臨んだ場所へ
今日はポン酒の会一人で白鶴部長に呼ばれて広報戦略企画部を訪れていた。京都で買ってきた知る人ぞ知る利休という喫茶店の豆を買ってきたのでそれを飲ませてくれるという話だったが、他のメンバーはきていなかった。しかし白鶴部長はニコやかに迎え珈琲を入れ始めた。珈琲好き特有の嬉しそうな顔でお湯を落としている。俺はその部長の表情とキラキラと泡を上げ始めるドリッパーの雰囲気、立ち上る珈琲のアロマを楽しみつつ部屋を見渡し、首を傾げる。そこにはいつになくファンシーな光景が広がっていたから。
所謂アニメ絵というようなキャラクターの絵がボードに張り付けられ、そのキャラクターと同じ格好をした男性アイドルの写真もつけられている。
「これは?」
俺が呆然と見ていると、白鶴部長は笑う。
「来週には発表になるんだが、これが君も参加した、三十周年記念の公募企画の優秀賞がコレ」
俺は思わず顔を顰めてしまう。商品そのものの良さを伝えるのではなくて、こういうアイドルとかキャラクターを使ってそれで釣って商品を買わせるという商法が好きでないからだ。人の褌で相撲とって勝とうとしているところが嫌なのだ。
「このアイデアを何故今回採用したかわかるかね?」
白鶴部長は珈琲を俺に渡しながらそう聞いてくる。
「珈琲をあまり飲まない層に注目を向けさせる為ですよね?」
そう答え、俺は珈琲を飲む。豆が良いのと、煎れた腕が良いという事もありスゴク美味かった。俺の表情を満足そうに見てから白鶴部長はこの企画を纏めた書類を俺によこしてくる。
こんなのまだ社内でも公表されていない情報俺が読んでも良いのだろうか? とも思うが俺が人に話さなければ良い事。俺は目を通す。
キャラクターはそれぞれの珈琲豆のイメージで作られてようで、作られたのは男性キャラクター五人。明るく健康的な雰囲気でサッカーボール蹴飛ばしているのがブラジルくん、切れ上がった目がクールな雰囲気の男性がキリマンくん毒舌キャラだとか、ベレー帽被り手に筆とパレットをもち穏やかに笑っているのがモカくんだ気難しい芸術家タイプ、白いスーツ着て上品で柔らかい笑みを浮かべるブルマンくんで王子キャラらしい。眼鏡かけて少し神経質そうなのがグァテマラくん、見た目で良く分からないがツンデレらしい。よくわからなきゃキャラクター設定いるのか? とも思う。そして人気のアイドルグループのメンバーもコラボしており、それぞれキャラクターの扮装をしてCMをうつようだ。
「どう思う?」
ここまで動いているものを否定する訳にもいかないだろう。
「俺には良く分からない世界観ですが、そういうのが好きな人の興味は引くのでしょうね」
俺の言葉にフフフと白鶴部長は笑う。
「あざといと思っているだろ? でもこの企画、私が何処に面白さを感じで採用しようとしたかわかるか?」
その言葉に俺は改めて企画書に目を通す。
「珈琲を選ぶ際にいつもとは異なる選択理由を与えたという事ですか?」
白鶴部長はニヤリと笑う。
「そういう考え方もあるな、でも少し違うんだよ」
俺は首を傾げる。
「そもそも、珈琲の豆を気分によって変える、好みの産地を選ぶなんて人には向けていないよ、このプロジェクトは」
俺は商品でなくキャラで売るという言葉に顔を顰めてしまう。珈琲を愛していると思う白鶴部長の言葉だっただけに残念に感じたから。
「例えば君を珈琲の共として誘った時、どういう豆でどんなマスターがやっているお店の商品なのかなんて説明しなくても、店名を言うだけで通じた。珈琲好きに珈琲を語るのに説明は不要なんだ。でも世間の人は珈琲を飲んでいても、大きな珈琲というくくりでしか見ておらず、注文するときもブレンド止まり」
まあそれが一般的な珈琲の在り方なんだろう。
「そう言う意味では豆の擬人化は面白い試みなんだ。特徴を視覚的に表現出来て、今まで気にしてなかったブレンド以外の珈琲に一般の人の目を向けられる」
確かに興味を持ってくれる人の気を引くのは楽だけど、無関心な人に振り向いて貰うのはかなり大変な事である。営業の場合それが結局は個人と個人の対話なのでそれぞれの切り口で入っていけるものの、漠然と大衆相手となるとそうはいかない。
「この課の仕事も大変ですね、単に奇抜な事して気を引くだけでは意味ないですし。でも面白いです、営業とは異なる論点から販売というのを考えるのも」
そう言うと、白鶴部長は目を細める。
「君の営業の仕方もはかなか面白いと聞くけどね。珈琲よりも自分の抱える顧客を売りにしていると」
そう言われると苦笑するしかない。今時飛び込みでサーバーなんて置いて貰えるはずも無い。だから付加価値をつけたまでである。仕事柄あらゆる会社の様々な部署に出入りしているから人脈は無駄にある。だからこそそれを俺個人の売りとして仕事しているのは確か。
「別にお客様を利用している訳では」
白鶴部長は顔を横に振る。
「分かっているよ! そこは。むしろ俺達に近い思考で動いているなと思っただけだ。
そこでだ、その君の売りである顧客の業界、少し分野の巾を拡げて欲しいかなと」
俺が目を細めると、白鶴部長は笑う。
「ウチの会社にとって面白い付き合い出来そうな顧客を抱える事で、その人脈は君が望む部署に移動したとしても活用していけると思わないか?」
俺の探るような、視線に白鶴部長はニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「この珈琲で買収したわけではないけど、ウチの課のお手伝いもして欲しいなという訳だ。君が予め関係もっていてくれると、こちらとしても色々根回ししやすくなる」
成程、営業部の佐藤部長と並ぶウチの会社の曲者である。でもよりウチの会社に利のある営業先との仕事は楽しそうだ。
「成程、どの会社に働きかければ?」
そう返すと嬉しそうに笑う。
「実は二社程はほぼ契約直前までの段階まで行ってるんだ。そこから広げてくれると助かる」
俺は頷き、そっと渡される資料を手にする。相手先の情報だろう。
「あと、この件俺が絡んでいる事は、佐藤には黙っていてくれないか?」
悪戯っ子のような顔で資料に目を通す俺に、コソッとそんな事言ってくる。佐藤部長と白鶴部長は同期で同じように出世を重ねている事でライバル関係にある。仲が悪いわけではないがぶつかる場面も多い関係。だからこそ手伝ったというのを知られたくなかったからだから俺を挟んだ。そう解釈した。
「分かりました」
「知っているか? 佐藤は異様に鼻が効く。だからいつも強引に新人でも他部署の人間でも良いのを奪っていく。そして使える人材は離さない。君が佐藤と高清水に移動を働きかけたところで君の希望が叶う確立は低い! 佐藤にとって君は美味しい存在だから。佐藤は何かと理由つけて君を移動させないだろう。高清水はそういう腹の探り合いとかいった能力は低い。結局佐藤に丸め込まれるだけだ」
俺はそれをあえて俺に言ってくる白鶴部長の意図が分からず眉を寄せる。
「だから、君が俺の仕事もそのように手伝ってくれるなら、俺も君が営業から移動できるように働きかけてやってもいいぞという事だ。君のずっと抱えていた気持ち、俺は分かっているつもりだから」
営業を離れるために、こういう手を使う時期も来たのかもしれない。しかしお世話になった佐藤部長を裏切るというのも少し気が引ける。
「それにアイツは今年も早々に獲得に動いているからな。伝説のバイトくん、ソイツが営業に入れば君も抜けやすくなるのでは?」
「伝説のバイトくん?」
初めてきく言葉に俺は思わず聞き返す。
「知らないか? 桜学園都市駅前店のカフェにいる子なんだけど、その子がいる時間は売り上げが倍増するという」
カフェ管理をしている営業三部と二部では根本的にしている事が違うために、そういった情報までは共有していない。
「それが来年営業に入るんだよ。佐藤が直々にスカウトして入社試験を受けさせて内定した。多分アイツはそういう人材は鬼熊女史に預けるからたぶん君の下にくるよ」
「って、来年の俺の移動もない事は決定なんですか?」
白鶴部長は苦笑する。
「これはオフレコだけど、商品開発に参加してもらおうと、近々面白い人材を連れてくる事に成功したんだ。余所からね。そこまでの人材を手にした開発部がさらに営業のホープまでをなんてことできないだろ」
そう聞くと、よけいに開発で働いてみたい気持ちが強くなる。
「逆に色々君も勉強する時間もあるという事でラッキーともいうべきだろ? その新人に営業のノウハウを教えられるし、営業離れてからも役にたつ人脈作りもジックリできる。悪いことではないさ」
あまりにも様々な事をざっくばらんに話してくれる白鶴部長に呆れたものの、俺自身の仕事の取り組み方も考え直す時期が来たことだけは理解できた。この一年半が頑張りどころ。俺は白鶴部長からもらった資料を手に決意を固める。
とはいえ白鶴部長も佐藤部長と同じくらい曲者であった事を後で思い知る事になる。まだまだ青二才だった俺はこの時代二人に泳がされ、いいように使われてしまっただけとなる。俺の性格がだんだん悪くなっていったのも、この両部長からの影響からかもしれない。