Negotiation 食卓にて
家に帰ると、裕真の恨めしげな声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、遅い……。俺死にそう」
「自分で作れるようになれよ……」
溜息をついてから、キッチンに向かう。ついでに壁時計を見ると、8時。まあ確かに、お腹が空くだろう。
冷蔵庫の中をあさって、中身を確認。出来るだけ早く作れる料理を自分のレシピブックから検索、手早く調理に取りかかった。出来上がるまでに掛かった時間は、15分。まあ、上出来だろう。
裕真もご飯位は炊けるので、既に保温状態になっている。これを先に食べておけば良かったんじゃないの?という疑問は横においておく。
「はい、どーぞ」
「ああ、やっと食える……。いただきまーす!」
食べながら、澪の家であった事を簡単に説明した。勿論、おもちゃにされた事は秘密だ。
「……変なのー。青柳さん……だっけ、は覚えてんのに、その親は覚えてない?何それ?」
嬉しそうにご飯をかっ込みながら、裕真がいぶかしげな声を上げた。
「澪が得別なんだろ。よく分からないけど」
きちんと口の中のものを飲み込んでから、答える。全く、姉弟なのに、どうしてこうもマナーに違いが出るものか。
「確かに、どうして青柳さんは覚えてんだろうね。……って、それを言うなら俺や父さん、母さんもか」
「……そうだな」
それは私も、帰宅途中に考えた。どうして裕真や両親は、私の事を覚えていたのだろう。
「……ごめん」
「は?」
突然謝る裕真に、思わず間の抜けた声を上げる。
確かに入学式の件では怒ったけれど、それはもう謝られたし。部屋に上がってきた件も、澪に叱られて(脅されて?)たし。このタイミングで謝られるような事をされた覚えはないのだけれど……
「いや、今日姉ちゃんが青柳さんと話しているのを見てさ、家でまで言葉とか、無理させて悪かったかな、ってさ。覚えているの、俺達だけなんだし」
「…………」
「……それに、姉ちゃんも平気な顔してたけど、結構辛かったんだな、って気付かされたから。姉ちゃんの置かれている立場、考えなかった訳だから、悪かったなって……」
「……待った」
聞き捨てならない事を口走った馬鹿の言葉を止める。
「気付かされたって、どういう事かな、裕真」
「え?だから、泣くの我慢していたなんて知らなかったからさ。今日……」
「……裕真。私は、部屋に近づくなって言ったよね?私達の会話、盗み聞きしてた訳?」
ゆっくりと聞いた途端、裕真の顔に焦りが走った。
「い、いや、そうじゃなくてさっ。言われた通り掃除してたんだけど、通りかかった時に俺の名前が耳に入って、そのっ、ちょっと気になって……」
「……裕真君」
「はいっ!」
にっこり笑ってみせると、裕真の顔が強張った。
「それ以降にあった事は、今直ぐ忘れてもらおうか」
「あ、えっと……」
「君は男の子だから分かるよね?良い年してあの場面をやたらと言いふらされたら、どう感じるかを」
「えっと、その……」
「今後、その話が広まったりするようだったら、私は君への対応を考え直さないといけない事になる。それは私も避けたいなあ」
そう言ってもう一度笑顔を浮かべると、つられたように裕真が笑みを浮かべた。かなり引きつっているように見えるのは、気のせいだろう。
「どうするのかな?」
「えっと、その、ごめん姉ちゃん!俺、何も見てないし、聞いてないから!だから、姉ちゃんが泣……!いや、今日の事は絶対人には言わないから!」
早口で言い切った裕真に優しく笑いかけて、裕真の手から空になった茶碗を取り上げ、お変わりをよそってやった。
「よし、その言葉、信じてあげよう。自分の言った事には責任を持とうね?」
「もちろんです!」
うん、物事は口で解決するのが一番だ。裕真の目が妙にきらきらしているのは、ご飯をよそってやった事に対する感謝だろう。