Relief 安堵の後の自己紹介
涁に戻ります。
入学式が無事終わり、新入生は講堂を退場した。
目の前でたくさんの生徒が自分の教室に向かうのを見ながら、私はようやく、安堵の息を長々と吐き出した。
少女に引き摺られ講堂に入り、他の生徒会役員や先生方にどうして遅れたのかを説明し謝罪するまでに、5分を費やした。その後15分で原稿を書く事を要求されて、どんなことを言うものなのかを聞きながら、大急ぎでそれらしいものを書き上げた。更にその後10分で覚えるよう強要(……もはやあれは脅迫だった)され、必死で頭に叩き込んだ。早口でされたステージへの上がり方などの説明を無理矢理飲み込み、一度やってみようという所で、生徒達が入ってきてしまった。文字通りのぶっつけ本番だった。
ステージに上がっていた3分間は、本当に緊張した。多分、入試の時よりも緊張したと思う。はっきり言って、原稿を忘れたり、つっかえたりしなかったのが奇跡だった。……いや、実を言うと、一部忘れちゃって、その場ででっち上げたんだけど。
裕真には、何が何でもこの借りを返してもらわねばなるまい。1週間掃除当番をさせるだけでは生温い。ここまで大変な思いをしたのだ、1週間、掃除・洗濯・風呂当番をさせねば気が済まない。
ちなみに、料理当番を外したのは、裕真が天才的な料理音痴だからだ。1週間もあんな不味いものを食べるのは、耐えられない。
以前に食べた黒こげなのに火の通っていない野菜炒め(苦い上に、何故か辛かった)を思い出して、もう一度溜息をついた私に、私に無茶をさせた張本人が、笑顔で話しかけてきた。
「お疲れ様、上宮君!凄く良かったわ」
「ありがとうございます。かなり緊張していたので、きちんとできたか、凄く不安なのですが」
言いたい事はいくらでもあったけれど、相手は上級生。失礼な態度を取る訳にも行かないので、お礼を言って、軽く頭を下げた。
「そうは見えなかったな。本当に良かったわよ。ありがとう。
自己紹介が遅れたわね。私の名前は相沢望。望、と書いてまどかと読むの。一応、この学校の生徒会長なんてやってます」
相変わらず笑顔のまま、ポニーテールの少女がそんな自己紹介をした。名前にこだわりがあるようで、わざわざ宙に漢字を書いてみせてくれた。
在校生代表の挨拶をしていたからもしかしてと思っていたけれど、やはり生徒会長だった。
入学式前はそれどころじゃなくて気が付かなかったけど、相沢先輩はかなりの美少女だ。ポニーテールに束ねたつややかな黒髪、全体的に落ち着いた雰囲気を漂わせる、小さく端正な顔。随分と大人びた少女は、プロポーションもばっちりだ。胸の小さかった私としては、実に羨ましい。
「上宮涁です。相沢先輩の挨拶も、素晴らしいものでした。僕のせいで今日はまともなリハーサルを出来なかったでしょうに、それを全く感じさせない挨拶でした」
名前はもう知られているけれど、相手に合わせて名前を名乗ってから、お返しにと賞賛を送る。
「あら、ありがとう。お世辞が上手ね」
「お世辞ではありませんよ。緊張していたのできちんとは覚えていませんが、本当に感動しました」
相沢先輩の挨拶は、洗練を尽くした見事なものだった。物腰といい話す速度といい内容といい、文句無しの満点だった。
「数日前に原稿は書き終わってたし、昨日のうちに暗記も終わっていたから。たった40分足らずの準備であれだけの挨拶をやり遂げた上宮君の方が、余程凄いわよ」
「それも、一度も練習をする事も無く、な。大したものだ」
不意に背後から声を掛けられ、振り返った。背の高い男子生徒が私を見下ろしていた。
「議長をやっている、岩瀬泰斗だ。本当に良くやった」
「上宮涁です。ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げてから、岩瀬先輩を見上げる。
170台後半くらいなのだろうけれど、その鍛え上げられた体が、重厚な存在感が、彼を実際よりも大きく見せていた。本当に高校生なのだろうか。
ちなみに岩瀬先輩、凄くかっこいい。私もそれなりらしいけど、岩瀬先輩は男らしいというか、もう、とにかくかっこいい。こんな近くにいると、ドキドキしてしまうくらい。
要するに、私のまるきり好みのタイプだ。
けれどまさかそんなものを顔に出せるはずも無い。まあ、緊張しているのは当たり前と見なされるだろう。3年生2人に囲まれているのだ、緊張しない方がどうかしている。
「さて、上宮。そろそろ教室に戻った方が良い。担任によるホームルームが始まるはずだ」
「あっ、そうね。ごめんなさい、引き止めちゃって。上宮君も、クラスに馴染まないとだしね」
確かにそれは大切だ。男子と仲良くなる方法なぞ全く分からない私にとって、出来るだけ多く接触するのは絶対条件。江藤が一緒じゃないのが本当に残念なのは、実は私だったりする。
「いえ、気になさらないで下さい。それでは、相沢先輩、岩瀬先輩、失礼致します。今日は本当に、ご迷惑をおかけしました」
「上宮君は悪くないんだから、気にしないで。終わりよければ全てよしって言うでしょう?」
「まあ、それを強要したのはこちらだが。今日はお疲れ、上宮」
そう言ってくれる先輩方2人にもう一度頭を下げて、私はその場を立ち去り、教室へと急いだ。