒールという格好良く似合っていて、初芽に華やいだ魅力を加えていた。
あの鬼熊さんも、ウェディング姿は一瞬別人かと疑う程綺麗になっていて輝いていた。煌びやかな会場においても、今日の主役に相応しい存在感と風格をもち素敵だった。
鬼熊さんから受けとったブーケを見つめながら黙ったまま歩く初芽。
「今日の鬼熊さん、綺麗だったな」
俺の言葉に初芽はフフと笑い頷く。
「本当に綺麗だったし、幸せそうで。キグ素敵だった」
そう言いながらブーケの花を優しくつつく。その少し幼な気な様子に、どうしようもなく愛しさを感じる。
「あのさ、初芽」
初芽が足を止め俺の方を向く。幸せな花嫁からの愛のバトンを胸に抱く女性とその恋人。映画やドラマにもなりそうな状況である。
「俺達も結婚しない?」
初芽の目を見開らかれる。その表情は驚きというよりも強ばらせたという感じで、そこに喜びの感情が何故か見えなかった。二人でしばらく黙ったままただ見つめ合う。初芽の表情が少し緩みクシャっと顔が歪む。泣きそうな顔で初芽は笑った。俺はそんな初芽を抱きしめてやりたかったけど出来なかった。それを初芽が望んでないのを察したから。
「ヤダな、勢いでこういうこと言うの止めてよ! そういうのって、なんか違う」
「勢いとか、雰囲気に流されてとかでな……」「ゴメン」
俺の言葉を遮る初芽の瞳にあるのはハッキリした拒絶だった。それで何も言えなくなる。
「正秀が理由じゃないの。
私の問題なの。結婚がイメージ出来ないというか」
慰めるように初芽は俺を抱きしめ、そんな事を言う。
お前には私を委ねられないとハッキリ言われた気がした。
「正秀もまだ若いじゃない。結婚焦る年でもないでしょ?」
俺がまだガキなんだという認識なのだろう。
「茶化したつもりはないの。真面目に言ってくれたのは解っているし嬉しい。でも私の年の事気にし……」
初芽の言葉を塞ぐように俺はキスをした。聞きたい言葉はそれじゃなかったから。欲しかったのは、プロポーズに対する幸せな返事? 違う、全てを俺に晒して委ねる言葉と態度だった。
俺はどうしようもなく感じる初芽との距離を少しでも埋めるように、そのままホテルに行き二人で身体を絡ませあって繋げあった。
そして夜も明け、朝になり以前と変わらぬ日常が戻ってきた。俺のプロポーズの言葉はなかったかのように。初芽との関係も変わらず平穏なまま。ここでそれを壊してでも前に進むべきだったのか? 俺には分からないし、それも出来なかった。
~ ミディアムロースト end ~