第二話 ~14歳の社会見学~ ①
「いらっしゃい。」
カランカラン、という扉についた鈴がなる音とともに、マスターの声がこの店、Wizards' Cafe に響いた。
「・・・おや?キミは確か森君の・・・・」
そう言いかけたマスターを尻目に、今しがた入ってきたばかりのその小さな客は、カウンター席の一番端に座った。
―――――――
拉致未遂事件から一週間。
ユキはあれ以来、担任の森と口をきいていなかった。
『これが、"魔法"だ』
森の言葉がユキの耳から離れない。
(・・・何が魔法よ・・・馬鹿にして・・・)
ユキは一週間前の日曜日、目の前で起こったことをまだ信じられずにいた。
(不良たちが動かなくなったのだって、何か理由があるに決まってる!・・・魔法なんてあるわけないんだから。)
一人の優男の前に動けなくなる屈強な若者たち。普段は物静かな森の周囲に漂う鬼気迫るオーラ・・・・
初めこそ森の『魔法使い』疑惑に年頃なりの興味を持ち、森に誘われるままこの店を訪れたユキだったが、今やユキの森への興味は全く別のものとなっていた。
(・・・いつか、アイツの本性を明かしてやる・・・! )
ふとユキは店内を見渡した。店の中には、先週と同様に数人の客が入っていた。よくよく見ると客の顔ぶれは先週と全く変わっていないように思えた。森と、あの不良たちがいない以外は。
雑居ビル街の薄暗い光の差し込む窓際の大きなテーブル席には、若い男が一人、足を組んで座っていた。やや長く艶やかな黒髪のその男は、コーヒーを片手に英字新聞を読みながら、いわゆる「できるビジネスマン」の体を装っているようにも見えた。反対側のもうひとつの角のテーブル席には、明るく長い茶髪の人がテーブルに突っ伏して寝ているようだった。ユキは見た目からは男か女かは分からなかったが、小さくいびきのような音が聞こえてきたことから、やはり男の人かもしれないと思った。そこから少し目線を横にやると、入口の近くの小さなテーブル席には、大きなタブレット型のデバイスを机の上に置き何やら指先で操作しながらコーヒーをすする眼鏡の男の姿があった。
カウンター席には、先週ユキたちにコーヒーを運んできた男が座り、マスターと話していた。髪は短くやや生白い肌をしたその男は、頬杖をつきながら憂鬱そうな表情を浮かべていた。マスターはと言うと、あごひげを蓄え体つきもよく、カウンターの内で静かにグラスを拭きながら、その男のうだうだと続く話に耳を傾けていた。
(大人の男の人ばっかり・・・)
前回来た時は気付かなかったが、こうして落ち着いて店内を見渡してみると、ユキは明らかに自分が店の中で浮いていることに気付いた。
(もうちょっと主婦とか学生とかがいると思ったけど・・・)
しかしふと、今日が日曜であることを思い出し、平日はもうすこし客の入りも異なるのだろうとユキは自分なりに納得した。そしていつの間にかどうでもよくなっていった。
確かにユキは客層的には浮いているものの、この店にはそれを気にさせないような独特の時間が流れているような気がしたからだ。
自分と同じような中学生ばかりがいるはずの学校のクラスでは、ユキは浮きっぱなしだ。なぜなら、とユキは理由を考えた。 クラスではそれぞれがそれぞれの時間に合わせているからだ。互いをよく見ているといってもいい。お互い無関心であるような男子と女子の間でさえ、最低限の交信がある。そのなかを生来人に合わせて生きるのが苦手なユキが一人で歩もうとすると、たちまちクラスの時間から浮いてしまう。歩幅が乱れてしまうのだ。
一方、この店には、互いの時間を許す雰囲気があった。他人同士だからと言えばそうかもしれない。だが、ユキはこの店の醸し出す雰囲気が肌に合うような気がしたのは事実だった。
だからこそ、先日の事件があったにもかかわらず、ユキは今日もまたこの店に足を運んだのだった。
――――――――――
コトッ。
ユキの目の前に、氷と水の入ったグラスが置かれた。霜がついて少し白っぽくなったそのグラスはとても冷たそうで、ユキは一気に自分の喉が渇いていくのを感じ、グラスに手を伸ばした。
「いやー、今年は暑いですねー。ここのところ全然雨も降らないし。」
マスターが話しかけてきた。
「・・・・・・」
ユキはやや不機嫌になった。自分の時間を乱された気がしたからだ。しかしマスターの次の一言で、ユキはあわててメニューを探した。
「・・・で、なんにするかい?」
マスターは優しそうな目でユキに微笑みかけ、ユキがメニューを決めるのを待った。
「今日みたいな日はアイスコーヒーがうまいよね~!」
ユキがメニュー決めに迷っていると、右隣の方から声が聞こえた。先ほど憂鬱そうな顔でマスターに話しかけていた店員だった。その顔はさっきとうって変ってケロッとしており、輝かしいような、うっとうしいような笑顔をユキに向けていた。ユキはその子供に話しかけるような口調にイラッとし、ついこう言ってしまった。
「・・・ホットコーヒーをブラックで。」
しかしその店員はユキの見栄っ張りを見透かしたかのようにニヤニヤと笑い出した。そこへマスターがその店員に言った。
「おいコージ。森君のつれてきた客だからってちょっかい出してないで、とっととお湯持ってきてくれ。」
「え~!このクソ暑いのに!第一、俺店員じゃねえじゃん!」
「だったら客らしくなんか注文しろ。毎日意味もなく顔出しやがって。そんなに暇なら早く仕事を見つけろよ。」
「別に俺は就職する気なんてないんですぅ~!」
マスターと、コージと呼ばれたその店員のようで店員でないという男のやりとりはその後しばらく続いた。
ユキがうんざりして顔を客席の方にやると、窓際の新聞を読んでいた男と目があった。その男の目はまるで『いつものことだから。ま、気にしないで』とでも言っているようだった。
「ほい、ホットコーヒーのブラック!」
それから数分して、コージと呼ばれた男がユキの席にコーヒーを運んできた。コージは店のエプロンをつけており、二人の話は落ち着いた様子だった。
「キミさぁ・・・」
エプロンをそそくさと脱ぐと、コージが話しかけてきた。
「先週、襲われたんだって?」
ユキはその男をうっとうしく思いながらも、こくんとうなずいた。
「そっか~。このあたりホント治安悪いからねぇ。キミみたいな子が一人で歩いてると危ないんだよね。」
「コージ。今日はお前、その子を駅まで送ってやりな。」
マスターが言った。
「え~!?・・・ったく、人遣い荒いなぁもお・・・」
コージは先ほどのやり取りでなにか弱みを握られたらしく今度はおとなしかった。マスターが奥に引っ込むと小声でユキに言った。
「・・・マスターはああ見えてこの街で人望は厚いんだぜ。街の不良どももマスターには一目置いてんだ。」
「へぇ~」
ユキは適当に相槌を打った。しかしそれに気をよくしたのか、コージは胸を張って言った。
「俺だって負けちゃいねえんだぜ!この街に住む人間はみんな俺のことを知ってる!不良どもも俺が一緒なら手ぇ出してきたりしねえさ。」
「お前が金持ってねえって、知ってるもんな。」
再びマスターが現れて言った。コージはシュンとしてしまった。
「アンタ、名前は?」
「・・・ユキと言います。」
「じゃあユキちゃん。お客さんにこんなこと言うのはあれだけど・・・先週怖い目に会ったってのになんでまたこの街にきたんだい?」
「・・・このお店、気に入ったから。」
「そりゃあうれしいが・・・やっぱりこの街は子供にとっちゃ安全とは言えない。親御さんにはなんて言ってあるんだい?」
「・・・別になんにも・・・」
ユキは小さくこう付け加えた。
「・・・いつも家にいないもん・・・・・。」
一瞬の沈黙がCafeを通り過ぎた。
「ねぇねぇねぇねぇ!!!」
後ろの方でシュンとしていたコージが復活し、ユキに問い始めた。
「そういえばさ!ユキちゃん!この前森さんの『アレ』見たんだよね!?」
「・・・『アレ』?」
「ほらこぉ、グワァーとなってさ・・・!」
コージは両手を広げおどろおどろしげな雰囲気を伝えようとしていた。ユキはコージが森のいう"魔法"について言っているのだと気付いた。
「あぁ、はい。『魔法』のことですか。」
「「「!?」」」
ユキがそういった瞬間、コージやマスターは息をのむように固まった。それだけでなく、ユキは周囲の客の様子も一変したように感じた。彼らにそれぞれ流れていた時間が『魔法』という言葉によって止まったかのようだった。
「へ、へぇ~・・・森さん、ユキちゃんにそんなこと言ってたんだ~・・・・」
コージが動揺を隠すように言った。
「・・・お二人は・・・先生の言う『魔法』をご存じなんですか?」
「さ、さぁ、どうだろ~」
コージが下手な芝居をしているのを横に、マスターはじっとこちらを見ていた。そしてゆっくり口を開いた。
「・・・あぁ、知っているとも。・・・私たちも"魔法使い"だからね。」
「「!?」」
店内の緊張が再び高まった。どうやら店内にいる全員がユキたちの話に耳を傾けているのは自明のようだった。
「ちょ、ちょっとマスター!いいんですか!?」
「かまわんだろ。森君の選んだ子だ。」
二人の会話の意味はユキにはよくわからなかった。
「お二人とも、なに言ってるんですか?魔法なんてあるわけ・・・」
「ユキちゃん、キミはここの店の名前を知っているね?」
今度はコージが言った。
「え、はい・・・たしか"Wizards' Cafe"・・・・それがどうしたっていうんですか?」
「そう、"魔法使いたちのカフェ"・・・つまり・・・」
「・・・ここに来る者たちはみな、"魔法"を使う"魔法使い"なのさ。」