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右手にぶら下げたビニール袋が、ガサガサと潮風にあおられる。
「拓ちゃん、おまけだ、もってきな」
そう言われて、店のおばさんからもらった大福は、実はあんまり好きではない。
港のそばで立ち止まり、広瀬拓海は海を眺めた。どんよりと薄暗くて、陰気くさいこの風景が、まるで自分のように思えて唾を吐きたくなる。
ふと視線を移した防波堤の先に、男女の人影が見えた。女の方は拓海のよく知っている、雫の姿だった。
雫とは、もう長い付き合いだ。「幼なじみ」と言えばそれまでだけれど、この狭い海辺の町では、すべての子供が幼なじみのようなものだ。
だけど拓海にとって雫は――幼なじみ以上の、特別な存在だった。
ショートカットにショートパンツで、男の子みたいだった雫は、よく拓海たちと遊んでいた。
「拓! 早くおいでよ!」
そう言って自分の前を走る雫を、拓海はいつも追いかけていた。
そんな男勝りだった雫が、髪を伸ばし、スカートをはいて、ほんのり化粧をするようになったのはいつからだったか。
いつだって一歩先を走っていた雫は、いつの間にか拓海の手の届かない所まで行ってしまった。
絶対的な権力を持っている兄の元で、ただ言いなりになって暮らしているだけの自分なんかが、決して手の届くことのない遠い場所まで……。
「拓ちゃぁん」
聞きなれた幼い声に、拓海は雫から視線をそらした。見ると自分に駆け寄ってくる甥っ子の翔太の姿が見える。そしてその後ろには、穏やかに微笑んでいる翔太の母親の姿。
「拓ちゃん、お味噌あったぁ?」
「あったよ。それからおまけももらった」
町のスーパー代わりである、何でも売っている雑貨屋に、拓海は夕飯に使う味噌を買いに行ってきたところだったのだ。
「ごめんね、こんなこと拓ちゃんに頼んじゃって……夕飯には必ずお味噌汁作らないといけないのに、お味噌切らしちゃって……」
翔太の母親――水紀が、大きなお腹を抱えて申し訳なさそうに言う。拓海は黙って首を横に振ると、袋から大福を取り出して翔太に渡した。
「わぁい! これ、もらっていいの?」
「いいよ。でもちゃんと飯食ってからだぞ?」
「うん! わかった!」
翔太の笑顔を見ながら、味噌の入った袋を水紀に渡す。水紀が「ありがとう」と言って、拓海の手からそれを受け取る。
拓海の兄である大輔が、夕飯に味噌汁がないというだけで怒り出す人間だということを、拓海もうんざりするほど知っていた。
母が亡くなってから、それまで家長を務めていた父に威厳がなくなり、その代わりに大輔が、この家の何もかもを仕切るようになったのは数年前。
それはとても窮屈で、息苦しかったけれど、拓海は大輔に従うしかなかった。
なぜかって――ただ、怖かったから。
小さい頃から自分のことを抑えつけ、反抗すれば暴力をふるう十歳年上の兄は、拓海にとって恐怖でしかなかった。
「お母さん、お腹すいたぁ」
「そうね、早くご飯作らないと、お父さんが帰ってきちゃう」
急ぎ足で家へ向かう義理の姉とその息子を見ながら、拓海は哀しくなった。
あの人は、どうして兄なんかと結婚したのだろう。
わがままで、自分勝手で、すぐ暴力をふるって、細かいことにうるさくて……そして奥さん以外の女と関係を持っている、あんな男と……。
薄暗くなった空の下で振り返った。防波堤の上に、雫の姿はもうなかった。
「拓ちゃぁん」
翔太に呼ばれて家に向かう。
頭の中に、雫と兄の重なり合う姿が浮かんで、吐き気がした。