Role 初仕事
「涁君、おはよう!」
GW明け。欠伸を噛み殺して登校していた私は、名前を呼ばれて振り返った。
「ああ、麻菜。おはよう」
走りでもしたのか、顔を上気させた麻菜が私に笑顔を向けている。朝から元気そうだ。
「涁君、県大会出場おめでとう!」
「……情報早いな。ありがとう」
休みの間の事なのに既に知っている麻菜に半ば呆れた。まあどうせ、試合が終わった夜にメールで結果を聞いてきた澪がニュースソースだろう。
私の表情から呆れを察したのか、麻菜がちょっと慌てたような口調で取り繕う。
「あ、あの、澪から聞いたんだけど……」
「いや、それは分かってるよ。わざわざありがと」
登校時、多分距離の離れていた私に駆け寄ってまでお祝いを言ってくれるとは、友人の鑑だ。
そう思って礼を言うと、麻菜の表情が再び晴れた。うん、いつも通り。
「それにしても凄いね。1年生なのに」
「……ああ、うん、我ながら頑張ったと思う。人間、追い詰められれば何でも出来るんだな」
「え?」
遠い目をして答えた私に、麻菜は不思議そうな声を出す。いや、褒められてこういう反応ってのは妙だって、知ってるけどね。
「試合前に、荻原先輩に囁かれてなー……」
『結果出さなければどうなるか、分かってるよね?』
にっこりと、それはそれは良い笑顔で仰ってくれた。無難な笑顔で頑張りますと返したら、ご丁寧に具体的な説明が追加。
「結果が悪ければ、新人戦で同じ轍を踏まないよう、毎日特訓させるとか……俺が文化祭委員やるって分かってて言ってたもんな、あれ」
つまり結果を出さなければ、空手部の練習でしごかれまくりながら、文化祭委員として馬車馬の如く働かされる、と。
過労死しないためにも、死ぬ気で頑張りましたとも。ああ、勝てて良かった。
「……相変わらず涁君、荻原先輩には頭上がらないんだね」
非常に微妙な表情を浮かべる麻菜に、溜息で答える。
「一生敵わない気がする。まあ、勝てたから感謝すべきだろうけどな」
そう、一応勝てたのだ。文句は言うまい。その代償が同学年の仲間達の生暖かい視線だとしても、感謝の気持ちは忘れてはいけない。
「……ねえ涁君、ちょっと顔色悪いよ? 何だか元気無いし、体調悪いの?」
不意に麻菜が、心配そうな顔で尋ねてきた。やっぱり顔色が良くないか。
「いや……寝不足」
「え?」
「宿題終わらなくってさ……」
溜息混じりにそう言うと、麻菜は「ああ」と声を漏らさなかったのが不思議になるような表情を浮かべる。
「結局全部やったんだ。偉いね」
「何か、やめるにやめられなくなった」
そう。休みの間に出た宿題、あとちょっとが終わらなくて、ついつい3時くらいまで起きていた。おかげで睡眠3時間くらい。
「涁君って、だから成績良いんだろうね」
「え?」
「だから、そうやってサボらず頑張るから、結果に出るんだろうな、って」
「……だったら、嬉しいな」
麻菜の言葉が、本当に嬉しい。天才とか言われるのは、自分の努力が認められず、才能のせいにされたみたいで、嫌だ。
「私」の頑張りを褒められたみたいで、くすぐったい。
思わずこぼれた笑みに、麻菜も笑顔を返してくれた。
昼休み。GW前に約束していた通り、文化祭委員長とのご対面。
嵯峨先輩、だったか。どんな人だろうか。
……そろそろ普通の人に会いたい、と思う私はきっと悪くないと思う。
まあ、「女帝」とか言われている時点で、無理だろうけれど。
某小説で同じあだ名を付けられていた人を思い浮かべつつ、文化祭委員会に用意される部屋の前で足を止め、ノックする。
「上宮涁です」
「どうぞ」
ハスキーボイスの返事が返ってきた。今の私よりも声が低いのではなかろうか。
部屋に入ると、ちょっとびびるレベルの書類の山だった。いつ雪崩を起こしても不思議は無さそうだ。うっかり机に手が当たって雪崩の原因にならないよう、おっかなびっくり中に入る。
(ああ、相沢先輩が大した事ないよって言ってたの、本当だったんだ……)
納得しつつ視線を向けると、噂の嵯峨先輩と目が合った。
嵯峨先輩は、特別美人というわけではない。けれど、その大人びた表情や落ち着いた物腰、リーダとしての風格が、そのまま人目を引きつける魅力となっている。これが俗に言う、クールビューティというものだろうか。
「君が上宮君?」
「はい。参加が遅くなってしまってすみませんでした」
緊張しつつ、まず謝る。部活の都合で今まで顔を出さなかったのは、荻原先輩の出していた条件とは言え、謝るべき事だ。
軽く頭を下げると、表情がふっと緩んだ。
「うん、礼儀も弁えてるみたいだし、安心した。じゃあ、簡単な説明だけしたら、直ぐに仕事にかかってもらって良いかな」
「分かりました」
直ぐに、という言葉に驚きはしない。あの雪崩警報を見れば、今直ぐ作業が必要なのは明らかだ。
「上宮君は、印刷担当。ポスターとかパンフレットとか、結構沢山あるんだ。クラスが自主的にパンフレット作ったりするからね。どのクラスが何枚必要だとか、運営として印刷代を持たなければいけない内容なのかとか、きっちり管理して欲しい。どさくさに紛れて、どうでも良いプリントコピーする奴、毎年いるんだ」
「判断は俺がするんですか?」
結構幹部クラスの仕事な気がして聞いてみると、あっさり頷かれてしまった。
「うん、任せる。そう気張らなくて良いよ、文化祭に関係あればおおむねオッケー」
「……そうですか」
予算削減に凄く厳しいという噂だったけれど、身内には意外とアバウトなんだろうか。
……いや、多分、きっちり仕事する前提の説明なのだろう。
「それで、印刷関係の書類は、どこに?」
それきり嵯峨先輩は何も言わないので、これで説明が終わったのだろう。なら仕事だと尋ねてみると、返ってきたのは沈黙。
(……あれ?)
何だろう。この空気、凄く馴染みがある。
軽く記憶を探って、ぽんと浮かんだ答え。
(……いや、まさかね)
「先輩? もしかして、この書類の山、さっぱり整理されていないなんて事は、無いですよね?」
否定してくれる事を期待して聞いてみると、嵯峨先輩の表情が、悪戯の見つかった子供のようになる。
「…………いつも整理してくれている子が、風邪で休んでて」
「…………」
部屋が汚い裕真が、宿題をどこに置いたか発掘するのを頼む時と空気が似ていたと思ったら、まさにその通りだった。
……どうやら、何人かの文化祭委員が逃げた理由に、整理整頓が出来ない人に耐えられなかった、というものがあったらしいと判明。
しかしここは、裕真の姉としては看過できない環境だ。
「先輩。印刷の仕事は後回しにさせて頂きます」
「……え?」
どういうつもり? と目で尋ねてきた先輩に、きっちりきっぱり宣言する。
「俺はこういう環境で仕事が出来る人間ではありません。まずこの部屋を整理させて頂きます」
「良いの? 宜しく」
返事は嵯峨先輩のきらきらした笑顔だった。本当に、片付けが苦手なタイプなんですね。
クールビューティな見た目なだけに、残念な人だ。普通の男子(1部女子もか)なら全力で幻滅ものだろう。
夢見がちな方々のためにも、この事は心の内に留めておく事にして、私は作業に取りかかった。