着信あり
スケジュール帳にJoy Walkerの文字を見るたびに心にチクリという痛みを感じる。
そして心を重くさせるのは、見えてきた初芽の苦悩の原因。初芽の同僚である例の専務の馬鹿息子が、俺が考えていは以上のクソ野郎だったという事。初芽が自ら開拓して形にした仕事を上から手を回してゴッソリかっさらうという真似をしたからだ。そんな大きな仕事を女性なんかに任せられないから、担当者を変えるべきという有り得ない命令で変更させられた。探った訳ではなく、あの馬鹿男が自ら俺に自慢気に話してきやがったから知り得た事。裏切り出し抜くような同僚に囲まれ仕事をするというのは、どんな気分なのだろう? 俺も社内に気の合わないヤツがいるとしても基本仲間で、会社の為に動くというスタンスのマメゾンでは、考えられない世界である。仕事が違うと言ったらそれまでだが、俺が契約結んだ取引先でも他の人に担当をふってしまう事も多い。俺は偶にその会社に顔出しして挨拶しておく事で、義理も果たせ、繋げた関係も継続出来る。そして通常業務の珈琲サーバー管理は、ウチの営業ならば誰がやっても大差ない。でも契約する事と担当する事が、即成績として考えられる商事においては、話は変わってくるのだろう。
クソ野郎を殴りつけたい気持ちを抑えつつ今日も高澤商事に来ていた。そして俺は棚瀬部長とミーティングルームで向き合う。今日はマメゾンの仕事ではなく、以前頼まれていた仕事の事について。
「君の陰でエルシーラと、スムーズに話を進められそうだよ」
嬉しそうに話す棚瀬部長に、俺は笑みを浮かべ頷く。
「先日、丸山部長にお会いしたのですが、高澤さんの申し出に興味をもたれていたようです」
ホウホウと頷き、嬉しそうな棚瀬部長の顔をみて、俺も今回の件は良い方向に行きそうなのを感じる。そしてふと頭にある考えが過る。
「ただ、丸山部長ですが、バリバリのキャリアウーマンで豪快にも見えるのですが、女性らしい細やかな心遣いをされる方なのですよ。しかし逆に言えば相手の態度とか対応の様子もそれだけ見えてしまうのでしょうね。私も時々お叱りを受ける事があります」
棚瀬部長は、これから会うビジネス相手だけに興味ありげに俺を見つめてくる。叱りを受けているというのは嘘で、そんな馬鹿を俺はしていない。ただ棚瀬部長に態と丸山部長と仕事するには、かなり気を使う必要があるイメージを与える為にそう言う事を言っておく。丸山部長がビジネスに厳しく、また誠意のない対応を嫌うのは本当であるが、あえてそこを強調しておく。
「ご紹介させて頂くだけに、担当者の方にはその点にご注意頂けたら助かります」
気を遣う女性相手の仕事となると、初芽が候補に上がる確率が高くなる。高澤商事はプライドが無駄に高く高飛車な社員が多い。つまりはそう言う気遣いが苦手なタイプ。それ故に、今回の担当候補は自ずと狭まる事になる。更に初芽は大きな担当を外されたばかりで手も空いている。
その願いも込めて、そんな言葉を俺は口にした。少しでも彼女の仕事を応援出来たらというささやかな気持ちだった。
その後、別の企業との打合せがありスマフォを、マナーモードにしたままにしていた。夕方ふとディスプレイを見ると初芽から四件の着信が入っていた。俺は首を傾げる。平日の昼間に初芽か俺に電話してくる事はない。しかし思い当たる節はある。例の担当が初芽に決まり、エルシーラと俺との繋がりを聞き報告に電話してきたのかもしれない。
今の時間は、四時四十八分。業務時間の恋人にかけるのは、内容が仕事の事だとしても微妙な気がした。
『ゴメン、打ち合わせがあり電話に出れなかった。何かあったの? 今電話大丈夫?』
安全の為、そうメールしておくが返事はなかった。会社に戻り雑務をこなしてから今日は七時前ぎという早めの時間に退社する。上手く行けば初芽と待ち合わせてささやかなお祝い出きるかなと思ったから。
駅に向かっていると、初芽からメールがくる。
『今電話大丈夫?』
俺は『会社終わって駅向かっているとこ』と返事を返すと即電話がきた。しかし第一声は俺が思っていたのとはかなり異なる内容だった。
『余計な事しないでくれる?』
その声はキツめで、怒りに満ちていた。俺は意味が分からず「は?」という間抜けな音だけ返す。
『エルシーラの事!』
オカシイ、内容は思っていたモノなのに、初芽の態度が想定外すぎる。
『ああ、俺が棚瀬部長に紹介した企業だけどどうかしたの?』
そもそもコレから動き出すプロジェクトだけに問題か何か起こるには早すぎる。
『私が担当になったの。
こういう事止めてくれる? 私の問題に顔突っ込んでこないで! そう言う同情は本当に余計だから! 迷惑なだけ!』
喜んで貰いたくてはやった事について、こう言われた事はショックだった。そしてスゴい剣幕で、まくし立ててくる初芽にも頭にくる。
「あのさ、其方こそ何勘違いしてんの? 俺だって真剣に仕事してんだよ。
エルシーラは俺にとって大事なお客様だしな!
彼氏の紹介なんてそんな甘い感覚で担当するだったら、それこそ止めてくれない?
棚瀬部長にも『紹介したからには誠実に対応して貰える人でお願いします』としか言ってないし!」
思わず怒鳴り返していた。嘘ではないが、暗に初芽になれば良いなの願った。しかしああ言われしまうと、そう言い張るしかなくなる。初芽のプライドを傷付けたのは確かだろうが、俺も傷付いた。軽い気持ちではなく真剣に初芽の役に立ちたいと思っての事だっただけに、その想いを否定された事が悲しかった。初芽は電話の向こうで黙り込む。
「丸山部長は、初芽が考える程甘い人てもないから、せいぜい頑張って。紹介した俺に恥かかせないようにしてくれよな!」
俺はそう言い放ち、電話を切った。感情が高まり抑えられず、さらに余計な事を言いそうだから。苛立った気分のまま混み合った電車に揺られ、ますます形にならない怒りが膨れ上がっていく。電車から降りて、外気に触れて熱くなっていた身体は若干冷めるが、夜らしい冷たい空気も俺の熱くなりすぎた感情を沈めてくれなかった。高ぶった感情のままだと、コンビニの店員とすら顔を合わせたくない。俺は駅から無言で早歩きで家に急ぐ。玄関を乱暴に開け部屋の中に入り、ドアを閉めて一回言葉とも言えない音を口から発する。部屋に入り背広を脱ぎもせずソファーに乱暴に腰掛けそのまま、なんと表現して良いか分からないうねるような感情に曝されながら先程の、やりとりを何度も頭の中で再生する。
何とかまともな思考が出来るようになって、自分が電気も付けてない部屋でただ馬鹿みたいに茫然としていた事に気がつく。怒りは冷めたが、どうしようもない悲しみと悔しさが俺を支配する。納得いかないけれど、初芽への気持ちも募る。自分が、無意識にスマフォを握り締めている事に気が付く。怒りながらも悲しみながらも初芽からの連絡を待っている自分が滑稽に見えるが、スマフォを置く気分になれない。
とりあえず背広を脱いで、初芽が電話かけてきても分かるようにスマフォを脱衣室におき、シャワーを浴びる事にした。晩飯食う気分でもなかったので、食パンを焼くこともしないでそのまま食べて牛乳で流し込む。
何故か自分の部屋なのに、やることもなく手持ち無沙汰になる。読みかけの本を手に取るけれど、文字を追い掛けても全く頭に入らない。
ブーブブッ
スマフォがメールを着信して震える。本を放りディスプレイを見るとそこに『清瀬秀正』とあり落胆する。あれ以来、清瀬くんは俺に色々メールしてくるようになった。遠征先での鬼熊さんへのお土産の相談とかいった他愛ない内容が主にだが、そういったやりとりを楽しんでいた。
『やっと勝ったよ! いや~連敗続きはきつかった~!
そうそう前約束してたサムソンの筋肉、今日良いの撮れたから送るね!』
顔文字混じりの脳天気なメールに気が抜けた。
目でただ文字だけを居ながら指を動かしスクロールして俺はフリーズする。ロッカールームなのだろう、そこには全裸の黒人男性が立派なモノをぶら下げてノリノリでボーズつけている写真が添付されていた。彼の後ろにも、くつろいだ様子の裸の選手も写っている。
『どこのゲイサイトに掲載されている画像だよ!』と突っ込みたくなるようなモノを送られて、俺にどうせよというのだろうか? リアクションする元気もない俺は余計に疲れを感じて寝る事にする。しかし眠れる訳もなく、スマフォが、着信するのを待ちながらベッドに横になっているだけ。結局真夜中になっても、朝になっても初芽からなんの連絡も来なかった。