キケンチタイ
[起きろー!遅刻するぞ〜]
耳元でレイコの絶叫が聞こえる。
でも、それくらいじゃ目が覚め切らないというのが俺の長所で短所だから。
なんて、寝ぼけながら思ったら、ざわりという強風が駆け抜けたような感覚と一緒に布団がはじけ飛んだ。
[それは短所でしかないでしょ。]
足元に立っているレイコが人差し指をゆっくりと上に折り曲げると、それにならうように本人の意思と関係なく恵助の体が撥ね起きた。
「あれだ。あー…朝一ぐらいやさしく起こしてもらえないかな」
[うん。恵助が優しくても起きてくれるならね。]
「そういうことは、まず優しく起こしてみてから言ってくれないか」
[たぶん、恵助起きてくれないでしょ。]
「いや、本当に優しいなら起きると思うぞ。」
[そう。じゃあ今度気が向いたらそうしてみるわ。]
「ん。たのむ。」
恵助はもそもそとはじけ飛んだ布団を手繰り寄せると、何事もなかったかのように包まってしまった。
[そうそう。外はいい天気だし、風には生命があふれているし、鳥は歌っているし、何よりももう八時だから起きなきゃね………って!何でまた寝てるのよ〜!]
しっかりと握り締めていたのに、また布団ははじけ飛んでしまった。
「長い乗りツッコミだな。それに、ここからなら歩いて十分で着くから後二十分は寝ていても平気だって言うのに。」
[そんな気のゆるみが遅刻を生むの!それに私がここを出るには恵助の力を借りなきゃなんだからね!]
「わかってるって。じゃあ着替えるから隣の部屋に行っててくれ」
[は〜い]
今日必要なものはすでに昨夜準備してある。
あとは着替えて、その上に制服を着ていくだけだ。
レイコが退屈しないようにテレビをつけた。
この近くの学校などで飼育されている動物が殺された、なんて凄惨なニュースが流れていた。
ハンガーにかかっている制服の細かい埃をブラシで取っていると、後ろからレイコの声が聞こえた。振り向かずに作業を続ける。
[ところで恵助、どの部活に入るつもりなわけ?]
「そうだな、聞いた話だと正式な帰宅部って言うのはないらしいから、それに近い部活になるよ。散歩部は、基本的に部活の縛りがないらしいから部活動と称していろいろなところを歩いて回ればレイコの手伝いが出来るし、同じような意味では写真部でもいい。ただ、これからある程度バイトもしなきゃ暮らしていけないから美術部は却下だな。」
トランクスだけ残して瞬時にすべてを脱ぎ去る。
[ところで恵助、なんかスポーツとかやってるわけ?どっちかって言うとドン臭そうだけど。]
「ああ、よく言われる。でも一応中学じゃ柔道部だったんだ」
[柔道部?]
「そう。なんだかうちの家系は柔道をやっている人が多くてね。子供のころに仕込まれたんだよ。もっとも、姉貴が異常に強いから勝ったことないし、親父なんて神様みたいに強いから俺は落ちこぼれっぽいし、有名どころのスポーツはどうも苦手なんだけどな。」
[なるほど。だからそんなにいい体してるんだ。恵助って着痩せするんだね。]
「まあ、そうらしいな。よくいわれ……」
勢いよく振り向くとそこには襖から頭だけ貫通してこっちを覗いているレイコがいた。
レイコはきょとんとしていたが、間違いなく今の様子は恐ろしい。
「……コワッ!」
[怖いって何よ。しっつれいねー!]
「そんなカッコされていたら誰だって怖いっつーの!じゃなくてお前いつからそうしてた! 」
[いつからって、はじめから。]
はあ、と思わずため息が出た。
「そうだよな。お前ってやつはそういうやつだったな。」
[ええ、ええ、そうですとも。じゃあチャッチャと準備しよ〜]
「わかったけど出ていけ〜」
手近な枕をレイコに向かって投げつけ、すぐに着替え終わるとかばんをつかんだ。
「行くぞ〜」
[あれ、恵助朝ごはんは?]
「俺いつも食べないから気にしなくて良いよ。」
[これから大変なんだから少しだけでも食べとくと良いよ。]
「何が大変なんだ?」
[あ、気づいてないなら別に良いよ。]
「どういうこと?」
[別に〜。あ、あと出来れば散歩部が良いよ。写真部だと、もしかしたら私が写っちゃって大変なことになるかもしれないし。]
「わかった。じゃ本命は散歩部ってことで。」
玄関でレイコはぴたりと止まる。
[いってらっしゃーい]
「うん。行ってきます」
玄関を開ける。
恵助が一歩踏み出すのと同時に、レイコも玄関の扉を潜り抜けた。
「さすがにこれはやりすぎじゃないか?」
[別に良いでしょ。気分よ、き・ぶ・ん。]
今日のレイコはなんだかやけに機嫌がいい。
「まあいっか。」
頬に当たる風が温かい。
レイコが言った通り雀が電線にとまって楽しそうに会話をしていて、風には胸の空くようなさわやかな薫りが乗っていた。
「レイコ、早起きは三文の得って、ホントなんだな」
[まあ、ぜんぜん早くはないけどね。]
「二十分の早起きはだいぶ早いだろ?深夜零時十分に起きる人が夜十一時五十分に起きてみろ。まだ日付が変わってもいないだろ。」
[それは比較対象がすでにおかしいでしょ。]
「俺の中ではそれくらいの重さがあるんだよ」
そこまで言ったとき、例によって勢いよく背中をひっぱたかれた。
「よっ、恵助」
「ああ、ノブおはよう。朝っぱらから元気すぎて何よりだ。」
「む、お前も顔色は相変わらず悪いが元気そうだな」
「そんなに悪いか?別に体の調子はいつもどおりなんだけどな」
「今すぐに病院に連れて行ったほうがいいんじゃない勝手くらいにな。まあ、新しい生活を始めたばかりで疲れでもたまってんだろ。ところで恵助おまえ部活はやっぱり柔道部にするのか?」
「散歩部の予定。もしくは写真部とかかな」
「な、わが好敵手がそんな部活とは名ばかりのところに行くなど誰が許しても俺は許さん!」
「しょうがないだろ、五月くらいからバイトしないと生活が大変だからな」
「そうか、それなら仕方がない。」
[なにこれ。ノブってさっぱりしてるわね。別れ際とか彼女がかわいそ〜]
――まあ、その印象のとおりさっぱりしているんだったら、どれほど楽かって話なんだけどね
「暇なときには道場に来いよな。もう柔道から一切手を引くなんていうのは許さないぜ。おっし、そうと決まれば明日さっそく道場に練習に行くぞ。今月いっぱいまではバイトがないって言うなら出来るんだろ?」
[あ、ほんとだ。]
何がおかしいのか、レイコは俺とノブを交互に見ながらくつくつと笑っている。
「わかってるよ。それとひとつだけ頼みがあるんだけど。」
「どうせ、クラスでのあの状況を何とかするのを手伝ってくれって言うんだろ?」
「頼む。」
「じゃあ、先に俺に教えておかなきゃならないことがあるだろうに。どうだった?うまくやったのか?」
「ああ、二十重さんの話か。別に。なんだか俺が引っ越したアパートって心霊アパートだったらしくて何か不思議なことは起こらなかったかって聞かれただけだよ。なんとなく、人前で住んでいる部屋が心霊アパートでしたって言うのははばかられるから呼び出されただけみたいだった。」
「ホントか〜?二十重さんって呼び方がやけに親しげだぞ」
「妙な勘繰りばかりしていると馬鹿になるぞ」
かぁ〜、なんてノブはあきれたように空を仰ぐ。
「だからお前はだめだって言うんだよ。きっかけは何でも良いだろうけどせっかくのお近づきのチャンスにそんなだから…まあ、それがお前のいいところでもあるんだろうけど。」
「それは喜んでいいのか悪いのか。」
[どっちかっていうと喜んじゃダメでしょ。]
笑いながらレイコが口を挟んでくる。
――やっぱり?
少し考え込んだ後、ノブは重たい口を開いた。
「なんにしても、いきなりあんな様子だから周りが勘違いしたんだし、とりあえず遠縁の親戚だとか、親父さんか、お姉さんの知り合いだとかいっておけば良いんじゃないか?その後、会長に、あなたが来たのが急だったんで大変なことになって、そうクラスメートに説明したので申し訳ないですがそういうことにして口裏を合わせてくださいって頼んでみるとか。」
[まあ、その辺が妥当じゃないかしら。難をいうなら、期せずしてあの開かずの間にもう一度行かなければならないことくらいだし。]
「そうだな、その線で行くのがいい気がしてきた。手助け頼んだぞ」
「まかせろ。」
ちょうどそこまで話したとき、恵助たちは校門をくぐった。
すると正面の掲示板のところに人だかりが出来ていた。
「なんだあれ?」
「さあ。」
好奇心に駆られて人ごみに混じり、その中心へと移動すると小さな張り紙が一枚張ってあって、そこには、だいたいこう書いてあった。
下記の部、同好会は諸事情により進入部員の募集はありません。
散歩部
写真部
第三美術部
資格取得部
英会話同好会
マージャン部
ペットボトルロケット同好会
ギター同好会
第二演劇同好会
詳細は生徒会会長 松下二十重 もしくは副会長 桜井初音まで。
「おい恵助、さっきお前が入るって言ってたところ全部ダメってことになってるぞ」
「マジで?いったいどういうことだよこれ〜」
[恵助。]
レイコがぽんと肩を叩いてきた。
[できすぎよ、これは。]
――なに?
[まだ気づかないの?こんな偶然があってたまるもんですか。]
――ってことはまさか?
[おそらくそうでしょうね。事実上帰宅部に近い活動の部活、同好会がすべて入部禁止、つまりほぼ廃部の方向に進むなんて普通じゃありえないでしょ?これで残すところ半帰宅部は、誰も知らないであろう『オカルト研究同好会』だけ。詳細を聞きにいくにしても、あきらめてオカ研に入るとしても、あの会長のところに行かなきゃならないわけだし。]
――確かに、偶然というには。
[そう考えてみると、昨日人目をはばからずいきなり教室に乱入してきたことも、そしてその事態を収拾するためには、どんな言い訳をして、その結果どうなるのかまで予想してたのかもしれない。どうやらあのカイチョウさんはとんでもない食わせもので、その上策士らしいわね。]
――でもレイコ、そうとしか考えられないかな?
[あ、もしかしてあんなきれいな人がそんなことするわけないとか?]
――違うよ。ここまではまだ偶然であるかもしれないだろ?もともと活動が少ない部活だったんだろうし。誰だって、いきなり疑ってかかるのは嫌だからさ。
[甘いわね。まあ、偶然にしても必然だとしても、オカ研にいくのはやめたほうが良いよ。たぶん行っちゃったらもう逃げられない何かが用意されてる気がするよ。]
ぐるぐると頭の中で取るに足らない推測が渦巻いている。
恵助はゆっくりと、小さく、深呼吸をしてみた。
少しだけ、頭の中の邪魔な考えが口からどっかに飛んで行ってくれたみたいだ。
――違うよレイコ。俺はどっちにしても二十重さんのところに行かなきゃならない。
[へ?]
――どうした?きょとんとして。
[ば、バカッ行ったら詰みよ?チェックメイトよ?ジ・エンドなのよ?]
――行かなきゃわからないだろ?確認もしないで疑ったまま、会わないようにこそこそとしてるなんて、間違ってる。……それにさ。
[なによぉなんだっていうのよぅ]
レイコはじとぉ〜っという湿っぽい視線を送ってくる。
――どんな部活だろうとレイコとの約束は守るって。それなら心配することはないだろ?
[なっ]
一瞬だけレイコは硬直してから手を突っ張って、むっと顔を歪ませた。
[ああそう。これだけ言ってもダメだっていうならまんまと埋められていない地雷を踏めば良いんじゃない?ちょっとは後悔するかもしれないしぃ]
なんていって、学校のどこかへと飛んでいってしまった。
――なに怒ってるんだよ……あいつ。
「……おい、聞いてるのか?」
はっとなって横を見ると怪訝な顔をしたノブが目の前で手を振っていた。
「どーしたんだ?ボーっとしてるし顔色悪いぜ。調子悪いんだったらとっとと帰って寝てろ。体調悪いやつが授業中に視界の中でふらふらしてんのは不愉快だ」
「勝手に病人に仕立て上げられるのも不愉快だって」
恵助はノブらしい心配にいつものように返すとかばんを肩に担ぎなおして人ごみを抜けた。
しょうがない。
後で、ちゃんとレイコに謝っておこう。
心配してくれていたわけだしこのままじゃ気分が悪いからな。
レイコが飛んでいった方向の屋上を見上げた後、死地に向かう心構えをして恵助は足を踏み出した。
二十重さんの話の前に、クラスメイトの説得をしないといけないからだ。
/
レイコは一般棟の屋上の隅で、手すりに寄りかかるようにして空を見上げていた。
[あ〜あ……あれだけ言ったのに。]
目をつぶり、額に手の甲をあてて、深呼吸した後、ゆっくりと目を開く。
ぼんやりとかすむ手越しに、太陽が見えた。
[最初からわかってる。結局は、そうなんだって。]
するりと手すりをすり抜け、屋上の角にふわりと立ってみる。
見渡す二七〇度の景色が、絶壁だった。
[生きていたころは、五階分の高さって怖くて仕方なかったのにな]
その場で軽やかに一回転して、さらにジャンプしてみた。
見えたのは自分のココロを揺らさない、死が隣り合わせのキレイな風景だけ。
ココロを揺らすのは、そんな自分のココロだけ。
『どんな部活だろうとレイコとの約束は守るって。それなら心配することはないだろ?』
さっきの恵助の言葉がまだ耳に残っている。
[ホントに。大馬鹿なんだから]
レイコはゆっくりと、視界を閉じた。
/
教室の前、恵助は何度も深呼吸を繰り返していた。
「ノブ、ありがとな。すげー助かるよ。」
「まあ、泣いても笑っても一年間一緒に授業受けるわけだし。あんなことでクラスになじみにくくなるのもつまらないだろ。ただし、見返りは定食屋エデンのロースカツ定食だからな。じゃあ、深呼吸しろ。教室のドアを開けるぞ」
「ああ。頼む。」
ガラリ、とノブが勢い良く教室のドアを引くと、昨日の延長戦とばかりにみんな一斉に振り向き、時間が止まった。
しかし、時はすぐに動き出す。
ノブの後ろに俺がいることに気づくなり、クラスメイトたちはこっちへと突貫し始めた。
バンッ…ピシッ
ドアのガラスが軋むほど勢い良くドアを閉めて、全力でノブと一緒に扉を押さえつける。
しかし、今見た光景がリセットされるはずもなくドアはガタンガタンと今にも開かれそうになりゆれている。
なぜ一人も気がつかないのか。
気づいていても尚そうしているのか、教室前側、教壇横のドアから出てこようとするやからは誰もいない。
その分、クラスほぼ全員の力でドアが今にもはじけ飛びそうになってしまっていた。
「恵助、一度体勢を立て直したほうが良いかもな。これは、まずい。」
「あ、ああ。わかった。」
こんなことで説得できるのだろうか。
ましてこの後で、開かずの間にまたお邪魔して、なんだか気まずい話をしなければならないというのは今からすでに気が滅入る。
小さなため息をした後、すっと開かずの間のほうを廊下の窓から見上げたとき、急に恵助の目には、とんでもない光景がうつった。
瞳孔が開き、ざわりと髪が揺れるほど怒りがわいてくる。
目に飛び込んできたのは、屋上の手すりの外、後一歩踏み出したら落っこちてしまうのではないかという位置に、レイコは目をつぶって、両手を広げて立っている光景だった。
「な、なにやってんだよ…あいつはっ!」
一階の出窓から身を乗り出してもう一度見てみるが、やはりそれは見間違いじゃなかった。
「どうしたんだ!押さえてなきゃ……」
恵助の頭からは、レイコが空を飛ぶことが出来ることも、まして幽霊であることさえも消え去っていた。
ただ、今にも飛び降りてしまいそうな、悲しげな、それでいてどこか安らかな顔をしていたレイコに腹が立って仕方がなかった。
今レイコがいるのは屋上の隅。
まっすぐに屋上に向かっても鍵がかかっていて出ることはできないようになっている。
でも、もしかしたら鍵が開いていることがあるかもしれない。
「悪い、後は任せた」
ノブの声をさえぎりそうとだけいうと、恵助は足元が爆ぜた様に階段へと駆け出した。
「よくわからんがわかった、全部任せろ〜!ただし、エデンでおごってもらうのは上ロース定食にしてもらうからな〜」
なんていうノブの声と扉がはじけ飛ぶ音が、階段の手すりの間の隙間から走る恵助の耳に響いてきていた。
「ふう、騒がしいことだ」
階段の影で、一部始終を観察していた初音は窓を見上げ、携帯を取り出した。
「教室で一悶着あったあと、そこか、屋上を見て血相を変えて階段へ駆けて行った。何か見つけたのか、そっちに行くんだろう。ここから見ただけじゃ屋上には何もなさそうだし、鍵の用意だけして開かずのまでそのまま待っているのがよさそうだ。」
通話を終わらせ携帯を閉じると、藍色の地球を模した小さなストラップが小刻みに揺れた。
小さく息を吐き出し、メガネをずり上げて初音はゆっくりと恵助を追い始めた。
一気に屋上の扉まで駆け上がった恵助は体当たりするような勢いで扉のノブを勢いよく回してみた。
が、当然そこにはしっかりと鍵がかかっていて一向に開いてくれる気配がない。
屋上への扉は、強化ガラスによって出来ており、ドアの枠の部分が金属で出来ている以外は屋上の様子がそのまま見えるようになっている。
恵助はもっともレイコに近い位置へと移動して、ガラスを叩きながらレイコを呼んでみたが、さっきの体制のままレイコは気づく様子がない。
「くそっ、なんなんだってんだよ!」
ボウン、なんて間抜けな音をさせて思い切りガラスを殴ってみるが、痺れる様な痛みが走っただけで事態に変化はない。
たしか昨日校内案内図通りなら、開かずの間の向かいにある出窓を開けて、校舎の外縁をわたっていけば非常階段経由で何とか屋上にいけるかもしれない。
階段を駆け下りるとすぐに開かずの間の正面の出窓を開け放って身を乗り出してみた。
落下防止用なのか、しっかりとそこには足場があり、見渡してみると左側、開かずの間から出るための非常階段へとつながっていた。
ここは一階、ここは一階、ここは一階、ここは一階、ここは一階、ここは一階……
恵助はぶつぶつとレベル一の自己暗示の呪文を唱えながら足場に降りた。
朝はあんなに気持ちよかった風が、残酷にここから突き落とそうとして吹いてるんじゃないかと疑いたくなるのはやっぱり誰でもそうなんだろうか。
制服が穴だらけになるのではないかというほど背中を壁に押し付けながらゆっくりと、一歩ずつ移動する。
築五十七年の校舎はところどころひびが入っていて、頼りない足場は一歩歩くたびに崩れて落ちてしまうような想像を頭に叩き込んでくる。
後、一メートル…八十センチ……四十センチ………二十…
最後は勢い良く非常階段に飛び乗った。
「っはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
足を押さえて思いっきり息を吐き出す。
これ、帰りはどうしようなんて、一抹の不安がよぎって、頭を振ってその不安を押しのけた。
階段の確かな足場を確認して恐怖が薄れてくると、なんだかまた無性に腹が立ってきた。
レイコのやつ。
あんなに勝手に協力を求めてきて、回りにちょっかい出してみたり、あれだけ大騒ぎして見せたりするくせに。
やけに達観したような説教をしてきたりしたくせに。
……あんなに、生き生きした様子で笑いかけてきたくせに。
あんな、今すぐに消えちゃいそうなさびしそうな顔をしてあんなところに立っているなんて。
「くそっ」
恵助は錆び付いた非常階段の手すりを叩いた。
「反則だろ!そんなのは!」
だいぶ古いため、一歩踏み出しただけで階段はグワングワンゆれている。
こんな状態でいざっていうときに大勢が避難できるのか酷く不安なくらいだ。
「思いっきり文句言ってやる!」
恵助は大きく息を吸い込んでから、一気に階段を駆け上がり始めた。
螺旋状の階段を上りきって視界が開けたとき、レイコはいよいよ落ちそうなほど体を乗り出していた。