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スモークキャットは懐かない?  作者: 白い黒猫
シナモンロースト
17/102

後でするから後悔

 Joy walkerの編集部に行くと人は余りおらず、ライトテーブルで作業していた田邉さんが俺に気がつき笑顔を向けてきた。

「タバちゃんなら、多分給湯室にいるよ」

 挨拶に続く会話を楽しんだ後、そう教えてくれる。一カ月の間に煙草さんは『タバちゃん』という愛称で呼ばれるようになったようだ。そして言われるままに給湯室へ向かうと、女の子が何故か必死という感じでシンクの掃除している。その動きに豊かな胸が揺れているのを見て、胸の大きい女性はこういう時は邪魔で大変そうだなと、どうでも良い事を考えた。声かけようとしたが作った笑顔が、固まる

 煙草さんが、泣きながら掃除していたから。

「……煙草さん?」

 ソッと声をかけてみる。煙草さんはビクっと身体を震わせ、慌てた様子で泡だらけの手で頬に流れている涙を拭う。お陰で頬にホイップのように泡がのっかる。

 俺はポケットからハンカチを出し煙草さんに差し出す。

「頬に()が付いていますよ」

 煙草さんは、俯きハンカチは受け取らず横にあったキッチンペーパーで取り泡を拭き取る振りして涙もふく。

「すいません、みっともない姿お見せして。珈琲ですよね?」

 まだ潤んだままの赤い瞳の顔で無理して笑う。

「何か、ありましたか?」

 この状況でスルーするのも不自然なので聞くしかない。するとやはりと言うべきか煙草さんの瞳の涙は決壊して流れだす。内心面倒臭いと思う気持ちを伏せて俺は優しく見える笑みを浮かべ、敢えて促す訳でもなく黙って様子を伺う。

「……春なので、ウチの雑誌で……ヒクッ……ある和菓子屋さんを……ウッ……」

 嗚咽交じりで要領を得ない言葉を要約すると、彼女が携わっている『陽だまりSANポ♪』という雑誌で、ある和菓子屋さんを取材して掲載した。彼女はまだ入ったばかりなので取材ではなく使い走りとしてその和菓子屋さんに対して掲載原稿や写真を届けに行くなどという形で関わっていたようだ。そして先日その店が雑誌に掲載されると、店には予想以上の反応があり、多すぎる客にパニック状態。そんな時に様子伺いに行った煙草さんは『あんたらの口車に乗ったせいでとんだ迷惑な状態だよ! 関わるんじゃなかったよ!』と責められ怒鳴られ、何して良いのかわからず、ひたすら謝るだけ謝って逃げ戻ってきて今に至るようだ。

「私は……ただ、喜んで……もらえると思ったから頑張って……」

 こうして俺に話す事でますます感情が高まってきたのだろう。本格的に泣き始める煙草さんを見ていていると、どうしようもなく苛立ってくる。女性のこうした仕事で流す涙は嫌いだし、泣いている顔はドキンとすることもなくムカつくだけ。こうしてこの子は泣いて『君は何も悪くないよ、可哀想に大変だったね』といって慰めてもらう事を期待しているのだろう。

「で、君はここで何しているの?」

 思った以上に冷たい言葉が飛び出していた。煙草さんもビックリしたように俺を見上げてくる。丸い目がますます丸くなっている。

「私が営業をやっているので余計にそう思うのかと思いますが、何しているの? という感じですよね? 取引先とそういう問題があった状態を、君は放り出して上司に報告もせずに、ただここで泣いているだけって、社会人として有り得なくありませんか?」

 バイト時代でもこういう子は一杯いた。普段の仕事は若さと明るさですべて許されると思いふるまい、そしてトラブル起こしたら泣いてすます。こういうタイプの子が多いから、女性が本気で仕事をしにくくしているところがある。

 そして必死で働いている初芽のような女性は、何かあっても一人で必死に耐えて戦っている。

「君がまずやる事って、こうして給湯室を泣きながら掃除する事ではないでは?」

 煙草さんは呆然と俺を見上げたまま何も言わなかった。しばらくそのまま、無言で見つめあってしまう。

「清酒くん、来ているんだって~? ちょっといいかな~」

 編集部の方から帰社したらしい羽毛田(はげた)編集長の声が聞こえてくる。俺はそんな煙草さんを置いたまま離れる事にする。このまま向き合っているのも不快だっただけに、そうやって呼ばれ離れられるのがありがたかった。

 ミーティングルームから出て、編集部を見渡しても煙草さんの姿はいなかった。もしかして煙草さんはまだ給湯室にいるのかな? とその方向に視線を向けるが廊下の先にある給湯室が見えるわけもない。まだ、本来のマメゾン営業としての仕事もしていないし、煙草さんがいるのならば面倒でも顔合わせざるをえない。少し気まずいけれど。そう考えていると、今度は自分のパソコンの前にいた田邉さんが顔をあげる。

「あ、清酒くんタバちゃんなら出かけたよ! そう言えば、君に宜しくといっていたよ!」

 俺はその言葉に内心戸惑いながら返事を返す。そして一人で在庫をチェックしてその、足りない分を補充するといった通常業務をしてjoy walkerを後にした。


 車に戻り溜息をつく。ポケットからスマフォを取り出し、メールアプリを呼び出し初芽に『今夜、何か旨いモノでも食いにいかない?』という言葉を送る。

 会社に戻ってエレベーターに乗りスマフォをチェックしてみると『無理』本文なしの素っ気なさすぎる返信が返っていた。

 俺はまた大きく溜息をつく。


※   ※   ※


「あ!」

 家でチャーハン作っていたら、つい力加減を間違えて派手に具材をガスコンロに飛び散らしてしまう。俺は部屋の中で一人悪態をつく。取り敢えず皿に目減りしたご飯を盛り付け、先に作っておいたサラダとスープと共に食べる事にする。荒れた気持ちで作った為か、チャーハンは味が少し塩辛く、スープは逆に薄くて、どちらにしても美味しくない。お腹に入れれば良いと言わんばかりに無言で無表情でサッサと食事を済ませコンロの掃除をする事にする。

 キッチンペーパーでこぼれまくったチャーハンを拭き取ってから、五徳を外し、洗剤を加えたお湯に浸しておいてから、ガステーブルにも洗剤を振りまきスポンジで泡立てながら汚れを浮かしていく。

 泡をまずキッチンペーパーで拭ってから、固く絞った使い古しのタオルを何度か洗いながら綺麗に拭き上げる。お湯につけていた食器をまず洗って水切り網に載せてから、五徳を歯ブラシなどで念入りに掃除する。最後にシンクまでを洗い磨き上げた所で俺はふと、煙草さんの事を思い出した。

 冷静にあの時の状況を思い出し改めて考えてみる。そして頭に過ぎるのは、激しい後悔。

 よくよく考えてみたら、彼女は何も悪くない。一生懸命仕事して、普通に考えたら良い結果となっているのに、予想を上回った客足による忙しさで気が立った店主に八つ当たりされただけである。悪くもないのに謝り、会社で一人泣いていただけだ。田邊さんは泣いている女の子を放って呑気に仕事をする人ではない事からも、彼女は泣きつく事もせずに一人で気持ちを整理していた。そうしていたら、初芽の事で苛立っていた俺に八つ当たりされ……。その事実に気が付き青ざめる。

「最悪だ。何やっているんだ俺」

 俺は力なく、ソファーに腰を下ろす。苦しんでいる恋人に対して無力なだけでなく、幼気な女の子を苛めた最低男。その現実にひたすら落ち込んでしまう。

 気分を変える為にシャワーを浴びてみても、現状が何一つ変わっているわけではなきので気分が治る訳もなく、非常にモヤモヤした気持ちのままベッドに入り、寝不足の状態で朝を迎える。

 髭を剃り歯磨き顔洗い、アイロンの効いたシャツを纏いネクタイ締めてクリーニングから戻ってきたばかりのスーツに身を包む。そして鏡をみながら『よし!』と、よく分からない気合いを入れる。

 悩んでようが、苛立ってようが、後悔に打ちひしがれようが、朝は来るし、日常は続く。俺は重い気持ちのまま会社に行き、そしていつものように仕事するしかない。

 ちょっと変わった事は、手下(てが)への口調が若干優しくなった事かもしれない。彼なりに頑張っている姿に煙草さんの姿が重なって見えたのである。

 まだまだ足りない所だらけだけど、社会出たてで右も左も分からず頑張っているコイツを怒鳴れなくなった。それに営業先で気を張って頑張っている奴を、社内でもびびらせてしまっては可哀想だ。

「お前も、結構頑張っているよな」

 通勤費請求の書類を受け取りながら、そう呟くと手下は固まる。優しくしたら優しくしたで驚ろかれるのを見ると、別の意味でムカついた。


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