Reason 複雑な朝
約束の日。
どういう訳か、私が仲井と試合する、というのは、江藤にも飯島にも安藤にも知られていた。
登校路にて。
「聞いたぜ上宮、結局捕まったな」
「仲井とだって?やっぱやる気あるんじゃねえか」
「……大変だね、上宮君……」
……こいつら、部活だったよね?まだ朝なんだけど。
それにしても、まともに同情してくれるのが安藤だけで、残り2人は面白がるだけ、とはね。覚えてなさいよ……
「3人とも、地獄耳だな……。まあ、一試合して終わるって言うのも、悪くはないさ」
そう言って肩をすくめると、美樹が話に入って来た。
「終われればねー。涁君、空手部の先輩方の前で試合するんだよ?そのまま逃げられなくなるんじゃない?」
「……やる気ない奴に、そこまで熱心にはならないだろ。荻原先輩が許さないだろうし」
それに、今日の試合ぶりを見て、即戦力になるとは思わないだろうしね。
心の中で付け足す。
「……荻原先輩って、何者なんだよ?何か今の言い方を聞いてると、部活を牛耳ってる感があるんだがよ。男子は男子、女子は女子だろ?」
怪訝な顔で聞いて来た飯島に、首を振ってみせた。
「いや、先輩が中学の頃から変わってないなら、その発言力は絶対だと思う」
「凄いんだね……」
呆気にとられた様子の安藤が呟きを漏らした。飯島も同じような顔をしている。
「あの人はなあ」
「相変わらずだったねー」
「涁君、やっぱり荻原先輩には逆らえないんだね」
「かなり腰が引けてたわね。弓道部の見学の時とは、まるで別人」
いつの間に合流したのか、江藤と美樹の後に麻菜と香奈が続けた言葉を聞いて、口の中に苦いものが広がるのを感じた。
「……見た事無いからそんな事が言えるんだ。道着着るとまるで別人なんだぞ」
「全国区の涁が手も足もでないの?」
澪まで合流していた。この短い道でここまで揃うか、普通……
「ああ、言ってなかったな。荻原先輩は3年の夏、全国大会で優勝している。空手の世界では有名だよ。俺も何度か相手してもらったけど、勝てた試しが無い」
「……そりゃ怖えわ。上宮も苦労してんのな」
しみじみした口調の飯島に、深々と頷いてみせた。
「……ま、期待してんぞ。終わったら直ぐやるんだろ?部活前に応援行ってやる」
江藤の言葉に、他のメンバも食いついた。
「お、それ名案。俺も先輩に事情説明しとこ」
「僕も……」
「おー、じゃあ皆で行こうよ。……あ、コーラス組はきついか?」
「ううん、見てから行く。涁君の試合しているとこ、見た事無いしね」
「そういえばそうだね。中学ずっと一緒だったのに」
飯島、安藤、美樹、香奈、麻菜が口々に賛同する中、澪だけが少し迷ったような顔をしていた。
……まあ、事情知ってるしね。
「……勘弁してくれ。そんな立派な戦いにはならないだろうし。そう見られるのも、ちょっとな」
「気にしない気にしない。良いじゃない、見に来てもらえば。涁ったら、こんな所で照れるなんてね。試合で人目なんか、気にした事無いくせに」
「何をさりげなく話に加わっているんですか、荻原先輩。そして、それはやめて下さい」
突如会話に乱入しつつ私に抱きついて来た荻原先輩を引き剥がしつつ、抗議する。
「だって、涁がつまらない事気にするから我慢出来なくって」
「先輩が我慢する所なんて、見た事がありません」
「うん、私も覚えが無い」
切り込んだ口撃をあっさりいなされて絶句していると、荻原先輩が私の鞄をひょいと取り上げ、中を覗いた。
「……涁、逃げなかったようね」
きちんと道着を持って来たか、確認したらしい。
「昨日の今日で言葉を翻したりしませんよ。……それに、これで最後ですからね」
「最後、か。……ねえ涁、昨日の答え、聞かせてくれないの?」
昨日の答え。……何故私が、空手をやめるのか。
「今日分かりますよ、多分」
それだけを言って、目を逸らした。澪の気遣わしげな顔が目に入った。
「……そう。分かった。じゃあ、放課後にね」
溜息を吐いてから、荻原先輩が走り去った。
……先輩が溜息つく所なんて、初めて見たな……
ほんの少しだけ、罪悪感を感じた。
「……なんか意味ありげな雰囲気ー。涁君も大忙しー」
「そう言われりゃそうだな」
「見目麗しいのも大変だな」
美樹と江藤と飯島の茶々(これはこれで聞き捨てならないけど)に、その場の重い空気がふっと和らいだ。
「俺達も急いだ方が良い。時間ギリギリだ」
現在8:20。茶々は完全にスルーして、皆を促す。
「わ、本当だ。走ろっか」
麻菜の提案に頷き、私達は一斉に駆け出した。