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Criminal meet with heat haze.


太陽が沈んでもう五時間強。



月は出ているが薄曇りのため月明かりはほぼ届いてこない。


「ぐ、うううう」


間接が軋む。


またこの感覚がきた。


脂汗が浮かんできて、まるで千のテグスで縛り上げられているような感覚。


「ぐがぁあああああああ」


一人部屋の中でうなり声をあげるものの、声は夜の闇に溶けていくだけでいっこうに苦痛はおさまらない。


何も絡まっていないのに。何も体に巻きついていないのに。


何も、この部屋に俺を縛るものはないって言うのに、指一本動かせない。



痛い。


錆び付いて、およそモノなど切れはしないような包丁で百に刻まれているような


痛い、痛い、痛い、痛い。


千の甲殻虫に体を食まれていく様な


痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。


息が出来ない。


苦しい。


どれだけ苦しくても、意識が落ちることがない。


苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。


血液内の鉄分が凝固して、肺を満たしてしまっているようだ


苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。


まるで、体は凍り付いているように動かないくせに、ジクジクとゆっくり外側から焼け焦げていくようだ。



[いたいのか?くるしいのか?]


この部屋には誰もいない。俺一人しかいないのに、誰かの声が響いてくる。


「―――――、――――――!」


助けてくれと叫んでみたが、もう、うなり声も出ない。


助けてほしい。


誰でも良いから、何でもするからこんなに苦しいのはいやだ。


[助けてほしいのか?]


「――――――――――――!」


助けてくれ!


[それじゃあお前は俺に貸してくれるのか?]


何でもいい。何でもいいからこの痛みを何とかしてくれ。


[わかったわかった。お前は誰だ]


俺は、俺は、高田…明正だ


[そうか。それなら仕方がない。仕方がないよなぁ〜。これで契約が完了しちまったんだからなぁ]


ふわりと、頭の上に黒い塊が浮いた気がした。


塊は陽炎のようにゆれたかとおもうと、影には弓のような穴が三つ開いた。



それはまるで自分の欲しかったものをやっと奪い取った時に浮べるような、品のない厭らしい笑顔のようだった。









夜。

十二時を回ってしばらくたっていた。



恵助は引越しのときの荷物の残りから、鬼姉こと撫子に、いざというとき用に買わされた『対悪性霊便利グッズ七点セット』というのが入ったポーチを取り出した。


[恵助、これは何なの?]


「ああ、これは悪性概念しか持たなくなった霊が出たとき、それをあるべきところに強制的に送り返すっていうことが出来る道具らしい。」


[悪性概念って何なの?]


「簡単に言うと、霊になるってことは何か強い心残り、もしくは現世に強い欲望があるときだろ?それで、生きているときに愉快犯的に人を殺したり、動物を殺したりしていると、死んだときにそれのみ欲求する悪性の霊になることがあるんだよ。レイコみたいに話が通じなくなって、動物や人を殺すことを第一最優先事項として、殺すためだけに、殺すために何かをする、みたいに概念化してしちゃうってわけだ。当然、普通の人には見ることも出来ないし、下手をすれば憑依されてしまったりすることもある。」



[なるほろ、じゃあ今日見たあの犯人は、それに憑依されている可能性があるわけね]


「そういうこと。実際に憑依されていたら周囲も憑依された本人も大変なことになるし、そもそも多くの霊は早い段階で概念化して和解が成立しにくいから多少無理やりにでもあっちの世界への船に乗せて、海に出させるってことかな。」


そんなことをいいながら、一度も振り返らずに恵助はポーチの中身を確認しだした。





――つまりそれは。


レイコは、ふわりと浮かんで一歩分だけ恵助から離れた。



――もし私がいつか概念化してしまって。


自分の体を抱いて、うつむいた。



――誰かを傷つけたりしてしまったときには。


私が、



――もし、恵助を認識できないくらいになってしまったときには。


恵助は、



――私が恵助を傷つけてしまったときには。


私のことも、浄霊しようと思うのだろうか。




「うっわ!」


もう一度だけ、後ろに下がろうとした瞬間、恵助は急に変な声を張り上げた。


[ひゃっ]


心中を読み取られた気がして思わずコッチまで変な声を出してしまった。



そう、そんなことないんだから、馬鹿なこと考えるのはよそう。


[な〜によ、恵助急にへんな声出して〜!びっくりしたじゃない。]


よし。

いつもの私だ。



「だってこれ見ろよ、このセット姉貴に…撫子っていうんだけど、結構高値で『買わされた』んだけど、七点セットうたっていて中に入ってるのはこれだけなんだから」


恵助の肩越しにポーチの中を覗き込むと、そこに入っていたのはうっすら青く見えるほど白い一本のハリセンと、一枚の手紙だけだった。



「え〜と、『恵助みたいな未熟者に七点セット全部与えたら調子に乗って何しでかすかわからないから、危ない霊に挑まないようにハリセンだけ入れておくから。ていうか、今このポーチの中を見ているってことは図星でしょう馬鹿!やめなさい馬鹿!危ないでしょ馬鹿!そんなことしたら後でどうなるかわかっているでしょうね♪後の六つは気が向いたら…もとい、恵助が上達したら売ってあげないでもないわよ〜。ひとつあたり今回と同じ二万円で。ちなみに値上げはあっても値下げはなしよ。じゃあ、馬鹿なことしないでお風呂に入って早く寝なさいね。風邪ひかないように。』だってさ。」


恵助はひらりと手紙をポーチの中に投げ入れた。


一言でいうなら、恵助の姉さんはすごい人だ。


恵助がこのポーチを開くときがどんなときなのかちゃんと知っているし、この手紙の書きくち。


下手をしたら『パンがなければその辺りに生えている草にマヨネーズをかけて食べればいいんじゃない?』とかいいそうなかんじ。



[すごいね。なんか、なぜか気が合いそうな気がする。]


私の言葉はまったくの予想外だったのか、陸に上がった鯉みたいに、面白い顔で空気をまぐまぐと食べた後、恵助は[絶対に二人は会わせられないな。いろんな意味で。]なんて苦笑いの奥で考えていたけれど、丸聴こえだった。



[で、高柳恵助君。姉上さんの高柳撫子さんがこのように言ってらっしゃるんだけど、危ないから本当にやめる気はないの?]


「確かに危ないけど、でもさ、気付いちゃっただろ。もしかしたら、霊に取り憑かれちゃっているかもしれないってさ。それならやらなきゃな。だって犯人が被害者かもしれないって気付いたのは俺たちだけなんだしさ。」


[はいはーい!ケースケー、俺たちって、私も入ってるんですカー?霊体同士は干渉できて、私も正直危ないには違いないんですケド…]


「じゃあ、たとえば、これから行く先はもしかしたら危ないかもしれない。だからここで待っていてくれって頼んだら、レイコは待っていてくれるのかい?」



ぴんと指を立てて、なんて返事をするのかわかりきった笑顔で、ケースケのやつはそんなことをいってきた。


[この…っ!意地悪ね。たとえば、私が危ないなら行くのをやめるわ。気をつけて一人で行ってらっしゃいといったら怖くて足とかが震えだして、行くのをやめるって言い出すくせに。]


「ばれたか。でも、レイコがどんなやつなのかもう知っているつもりだし、これでも女の子一人暴漢から守るくらいは出来るつもりだよ。」


なんて、恥ずかしげもなく臭いセリフをはいてきた。


まぶしいものを見るように、少しだけ、レイコは目を細めた。




まただ。


恵助はまた、私のことを『そう』呼んだ。


ばかみたい。


本当に、ばか、みたい。


まったく、何回言ってもぜんぜんわかっていないじゃない。



まったく、霊の怖さも知らないでのんきな事を言って。


だから、私も待っていることなんて出来ないじゃない。



この馬鹿でお人よしの、それで大馬鹿で後先考えないお人よしの、そのうえ愚直としか言いようのない馬鹿正直のお人よしを一人で行かせるなんて。


「何を妙な顔してるんだよ」


恵助はすぐ近くまで顔を寄せ、覗き込むように見上げてきた。


[別に。あんまり臭いセリフをはくもんだから呆れ果てていただけ。]



くるくると旋回しながらレイコは浮かび上がり。


[こんなむさい部屋に待ちぼうけ食らうくらいなら、多少危険でもスパイシーな冒険についていってあげようじゃない。これでも、暴漢からお人よしの男の子一人くらいなら守ってあげられるしね〜]


レイコは恵助がしたように指をピンと伸ばして、しかし意地悪な笑みを浮べた。


[言ってくれる。」


[早いところ済ませて明日はオカピを観に、もとい、記憶を探しに動物園へ行かなきゃなんだから]



「まあ、それはそれでいいか。」


[ほー、その約束、破ったらひどいからね〜]


「あー、普通に悪性霊よりこわいし」


[馬鹿ね。]


恵助はハリセンを学生鞄に詰め、しっかりと背負い込んだ。玄関を開けるとフィルターがかかったように暗かった風景に月明かりがカーテンのように下りてきていた。



「じゃあ、行こうか。」


[うん]


静まり返った闇に階段を駆け下りる軽い金属音が響く。

しかしそれは決して重たいものではなかった。









二十重が指を鳴らすと、『通信』は途切れた。


「二十重。」


「な〜に?初音」


「わかっているだろうが」


「なんのことかしら」


「さすがにやりすぎな気がしないか、といっているんだ。」


「ううん、なにが『やりすぎ』なのかしら〜」


『通信機』を前にして二十重はピクリとも動かず、心中を察することが出来ない微笑を浮べ続けている。


「ふう、まあいい。本当に二十重が言ったとおりになったな」


信じたくは無い。



「やっぱりね。むしろ初音が恵助君の様子がおかしかったことに気付かなかったのが不思議なくらいなんだけれど」


「…私だって、そういうときくらいある。ところで本当に行くのか?」


いや、本当は気付いていた。


「ええ、恵助君『たち』が行くといっているんだから、どうあっても行くしかないでしょ」



初めて雪が降った朝を迎えた子供のように無邪気に微笑む二十重を尻目に初音はわずかに強くパソコンを抱きしめ、目を泳がせた。


「これから会うかもしれない霊が悪性かもしれないと聞いて尚?」


かもしれないではなく、悪性の霊はいるのだ。


「もちろん。」


もう一度二十重が指を鳴らすと、二十重の部屋の中に何人かの男たちが入ってきて、『通信機』を持ち、髭を蓄えた一番体格のいい男一人を残して部屋を後にした。



「ありがとうございました。では、橘はいざという時に備えていてください。私は初音と一緒に先に行っていますから。」


「かしこまりましたお嬢様。では、タイミングはお嬢様にお任せしますので、危険を感じたときには迷わず直ぐにお呼びください。」


「わかりました。」


橘と呼ばれた髭男が一礼して部屋を出た後、二十重は引き出しからひとつのメガネと、真っ黒なリボンを取り出し、ジャケットの裏にしまいこんだ。



「…仮に、私が行かないといってもか?」


あの時、気のせいだと思っていたけれど、見えてしまったから。


「もちろん。」


二十重のまったく迷いが無い強い光をともした双眸は初めて会ったときのそれのようだ。


その眼をしているときはどれだけ説得しても折れないことは、もう、思い知っている。



「それなら私も一緒に行こう。ただし、二十重が危なくなったときには直ぐに橘さんに連絡をすることが条件だ。」


そして、それを高柳は見えたといっていた。私と同じ、まるで囚人を拘束する鎖のように巻きついた影を。


「違うよ。初音と恵助君が危なくなったときも直ぐに連絡するの。」


目を細めた初音は軽くかぶりを振った。


「わくわくして浮き足立った二十重と、あまり武道の心得がなさそうな高柳が不覚を取ることはあっても、今日の私がたかだか包丁を数本持った程度の暴漢一人くらいに不覚を取ることはない。彼の言葉を借りるなら、『暴漢十人程度からなら二十重を守りきることくらい出来る』さ」


霊などと信じていないし、仮に、それこそ仮にいたところでそんなものは精神世界にのみ存在する神や悪魔のようなものにしか過ぎない。


馬鹿らしい。

私は今まで自分の力をそんな非科学的な精神論のようなものに劣ると思ったことは一度だってない。


そんなものが、この私がついていくというのに二十重に危害を加えられるはずが無い。




気高い黒豹のように凛と鋭く、そのくせ、霧を払うすがすがしい朝日が映りこんだ泉のように澄んだ迷いの無い初音の瞳。


「よかった気のせいみたいね。」


「いったいなんのことだ?早く行かないと高柳に先を越されてしまう。」


「そうね。いきましょうか」


時刻は深夜零時四十一分。


二十重は軽い足取りで、初音はしっかりとやや二十重の右後ろの位置をキープして。二人は松下邸を後にした。




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