表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/33

29

「おばあちゃん、本当にお世話になりました」

「いいって、いいって。またいつでも遊びにおいで」

 莉奈が祖母の前でぺこりと頭を下げる。遼二はそんな二人を眺めながら、来た時と同じスポーツバッグを肩にかける。

「あっち着いたら連絡する」

「遼二が帰ったら、きっとお父さんも喜ぶよ」

 祖母の声に遼二は顔をしかめる。

「そんなわけねぇだろ? お前の顔は見たくないって言われたんだぜ?」

「今ごろ後悔してるに決まってる。お父さんはね、末っ子のあんたのことが一番心配で、一番可愛いんだよ」

 遼二の前で祖母が笑う。視線をそらす遼二のことを、莉奈が黙って見つめている。

 小学生の頃、夏休みは父と二人でこの家に来た。仕事人間だった父と、年に一度だけ一緒に過ごせる時間。

 兄と姉は、勉強や部活で忙しかったから、一番年下の遼二だけを父が連れてきてくれたのだ。

 海で泳いで、帰り道でアイスを食べて、夜はこの庭で花火をして……父の布団で虫の声を聞きながら眠った。

 一日中、父を独り占めできることが嬉しくて、この時間が永遠に続けばいいと思っていた。

「俺、もう行くよ」

「ああ、気をつけてな」

 庭先で手を振る祖母の姿。莉奈と一緒に歩きかけた遼二が振り返る。

「ばあちゃんは……一人で平気なのか?」

 自分たちが出て行ったら、祖母はたった一人。祖父のいないこの家で、たった一人で生きていくのだ。

「もう慣れっこだよ」

 祖母がそう言って笑う。

「それにここには、じいちゃんがいるからなぁ」

 浜の女は一途なんよ――いつかの祖母の言葉が頭に浮かんだ。


 莉奈の手を引きながら、海沿いの道を歩く。この町にやってきた日と同じように、空はどんよりと曇っていた。

「……遼二くん」

 黙り込んだままの遼二に、莉奈がつぶやく。

「遼二くん、いいの?」

「何が?」

「私と一緒に、東京に戻ること」

 莉奈がちらりと顔を上げて遼二を見る。

 本当は少し思っていた。

 コンビニもファミレスもゲーセンもない、潮の匂いがするだけの、息が詰まるような田舎町だけど、祖母と二人の生活は悪くなかった。

 このままこの町で、面倒なことは考えずにずっと暮らしていければ……それはそれでよかったのかもしれないけれど……。

 つないだ手をぎゅっと握る。もうこの、温かな手を離したくはない。

「こんな町にこれ以上いたら、俺、退屈すぎて死ぬ」

 莉奈が少し笑った。遼二もかすかに笑顔を返した時、ふいに声をかけられた。

「遼二くん」

 莉奈ではない女の子の声。振り向くと坂道を下りてきた雫が、遼二たちの元へ歩み寄った。

「東京に帰るんだってね? 拓から聞いた」

「あんたも来るんだろ? 拓海と一緒に」

 雫が遼二の前で、首を横に振る。

「来ないのか?」

「……うん」

「どうして……」

 雫は曖昧に笑い返し、話題を変えるかのように、莉奈をちらりと見て言った。

「遼二くんの彼女? 可愛いね。大事にしてあげなきゃダメだよ?」

「話そらすなよ」

「電車の中で、もう泣いたりしないでね? 男なんだから」

「うるさいっての」

 二人で電車に乗って病院に行った日。雫の前でみっともなく泣いてしまった自分。雫のほうがよっぽどつらかったはずなのに……。

「それよりどうして……」

「遼二くん」

 雫がぽつりとつぶやく。

「ありがとうね。いろいろと」

「雫……」

「拓に謝っておいて。ごめんねって……」

 黙って雫の顔を見る。雫は寂しげにもう一度微笑む。

 そんな雫の表情を見たら、それ以上何も言えなくなって……今来た道を戻っていく雫の背中を、遼二はただ見送るだけだった。


 どうしてあんなふうに笑えるのだろう。憎しみも悲しみも、胸の奥にしまいこんで……今までも、これからも、そうやって生きていくつもりなのか? 生まれ育ったこの町で……。

 駅へと続く道で振り返る。遠慮がちについてくる莉奈が立ち止る。その向こうに見えるのは、決して爽やかではない空と海。

 鉛色した、重苦しい風景を背負ったような莉奈が、不安げな目をして自分を見ている。

「莉奈……」

 手を伸ばして、莉奈の身体を抱き寄せる。柔らかくて温かい、その感触にすがりつく。

「遼二くん?」

 戸惑いがちに莉奈がつぶやき、その手がゆっくりと遼二を包む。それに応えるかのように、莉奈の身体を抱きしめる。震える手で、強く、強く……。

 すべてが不安で心細かった。遼二も、莉奈も、拓海も、雫も……誰もが脆く、危うく、深い海の底をもがくように生きていた。

 莉奈と一緒に上り列車に乗る。ひと気のない車内で、莉奈と並んで座る。

 単調な音と、心地よい揺れの中で、やがて莉奈の重みが肩にかかる。

 自分に寄り添う莉奈のぬくもりを感じながら、遼二はただ黙って、過ぎてゆく景色を目で追っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ