1話
美月は、恋をしないと決めていた。
決めたのは、たぶん二年前。
元彼に「仕事ばっかりだね」と言われて別れた夜、冷蔵庫のプリンを捨てた瞬間だったと思う。
それ以来、恋愛は“非効率”と分類された。
推し俳優の動画を観てるほうが、よっぽど癒される。
恋は、時間を奪う。
恋は、感情を乱す。
恋は、仕事の敵だ。
だから美月は、恋をしない。
しないはずだった。
「新しく異動してきた一ノ瀬くん、よろしくお願いします」
その瞬間、社内の空気が変わった。
彼の顔面偏差値は、推し俳優に激似。いや、もはや本人。
社内チャット「Pipin」では、非公式グループ『顔面国宝観察会』が即座に立ち上がり、彼の横顔が連日投稿される。
美月は、震えた。
「顔がいいだけで、人生狂うわけない。私は大人。私は社会人。私は…耐える。」
彼は、ただの“顔がいい人”だったはずだ。
それなのに、毎朝の「おはようございます」の声が、なぜか美月の脳内でエコーする。
昼休みにふと見た彼の横顔が、推しのドラマのワンシーンと重なる。
会議中、彼が資料を渡してくるときの指先が、なぜかスローモーションで再生される。
「これは恋じゃない。これは推し。これは…耐えるべき現象。」
そう思っていた。
そう、あの日までは。




