蒼暁院の救世主を追え!
翌週の週明け。私は意気揚々と生徒会室に向かっていた。紗季がいないところで決まった方針だけど、副会長の奏音ちゃんが味方についてくれてるから、ひとりでも大丈夫! ……だと思う。とにかく、まずはぶつからなくちゃ。こういうときは、行動力こそ正義!
という意気込みとともに、例によって早朝の生徒会室の扉をノック。そして、意を決して中に入ってみると――『またあなたですか』と言いたそうな雰囲気がすでに漂っている。会長さんはタブレットから視線を上げて、いつものニコニコ笑顔を浮かべているけど、そのこめかみに青筋がしっかりと見えた。にこやかな仮面に隠しきれない苛立ちがにじみ出ていて、思わず私は一歩後ずさる。ひぇ~……初っ端からイライラモード全開は、さすがにちょっとキツイかも。
とはいえ、そこはやっぱり生徒会長。生徒からの嘆願を無視することもできず、仕方なしに座席から腰を上げた。何しろ、私たちに廃部を宣告した張本人だし。『幕を引いた身として、最期までつき合わなくてはならない』という義務感が漂っている様子が、逆にこちらを少し緊張させる。
けど――議事録を取るために続こうとした書記さんに、スッと手をかざして離席を留める会長さん。ぬぅ、今日のやり取りは記録にさえ値しないということ!? なんだか胸がザワザワ。も、もしかして……これってすでに勝負が決まってるパターンだったり? 決まっててたまるか!
ふたり用の長椅子に、今日はひとりずつ。向かい合ったところで、会長さんは早速開口一番。
「部室は、今日中に引き払っていただかないと困るのですが」
「それは追々」
「追々ではなく」
会長さんの声がピリッとする。どんどん機嫌が悪くなってるよーな……! これはもう回り道している場合じゃない! 私は事前に奏音ちゃんと相談して決めておいた順序を思い出し、深呼吸して切り出した。
「去年の文化祭は散々でしたね!」
単刀直入な物言いに、会長さんは少しだけ目を細める。
「あなたもその文化祭を担った一員であることを忘れていただきたくない、というところはありますが……」
それが生徒自治の建前なのだろう。だとしても。
「現実問題、教員側が示した制限が些か厳しかったのは否めないところではありますね」
よし、悪くない流れ! 次はこれだ!
「そこで、今年はそれを挽回し、来年度の新入生を増加させたいと考えておりまして!」
これに会長さんは、意外そうな顔を……しない。まったくしない。
「……あなたが何を言いたいのかはわかりました。が、一応最後まで聞きましょう」
そこにあるのは、目の前の状況を完全に掌握しているような余裕。もしくは、わかりきった結末を待つだけの退屈そうな苛立ち。やっぱりベタすぎたかな~……なんて思いながらも、いまさら後に引くこともできない。
「私たちストリップ部も、文化祭を盛り上げるため、お役に立てる用意があります!」
ステージに立つのは在校生向けの初日だけ、というツッコミは想定済み! 二日目以降も、ちゃんと編集してガードした動画を流すとか、いろいろ充実させちゃうよ!
……という私の意気込みを台無しにするように。
「それで?」
ぬぅ……会長さんの視線が痛い。ニコニコなのに痛い。けれど、ここは……うさぎマスクさんの精神で! 私は背筋を伸ばし、腰に手を当て胸を張る!
「是非! 私たちに文化祭にて発表の場を設けさせていただけないでしょうかっ!」
「却・下♡」
「なんでぃえ!?」
あまりの手応えのなさに、思わず千夏みたいな声出しちゃったよ! 我ながらちょっと恥ずかしくなってたんだけど、会長さんはそれさえも気にしない。
「文化祭の挽回策としては、規制を取り払っただけで十分だと考えております」
それは、まるで台本を読み上げるかのように淡々と。
「むしろ、出し物の中にはすでに学生としてのあり方から逸脱しているケースも多く、生徒会としても日々調整に追われているほどでして」
会長さんの視線がさらに鋭くなる。まるでこちらの心を見透かすようなその眼差しは、冷静でありながらもどこか突き刺さるような圧を孕んでいた。声のトーンも少し低くなり、生徒会室全体に緊張感が漂う。
「そこに、学生のあり方として完全に逸脱したストリップなど……この学校にトドメを刺すおつもりですか?」
――もし、先週末の合宿がなければ、この言葉の重みはわからなかったかもしれない。でも、いまならわかる。会長さんの真意が。
だからこそ、私はまっすぐと見つめ返す。
「やっぱり会長さんは、この学校が大好きなんですね」
すべては、この学校を守るために会長さんが懸命にやっていることなのだと、私はしっかりと理解している。私たち生徒が楽しく過ごせる場所を守るために戦っているのだと。
このとき――ずっと張り付いたようなニコニコだった会長さんの瞳に、初めて明るい光が灯ったのが見えた。
「当然です。だからこそ、この学校を守り、次の世代に繋いでゆく……それが、生徒会長としての責務であると考えています」
「私も、この学校が大好きです!」
ここぞとばかりに私も笑顔で同意したのに……会長さんの目に再び鋭さが戻ってきちゃったよ。
「あなたたちの活動を認めないような学校を、ですか?」
会長さんは、私たちに嫌われていると思っているみたい。けど。
「話せばわかってもらえると信じています!」
奏音ちゃんともわかりあえたし! 結局のところ、私たちは立場が違うだけ。でも、目指す場所が一緒なら……!
「私たちを信じてください! 学校の不利益になるようなことはしません。きっと、ストリップで文化祭を良い方向に盛り上げてみせます!」
ここで――なんだろう、このゾワっとした空気。よくわからないけれど、これまではほんの序の口――何故か、初めて“本当の会長さん”と向き合っているように感じる。
「でしたら……ストリップ部の存続は認めませんけれど、特例として文化祭の出し物としては認める……それで、よろしいでしょうか?」
むむむ? これって、議論が一歩前進したってこと……? で、いいのかな……? このとき、ふと後ろのほうで席に座ったままの奏音ちゃんが目に入った。けれど、その顔は蒼白で……プルプルと横に首を振っている。
……あ! そうか!
「それって、文化祭が終わったらストリップ部解散、ってこと!? それじゃあ、全国大会に出られないじゃないですか!」
危なかったー! 危うく騙されるところだったよ! 思わず声も上ずっちゃったし、胸もまだドキドキ。手のひらにはじんわりと汗が滲んでるし……この人、ニコニコ顔でとんでもないことを言ってのけるよ!
けれど、そんな非難の視線に、会長さんはまったく動じない。うさぎマスクさんが、相手のことをまったく意に介さないのだとしたら、会長さんは、相手の反応を受け入れたうえで、なお平然としてしてるんだから、もっと怖いよ!
「そこまで学校のことを考えてくれているのなら、特例で許可して差し上げようかと思ったのですが」
「全国大会だって大事ですよ! そこで優勝できれば、学校の知名度も上がりますし!」
まー……ストリップで有名になっても困る、って返されそうだけど、そのへんについては奏音ちゃんと事前に相談してて、説得の準備はできてる……と構えてたんだけど……ん? 会長さんはニコっと頷いて……?
「……では、あなた方に選択肢を用意しましょう」
「選択肢……?」
あれ? 奏音ちゃんの予想と違うリアクションが……
「文化祭に出演する代わりに全国大会は諦めるか、文化祭を諦める代わりに全国大会だけは出場するか」
「え……?」
なにその二択!?
「ただでさえあなたたちの存在は危険なのです。二度もリスクを取るわけにはまいりません。選択の機会を与えますので、今日一日、皆様でご検討していただければと」
会長さんは、勝ち誇ったようなさわやかな笑顔を浮かべている。けれど。
「いえ、検討する必要はありません」
そう言い切った私は、机のほうにいる奏音ちゃんにさえ確認する必要を感じない。だって、答えは最初から決まってるんだもん。
「両方です!」
私は、きっぱりと言い切る。これが唯一の正解だと確信していたから。迷うことなんてどこにもない。会長さんが呆れて頭に手を当てても、揺るぎない自信が私の中にあった。奏音ちゃんは、こっそり口元を押さえてクククと笑っている。
「……あなたは、日本語が不自由なのでしょうか?」
なんて言われても、私は堂々と胸を張り、まるでうさぎマスクさんのごとく余裕の笑みを浮かべる。会長さんの視線を正面から受け止めながら、わずかに顎を上げて言葉を待っていた。冷静な顔の会長さんが少し言葉を探しているように見えたのは気のせいではないだろう。
「私は、どちらかを選ぶよう言っているのですけれど」
「文化祭は舞先輩のストリップ・ライブを学校のみんなに見せられる最初で最後の機会なんです」
あの舞先輩が本当はどれだけすごい人なのか、私たちだけじゃなくて、学校中のみんなに知ってもらいたい!
「そして全国大会は、ストリップで日本中の仲間たちと競い合える貴重な舞台……どっちも譲れません!」
文化祭も全国大会も、私たちならどちらも成功させられる――そう信じて疑わなかった。
会長さんはじっと私を見つめたあと、静かに口を開く。
「二兎を追うものは一兎も得ず……やはり、ストリップ部は廃部とします。今日中に荷物をまとめておきなさい」
立ち上がる会長さんの仕草は、とても静かで冷徹に感じられた。すべては終わったこと――その空気が伝わってくる。
「もうここで対話することもないでしょうから、最後にひとつだけ伝えておきましょう」
会長さんは一度私を見てから、踵を返す。
「あなたは文化祭を買いかぶっているようですが、“学校行事ごとき”では……何も変えられない」
学校行事ごとき……何も変えられない? その言葉が妙に引っかかる。会長さんは生徒会室の自分の机に戻り、タブレットを手に再び作業を始めた。その姿は何事もなかったかのようで、こちらの存在すら気に留めていないようにさえ見える。
帰るわけにはいかない――けれど、会長さんにこれ以上対話の余地はない――それでも諦めきれず、どうしたものかと立ち尽くしていたけれど――そっと私の隣に奏音ちゃんが寄ってきて、耳元で小さくささやく。
「今回のところは引きましょう。今後の方針はまた放課後」
私は深呼吸して、ちょっと気持ちを落ち着ける。また後で仕切り直すしかないか……
しょんぼりしながら出口の前まで来ると、扉を開きながら奏音ちゃんが意外なことを尋ねる。
「あなたのお友だち……椎名紗季さんは頼っていいのかしら?」
「えっ……」
急に紗季の名前を出されてびっくりする。けど、紗季ならきっと――
私は無言で、とびきりの笑顔で奏音ちゃんに頷いた。紗季なら大丈夫。私たちを助けてくれる。そんな確信が胸に広がっていた。
お昼休みの部室の中、空気はやっぱり重い。今日の千夏は――長い髪を左右でふたつに分け、頭の上で丸く結び、そのままツインテールを垂らしている。髪型は可愛らしいのに、眉を少し下げて視線を落としながら、お弁当を箸で軽くつついている姿はどこか儚げだった。普段の元気な千夏とは対照的で、思わず声を掛けたくなるような雰囲気が漂っている。ふぅっと小さくため息をつき、視線を落としながらつぶやいた。
「今日で、ここで食べるお昼も最後になるのかなぁ……」
「そんなこと言わんでください。まだ桜先輩頑張っとるんですから!」
かがりちゃんが慌てて千夏をたしなめる。今日は、静音ちゃんはいるけど、奏音ちゃんの姿はない。私はちらりと紗季に目を向ける。
「紗季、奏音ちゃんから何かあった?」
「何も?」
紗季はいつものすまし顔で首をかしげる。奏音ちゃんは『頼っていいか』と尋ねていたけど、いまのところは特に連絡はないらしい。
そんな空気のまま、お昼ご飯が静かに進んでいく。重苦しい――とまでは言わないけど、やっぱりどこか落ち着かない。
そのとき――
ガラッ!
――突然、扉が勢いよく開いた。
「……っと、ノックを忘れたわね」
奏音ちゃんがズカズカと入ってくる。何となく、慌ててるみたい。
「構わないわ。私と貴女の仲でしょう?」
何故か舞先輩が応じているけれど、その話し方がいかにも舞先輩らしい。
「どんな仲よ」
これに由香が即座にツッコむけれど、千夏は無邪気だ。
「同じ部活の仲だもんね!」
そうれはそうなんけど……たぶん、そういうことではなく。
「舞先輩は、時々カッコイイこと言いたがるだけなんで……」
いつもの“それ”なんだろうなぁ……なんて思いながらも。
「ところで、奏音ちゃん、ごはんは?」
そんな基本的なところが気になってしまう私。
「これからよ」
やっぱりお昼休みも忙しくしてたみたい。そして、その理由は――
「それより……椎名紗季さん」
奏音ちゃんは真剣な表情で、その名を呼ぶ。
「何?」
突然呼ばれたものの、紗季は軽く顔を向けるだけで動揺はない。奏音ちゃんは、そんな紗季の傍へと歩み寄る。
「生徒会の資料は、情報漏洩対策から過去のFixした案件はすべて紙データで保存されているの。だから調べるのに時間がかかってしまったわ」
奏音ちゃんは言いながら、紗季に小さなメモを差し出した。紗季はそれを見つめながら、軽く眉を上げてすぐに問い返す。
「……誰?」
戸惑いはあるもののその冷静な様子は、紗季らしい落ち着きを感じさせる。ともかく、どうやら心当たりはないらしい。紗季からの質問に、奏音ちゃんは静かに答える。
「うちのOG。詳しくは後で話すけど……おそらく、その人が“二年前に学校を救った”人よ」
部室内が一瞬、静まり返る。その言葉が持つ重さを、誰もが察したから。
けれど――
「うん? どういうこと?」
私は奏音ちゃんの言葉に首をかしげる。いや、『学校を救った』ってくらいだから、すごい人なんだろうなぁ、ってのは分かるんだけど。その人が、今回は私たちを救ってくれるの?
「会長の言葉を思い出して。学校行事では何も変えられないって」
そう言われて、私は「……あぁ」と思い出す。ちょっと意味深な感じだったし、もしあのとき文化祭を選んでいたら、あのセリフが最後に来たんだろうなー、なんて思ったりして。
しかし、紗季は――あの場にいなかったのに、奏音ちゃんの言葉だけで理解する。
「つまり会長たち二年前の生徒会は、自分たちなりに学校行事で学校を救おうとして……失敗した」
えっ? そうなの?
「そして、それをフォローしたのが……」
言って紗季は、奏音ちゃんから渡されたメモに目を落とす。私も覗き込んでみたけれど……へー……朝廷大の人なんだー。すごいなー。
「私は二年前の資料を調べるので手一杯なの。悪いけど、そのOGとのアポをセッティングしてくれない?」
奏音ちゃんの表情はちょっと疲れている。また調べ物に戻る感じだ。……お昼食べる余裕あるのかな。
「OG訪問?」
由香は不思議そうに尋ねると、奏音ちゃんはさらに表情を険しくする。
「大学を通してたら、いつになるかわからないのよ」
紗季が資料を見ながら確認するように尋ねる。
「……この人の写真は? 住所や連絡先とかは?」
「それ以上の個人情報は職員預かりだから、私でも難しいわ。ただ、当時の写真についてはあるかもしれないから、また空き時間に探ってみる」
奏音ちゃんの言葉を聞きながら、紗季は食べかけの弁当を手際よく畳む。
「紗季?」
「一先ず、大学側には連絡を入れてみるわ。それとは別に、私のほうでも動いてみる。……奏音さん」
「何かしら?」
「今日も大道具のほうは手伝えないかもしれないけど、帰りには寄るから、もし何か新情報があったら桜にメモを残しておいてもらえる?」
「直接スマホに送ればいいのに……」
なんて、私が率直なことを口にすると。
「何のために生徒会が紙ベースで管理してると思ってるの」
「余計な情報を持たない・残さない。それがセキュリティの基本よ」
紗季だけでなく、奏音ちゃんからも窘められてしまった。
「ふたりとも厳しい……でも……えへへ」
私が笑うと、紗季が不思議そうに首をかしげる。
「何?」
「ふたりが仲直りしてくれて、嬉しいなーって」
紗季も、ようやく仲間だって認めてくれたんだなー、なんてほっこりしていたけれど……ふたりは不思議そうにまた首を傾げる。
「仲違いなんてしていたかしら?」
「さあ?」
紗季はきょとんとしているし、奏音ちゃんも特に気にしていない様子だ。どうやら私には理解できない絆のようなもので、ふたりは結ばれているみたい。
そんなこんなで――お昼休みも終わり、午後の授業をひとつ乗り切ったところでスマホが鳴った。画面に表示されたのは紗季からのメッセージ。
『大学側に問い合わせてみたけど、OG訪問は一週間後以降で、第三希望日まで挙げろ、ですって』
「一週間後じゃ遅いんだよー!」
思わず独り言を漏らす。文化祭は今週末。そんな悠長なスケジュールじゃ間に合うわけがない。
続いて、再びメッセージが。
『授業が終わったら、速攻で大学近辺を探しに行きましょう』
『制服で?』
由香はすかさず返すけど、これには紗季もノータイム。
『OG訪問だって顔してれば大丈夫よ。実際そうなのだし』
アポイントも取らずに突撃とか、下手したら怒られそうな話だけど……いまはそんなこと気にしてられない。こうなったらやるしかないよね! 私は深呼吸して覚悟を決めた。けど、これで書き割り作業が遅れるのは確実。うーん……前日は泊まり込みができるから、そこでなんとか挽回しよう!
授業が終わって、私たちは紗季の指示通り裏門に集合。そこには、なんと二台のタクシーが待機していた。
「紗季、車まで手配してくれてたの!?」
「時間を無駄にできないから」
驚く私に、紗季はあっさり答える。紗季と千夏と私は後部座席に乗り込み、舞先輩は助手席へ。車内に入ると、紗季が封筒から何かを取り出した。
「これ、奏音さんが授業の合間に見つけてくれた顔写真のコピーよ」
そこにはツインテールの可愛らしい女の子が写っていた。無邪気な笑顔があふれ出ていて、底なしの人懐っこさが感じられる。その表情を見ていると、きっと楽しい人なんだろうなと伝わってくるようだ。何やらみんなで盛り上がっているようで、クラスの女子たちとじゃれ合っている。背が低いのか、前の人たちの肩をよじ登るように顔を出していた。そんな小ささもあって……
「本当に大学生?」
ツインテールという髪型の所為か、なんか中学生の妹さんが紛れ込んでいるみたいなんだけど……
「……もちろん、高校在籍中に撮影したものよ」
と、紗季は外を眺めながら答える。私の言いたいことはわかってるんだなぁ。そのうえで、不要なことは気にするな、ってことなのだろう。
「四枚あるから、これで四組に分かれて探すわ」
そう言いながら、紗季は先ずは千夏に一枚渡す。
「わぉー……確かにこれは……高校生には見えんわなぁ」
「ちゃんと制服着てるでしょ」
「襟のとこしか見えないって」
紗季に念を押されても……やっぱり千夏と同意見だ。
それから、舞先輩に一枚。残りの一枚は、分乗している高岸姉妹に渡すことになるのだろう。これで会えるかもしれないという期待と、見つからなかったらどうしようという不安が入り混じって、胸がドキドキしてきた。
「先輩にも、私の指示に従っていただきますので」
写真を渡しながら、紗季はきっぱりと告げる。先輩は、前の座席からそれを受け取りながら、わずかに眉をピクリと上げる。
「ストリップ部員でもない貴女に?」
「先輩!」
それは、いま言うことじゃないでしょ! 舞先輩は紗季に鋭い視線を向けていたけれど――ふっ、と目元を緩め、私に微笑みかけてくれる。
「わかっているわ。今日のところは、桜に免じて従ってあげる」
「先輩……ありがとうございます!」
これからみんなで力を合わせて頑張らなきゃいけないってときに、こんなことで揉めてる場合じゃないものね。
ってところなのに!
「今日のところは」
「念を押さないでください!」
どこまでもツンツンしている舞先輩に対して、紗季はさらりと躱してくる。
「言われなくても、好き好んでストリップ部に関わったりしないわよ」
「紗季っ!?」
私はショックを受けつつも、何とか気を取り直す。そうだよね。ずっと頑なに入部してくれなかったくらいなのだし。
けど。
「私は桜個人を応援しているだけ」
窓の外を眺めながら、紗季は背中越し私にエールを送ってくれた。表情は見えないけれど、その口調はどこか優しい。
「そっか……でも、ありがとう」
ちょっと照れちゃうけど……結果としてストリップ部を応援してくれるということなら、それはやっぱり心強いな。
タクシーは順調に走り、退勤ラッシュの混雑に巻き込まれることもなく朝廷大の正門前に到着。
「わぁー……やっぱり大学生ともなると、みんなオシャレー……!」
思わず感嘆の声を漏らす私。見渡せば広々としたキャンパスの先には、洗練された雰囲気が漂う街路樹が奥まで続いている。外の通りにはカフェテラスが立ち並び、テーブル席で談笑する大学生たちが目につく。その優雅な中だと、学生服姿の私たちはどうしても浮いちゃうなぁ。周囲の建物もガラス張りが多く、落ち着いた光に包まれていて、街全体が華やかな空気をまとっている。
「千夏っ、あのベンチに座ってる人、足、超細い!」
パンツルックでスラっとキメてて……うん、見事に穿きこなしてる。
「だったら、あっちのテラス席の人、胸すごい……!」
千夏が言うんだから……と思ったら、確かにすごい! それをあんなに強調しつつもセレブな感じで……さすが、朝大生!
「なんか、片っ端から全員コーディネートの参考になりそう」
「写真撮らせてくれないかなぁ……」
なんてふたりでつい盛り上がってしまったところで。
「真面目にやんなさい」
由香の冷静なツッコミが。これは、紗季からも怒られそう……と思ったけど、こんな私たちのことは無視して、残りの写真を先生に渡していた。
「――って先生!?」
えっ、いたの!? というか、由香と千夏がセットなのはいつものこととして、静音ちゃん・奏音ちゃんの高岸姉妹のペアで、あとは舞先輩とかがりちゃんが組むものかと思ってたのに!
「え? え?」
小此木先生のほうもオロオロしながら戸惑っている。これに、私は驚きも冷めぬままにすぐさま尋ねた。
「静音ちゃん、奏音ちゃんは!?」
「かのちゃんは生徒会室で調べ物を続けるって……」
さも当然のように静音ちゃんは答えるけど……私はこの場に奏音ちゃんがいないことが未だにビックリだよ! 私の様子に、静音ちゃんは……何故か自分が悪いことをしたみたいに、弁解するような口調で補足する。
「桜ちゃん、先生なら私たちと学校からずっと一緒にいたよ? 桜ちゃんが紗季さんと一生懸命話してて気づかなかったみたいだけど……」
「奏音さんから連絡を受けて……。先生……これでも一応、顧問なんだけどなぁ……。先生だって、明日の授業の準備とか残してるけど、部のために来たんだけどなぁ……」
小此木先生はこれ見よがしにショボンと寂しげに肩を落とす。
「ごっ、ごめんなさい! ありがとうございます! 頑張りましょう!」
私は慌ててお礼を言って……先生と静音ちゃんがペアを組むことになったようだ。
ということで、いよいよ捜索スタート! 私たちは紗季の指示通り四組に分かれて、大学周辺を手分けして探し始めた。私と紗季は一先ず外周をウロウロ。先生と静音ちゃんは裏門のほう、舞先輩とかがりちゃん、千夏と由香は一番人通りの多い正門前を当たってみるって。
「軽く中を覗くだけならともかく、無断で敷地内に入ったりしないようにね」
と先生は言伝を残して行ったけど……ああ、千夏はたぶん、何食わぬ顔で中庭の方まで探るつもりなんだろうなぁ。由香は止めるだろうけど、先輩はむしろ同調しそうだから……さっそくチーム崩壊しそうなんだけど。それとも、そこまで見越してこの配置にしたのかな?
とりあえず、私は紗季と一緒に外周を歩きながら、行き交う人たちを一人ひとりチェックしていく。夕方ということもあり、人通りは多い。大学生ともなると社会人と区別もつきにくくて……だからこそ、ちっこい子がいたらすぐわかりそうなもんなんだけどなぁ。
「紗季、あの人は……?」
なんて、自信なさげにこっそり指差したりしてみるけれど。
「うーん……」
紗季は念のため写真と見比べてみるけれど……うん、子供っぽいだけで全然違う。
「顔写真だけじゃ厳しいよねぇ。服も制服だし」
せめて私服姿なら、もっと特徴ありそうなんだけど。私はぼやきながら、通りの向こうに目を向ける。そこには自転車を停めている学生や、談笑しながら歩いているグループがいるけど、私たちが探している人はいない。
「桜、スマホはチェックしておいてね。何か連絡があるとしたら、部のグループのほうだろうから」
「う、うん……」
紗季も半分以上部員なんだから、チャットグループくらいには入ってくれてもいいのに……そういうところ、頑ななんだよなぁ……。ということで、私がスマホを、紗季が写真をちょいちょいチェックしながら、という担当分け。
紗季はおそらく、奏音ちゃんと色々相談して進めてたのだと思う。だから、先生を巻き込むことも想定済みだったんだろうなぁ。
「てか、先生だったら、もっと詳しいこと調べられたんじゃない? 大学に教員として連絡したり」
私はキョロキョロと人を探しながらも、つい紗季にぼやいてしまう。
「先生が自分の立場を使って他校の生徒と非正規ルートでコンタクト取ろうなんて、それこそ職権乱用よ」
あぁ……そういうの、小此木先生は苦手そうだなぁ。慌てふためいて『そんなことできません!』とか叫びそう。
「それに、在校生ならともかく、卒業生の情報は過去データとして教頭先生マターだから」
「ははぁ……」
「ちなみに、教頭先生は『自粛派』よ」
「ぬーん……」
教頭先生って結構ベテランだもんね。ベテランの自粛派ってことは……『管理社会』を肌で感じていて、それでいて、あまり事を荒立てたくない……って考え方、だったっけ。締め付けすぎないように、と自重しながらも、揉め事の種になるようなことは徹底的に避けたがるだろうなぁ。そんな相手に過去の生徒の個人情報教えてー、なんて、小此木先生には荷が重そう。
紗季の口調から察するに、私が思いつくようなことはすべてやり尽くしていて、それでいて、これしかない、って結論なんだろうな。これだけ手分けしているし、何しろ相手は大学生というより中学生にしか見えない雰囲気だから、きっとすぐに見つかるはず!
……と、思っていたんだけど。
「桜、どう?」
「うーん……さすがに……」
どれだけ目を凝らして探しても全然見つからない。こんなに特徴的な顔なら一目で分かりそうなものなのに。一応、大学生っぽい人に何人か尋ねてみたけど、誰もが首を傾げるばかり。
そうこうしているうちに、あたりは徐々に薄暗くなり始めた。秋も深まったこの時期、陽の入りは思ったより早い。暗くなったら探すのはもっと大変になる。
「……やっぱり無謀だったのかも……」
紗季が、少し落ち込んだ様子でつぶやいた。けど、らしくないなぁ、そんなの。
「無茶なのは最初から承知してるって! けど、もう時間がないんだから!」
今日は会えないかもしれないけど明日もある。こうしてウロウロしていたら、大学側から何か前向きなアプローチもあるかもしれない。私の中で、確かな覚悟が芽生えていた。この一瞬一瞬が、部の未来を変えるかもしれない。そう思うと、不思議と体の奥から力が湧いてくる。
「そうね……」
紗季は笑顔を作ってはくれたけれど、やっぱりどこか力ない。でも……こういうのは根気の勝負だから! たとえ暗くなったって、人がいる限りは探し続けてやる!
そのとき――ピロン、とスマホの通知音が鳴った。画面を見ると、ストリップ部のグループチャットにメッセージが届いている。これは……奏音ちゃんからだ!
もしかして、追加情報かも!? 私はすぐにアプリを開いたけれど、そこには、ただひと言だけ――
『巨乳』
「何コレーーー!?」
私は思わず声を張り上げてしまった。
「奏音ちゃん、こんなときに何言ってんの!?」
驚きと混乱で頭が追いつかない……!
「奏音さんから、何か来たのね?」
「うん、でも……」
私は言いながら、紗季にスマホを見せる。しかし。
「こんなときに冗談を言うような人じゃないと思うけど……」
これには紗季も首を傾げる。
「誤爆……とか?」
と自分で言いながら、そもそも奏音ちゃんはそういうことを言うキャラじゃないよなぁ、と即刻否定。
「新しい情報なら丸ごと送ってくれればいいのに」
なんて、私は独りごちる。実際、すでに千夏が『kwsk』のスタンプを貼っているし。だけど、奏音ちゃんの入力中の表示はない。
「何のために紙で管理してると思ってるんだか」
あまりに素直な千夏の反応に、紗季はちょっと呆れてる。 つまり――これは、ネット上に流しちゃいけない個人情報――の、出せる部分だけを出したもの――私には、これが何を意味するのかまったくわからない。だけど――いや、だからこそ、これは“紗季に向けたメッセージ”ではないか――と、何となく感じていた。
私が感じていたくらいなので、紗季は当然のように受け取っている。そして。
「桜……さっき正門で千夏と話していたわよね?」
「え? ……何の話?」
紗季の表情にみるみる焦りが広がってゆき――
「えっ!?」
突然走り出した背中を、私は慌てて追いかける!
「桜、どこかに胸の大きい人がいたって言ってなかった!?」
走りながら、紗季の声がひときわ鋭くなる。
「ああああっ!!!」
その言葉に、私はハッと思い出す。私たちが解散したのは正門前だから、紗季が向かっているのは当然――
そりゃあ、それなりに胸が大きい人なら何人もいたけれど、あの巨乳な千夏さえ驚く巨乳といえば――!
私たちは全速力でスタート地点へと駆け戻り――そこには喫茶店があり、テラス席もあり、そのテーブルのひとつで、ちょうど女子大生たちが発とうとしているところだった。その中のひとり――一番背の低い女のコが、よっこいしょ、と重そうに腰を上げる。その動きに合わせて、両胸がずっしりと揺れた。紗季は路上からその人に向かって声を張り上げる。
「宮條桃さん!」
その声に反応して振り向いた彼女は、ツインテールではなく長い髪を下ろしていた。けれど、写真と見比べてもその人で間違い。
私は安堵すると同時に……自己嫌悪。
「まさか……おっぱいに気を取られて顔を見てなかったなんて……」
写真を見ていたはずなのに、注意力がそこに向かなかった自分が情けなく思えて、顔がボンっと熱くなる。まるで初歩的なミスを犯した新米探偵みたいな気分だ。
写真は事前に見せてもらっていたのに……。紗季は静かにため息をつき、少し笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「……構わないわよ。ここまで思い出せなかった千夏も同罪ってことで」
けどこれ……間に合ったからこその笑みだよなぁ……。本当にもう、情けないやら、恥ずかしいやら……
***
さてさて、ここから事態は急展開! いろいろとあったんだけど……いま、私たちは新宿にいる。さすがに部員全員ではなく、私と紗季と舞先輩の三人だけ。タクシーを降りて、私たちは新歌舞伎町の“街角”に立ち尽くしていた。
ネオンの光が目まぐるしく点滅し、路上には様々な人たちが行き交っている。居酒屋の呼び込みの声や、パチンコ店から漏れるけたたましい音楽が混ざり合い、街全体がざわめきに包まれていた。夕方の湿った空気が肌にまとわりつく感覚が、普段とは違う場所にいることを強く意識させる。
そこに、もう一台のタクシーが到着した。降りてきたのは――会長さん。その表情はいつものニコニコ顔だけど、最近はその笑顔がイライラを隠しきれていない。
「……私のような立場の者が、このような時間帯に、このような場所に訪れるなど……それだけで不要な誤解を招きかねないのですが」
会長さんは注意深く周囲を見渡しつつも、その声には皮肉混じりの戸惑いがにじんでいる。続いて、奏音ちゃんも現れた。
「では、すぐに会場に入りましょうか。そのために、開演ギリギリに到着するよう時間を合わせたのですし」
奏音ちゃんに促され、私たちはすぐ背後の下り階段――ライブハウス『パラノイア』へ。会長さんが逃げ出さないように、さりげなく退路を塞ぐ形で後ろから押し出すように入る。まあ、会長さんならそんなカッコ悪いことはしないだろうけど。
会場内はすでに男性客でぎっしり埋まっていた。スモークが薄く漂い、青と赤のライトが交互に瞬きながら空間を染めている。スピーカーからは開演直前のBGMが重低音を響かせ、床の振動が足裏に伝わってくる。とはいえ、ちらほら女性客もいるみたいで、その中にはグループで談笑している姿も見受けられた。
私たちは後ろの壁際に立ち、会場全体の様子を窺う。会長さんは何か言いたげな顔をしているけど、何も言わず、そっと紗季の方を見た。紗季は黙ってその視線を受け止め、微かにうなずくように視線を返す。すると、会長さんも何かを理解したように再びステージに目を向けた。……なんとなく視線だけで意思疎通してる感じがする。『紗季が承諾しているなら、無駄なことではない』と会長さんも認めている――そんな雰囲気だ。
一方、舞先輩は、というと――同学年のはずなのに、会長さんとはほとんど面識がないらしい。まあ、舞先輩は学校では空気のような存在だったからなぁ……。でも、舞台に立つと輝きが違うのは私も知ってる。いつか、会長さんにも見せてあげたい。
そして、ライブが始まった。
現れたのは『世界の三不思議』という三人組のバンド。メンバーはそれぞれ、古代の衣装を身につけている。ひとりは昔の中国のお役人さんみたいな格好で中国っぽい笛を吹き、澄んだ高音と低音が絡み合う独特な音色が場内を包み込む。軽やかなリズムに合わせて身体を揺らしながら吹き込むその姿はどこか幻想的で、観客たちをジワジワと引き込んでいくような雰囲気があった。
もうひとりはアラビアンな衣装でアラビアっぽい琴を奏でている。どうやら、この人がボーカル担当のようだ。あんなにうつむいた姿勢で、よく歌えるなぁ、と変なところで感心してしまう。
そして、ローマ時代のローブをまとった人がバイオリンに似た弦楽器を演奏していた。でも、曲調はガッツリとロック。スピーカーからドラムがドカドカ響き、録音された伴奏に民謡楽器を合わせているみたい。奇妙なんだけど、クセになる。
ちらりと会長さんを見ると、何ともいえない表情でライブを眺めていた。特別嫌いなわけではなさそうで、曲に合わせて軽くリズムを取っているものの、その眉間にはちょっと皺が寄っている。目元は笑っているように見えるけど、どこか探るような視線が混じっているようだ。終始険しい顔をしているわけではないので私は少し安心したけど、完全に楽しんでいるわけでもないみたい。その揺れる心がほんのわずかに表情に現れているようだ。
ただ、このバンド――途中で急にコントみたいなものが挟まるみたいで……。各国の“あるある”をネタにして、古代中国、アラブ、ローマのメンバーが口論するという構成らしい。私は『結構面白いなー』なんてクスクス笑いながら見ていたけど、舞先輩は無表情のまま。紗季と奏音ちゃんも真顔で観察中。会長さんもニコニコしているものの、どうも表面的な笑顔っぽい。音楽が始まればそれなりに気に入ってくれている感じもあるので、なんとかつながってはいるけど……会長さん、もう少し楽しんでくれてもいいのに……
そして、三回目のコントが始まったときのこと。
「こんな男臭いライブやってられっか!」
アラブの人がオチっぽく叫ぶと、会場の男子たちが「いえーい!」と盛り上がる。いやいや、女子もいるよー! 少なくともここに五人いるからね!?
続いて、中国の人が「最悪だぜー!」と叫ぶと、また「いえーい!」と返るので、どうやら何を言っても盛り上がる雰囲気らしい。
その後、ローマの人が「お前らー! おっぱいは見たいかー!」と叫ぶと――「いえーい!」の大歓声によって場内が熱狂の渦に包まれた。
――って、おっぱい!?
私は内心『ちょっと待って、これ大丈夫?』と思いながらも、会長さんの反応が気になってチラリと視線を向ける。意外なことに、会長さんは冷静に紗季を見つめていた。ふたりの視線が交差する中で――『あなたが見せたかったのはおっぱいですか?』――『そうではありませんが、黙って見ていてください』――そんな無言のやり取りが交わされたのかもしれない。何も言わず、会長さんは再びステージへ目を戻す。
壇上にいるのは男性三人。スライドで写真を見せるわけでもないので、ここはもうスペシャルゲストの登場しかないだろうな――なんて思っていたら、流れてきた音楽はこれまでの重厚な雰囲気をぶった切るような、可愛らしくてポップな前奏。そのギャップはある意味笑える。そして、そんなリズムに合わせてステージに現れたのは――
「左のおっぱい右おっぱい! おっぱい、おっぱい、ぽいんぽいん♪」
そう、あの宮條桃さん! ……いや、桃ちゃんと呼びたいところだけど、年上だし、先輩だし『さん』付けするべきなのだろうと。でも……おお……あれは写真で見たそのまんまのツインテール! そこにふたつのリボンをあしらった可愛らしい髪型は、どこか幼さを感じさせる。髪先がふわりと跳ねるたびに、その無邪気さが一層際立ち、どうしても中学生みたいに見えてしまう。なのに、あの胸はヤバイ! 顔と身体のバランスが完全に崩壊してる! テラス席で見たときは大学生風の格好だったから、そこまでの違和感はなかったけど……いまはフリフリのアイドル衣装。もはや実在するリアル・コラージュだよ、これ。
そして、会場のお客さんたちはすっかりお馴染みらしく、桃ちゃんの『ぽいんぽいん』にぴったりとコールを合わせている。
ライブハウスの照明がカラフルに瞬き、白とピンクのライトが交互に照らし出す中、ステージはまさに最高潮を迎えていた。スモークがゆらゆらと漂い、観客の歓声が重低音のビートとなって空気を震わせている。視線を集めるその舞台は、まるで別世界のような熱気に包まれていた。これまでどこか無関心だった会長さんが――桃ちゃんの登場とともに視線が釘付けになっているのがわかった。その目は明らかに動揺している。瞳は揺れ、どこか懐かしい思い出に当てられているようだった。もちろん、おっぱいに感動しているわけではない――そう思いたいけど、作られた笑顔の奥に隠された本心を読み取るのは難しい。ただ、桃ちゃんは蒼暁院のOGであり――会長さんとのつながりもある。きっと、心の内で様々な思い出が呼び起こされているのだろう。
そんな郷愁感をぶち壊すように――桃ちゃんの見せ場はここからだ、というのが舞先輩の表情からも窺える。これまでのゆったりと構えていた雰囲気から一転、その目がキラリと鋭くなった。それはまるで舞台上のパフォーマンスをくまなく分析するかのように、プロとしての厳しさがその視線に宿っている。ほんの一瞬の動きすら見逃すまいと、すべてを捉えようとするその眼差しは、まさにプロのストリップ・アイドルとしての本能が目覚めたということなのだろう。
その視線の先で桃ちゃんはワンコーラスを終えると、ゆっくりと衣装のファスナーを下ろし始めて――
しゅ……しゅごい……! なにあのブラ!? 絶対特注でしょ! 思わず声が漏れそうになるほど、桃ちゃんが披露したのは尋常じゃないカップのブラジャー。さらに――そのブラまで脱ぎ始める!
や、ヤバイってこれは……!! 同じ女子でも、この演出は衝撃的すぎる。以前のライブでは平然としていた紗季も、さすがに内心は動揺しているのが伝わってきた。奏音ちゃんも一緒に驚愕。私はといえば……もう動揺どころか目が離せない。
そして舞先輩――相変わらず無言だけど、その真剣な眼差しは、桃ちゃんのストリップがただ事ではないことを物語っている。あの先輩がここまで注目するのは相当すごいダンスだからだ。もちろん、プロポーションがすごい、ってのは否めない。だけど――その胸に甘んじることなく、余すこなくその魅力を活かし尽くして――まさに、桃ちゃんにしかできないパフォーマンスだ。
会場は最高潮の盛り上がりを見せ、曲がアウトロに入った。桃ちゃんは胸を左右に揺らしながら、リズムに合わせて「ぽいんぽいん」とコールを煽る。それに応えるように観客たちも「ぽいんぽいん!」と大合唱。
そしてついに――
「ぽいーん!!」
桃ちゃんが叫ぶと――観客に向けてまさかのダイブ!? わっ、わっ、男の人に胸触られまくってますよ!? だ、大学生ともなると、多少のパイタッチじゃ動揺しないのかも……? 大学生……しゅごい……
そして、裸の桃ちゃんが、人の波に流されてどんどん近づいてくる。そして――会長さんに向けて――
ぽいん!
桃ちゃんが会長さんの頭に飛び込むように抱きつくと、会長さんの頭は桃ちゃんの大きな胸にすっぽりと埋まった。……いいなぁ、なんて、ちょっと羨ましく思ってしまったり。
「“みゆみゆ”、久しぶりー」
「せ……先輩……!」
桃ちゃんの柔らかそうな胸に埋もれたまま、会長さんは感極まった声を絞り出す。その響きは微かに震えていて、胸の奥から押し寄せる感情を抑えきれない様子だった。少し、嗚咽も混ざっているようで――その顔は、普段の会長さんからは想像できない。というか、小柄な桃ちゃんの前で跪いて抱きついているところからして、いつもの会長さんとは別人みたい。
けど、桃ちゃんからすると、昔から馴染んだ姿なのかも。
「まーだ生徒会やってるんだって? 好きだねー」
優しく会長さんの頭を撫でながら労る桃ちゃん。ちっちゃいけど……本当に年上なんだなぁ……
「はい! 私……先輩に言われた通り、笑顔を身につけて……おかげで、私……!」
会長さんの頭は桃ちゃんの胸に埋もれているので、私たちには見えない。だけど、そこにはきっと、桃ちゃんにしか見せない素直な表情があるんだろうな――と思う。
舞台下での再会が、ただのステージを特別な瞬間に変えてくれた。その光景を見つめながら、私はそっと胸をなで下ろす。桃ちゃんと会長さんの絆が、きっとこれからの状況をいい方向へ導いてくれるに違いない。そんな期待を胸の中で静かに感じていた。
***
さて――顔写真を見て、実物も見て、話題にも挙げておきながら桃さんが尋ね人本人だと気づかなかった私と千夏が最大の戦犯として……正門前に立っていたのに、出入りする生徒ばかりに気を取られて、その正面にあった喫茶店のテラス席に注意がいかなかったことに、由香とかがりちゃんも結構ダメージ受けてた。これに、千夏が「ドンマイ!」なんて言うもんだから……「あなたたちが持ち場を離れてフラフラどっかに行っちゃったからでしょ!」と怒られてた。これに関して紗季が追い打ちをかけなかったので……やっぱり、千夏と舞先輩にキャンバスの中まで探してもらおう、という期待は想定の範囲内だったんだろうな。
そして、ここは桃さんを発見した朝廷大学正門前のカフェ。ちょうど帰るところだったらしいので、一緒にいたお連れのふたりには先に行っててもらうことにした。その結果、テラス席は私たち蒼暁院女子高の関係者でほぼ占拠状態となる。
桃さんもOGだからか、何の違和感もなく私たちに溶け込んでしまった。柔らかい微笑みを浮かべながら、私たち後輩を見渡すその姿はどこか穏やかで、まるでこの場所が自分の庭であるかのような雰囲気。時折、髪をかき上げる仕草が自然体で目を引く。桃さんが視線を向けるだけで、テラス席全体が少し柔らかい空気に包まれたような気がした。
紗季が代表して、私たちの状況を簡潔に説明する。桃さんは黙って聞いていたけど……しばらく考えた後、ふわりと優しく微笑んだ。
「“みゆみゆ”には帰らないように待っててもらえる?」
さらりとそんなことを言う桃さん。
「みゆみゆ……?」
誰? と私は思ったんだけど……隣で紗季はスーッと青ざめて……すぐさまスマホを取り出し深刻な顔で奏音ちゃんへ連絡を取る。それを横目でちらりと覗くと――『会長には学校に残ってもらって』――もしかして、みゆみゆって……会長さんのこと……? って! ちょっ!? 会長さんを『みゆみゆ』呼び!? 桃さんってもしかして……ものすごい権力者なんじゃ……!?
「やれやれ、あたしの世代でもストリップ部とかあれば、もうちょい動きやすかったかもしんないけどねー」
茶化すような口調で言う桃さんに、私は思わず首を傾げる。
「え? それってどういう……?」
「高校卒業で、ストリップ・アイドルは辞めたつもりだったんだけど」
「えっ!?」
あまりにさらっとしたカミングアウトに場は騒然。みんな慌てて舞先輩を見る。桃さんがストリッパーだったのなら、舞先輩が知らないはずないでしょ!
しかし、舞先輩はいつも通りの無表情で首を軽く傾げるだけ。
「……過去の人?」
「先輩!」
私は思わず叱るような口調になっちゃったよ。まーた息を吐くように失礼なことを言うんだから……!
舞先輩の無表情と対照的に、桃さんは昔の自分を懐かしむような優しい表情を浮かべている。
「しょうがないじゃん。体型がこれだと、ダンスも大変なんだよー」
そう言って、桃さんは自分の胸を両手で持ち上げて見せる。確かに……これは苦労しそうだ。何というか……動くたびに遠心力の影響を受けまくりそう。
「けどまあ、後輩の危機とあれば……一肌脱ぐしかないよねぇ」
と軽やかに笑いながら、どこか頼りがいのある視線を向ける桃さん。そして、机に両手を突き、ズイっと前のめりになる。
「昔取った杵柄ってやつでね。あたし、新歌舞伎町のバンドには顔が利くんだよ。だから――」
その笑顔には、確かな自信があった。桃さんが動けば、状況は大きく変わる――そのときの私たちは、そう確信していた。