聞こえなかった言葉
お客様と会話を楽しみ、会社では鬼熊さんらと何てことない言葉を交わすという、代わり映えしない毎日を過ごしていると土曜日となる。
週末、『ゆっくりしたい』という初芽の言葉もあり、彼女の部屋でノンビリビデオを 楽しみまったりと過ごす事にする。そして二人で近所のスーパーに出掛け、買い物をして戻り、並んで夕飯を作る。
といっても今日作るのは簡単にカレーライス。
牛肉をカレー粉などの香辛料を塗してから焼いていると初芽は笑う。
「そうやって、細かく一手間描けてくるわよね」
俺は肉を皿に一旦あけ野菜を炒める。
「何処かに自己流を入れるのがカレー作りの醍醐味では?」
そう答える俺に初芽は苦笑する。
「はいはい。
サラダはできたから!」
そう言って、サラダの、入った皿をもって離れていく。
「無理してわ…………のに」
肉を鍋に戻しスープを入れ鍋がジャーと音をたてたタイミングで、後から初芽の声が聞こえたけど、彼女が何を言ったかは聞こえなかった。
「ん? 何か言った?」
聞き返したけれど、初芽は慌てたように首を横にふり、『何でもない』と答えた。
灰汁をとりながら具材が煮えたら、隠し味にインスタント珈琲とバターを入れてカレールーを溶かし醤油で味をしめてカレーは完成する。
カレーはやはり一人で食うより、誰かと食べる方が旨い料理だ。初芽も喜んで食べてくれた事もあり二人で会話を弾ませながらの、楽しい夕飯になった。
初芽の作った野菜を切っただけのサラダの不揃いだったり切れてなかったりするキャベツもご愛嬌。そこに思わずニヤニヤする俺に拗ねる初芽の顔が可愛かった。その様子を離れたソファーの所で猫が尻尾をゆっくり動かしながらジッと見ている。今日は珍しく邪魔してらこない様子が少し不気味である。何故か意味ありげなに目を時々細めるだけ。
殆ど夕飯を俺が作った事もあり、後片付けは自分がすると言い張る初芽の言うこと聞いて、先に風呂に入る事にした。
身体もサッパリしてラフな格好になり寛いだ気分で部屋に戻ると、初芽が俺に背中を向けた状態でしゃがみ猫を撫でていた。
「何でなんだろうね、マール。ホント私、こんなふうにダメになっちゃうんだろ?」
初芽のそんな声が聞こえる。
「猫には、悩みとか愚痴を言うんだな」
その光景を見て、ついそんな余計な事を呟いてしまう。初芽が振り向きキョトンとした顔を見せる。
「今、何か言った? ごめんボーとしていて聞こえなかった」
反応が薄いところから、何言ったのか本当に聞こえてなかった事が分かりチョットホッとする。
「いや、お風呂あがったから、入ってきたら。珈琲でも入れるから」
初芽はフフと笑い頷く。
「分かった、でも二人で仲良くしているのよ! 喧嘩しないでね」
俺の横を通りながら、そんな事をふざけた口調で言ってくる。二人って何? 俺はチロっと俺を見上げる猫に視線を向ける。
「するか!」
初芽が去ると、猫は俺にすり寄るのではなく、態と尻尾を俺の足ぶつけながらソファーの方へと歩いていった。そして飛び乗り真ん中にデーンっと座る。『ここは俺の場所だから、お前座るなよ!』と言わんばかりにコチラをドヤ顔で見上げてきていた。対等に張り合うのもバカらしいので俺は猫を無視して、ヤカンに水を入れてお湯を沸かす事にした。美味しい珈琲を煎れる為に。
部屋には、ジーと無言で見つめる猫、それをあえて無視する俺。妙な空気だけが部屋に漂う。バスルームの扉が開く音がするのを聞いてから、俺は部屋に満ちたどこか白けた空気を払拭するために、セットしておいた粉にお湯を落とす事にした。お気に入りの喫茶店で買った珈琲の粉から立ち上る心安らぐセピア色のアロマ。それが初芽の部屋に満ちていく事で俺の心も落ち着いていった。