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 空がうっすらと明るくなってきた頃、雫は眠っている母親を横目に家を出た。

 坂道から見下ろす海に浮かぶ、何艘かの船。無意識のうちに、大輔の船を探している自分に気づき、なんだかおかしくなる。

 昨日、大輔の奥さんである水紀と、その息子の翔太の姿を見かけた。

 雑貨屋から出てきた水紀のお腹は、ふっくらと丸く膨らんでいた。

 買い物袋をぶら下げて、手をつなぎながら夕暮れの道を歩いて行く二人。

 これから家に帰るのだろう。そして大輔のために、夕飯の支度をするのだろう。

 そんなことを思いながら、背中にかかる水紀の長い髪を見送った。


 べったりとした風が吹く。そういえば昨日、梅雨明けしたというニュースを聞いた。薄暗いこの町に蒸し暑い夏がやってくる。

「髪……切ろう」

 肩まで伸びた髪を指先に絡める。赤茶けて、傷んでしまったこの髪が、彼女の黒髪にかなわないことを雫は知っていた。

 いつもの防波堤のところまで歩いて立ち止る。ぼんやり海を眺めているその背中に、雫は声をかける。

「おはよう」

 雫の声に、遼二がこちらを振り向いた。

「ああ……」

「ずいぶん早起きなんだね?」

 少し驚いた顔をしていた遼二が、ふっと笑う。

「隣で寝てるヤツのいびきがうるさくてさ。なんとかなんねぇの? アレ」

「隣で寝てるヤツ?」

「広瀬拓海」

 拓海が? どうして?

「あいつ、なんだか知らねぇけど、家出してきたらしくてさ。今、俺のうちにいるんだよ」

「そう……なんだ」

 雫の頭に、びしょ濡れになって自分を捜していたと言った、拓海の姿が浮かぶ。

 拓海がいつも、自分のことを気にかけてくれているって、雫は知っていた。

 そしてたぶん、拓海が自分を好きでいてくれているってことも……。

 雫は黙って遼二の隣に座った。海から吹き付ける風が、雫の髪を揺らす。

「お前学校、サボってんだろ? そろそろちゃんと行けよ」

 海を見たまま遼二が言った。雫はもう何日も、学校を無断で休んでいた。

「遼二くんって、そういうこと言うんだ。なんか意外」

「意外って……どういう意味だよ?」

 雫も海を眺めながら、ふっと息を吐く。

「だって遼二くんって……軽くて、いい加減で、調子よくて……それから、すごく悪い人だと思ってたから」

「ずいぶんひどい男と思われてんだな、俺」

 顔を見合わせて二人で笑った。そう言えば、こんなふうに笑ったのは、久しぶりのような気がする。

「ねぇ、悪いことって、何したの?」

 笑い声が途切れた時、雫がぽつりとつぶやいた。

「悪いことして、東京の家、追い出されたんでしょ?」

 遼二がまた、海に視線を移す。雫はその横顔をぼんやりと眺める。

「彼女のこと……傷つけた」

 遼二の声が耳に届く。

「取り返しのつかないほど、深く……彼女のことを、傷つけた」

 雫は静かに目を閉じる。波の音が遠く、近く、聞こえてくる。

「私も……」

 遼二がゆっくりと、隣に座る雫を見る。

「私も、傷つけた。いろんな人を……それに、自分を……取り返しのつかないこと、しちゃった」

 雲が晴れ、夏空が顔を出す。きっと今日は暑くなる。

「ねぇ遼二くん? 明日の土曜日、暇?」

「俺はいつでも暇だけど?」

「一緒に、付き合ってもらいたい所があるの。お願い」

 遼二の前で両手を合わせて、雫は微笑む。まるで、デートの約束でも持ちかけるかのように。

 少し不思議そうな顔のまま、遼二が答える。

「いいよ。別に」

「嬉しい。ありがとう」

 そう言いながら、自分の指先がおかしいほど震えていることに、雫はその時やっと気がついた。

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