今居る場所と、求める場所
辞令書が社内で飛び交う季節。配属異動を発表されている掲示板を前で、俺は溜め息をつく。
第一希望のコーヒ豆メーカーマメゾンに入社して四年。商品開発を志望していたのに関わらず、何故か営業部に配属された。『顧客と触れ合いその言葉を聞くというのも、商品企画希望の君にとって大切な勉強ではないのか?』という営業部の佐藤部長に言われ納得して頑張ってきた。それなりの実績も出してきたことで、晴れて商品企画部に異動し今年から頑張るつもり満々でいた。しかし俺の元に辞令書は届く事はなかった。
じっと掲示板の前に立っていた俺を見て、佐藤部長が声をかけてきてミーティングルームに誘う。
「清酒君の希望は分かっている。ただ、今企画は大きなプロジェクトを抱えて動き出している所だけに新しいメンバーを受け入れる余裕がないんだ。だから俺の下で不満かもしれないが、またここで頑張ってくれないか?」
人好きのする顔立ちの部長にそう言われてしまうと、不満を言う事も出来ない。
「そのプロジェクトが進んでいるのを知っていただけに、私も参加したかったのですが、残念です。
一年また佐藤部長の下で頑張りたいと思いますから宜しくお願いします」
笑顔を作りそう大人な言葉を返すが、部長は俺の言葉に苦笑する。
「お前さんは、そんなに営業の仕事から離れたいか?」
出来る限り感情を出さないようにしていたつもりだったが、四年間ずっと俺を見守り育ててきてくれた人物だけに誤魔化せなかったようだ。
「いえ営業の仕事はやりがいありますし、楽しいですよ。ただそれ以上にやりたいと思う仕事が企画なだけです」
佐藤部長は困った表情で笑い頷き『そうか』とだけ言い俺の肩をポンポンと叩く。
「君を気に入っているお客さんも多い、引き続き宜しくな! 頼りにしているぞ!」
そう言って部屋から出ていった。
自分の席に戻ると直属の上司である鬼熊さんが、ニコリと笑いかけてきた。女性である筈なのに、その笑顔に柔らかさはない。しかし温かく大らかな感じの鬼熊さんらしい笑顔でなんか気が抜ける。彼女なりの俺への慰めと、頑張れというエールの表情なのだろう。
「部長にぶちまけて、スッキリした?」
俺はその言い方に思わず笑って首を横に振る。
「ごねるのかと思ったら、思ったよりも大人な対応したのね」
鬼熊さんは俺よりも四つ上で初芽と同じ歳。体格もよく四角い顔で眼鏡をかけていて、色気というか女気がないタイプだからか、女性である事すらいつも忘れてしまう。だからこそ仕事も一緒にしやすいというのもあるのかもしれない。性格も男の俺からみても男前。俺にとって頼れる上司でもある。それなりの年齢の部長は兎も角、この四つしか変わらない鬼熊さんも俺にとって誤魔化しの言葉や態度が通じない人物。それなりに仕事をこなしていると思っていても、彼女を見ていると自分もまだまだだと痛感する。仕事に関して見事な程に理性的に広く物事を見て行動していく。感情的な所のある俺だけに、そう言う所は一番見習わないといけないと思う。営業部の他の人を見てもその優秀さは年月を重ねただけでなく、鬼熊さん自身が有能な人なのは理解しているし、口には出さないけれど尊敬もしている。
「ガキじゃないんで」
鬼熊さんは、フフと笑う。彼女から見て移動出来ず思った通りいかず拗ねている俺は、ガキに見えるのだろう。
「モテる男は辛いわね」
何故その言葉がここで出てきたのか解らず、鬼熊さんの言葉に首を傾げる。鬼熊さんは苦笑して首を横に振る。
「貴方を欲しがった課が色々あったみたいよ! それを部長が死守したみたい。ウチの子はやらんって! 部長は貴方が可愛くてたまらないのよ」
俺は苦笑するしかない、行きたい所からはその声は出ず、関係ない所からは誘いの声はおこる。実際余所の会社からも誘いの声が掛かる事も少なくない。しかしその言葉を聞いても心動かない所からも、この会社が大好きなのだと再認識する。しかしそんな会社にいながら、俺は慢性的な不満と苛立ちを抱え続けている。我が儘である事は自分でも分かっているが、どうしようもない。俺は大きく深呼吸という名の溜め息をついて、席から立ち上がる。
「高澤商事と Joy Walker さん行ってきます」
俺の言葉に鬼熊さんの眼鏡の奥にある瞳が細められる。
「楽しんで来てね ♪ 」
俺は肩を竦めるだけで、あえて何も言葉を返さず営業部を後にした。
鬼熊さんの言わんとした事は、察したものの、高澤商事は俺にとって一番気が重い取引先。俺はもう一度大きく溜め息をついた。
佐藤は言わずとしれた、日本人の苗字ランキングで一位の名前ですが、コチラに出てくる部長は、その中でも珍しく『サトウ』ではなく『サフジ』と読みます。
鬼熊さんは日本人苗字ランキング32454位の名前です。全国で24世帯とかなりのレア苗字。オニクマさん、キグマさんとかいう読み方をされているそうです。
灰野さんは日本人苗字ランキング7774位で 274世帯いらっしゃいます。 『ハイノ』『スミノ』とも読みます。