Prologue 入学式の朝
連載中の小説を書いている時に、夢にアドバイスをもらって書いた話なので、かなり突拍子も無いものとなっています。残酷描写は、まあ一応、程度です。あるかどうかは……微妙ですね。
…とんでもない話だとは、自分でも思いますが。
今日は、清条高校の入学式。真新しいブレザを来て、私こと上宮涁は、自宅で朝食をとっていた。
「おはよー、姉ちゃん」
3つ下の弟、裕真が寝ぼけ眼をこすりながら部屋のある2階から降りてきた。
「おはよう、裕真」
裕真の入学式は、3日後。実に羨ましい。
「姉ちゃん、今日から学校かあ。似合うじゃん、ブレザ」
「……」
似合うと言われても、嬉しくない。
そんな心情を私の表情から読み取ったのか、裕真は吹き出しそうな顔をした。
「もういい加減、慣れたら?俺だって慣れたのに」
「そういう問題じゃないってば」
「だってさ、本当によく似合うよ。きっとモテるよ、女子に」
そう言って、裕真は大笑いしだした。
殴りたい衝動を辛うじて抑えて、私は溜息をついた。
自分の姿を見下ろす。白いカッターシャツの上から黒っぽいネクタイを締め、濃い緑色のブレザを羽織り、同じ色のズボンを穿いている。
……そう。私は、清条高校の男子の制服を着ている。
断じて男装している訳ではない。名誉に掛けて否定しておく。
では何故こんな格好をしているのかというと、私が男だから。いや、体が男、と言うべきか。
信じられない事に、私は中3の冬休みから、男になってしまった。
比喩でもなんでもない。ある日ふと我に返ると、私は部屋の真ん中に突っ立っていて、鏡を見てみたら、見覚えのある顔をした男が私を見つめ返していたのだ。
その顔は、確かに私だった。それは確かなのだ。顔の造作は変わっていない。けれど、それはどこからどう見ても男で、体も男に変わっていた。
自分の目を疑い、意味も分からず呆然としていた時に裕真が入ってきた後の騒ぎは、実に嫌な思い出。忘れたいけれど、きっと一生忘れないだろうな、とも思う。
「あのときはびっくりしたなあ。姉ちゃんに勉強聞こうと部屋に入ったら、知らない男が突っ立ってんの。思わず叫んじゃったもんね」
裕真も同じ事を思い出していたらしく、笑い涙を拭きながらそう言った。笑い事じゃない。
「裕真のせいで、余計ややこしい事になった。『父さん、母さん!姉ちゃんの部屋に、変な男がいる!』なんて言ったらどうなるか位、少し考えれば分かるでしょ」
おかげで父さんも母さんも、血相を変えて部屋に飛び込んで来て、「どこから入ってきた」とか「お前は娘の何なんだ」とかものすごい勢いで問いつめられた挙句、もう少しで放り出されそうになった。
こっちも何がなんだか分からないのに、完全にエキサイトしてしまった家族達に説明するのは、ものすごく大変だった。これで顔が変わっていたり、自分の服(ズボンでよかった。スカートだったら、変質者扱いされていたに違い無い)を着ていなかったら、信じてもらえないまま、病院送りだったことは間違いない。
「うん、俺も後でマズったなって思ったけど。でも仕方が無いだろ?どう考えても変な男だよ。その時も美形だなって思ったけど」
「うるさい」
確かに私は、元々ボーイッシュな顔立ちだったし、それなりに整っているのも、多分間違っていない、と思う。女友達にも、「かっこいい」と言われることが多かった。
だけど、それはあくまで「女子として」だった。ズボンを穿くと男の子に間違えられる、という事だって無かった。ところが、男になった(ああ、もう少しましな言いようは無いものか)時に、顔の造作こそ変わらないものの、ご丁寧に男らしさが増した結果、随分と「ハンサムな男の子」になってしまった。……自分で言うのもどうかと思うけれど、家族が口を揃えて言うのだから仕方が無い。
「良いじゃん、ブサイクになった訳じゃないんだから」
「だから、そういう問題じゃないの。ホント、何でこんなことになっちゃったんだろう」
「さあね。それより俺は、家族以外が何の疑いも無く姉ちゃんを受け容れていることの方が不思議なんだけど」
「いや、男になった事の方が、余程不思議じゃない」
「だってさ、誰も気付かないっていうか、姉ちゃんが男なのは当たり前って顔するんだよ?おかしいだろ、どう考えても」
誤解を解いた後、家族会議の結果、休みが明けても学校に行くべきではないと全員一致で決めた。理由は……まあ、言うまでも無いだろう。どう考えてもマズい。
まあ幸い、後3ヶ月もしないうちに卒業。休んでも出席日数に差し支えは無い。受験の申し込みもまだしていないから、そこで帳尻を合わせれば良い。誰も行かないような遠くにある学校を探して、そこに行こうという事になった。
ところが、である。サイズが分からないと言われ、自分1人で服を買いに行った所(どんな服を選べば良いか分からないから、裕真を連れて行こうかと考えたけど、裕真の友達に出会ったりしたら目も当てられないから諦めた)、ばったりクラスメイトであり親友の富永麻菜に出くわした。
素知らぬ顔ですれ違おうと思ったその時、麻菜が声を掛けてきた。
『あ、上宮君!ひっさしぶりだね、元気だった?』
その時の私の気持ちをぜひ察して欲しい。
『え、あ、うん』
『何、私のこと忘れた訳?』
『いや、まさか。麻……富永、だろ』
むしろ、この状況で「異性の名前を呼び捨てはマズい」と咄嗟に判断して言い直したのだから、誉めて欲しい。
『……今、松井美樹と間違えかけたでしょ』
『違うって。えっと、ごめんけど、わ……俺、用事あるから』
『んん?デートかな?』
『……誰とだよ。ちょっと買うもの多くてさ。じゃあまた』
『うん、学校でね!』
別れた後、顔を覆って現実逃避したいのを堪えて、とにかく服を買い、大急ぎで家に帰った。
再びの家族会議で、どうやら私は、彼らの中で元から男子だったということになってしまったらしいという結論に達した。で、急遽制服を手に入れ、再び学校に行くことになった(余談だけど、その制服はそのまま弟のお下がりとなった)。
更にどういう訳か、戸籍にも男と記載されていたため、元々予定していた清条高校に、何の障害も無しに受験し、合格した。
それから一度も、私を見て驚いた人はいない。ご近所さんはおろか、じいちゃんばあちゃんまでにこにこと「涁君」と呼んだときは、ボケが始まったのか、と返しそうになった。
「まあ、そうね。麻菜に「上宮君」と言われた時には、ショックだったな」
「……姉ちゃん、前から言おう言おうと思ってたんだけど。いい加減、その言葉遣いやめてくれ。その姿とその声で女言葉は、怖い」
真顔で言われ、少しショックを受けた。
確かに、どこからどう見ても男だし、声も変わった(高さはそのままだけど、なんか男っぽくなった)から、女言葉は怖いのかもしれない。けれど、つい4ヶ月前まで使っていた言葉を変えろと言われても困る。そりゃあ、結構男の子っぽい言葉遣いをする事もあったけれど、基本的にちゃんと女言葉を使っていたのだ。
「だって……。それを言うなら、裕真だって未だに「姉ちゃん」じゃない」
「あ、それもそうだ。じゃあ兄ちゃんって呼ぶな」
「お願いだから、やめて」
本気で頼み込んだ。兄扱いは勘弁して欲しい。
「だってさ、ね……兄ちゃん。家の中でそうやってると、外でぼろ出すよ。周りどん引きだよ?イケメン高校生が「でしょ」とか言ったら。本気で気持ち悪いって」
「イケメンは外して。大丈夫、外では気をつけてるから。家でくらいこうして無いと、何か本当に男になりそう」
「だから、男だって。じゃあ兄ちゃん、お客さん来た時に、俺にうっかり女言葉使わない自信、ある?絶対、反射的に言っちゃうと思うよ。」
う、と言葉に詰まる私に、弟は畳み掛けた。
「それに、俺の精神衛生上悪い。兄ちゃんは自分が見えないから良いかもしれないけど、端から見るとマジで怖いから」
兄ちゃん兄ちゃんと連呼され、更にここまで言われて、どれだけ傷つくか分かっているのだろうか、このガキは。
けれど、弟の言う事に理はある。それは分かってはいるのだけど、しかし。
「……分かった。努力する」
「そうしてくれ」
やっぱり気が滅入る事には変わりがない。
「兄ちゃん、時間大丈夫なの?」
言われて時計を見ると、8時。8時30分集合であり、学校までは徒歩15分とは言え、そろそろ家を出た方が良い。
「そろそろ行くよ」
そう答えて、立ち上がり、床においていた鞄を手に取る。制服のズボンが目に入り、溜息をつきそうになるのを堪え、裕真に向き直った。
「行ってくる。帰りは昼頃になると思う」
「了解。いってらっしゃい、兄ちゃん」
最後の一言に暗澹となりながら、私は家を出て行った。