その暖かさに酔う
今日は珍しく俺の方が先に待ち合わせ場所にきていた。仕事中はなんやかんや人と接していた事もあり気も紛れていたが、一人になると自己嫌悪が蘇る。後輩の育成にしても独り善がりな部分もかなりあったかのように思えてくる。最初の方は俺なりの使命感で指導したものの、途中から辺りは移動がなかった事のムカつきもあって、キツめに対応していたかもしれない。思い通りにならない事態にムカつき、求めただけの仕事の出来ない新人に苛つき。挙げ句に仕事先のまだまだ社会に出たての女の子に八つ当たり。本当にガキである。とはいえ、間違えた事は言っていないだけにどう謝罪すべきか、そこも悩ましい。本日何度目になるか分からない溜息をつく。二杯目の珈琲を注文し、微妙な味に顔を顰め、またため息をつく。
近くに人の気配があるのを気がつき顔をあげると、初芽が苦笑しながら見下ろしていた。
「何、冴えない顔をしているの?」
俺は無防備な姿を見られた気恥ずかしさもあり、肩を竦めてニヤリと笑って見せる。そこまで変な姿を見せた訳ではないが、こういう状況は何処か恥ずかしい
「恋人を切ない気持ちで待つ男心、分からないかな?」
あえてそんな言葉で誤魔化す俺。前に座りながら初芽はプッと吹きだす。
「私の事をね~。へぇ~。
単に仕事の事でウダウダ悩んでたんじゃないの?」
俺は苦笑いしながら首を横にふる。
「別に俺は、業務時間外まで悩む程問題もなく平穏なものだよ」
言った後に、また余計な事言ったのに。気がつく。一瞬初芽の笑みが固まるのを俺は静かに見つめる。ここ数日の素っ気なさすぎるメールや、今日のデートの遅れ具合からも、仕事で余程の事が起こったのは感じる。
しかし初芽は、この日は仕事の事も愚痴もまったく漏らす事なく、ただ陽気な酔っぱらいになっただけたった。
少しふらつきながら俺にしだれかかってくる初芽と歩きながら、何処か物足りなさを覚えている自分がいた。初芽に不満を感じている訳ではない、俺自身に対してである。初芽にとって何の役にも立たない意味のない人間である事に。俺は腰に回した腕に力を込めた。
「はい、どうぞ」
俺の部屋でソファーに座る彼女の前にカップを置く。
足元があまりにも覚束無い彼女を一人部屋に返すのが心配だったから部屋に誘う。今の時間ならばカーシェアリングも空いているだろうから、車で送る事も出来るから。
酔い冷ましにエスプレッソマシーンを使い煎れたモノ。自分が出来る最も自信ある唯一の事。お酒でトロンとしていた瞳の初芽がカップの中を見て目を見開く。そしてクスクスと笑い出す。その笑顔が何故か泣き顔にも見えた。
「コレ、マール?」
俺は肩を竦めて、自分のカップには普通にスチームミルクを注ぐ。
「思った以上に、上手く描けた事に俺もビックリした」
初芽はまだ笑いながらカップを見つめ続けている。そこには俺が作った猫のラテアートが小憎たらしくニヤリと笑っている。あの独特な嫌みっぽい顔がなかなか良い感じに再現されている。
「ホント器用よね。それにこんな事澄ましてやる所が正秀よね」
初芽はソッと猫に口づけるようにカフェラテをすする。猫の顎がそれによって伸びて顎が少し尖る。
「ハートを描くとか恥ずかしい事てないだろ? それに偶にやらないと腕鈍りそうだからやっただけで……」
流石に恥ずかしくて『君に元気になってもらいたいから』なんて事言えない。初芽は更に笑い出す。しかしコレだけウケたのならば、こういう恥ずかしい事でもやって良かったと思いながら初芽の隣に座る。
「腕が鈍るって、貴方何処を目指しているの? 喫茶店でも開店する気?」
初芽の言葉に俺も、悩んでしまう。確かにサラリーマンとしてはかなり無意味な技能を身につけているのは確かである。
「確かに、俺は何したいんだろうな」
二人てフフフと笑いあう。どちらからというのでもなく顔を近づけキスをした。この時はそれで十分だった。カフェラテの香りと暖かさ、彼女の温もり。それだけでこの瞬間は幸せだった。でもそれは一瞬だけ、日常の憂さを忘れる為のごまかしの幸せと暖かさ。セックスするのではなく、ただキスして抱き合うだけの時間を二人で楽しんだ。