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死活問題


一階の職員玄関の鍵を開け、いやに冷たい空気の校舎内に入ると、自分たちの存在がこの空間に拒絶されているような、ここにいてはいけないようなささやかな違和感を覚えた。


「二十重、ここはなにか、おかしくないか?」


初音はいぶかしげに、念入りに周囲を見渡してみた。

しかし、これといって昼間と異なるところは見当たらない。


「もう、夜の学校って言ったら幽霊の聖地!何か出そうな雰囲気がして当たり前じゃない〜」


まるで、歌っているようにひとつトーンの高い返事が返ってきた。初音は、夜の学校だという点において起こった、自分のその非科学的な精神のゆれを否定すべくかぶりを振る。


「否。もとは、幽霊や神、悪魔という概念は未知のものに恐怖し、知らぬということを恐怖する人間が、未知への恐怖でなく既知の対象への恐怖にしようとした、つまりかりそめの言葉を作ってそれをあがめ、もしくは恐怖の対象として作り上げたものだと推測する。自然の災害を神の怒りとたとえたり、突発的な不慮の事故によって若くして亡くなってしまう様を死神に連れて行かれてしまったのだと考えたりするようにだ。」


まくし立てる様に放たれた、やや熱の入った初音の言葉は、渡り廊下の先の先、図書館のほうまで響き渡っているだろう。


一呼吸おいて小さく息を吸い込み、闇に浮かび上がる白い指でメガネをズリ上げ、ゆっくりと息を吐き出す。


そんな初音の様子を、嬉しそうに目を細めて見つめた後、二十重はゆっくりと階段を上り始めた。


特に理由はなかったが、とりあえず夜の小日向高校において、幽霊を目撃するために真っ先に向かうべき場所は、その卓越した『直感』により、馴染み深い『開かずの間』をおいて他に無い気がしたためである。



「そうかもしれないわね。でも、たとえば一般的に有名な気功師などは眼に見えない気をもってして治療を行うでしょ?暗示なのではないかという人もいるけれど、まだ生後間もない赤ん坊の手足を気功によって持ち上げたりする様を見ると、それは確かに其処に在るように見える…」


「それはっ!サーモグラフィーなどで科学的に分析できる部分があり……」


珍しく、二十重の言葉にかぶせて初音は言葉を繰り出した。


二十重は小さく頷いて、初音の言葉が切れたのを確認してゆっくりと再び口を開いた。



「そう。針治療などにおいては、その技能習得過程で陰陽道にかじる知識、気の知識を学ぶことが一般的なの。つまり認められているってことよね、その、ある意味非科学的な精神論が。それと、二十一グラム。人が死んだとされる時に、肉体がそれだけ軽くなるんだって聞いたことがあるでしょ?」


「ああ。」


会話が進む間の二十重の足取りは酷く軽い。



対して、初音はこれ以上階段を上ることを本能的に拒絶し、そしてその自分の第六感を信じてしまいたくなる今の精神状態こそ、今まで経験したことのない異常に思える。


「体に、その瞬間に欠損はなくても、確かに二十一グラム減っている。さて、何が減っているのかしら?いろいろあるかもしれないけれど、一般的には魂魄だと想像できるわね。」


もはや、ただただ二十重の言葉を聞くことしかできない。


何か、否定できない理由がこの空間には在る気がする。



「体から出た『それ』が、空気中において霧散するのか、別の形態をとるのか、もしくは何か、新しく出来上がった生命体の器に入るのか、天に向かうのか、地の底に行くのか。それはわからないし、また、世界はそれを完璧に知ろうとしないかもしれない。知ったとしても、世界の均衡を、既存の『常識』を、『宗教』を、『人間自身』を、そして『人権』を守るために事実を黙殺するかもしれない。」


四階の開かずの間まであと少し。

二十重は三階と四階の間の渡り廊下でやや後ろをついてきている初音のほうへ、軽いステップで振り向く。


「だからこそ、知りたいと思うじゃない!私は、『世界』ではなくて、『松下二十重』なんだから!」



少しだけ、雲の合間から月が出たらしい。


渡り廊下の窓からわずかばかり差し込んできた青い光の中、手を広げてそういいきった二十重の姿は、『世界』を顕現したようにひどく遠く、限りなく大きく見えた気がした。


「……怖いな。」


口の中だけで初音はつぶやいた。


「なに?」


二十重にはどうやら聞こえなかったらしい。


その表情は、今更ながら、少し自分の言ったことが恥ずかしかったのか、照れ隠しのようなはにかんだ笑みを浮かべている。


「それなら、早く行かなきゃならないだろう、と言ったんだ。」


初音は初めて、二十重を追い越して階段を上りきった。ついて来る二十重を見つめて、ふと開かずの間へと視線を泳がせたとき、そこには、いつか見た、つなぎを来た『何か』が立っていた。





息が詰まる。

一気に冷たい汗が浮かんでくる。


『何か』が、手に持っているのは血塗られている包丁一本のみ。


しかし、相手は人間では、ない。


同じ月の光を浴びているにもかかわらず、先ほどの二十重とはまったくの別物だ。



手からノートパソコンを取り落としてしまった。

軽い金属とコンクリートがぶつかり合う音が、酷く場違いで滑稽に聞こえた。



全身全霊の嫌な直感は、こいつとの遭遇を知らせていたのだ。この、絶対的な人外との対峙を。


「あらあら〜、どなた様?」


二十重はたまに出る大ボケをかまし、当然のごとくアレは見えていないようだ。



[そこの長い黒髪のほう。気に入ったぜぇ。まずお前から喰おう。]


鼓膜を介さず直接脳に叩き込まれるような声。


ベースは確かに人間の形をしている。

しかし、その全身は囚人のように頚城をはめられているように影に巻きつかれ、影が肉体に食い込み、その頚城を、別の影が鎹のように、肉体へとさらに縫いとめているように見える。


影は薄ぼんやりと背後に伸びていて、それはまるで醜悪な笑みを浮かべるように裂け、たまに端から伸びる『余りモノ』は、蛇のように地面を這いずり、やがて消えた。



影からは、どうしようもない腐臭と血の匂いが濃厚に立ち上っているように感じられ、たとえるなら今の自分たちは空腹の蛇を前にした尻尾の取れぬ蛙。

もしくは荒れ狂う大海原に浮べられた一枚の葉の上にいる蟻のようなものだ。



頼りない。

私には、何もない。


この化け物を相手に二十重を守る術なんて、何一つもちあわせていない。



ただただ対峙するだけで自分自身を削り取られていく感覚。

気を抜いただけで失神してしまいそうなほどだ。


と、急に影が伸びて二十重に触れそうになった。


「二十重!後で理由は話すからとにかく逃げるぞ!」


影に触れられる前に二十重を突き飛ばして、初音は一気に怪物に駆け寄った。



「あああああああああっ」


頼りない自分の咆哮で、わずかばかり戦意を鼓舞して。


相手の体はやや、左に傾いている。


どうやら折れているらしい左腕に添え木のようなことをしているため、無意識に体が傾いているのか。


体を低く保ち、振り上げられた包丁をかいくぐり、その重心が乗った左足に一撃蹴りを入れる。



怪物の体のバランスを崩し、スピードが落ちた包丁を持つ右腕をつかみ、体を回して体を低くする。


崩された体はそのまま引き摺り下ろされるように落ちてくる。

それを背負い込み、体を持ち上げるように縦に反動をつけ、一気に腕を巻き込む。



朽木のように頼りなく、ソイツは地面に叩きつけられた。


「今のうちだ!いくぞ!」


二十重に駆け寄り手をつかむ。


「あっ」


それを強く引こうとした瞬間、後ろを見ていた二十重は小さくあえいだ。



振り向くと、そこには平然と立ち尽くす化け物がいた。


「馬鹿な!あの勢いでコンクリートに叩きつけられて…平然と立ち上がるなどっ」



言って、自分でそれが愚問なのだと思った。アレは、ただの人間ではないのだから。


と、思考が退避からわずかに逸れたその瞬間、化け物は手を上げていた。


いつ、化け物が手を上げたのかわからなかった。

しっかりと凝視していたにもかかわらず、だ。


その手のひらをこちらに向けて、カクンと首をもたげたとき、そこから何かが発射されているのだと気がついた。


逃げなきゃならない。


逃げないとまずい。


アレは、危険だ。


警告が頭に響く。

頭ではどうすべきかわかりきっている。


しかし、足はもう、震えてしまって動こうとしてくれない。



[まったく、早く逃げればいいのにっ!これだからあなたみたいな頭でっかちは嫌いなのよ]


先ほど脳に叩き込まれた邪悪なそれではない、涼やかな声が響いた。


直ぐ後ろからどこか儚げな雰囲気をかもし出している栗毛の、同世代の女の子が飛び出してきた。



[アレが、見えているんだったらね!]


ざわりと彼女の髪が揺れた。それと同時に、まっすぐに発射されていた衝撃波のようなものが弾き飛ばされていた。


「レイコ、なのか?」


[そのとおり。やっと認める気になったのかしら?]


なぜか、初めて視るにもかかわらず、すでにこの像は知っている気がする。



[ったりまえじゃない!あなた、ずっと私のこと視えていたくせに見ようとしていなかったんだから!まあいいわ。私に任せて。そろそろ恵助が来るだろうから早いところ逃げなさい!こいつは、そんなに抑えていられそうにないわ]


肩越しに頼もしいのか、頼もしくないのか良くわからないことを口走って、レイコは微笑んだ。


月明かりが差し込む狭い廊下に、それとは異なる超常的な力場のぶつかり合いによる、火花が咲く。






二十重には、その火花と、正面に立ち尽くす奇妙な男しか視認できない。

が、たしかに、見たいと望んでいた光景はそこにあった。


それはわずかな間拮抗しているように見えたが、すぐさま力関係は傾き始めた。


[お前、邪魔だ!]


アキマサは眼球が飛び出そうなほど眼を見開いて、また、視認出来ない手の動きをした。


レイコの真横に急のうまれた力場によって、レイコは激しく壁に叩きつけられた。

壁は円形に激しく陥没し、レイコの形だけ陥没せずに原型が残る。


[かはっ]


痛い。

恵助に初めて会って、缶をぶつけられるまでは忘れていた感覚。


本来痛覚は、存在の危険をその体に伝えるために存在している。


つまり、当然痛いことを続けていけば体は崩壊していくし、霊体といえどもその例に漏れない。


それに今の状況は人間同士が殴り合いをするように、霊体同士のぶつかりあいである。


吹き飛ばされた勢いで、壁を貫通し、中庭側の校舎外壁まで抜いて外に出てしまった。


アレは、本当に一個霊体レベルの力だというのか。


顔をしかめて、分の悪い戦闘に一度深呼吸をしてから一気に壁をすり抜けた。


そこでは、月明かりが災いして、薄暗闇の中に出来た影を、『余りモノ』の影蛇がしっかりと縫いつけて、結局逃げることが出来ていない二人が立ち尽くしていた。



悪性霊は二人に気を取られているのか、壁を抜いて戻ってきたレイコにはまったく気付いていない。


[ああっ!もう恵助はこんなときに何をしてるのよ!]


イメージする。


巨大な弾丸を目の前に形成させる。


それが檄鉄によってはじかれ、火薬を爆発させて高速回転しながらまっすぐに射出されたさまを。一メートル口径のリボルバーで、あの凶悪な悪性霊を撃ち抜く様を。


ざわりと、髪が、身にまとうワンピースが揺れる。



イメージする。

後はトリガーを引き絞って、発射するだけ。



[いけ〜!]


力を使って、決定打を撃ったつもりだったのに、発射したはずの衝撃波は敵にダメージを与えるどころか届きもせずに霧散してしまった。

そしてそれだけにとどまらず、小さく、レイコの像にノイズが走る。



[あ、れ?]


少しだけ目の前がぼやけた。


まずい。

なんだか、酷く、痛い。


体が揺れたとき、今更階段を駆け上がってくる恵助が見えた。


「バカッ!何でアレだけいったのに来てるんだよ!この馬鹿レイコ!よりによって二十重さんたちまでいるしさ!」


恵助は階段を上りきるなりハリセンで二十重と初音の影をひっぱたいた。

二人を縛っていた影蛇が霧散する。


その勢いのまま一気に悪性霊に取り憑かれているアキマサにも一閃。間の抜けた、そのくせどこか頼もしい音が響き渡ると同時に、勢いよく倒れこんだアキマサに絡みついていた鎖はゆっくりとはがれ、飛んでいこうとしていた。



[来るのが遅いのよ……バカ、けーすけ。]


沸いた安堵が痛みをかき消した。なんだか張り詰めていた意識が、恵助の間抜けな顔を見たら一気に緩んでしまった。


「なんだと?危ないから一人で浄霊して済ませようと思ってたのに首突っ込んできて挙句にそれか!」



[なんですって!?私がいなかったら二人ともどうなってたと思っているわけ?]


「たしかにそうだけど、って!何で二十重さんたちまでここにいるんですか!」


振り向くと、こともなく、二人が立っていた。


「あらあら〜、偶然とは怖いですよね〜」


「……ねー」


一瞬沈黙した後、なぜか初音さんまで『偶然』だというセンに乗っかりだす始末。



「二十重さん!偶然ですむことじゃないですよ!もしかして俺の部屋に何か仕込んでいたりしてませんよね。たとえば盗聴器とか、監視カメラとか、盗聴器とか、監視カメラとか、そのほか俺が知る由もないような、とんでもハイテクマシーンとか!」


「なんですか?そのとんでもハイテクマシーンって」


くすくすと二十重は笑っていた。

そして何より恐ろしいのは、二十重さんは、ただ、笑っているだけだということだ。


「ちょっと待ってください!まずちゃんと否定してくださいよ!あっ、そもそもプルートの件だって…」


「おい、その辺にしてそろそろ帰らないと警報装置を作動するぞ」


「あらあら〜それは大変ですね。じゃあ、早く帰りましょうか。あとは警察のかたがたにお任せするということで。」


「ええ?まってくださいよ!警報装置『を』作動するって何ですか!今までは作動させていなかったんですか?それじゃ二人とも、どう考えても確信犯じゃないですか!」


初音はメガネを摺り上げ、廊下に落としたノートパソコンをゆっくりと拾うと、直ぐ目の前まで近づいてきて、

「確信犯に決まっているだろう。」


曇りひとつない名刀で、三千世界において一番の居合いの達人が、空気の壁を乗り越え音速を超えた速度で恵助を一刀両断にしてしまい痛みすら覚えないような。



「あ……」


そんな言い切りに、恵助は思わず反論できなくなってしまった。



「なんて、冗談だ。せいぜい高柳の様子がおかしいから玄関付近を何人かにはらせていたくらいのもので、二十重はそこまでしないと思うぞ」


初めて、初音さんの言葉にあいまいなニュアンスが含まれた。


この人は、こと二十重さんの名前を出して『思う』なんて不確定な言葉を使う人じゃない。



「でも…」


「たとえばだ。高柳。そうだと思って普通に暮らすのと、そうではないかもしれないという疑問と不安を抱えて暮らすのはどっちが楽しい?」


そりゃあ、何も知らないから幸せだってこともある。

何もない大草原だと思って走り回っていても、そこには動物を捕獲するための凶悪なトラップがいくつも設置されていて、むやみに歩き回ると大怪我すると知った後はその場から一歩だって動けなくなってしまう。



「そうだ。それに最近の監視カメラ、盗聴器、とんでもハイテクマシーンの類は非常によく出来ている。小指の爪の半分ほどの大きさのものまであるんだからな。仮にそれをプロが仕掛けたとして、素人にそれが見つけられると思うか?通信を感知する機械もあるが、それすらごまかす機能を備えたものまで在る。」


初音の言葉には淡々としていて、それでいて脅迫のような響きが含まれている。


まして、大概の場合、人を説得、ないし脅迫するときというのは大声を張り上げて何度も熱心に、時に罵声を上げてするよりも、低く、ゆっくりと、落ち着いて話し込まれる場合のほうが恐ろしいのだ。


「私は、『二十重はそこまでしないと思うぞ』といったんだ。この言葉を信じるか、否かは高柳の考え方ひとつだが、まあ、言葉一つで破綻する日常というのも、ある意味面白いかもしれないな。」


初音は、最初から最後まで、微塵も視線を揺らさなかった。


ありえる。


十分に、仕込まれた可能性はある。



ただ、認めるわけにはいかないし、何よりも後悔すべき失敗があったとするならば、この人たちにうまいこと霊感を隠しとおせなかった俺の未熟さが原因だったわけだ。



――ああ、女性恐怖症になりそう。


[だーかーら前に言ったじゃない。女は怖いのよって…ああ、あの時は聞こえてなかったんだっけ?]


――聞いてないって、そんなの


「うむ。女は怖いのだ」


初音さんは小さく頷いた。


――あ、れ?初音さん完璧にレイコのこと気づいてないか?


[残念。それも失敗のひとつね]


――そうか〜


恵助はげんなりしてうな垂れた。


「もういいです。わかりました。早いところ帰りましょうか。」


[あきらめなさい。なっちゃったものはしょうがないしね〜]


「そうしましょう。」


「正しい選択だ。」



階段に差し掛かったとき、うなじのところに嫌な感覚が走った。


なんとはなく振り向くと、浄霊したはずの黒い鎖が再び男に巻きつこうとしていて、巨大な衝撃波を今にも発射しようとしていた。



「みんな逃げろ!」


恵助のとっさの言葉が終わるより前に、目の前にいるアキマサの体が歪んだ。


教室側の壁は陥没し、窓はすべて割れ、壁は外側に押し出される。四角の廊下が、真円に変形して、崩壊していく。



横を見ると二十重さんとレイコは階段のほうへと移動しているから、目下のところ俺と初音さんを何とか出来ればいい。


が、現在位置は階段まで四メートルほどある廊下の真ん中。初音さんを押し倒しても階段の安全圏まで飛ばすのは無理だ。



「初音さん、ぴったり俺の後ろについてください。」


「わ、わかった。」


せめてもの救いは、初音が平均よりも小柄だったことくらいか。

平均して大柄ではない恵助の後ろにすっぽりと初音は隠れることが出来た。



壁が、床が、天井が歪む。さっき渡り廊下でそうしたようにタイミングを合わせ、最上段に構え、垂直にハリセンを振り下ろす。


力場がハリセンと衝突する。


「がっ!」


腕、肩、続いて肋骨。

一瞬にして粉々になったんじゃないかという衝撃が走る。



超大質量のエネルギーだ。いくらこのハリセンでも一瞬で完璧に消滅させきることは出来ないようだ。


削れ、消えさりつつ、尚残った衝撃が恵助を襲う。



「ああああああああああっ」


吹き飛ばされる!

そう認識した瞬間、とっさにハリセンを手放して後ろの初音さんを抱きかかえた。



弾けるような音がして二人は階段を通り越して七メートルほど吹き飛ばされた。

初音の頭を抱えるようにして体を回して地面側に回り込み、何とか恵助の背中から落下することが出来た。


[恵助!]


レイコは直ぐそばにアキマサがいることも忘れ、飛び出そうとする。


「来るな!」


[カカカッさっきは恐ろしかったが、もうなんと言うことはないぜぇ]


[あたりまえだろう。俺様が同化してやったんだからな]


[違うだろうがよぉ、これが俺様本来の力だぜ]


アキマサはずたずたになって原形をとどめていないハリセンだったものを踏みつけ、鼻で笑った後恵助のところまで蹴り飛ばした。


交互に神木から作った紙を折って形を成していたハリセンは風を受けて解け、とても元通りには出来ないような穴だらけの一枚の紙になってしまった。


[さっき言ったとおり、俺様を嘗めたお前は最後だ。ちょっと待ってろ]


口の片方だけ吊り上げるような厭らしい笑みを浮かべて恵助を一瞥し、階段の二十重とレイコに迫る。


「逃げろ!直ぐに行くからとにかく走れ!レイコ、それまで二十重さんを頼む!」


どこか呆然としていた二十重とレイコは、恵助の言葉で正気に戻り、一気に階段を駆け下りていった。


[まるで狭い檻の中を必死で逃げ回るウサギみたいだぜ。面白い。面白くなってきたぜぇ]


[直ぐに行くから〜か。じゃあ、がんばって追いかけてくれよ。ウサギ共が刻まれる前にナ]


アキマサは階段を下りながら、手を掲げた。


すると階段と廊下の境のシャッターが下りて、再び道がふさがれる。



「初音さん、大丈夫ですか?」


「………………ああ、大丈夫…だ。」


「くっそ!完璧に当てたのに何で浄霊出来なかったんだよ」



動かすたびに体に亀裂が入るような痛みが走る。腕は問題なく動いてくれるから、どうやら骨に異常はなさそうだ。


何とか体を起こして、壁に寄りかかりながらやっと立ち上がる。少しこのまま慣らさないと一歩踏み出しただけで倒れこんでしまいそうだ。


少し、対策を考えておかなきゃならないかもしれない。



さっき会ったとき、あの霊は宿主自体と会話していたようだったのに、今は宿主の念が感じ取れなかった。


いったいどういうことなのかさっぱりわからない。


ましてアレは、さっきまでと同一の霊体の力とはとても思えない。



「高柳。」


背中に、やけに疲れたような声が飛んできた。



「なんですか?やっぱりどこか怪我を?」


振り向くと、初音はぺたんと冷たい廊下に座り込み、小さく体を揺らしていた。


「ダメだ。あの化け物には勝てない。勝てるわけがない。お前が使える絶対の武装が破れた一枚の紙でしかなくなっている。それに、レイコの力は到底あの化け物には及ばない。まして私と二十重は、限りなく無力だ。」


小柄な体をさらに丸めて小さくなった初音は搾り出すようにやっとそれだけ言った。



「あはは、あのハリセン高かったんですけど、あまり役に立ちませんでしたね。たしか、前開かずの間であのハリセンと同じものを見かけたんでそれは役に立ってくれることを願うしかないですよ。」



「見ただろう?ハリセンはあいつに効かないんだ。」


「次は効くかもしれませんよ。あのハリセンは本来、一発で浄霊できるって代物なんです。何かしらあの霊に秘密があって今回は効かなかったのかもしれないし、当たり方が浅かったのかもしれない。なによりも、このままじゃ二人が危ないじゃないですか。俺がこの霊にかかわろうとした結果こうなったんです。俺が真っ先にあきらめて、直ぐに追いつくって約束を破るわけにはいかないんです。初音さんは開かずの間で待っていてください。」


「私も…行く」


消え入りそうな初音さんの決意。


しかし、それがどういうことかわかっているとは思えない。



「ダメです。」


「二十重達がアレに追われているんだ。私だけが待っているなんてできない」

初音は恵助を上目遣いでにらみつけるようにしながら声を張り上げた。


「でも、次は衝撃波を防ぎきれないかもしれません。そうしたら吹き飛ばされるくらいじゃすまないんですよ?」


「二十重にアレは視えていないんだ!お前があの霊を何とかしている間二十重は何が起こっているかもわからず立ち尽くすことしか出来ないだろうが!それなら私は二十重を導きに行く。たとえ吹き飛ばされようが、体を持っていかれようが、だ!私を置いていくなら私は高柳からそのハリセンを奪ってでも行くぞ」



そこまでまくし立てて、また小さく体を丸める初音。


「あの、悪霊を、二十重は見ていないんだから。」



今まで信じ切れなかった霊の存在を半ば無理やり認識することになってしまったためか、どこか夢をみているように眼を泳がせている。


「待ってください初音さん!あの霊を見たんですか?」


初音はさも意外と言う怪訝な顔で、恵助を見やった。


「高柳は私より鮮明に見えたんだろう?」


「いえ、俺が見たのはあそこまで強力になる前、言うならば不完全な、それこそ一発で浄霊できるような状態です。最終形のあの霊は一瞬しか見てないからよくわからないんです。もしかしたら違いがわかれば浄霊するきっかけが掴めるかもしれません。」


「そうか。わかった。高柳が見た像はどんなものだったんだ?」


「俺が見たのは不安定に揺れながら鎖のような影が男に巻きついて、まるで頚城をはめられた囚人のような姿でした。なにかが加わっていたり、形が変わっていたりしていましたか?」


恵助の言葉であの男が悪霊に取り憑かれている様子を克明に思い出して戦慄したのか、再び初音さんは頭を垂れた。



「鎹、だ。」


「かすがいって…子は鎹って使われるあのかすがい、ですか?」


「ああ。その、男に巻きついている鎖をさらに男に縛り付けるように、それとは別の独立した鎹のような影がついていた。」



「独立した影…開かずの間で何かを見つけたのか、もしくはそれが目的でここに進入したのか、ですか。」


「おそらく後者だ。」


「それが、あの霊を浄霊するための手がかり。」


「なんとか、なりそうか?」


「何とかして見せますよ。じゃあ、早いところ開かずの間へ移動しましょう。やっと足のほうが動いてくれそうです。」



「高柳。」


「何ですか?やっぱり足に何か怪我でも?」


「いや………腰が抜けたようだ。」


「マジですか?」


「ああ。大マジだ。」


「やっぱり…」


「待たないからな。」


「じゃあどうしろと?」


「それは簡単だ。高柳は私一人背負っても問題はないだろう?」


「マジですか?」


「だから、大マジだといっているだろうが!そうこうしている間にも貴重な時間は最悪の展開に向けてながれているのだ。早くしろ!」



初音さんは妙なところが強情だ。

もう少し肩の力を抜けばいいのに。

まあ、そんな状況じゃないのは確かだけれど。


「わかりました。わかりましたよ。俺の体も万全じゃないんで多少乗り心地が悪いでしょうが、そこに文句は言わせませんからね」


「まあ、そこは譲歩しよう。」


「よいしょっと」


初音の手を取り、一気に背負う。


思った以上に体は回復してくれたのか、軽い初音さんを背負うくらいなら何とかなってくれそうだ。


「りゃっ」


開かずの間へと早足で歩き出す。


「さっきから、その掛け声はアレか?私の体が重たいといいたいのか?つまり、ことが済んでこの体が完治したら完膚なきまでに『相手』をして欲しいということか?」


「え?いや、そういうわけではないんですけど…」


足元に気をつけないと転んでしまいそうだ。言葉を区切って慎重に開かずの間へと踏み込んでいく。


「けど、なんだ?そうか。そんなに相手をして欲しいか。よろしい。それはそれで楽しげだ。覚悟してもらおうじゃないか。」


「まってくださいよ。この暗闇でこの足場。言葉を区切ったり掛け声をかけたりするのは自然なことじゃないですか!」


「なるほど、それは自然ないいわけだ。だから許すというわけではないが。」


少しだけ初音さんは調子を取り戻してきたようだ。


ただ、何が出るかわからない初音さんのことだからその相手とやらをしたら恐ろしく強いに決まっている。

ハリセンを探して話をごまかそうと教室内を見渡してみる。


「ああっ、あそこにハリセンありましたよ!」


うず高く積み上げられた呪物の間に、薄ぼんやりと光を放つハリセンを見つけ出した。


「高柳。もう大丈夫だ、降ろせ。早くそれを持って二十重達を追うぞ!」


「わかりまし…ん?」


足に、絡みつくような感覚が走る。恵助は言葉を区切って足元に眼を落とした。


そこには瑠璃色をした瓶が二つ、小さな箱に入っていた。


きつく閉められている瓶の口の隙間からはかすかに霊気が漏れている。


「その瓶がどうかしたのか?」


「は、はははっそうか。そうだったのか!」


「おい、高柳?いったい何を言っているんだ」


「それはですね…」



恵助は説明しながらハリセンを握り締め、二、三度振った。






時刻は二時十四分、まさにこれから霊が最も力を増す丑三つ時を迎えようとしているところだった。











階段を二段飛ばしで駆け下りる。


今いるところは一般棟三階ほぼ東端。

このまま階段を駆け下りれば職員玄関までは直ぐである。


まして、さっき見た衝撃波はまっすぐにしか飛ばないようだった。

逃げ切れる確立は非常に高い。




でも。


ほんの二秒、立ち止まって思考する。


背後にある階段から自分を追う悪霊が迫っているというのに消費するには永すぎるといっていい時間だ。


小さく頷くと二十重は階段を駆け下りずに三階の渡り廊下を走りぬけた。向かった先は特別棟のほうである。


――なぜすぐ逃げなかったの。



一歩進んでいくたびに空気中にびっしりと張られた透明な紐のような何かが体に巻きついていく錯覚を覚える。

平らな廊下にもかかわらず転んでしまいそうだ。


――初音、恵助君、怪我は大丈夫だったのだろうか。


おそらく、自分のしている行動がどれだけ危険なのか理解しているから、そしてそれが下手をしたら残った二人の思いをどれだけ無駄にしてしまうか分かっているからだ。



でも、だからこそ二十重は特別棟へと走った。


――私はいったいなにをしているのか。まっすぐな渡り廊下では格好の的になってしまっている。


一般棟四階へは校外に密着させて設置されている螺旋状の避難階段と東西の校舎内に設置されている階段のみ。


さきほど開かずの間近辺の壁は崩れ果ててしまったので事実上使うことが出来る階段は西端の階段一本のみ。


「っ!」


二十重は直感的にいやな予感がして左に飛んだ。

その刹那、つい今しがた立っていた場所が大きく陥没した。



そのまま転がるように特別等の廊下へと移動して、体勢を立て直しすぐさま走り出す。


理想としてはこっち側の階段を下りたかった。おそらくそれを察しての攻撃なのだろう。


――もし、今振り向いていたらかわしきれなかったかもしれない。よかった。


「ふっ」


小さく、細く、一気に息を吸い込んだ。



――まさに、渇望していた『霊』との出会いでいきなり大ピンチだ。でも、なぜか心細さはない。



私が真っすぐに階段を下りて校舎外に逃げたら、締め切られた袋小路の中に二十重と恵助君を残すことになる。


私が逃げるために二人をそんな危険な状態に出来るわけがない。




ゴッ、


ゴッ、


ゴッ、


ゴッ、


ゴッ、


ゴッ…


真後ろからやや左にかけてどんどん近づいてくる床が爆ぜる音。


よけるようにどんどん壁へと追い詰められる。


階段まで走っていくのには間に合わないだろうし、だからってこの攻撃をかわして渡り廊下へと移動して、また衝撃波をかわして渡りきるなんて出来ない。


駆け抜けていく教室は鍵が閉まっていて入ることが出来ない。


見事にチェックメイトだ。




直ぐ後ろに爆発音が近づいたとき、二十重は壁に腕を擦り付けそうになりながら階段四メートルほど手前の女子トイレに飛び込んだ。



一瞬、トイレのドア直ぐに立って入ってきた瞬間に掃除モップなどを使ってひるませて逃げようかとも思ったが、初音の背負いでもまいらない霊がモップ程度でどうこうできるとも思えない。


二十重は一番奥の個室に入り、ドアを閉めた。



同時に、トイレの入り口のドアが衝撃波によってはじけ飛ぶ音と、そのドアが今いるトイレのすぐ外の窓を突き破って外に落ちていく音がした。



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