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1-2.もう、時間がない。

「もう……夏ですね」

「ああ、そうだな」

 学校の帰り道。俺と真雪は、寄り添うように肩を並べて海沿いを歩いていた。

 寄せては返す波の音。青空を飛び交う海猫たち。人気の少ない町並み。この街に来て、はや一年半。ようやく慣れてきた、のどかな田舎の風景が広がっていた。

「祐介くんは……夏休みの予定とか決まってますか?」

 前を見つめたまま、真雪が聞いてくる。その声は、夏休みが楽しみな調子ではなく、なにか心配事があるような――上手くはいえないが、そんな感じだった。

「いや、どうだろうな。誘われれば遊びにも行くと思うけど……今年は受験だしな」

「そう、でしたね……」

 まるで他人事のように、真雪が呟く。そのおかしな態度が気になって、俺は足を止めた。

「…………」

 気づかずに一人で数歩進む真雪。ようやく振り返ったときには、もう十メートル近く離れてしまっていた。

「どうした?さっきから、おかしいぞ」

 早足で追いついてから、いたわるように声をかける。

 校門を出るまでは、いたって普通だった。だが、周りに知り合いがいなくなって二人きりになったときから、目に見えて不安そうな様子を見せるようになった。

「なんでもないです……大丈夫」

 自分に言い聞かせるように、真雪はうつむいたまま答える。

 ふたたび歩き出した俺の少し後ろを、黙って真雪がついてくる。気まずい雰囲気だが、何を聞いても無駄かもしれないと思った。前にもこんなことがあったから。

 彼女の家まで送り届けて、その日は真雪と別れた。

 いつもの「バイバイ」という挨拶が「さようなら」になっていたことにも気づかずに。


              *  *  *


「――そんな格好で何してんだ?風邪ひくぞ」

 街の全景と水平線を一望できる丘。

 そこに一人の少女がいた。薄いブラウスにスカートという冬景色には似合わない格好で、雪が舞う灰色の空を――その向こうの何かを、澄んだ瞳で一心に見つめていた。

「雪を、見ていたんです」

 明らかに寒いはずなのに、身体は震えていない。まるで、感覚がないかのように。

 振り向かずに答えたっきり何も語ろうとはしない少女に、俺は近づいていって着ていたコートを羽織らせる。

 ふつう、見も知らぬ他人にこんなことはしないだろう。たとえ、相手が美少女でも。だが、俺のいた場所では普通のことだった。

 助け合う。支えあう。笑顔の絶えない、優しいところだった。それは皆が、命を大切に使って、精一杯、一生懸命に生きているからかもしれない。

「かぜ、ひきますよ?」

 感謝する様子もなく、自分のことを棚にあげた発言で、少女はようやく振り返った。ただ、その手はコートの襟を握っていたが。

 初めて見る、銀色の長い髪が揺れる。日本人には珍しすぎる色で、しかし凛とした顔立ちは整って、和人形のように美しかった。

 綺麗に澄んだ瞳が俺を見つめた、その瞬間。

「……ユウくん?」

 驚きの色が表情に現れる。だが、呟きは冷たい突風にかき消されて届かなかった。

「何か言ったか?」

 動いた口元を見て、俺は聞き返す。けれど、少女は首を振って言った。

「気のせいです。私は帰りますから」

 そっけない言葉。

 去り際、コートを脱いで俺に返す。そして言った。

「……ありがとうございました」

 これが、俺と真雪の出会いだった。


 この田舎の高校を受験するために、親戚の家に居候させてもらっていた俺の、もっとも印象に残った人が彼女だった。春になって、同じ高校の同じクラスになったときは驚いたものだ。

 初めて会ったときの彼女は、もっと物静かで――いや、そんな言葉では片付けられないほどに他人を寄せ付けない異彩なオーラを放っていた。去年から彼女を知っているやつは皆、その変わりぶりに驚いていることだろう。


              *  *  *


「ただいま」

 誰もいない家に、俺の小さい声がやけに大きく響いた。

 受験が終わって、無事合格が決まったあと、俺は両親と親戚一同に一人暮らしがしたいと申し入れた。見知らぬ土地での孤独、それだけでなく俺の身体を気遣って猛反対した親戚たちだが、両親はあっさりと認めてくれた。

 それは別に淡白なわけではない。俺自身、深く愛されてきたことを感じていて、感謝もしている。親は子のことをよく理解している、それだけのことだ。

 靴を脱いで、たたきに上がる。

「ちっ」

 思わず舌打ちが漏れた。

 膝がかくんと折れ、慌てて壁に手をついて重い体を支える。

 壁伝いにキッチンまで向かうと、食器棚に置いた薬瓶から二錠ほどカプセルを取り出した。それを常温で放置――もとい、保存してあるミネラルウォーターで流し込むと、すこし人心地ついた。まだおぼつかない足でリビングに行き、ソファに倒れこむ。

 とくんとくん。うるさい鼓動を聞きながら、光の届かないカーテンを引いた真っ暗闇の中に佇んだ。


 俺の罹っている病気――原因不明の難病。原因だけでなく正体も不明。過去の症例がないという病気。

 急に何かが起きるわけではない。ただ、徐々に。本人も気づかないうちに身体を蝕んで、一歩ずつ死への階段を歩ませる。

 いまのところ問題はない。それぞれの症状に適する薬を処方してもらい、どうにかごまかしながら抑えている。

 だがそれも、果たしていつまで保つか。抵抗力が落ちているせいか、風邪をひきやすくなった。体育の授業が辛くなった。

 確実に俺の命は削られている。

 俺には時間が――ない。


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