12
夕方から降り出した雨は、かなり激しくなっていた。
そんな雨の音を聞きながら、拓海は何度も布団の上で寝返りをうつ。
眠れない……理由はさっき偶然見た、あの二人のせいだ。
夕方、大輔の車に乗り込む雫の姿を見た。
馬鹿なやつらだ。こんなに簡単に、不倫現場を自分に見られているくらいなら、きっと町の住人にも知られているだろう。
そしてもしかしたら水紀だって……。
胸の中がどうしようもなくもやもやして、拓海は起き上がり部屋を出た。
何か飲もうかと台所へ向かう途中、まだ灯りの灯っている居間を覗くと、そこには水紀がぼんやりと座っていた。
「水紀さん? まだ起きてるの?」
時計の針は午前零時を過ぎている。いつもだったら寝静まっている時間だ。
水紀は拓海を見ると、ほんの少し口元を緩ませつぶやいた。
「あの人、まだ帰ってこないの」
拓海の心臓がとくんと音を立てる。
「どうせどこかで飲んでるんでしょうけど……」
確かに、大輔の帰りが遅くなることは、めずらしいことではない。だけどそんな時、水紀は翔太と一緒に、先に寝てしまうはず。
それなのにどうして今夜に限って、水紀は大輔の帰りを待っているのか? 何か……いつもと違う何かを、水紀も感じているのではないだろうか?
激しい雨音と共に、どうしようもなく嫌な感情が、拓海の頭を支配する。
「俺ちょっと、兄貴探してきます」
「あ、待って……拓ちゃん……」
何か言いたげな水紀を残し、拓海は玄関を出て傘を開いた。
夜道を早足で歩きながら、携帯で兄に電話をする。何度呼び出し音が鳴っても、出る気配はない。
「くそっ」
携帯を閉じてポケットに突っ込む。
大輔の居場所なんてどうでもよかった。拓海が知りたかったのは、二人が一緒にいるかどうかだ。もしまだ、大輔と雫が一緒にいるのなら……。
傘に打ち付ける激しい雨の音を聞きながら、拓海の足はあの場所へ向かっていた。
しかし拓海の予想した場所に、二人はいなかった。
「なんで……」
真っ暗で、乱雑に物が散らかっている小屋の中を見回す。ここで二人がしていたことを思い出し、気分が悪くなる。
拓海は扉を開けて外へ出た。強い風が吹き付けて、雨で全身が濡れる。
じゃあ、どこにいるんだ? ここ以外の場所でも、あの二人は会ったりしていたのだろうか?
車に乗って、どこか遠い所まで行ってしまったのだろうか?
考えてもわからなかった。けれど、何かをしていないと気が気じゃなくて……。拓海は港を駆け抜け、家の前を通り過ぎ、まだぽつぽつと灯りが残る、酒場の方へ向かった。
漁師仲間が集まる、行きつけの小さな居酒屋で、大輔は簡単に見つけることができた。
「ああ? 何でお前がここにいるんだ?」
濡れた傘から雨水をぽたぽたと垂らし、息を切らしている拓海のことを、大輔は赤い顔をしながら見た。
「雫は?」
「はぁ?」
「雫は一緒じゃないのか?」
店の客は大輔の他に、二人連れの知らない男がいるだけで、あとは年老いた店の主人が、カウンターの上を片づけているところだった。
「何言ってんだ? お前」
「知ってるんだぞ! あんたが雫にしてること!」
大輔が拓海を見てふっと笑う。人を見下したような目つきに腹が立って、拓海はいつもだったら絶対出さないような声を出していた。
「水紀さんの気持ち、考えたことあるのかよ!」
「うるせぇ! お前、いつからそんな偉そうなこと言えるようになったんだ!」
大輔がカウンターをばんっと叩いて立ち上がる。二人の客が同時に大輔のことを見る。拓海は体中に鳥肌が立つのを感じていた。
「命がけで海に出て、てめえみてぇなガキに飯食わしてやって、学校まで行かせてやってるのは、誰だと思ってんだ! ええ? 拓海、言ってみろ!」
うつむいて、両手をぎゅっと握る。腕と足が、情けないほどがくがくと震えている。
そんな拓海を見て大輔は薄ら笑いを浮かべると、また椅子に腰かけて言った。
「お前、雫に惚れてんのか? だったらくれてやる、あんな女。今さらいい子ぶりやがって……俺に抱かれて、嬉しそうに声あげてたくせによ」
気がつくと右手を握り締めて、大輔に体当たりしていた。椅子の倒れる大きな音と、グラスの砕け散る音。床に倒れて一瞬驚いた表情をした大輔の顔を、拓海は思いきり殴りつけた。
「拓海……てめぇ……」
反撃に出ようとした大輔を、もう一発殴る。面白いようによろけてくれるのは、こいつが酔っているからだ。
このまま殺してやろうか? 今ならできるかもしれない――そんな恐ろしいことを考えている自分がいる。
起き上がろうとした大輔の体に馬乗りになり、胸ぐらをつかむ。そしてもう一度右手を振り上げた時、拓海の背中を誰かが抱きしめた。
「やめて! お願い!」
背中に当たる柔らかい感触。信じられない気持ちで、拓海は振り返る。
「お願い、拓ちゃん……もう、やめて」
そこには水紀が、潤んだ目をして拓海のことを見つめていた。




