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合宿第二弾と作戦会議

 夜十一時――そんな時間ともなると、さすがに放課後の部室から直行! ……ってわけにもいかなくて、一度解散してから改めて駅前に集合した私たち。一応、学校の部活として、だから、みんなちゃんと制服を着て来てる。

 目的地は、品川駅から一駅分くらい歩いたところ。けど、ただの一駅分じゃない。輪になった山手の線路沿いではなく、その中心に向かう方向だから、地味に登り坂。これはなかなかのプレッシャーだねぇ。夜更けの住宅地ってことで、私たちは騒がず黙々とハイキング状態。街灯は等間隔に並び、オレンジ色の光がアスファルトをぼんやり照らしているけど、周囲の背の高い建物たちがその光を遮って、暗がりが深い影を伸ばしている。遠くからは車の走る音や人々のざわめきが微かに聞こえる。でも、ここまで来るとそんな喧騒も薄れ、私たちの足音だけが静かに響く。窓の明かりがぽつぽつと灯るマンションが建ち並び、時折コンビニの明るい看板がひとときの安心感を見せてくれるものの、全体的に静まり返った都会の夜の空気が、じわじわと緊張感を高めていく。

 そんな暗がりの中、丘の上にぼんやりと浮かび上がる建物のシルエットが、私たちの視界に入ってきた。

「うわ、ガチモンじゃん……」

 千夏の驚きの声が静かな夜に染み渡る。目の前にそびえ立つのは――背は高くないけど、ずっしりと存在感のある四角い建物。外壁はコンクリート打ちっぱなしで、夜の街灯に照らされて冷たい光を放っている。ネオンで彩られた『そのうちスポーツ』の文字が無機質な外観に奇妙な明るさを添えていた。

 建物の周囲には自転車置き場と小さな花壇があるけど、都会の片隅に無理やり押し込められたような圧迫感がある。ガラス越しに覗けるのは、広々としたロビーと、奥に続く大きなアリーナのような空間。体育館を思わせる天井の高さと無骨な鉄骨の梁が、ここが本気のスポーツジムであることを物語っている。

「……営業時間、二十二時までって書いてあるんですけど……」

 由香が看板を見て心配そうに指摘するが、先頭を歩いていた舞先輩は無表情のまま振り向いて、グッとサムズアップ。私たちがエントランスの前に到着すると――案の定、営業時間は過ぎているのに、入口の自動ドアは『いらっしゃいませ』とばかりに開いてくれた。こんな時間にお邪魔しますー……と遠慮がちに入ってみると――

「皆さんが舞さんの後輩さんですねっ! 遠路はるばるお疲れ様ですっ!」

 出迎えてくれたのは、なぜか覆面を被った女の人!? え、プロレスラー? けど、怖い感じはなくて、元気いっぱいの高めな声。語尾も跳ね上げるような調子で、まるでアニメキャラみたいな明るさを爆発させている。マスクといっても目の周りと鼻より下は抜かれているので……何というか、隠れてるのに満面の笑みが全力で伝わってくる感じだ。両手を腰に仁王立ちしてるのに全然威圧的なところがなくて……プロレスラーってより、むしろ子供番組かも。

 あまりの濃さに私たちが面食らっていると、舞先輩が無表情でシレっと言う。

「怪しくないから安心して」

 いやいやいや、めっちゃ怪しいですから!! って、心の中で全員が叫んでるのがビシビシ伝わってくる。けど、プロレスのマスクなら、もっとゴツくて強そうなデザインにするものだよなぁ。この人のは……白地のほっぺたのところには左右に伸びた三本ずつの可愛いおヒゲ、鼻の下にはYの字を上下逆さにしたみたいなうさぎの口……さらに顔の横からアンテナ? 風車の羽根? いや、たぶんあれは……うさぎの耳だ!!

「私のことは『うさぎマスク』とお呼びください!」

 やっぱりうさぎだった! ていうか、自己紹介のテンション高すぎじゃない!? なんでこんな夜遅くまで元気いっぱいなの!? 私たちの動揺をまったく気にしてない感じが逆に怖いよ! もしかして、こういう反応、慣れてるのかな?

「今夜は朝までストリップの特訓とのことで! 素晴らしいですね! 人生、日々特訓、です!」

 ひ、ひぇ~!? 特訓って……そんなガチのやつなの!? 前の合宿のときは楽しすぎて知らず知らずのうちに朝まで踊っちゃったけど、まさか今回は地獄のようなスペシャルメニューを用意してたり……? というか、まさかサプライズでまた別のスペシャルゲストが……?

 私たちの戸惑いの空気をものともしないうさぎマスクさん。その異様な心の強さで、断固として施設の説明を続けている。

「今回利用されるのは施設のごく一部、ということですので……基本的には電源を落としておりますが、そちらはご了承ください!」

 どうでもいいけど、うさぎマスクさん、ひと言ひと言が無駄に力強い。何かもう、マスク自体がドヤ顔に見えてきた。さっきから胸を張ってすごく堂々とした佇まいなんだけど……実のところ、プロレスラーっぽいマスクのわりには、身体つき、意外と細いんだよね。いや、細マッチョっていえばそうなんだけど、格闘家ってもっとガッチリしてるイメージじゃない? なんだかどっしり感が足りないというか……。あ、でも胸とかそういうのじゃないから! 単純に全体の話! 『そのうちスポーツ』のロゴTシャツの下に見えるのも、よく見たらプロレス用のレオタードじゃなくて、普通の競泳水着かもしれない……。なんだこの謎のミスマッチ感。もうツッコミが追いつかないよ……!

「今回使用できるのは、スタジオとシャワー、それと“プール”のみとなります!」

 その説明を補足するように、舞先輩が無表情のサムズアップを奏音ちゃんに向けてキメた。……無表情なんだけど、なんかドヤ顔に見えるのは私だけ? これに、奏音ちゃんは普段通りの落ち着いた表情だけど、どこかソワソワした雰囲気が漂ってる気がする。話題に挙がったの、今日のお昼休みのことなんだけど……展開早すぎない!?

「皆さんストリッパーということですし、一般のお客様もおりませんので、“自由な格好”で特訓に励んでいただければと! では皆さん、良き特訓を!」

 そんなこと言い残して、うさぎマスクさんは颯爽とプールの方へ行っちゃった……

 となると、やっぱり私たちが気になってしまうのは、やっぱり――

「ぷ……プール……」

 未練がましい千夏の声。視線の先には『プール』という矢印が壁にかかった階段。そっちをチラチラ見ながら、併せて奏音ちゃんの様子も窺っている。明らかに期待の眼差しで。うん、わかるよ、その気持ち。だって今回の企画、どう見ても奏音ちゃんのためって感じだし。

 でも、そんな誘惑にも動じないのが奏音ちゃんだ。

「先ずは、ストリップの練習からでしょう? 本来の目的を忘れないで」

 さすが生徒会副会長、きっちりとした態度でピシャリ。でも、その厳しい言葉の裏には、みんなが本気で取り組めるよう無駄な寄り道をさせたくないっていう真面目さが見える。うん、やっぱりこういうところは生徒会副会長だなぁ。

 なんて感心してたのに、千夏はなおも食い下がる。

「で、でも、水泳もストリップの練習に……」

 ――と言いかけたところで、全体の空気が『それはまた後で』って感じになったもんだから、千夏も渋々主張を引っ込めた。

 でもね、正直言って、私もプールが気にならないわけじゃない。だって全裸で泳げるなんて、普通じゃできない体験だよ? 水の中で水着に縛られずに自由に動く感覚ってどんな感じなんだろう? そう考えるだけでワクワクするし、ちょっとドキドキもする。水が肌に直接触れる瞬間のひんやりした感触や、全身が水に包まれる不思議な浮遊感……そんなの、きっと忘れられない思い出になるに決まってる!

 けど、それ以上に、私が一番気になってたのは――


 さてさて、そんなわけで、先ずはスタジオのほうに移動。設備は前にお世話になったKIDSよりはこぢんまりしてるけど、その分広さはしっかりあって、踊るには十分。

 隅の方に荷物をおろしてジャージに着替えると、あのとき学んだアップとかをみんなでこなしたところで――なーんか、視線が私に集まってるよーな……? いや、気のせいじゃない。これってもしかして……部長の私が仕切れってこと!?

 う、うーん……そんな期待されても……普段の部活はもっとゆるーい感じで、それぞれが自分の課題に集中して個人練習してたんだよね。例えば、由香とかがりちゃんで足の使い方で相談してる横で、私は自分のポーズをチェックしたり。そうしてるうちに、頃合いを見てみんなで動きを合わせる、みたいな自然な流れで。けど、今日はなんだか雰囲気が違う……。急にプレッシャーがかかってきた!!

 確かに、今日はせっかくスタジオに来たわけだし、特別なことをやりたいって気持ちは分かる。でも……具体的なプランがないよ!!

 むむむ……前のKIDSのときは練習中の人たちがいたから、その流れに乗れたんだけど。他の人たちがやってたアイソレーション練習とか見よう見まねで取り入れてみたり。肩だけを滑らかに動かしたり、腰をピタッと止めたまま上半身だけ動かすの、すごく参考になったなぁ。

 けど、今回は完全に私たちだけ。どうする? どうする私!?

 ――でも、私に決定権を預けてくれたのなら……

「そ、それじゃー……静音ちゃんたちのストリップを見てみたいなー……とか」

 言っちゃった……! でもこれ、みんなも気になってるでしょ!? ね!? どう!?

 これって実は、プール以上に気になってたことだったりする。静音ちゃんと奏音ちゃん――ふたりのストリップ。どんなスタイルで踊るのか、どんな表情を見せてくれるのか、もう気になって気になって仕方なかったんだよね! でも、入部していきなりともなると、本人たちにとってもハードル高そうだし。けど、部長の裁量で進めていいのなら――

 うわっ、何故か舞先輩がドヤ顔で頷いてる……!? また例の『さすが、私の桜』って顔なんだけど……。ふぅ、紗季がこの場にいなくて、今度ばかりは良かったよー!

 そして、他の人たちが異論を挟むことはない。みんなからの視線を受けて――奏音ちゃんが静かに笑みを浮かべた。

「……つまり、私の本気度を見たいわけね」

 え、いや、そういうわけじゃ――って言いかけたけど、舞先輩が無言でまた頷く。プロとして中途半端な態度を許さないってことは分かるけど、奏音ちゃんはそんなに気負わなくていいのに……

 一方、静音ちゃんのほうは照れ笑いを浮かべてるけど、全然嫌そうじゃない。むしろちょっと楽しみにしてるみたいで、こっちはこっちで安心した。でも、やっぱり奏音ちゃんのほうはあからさまにお堅いし、こういうのが似合わないってイメージはどうしても拭えない。いや、実際に真面目だから仕方ないけどさ。

 そんなことを考えてたら――

「かのちゃんと一緒に踊っても、いいかな?」

 静音ちゃんがふわっと声を上げる。ああ、そっか。静音ちゃんはひとりで踊るのが不安なんだよね。でも、きっと奏音ちゃんも静音ちゃんのこういうところに助けられてる。別にこれ、審査とか試験じゃないし、私も迷わず頷いた。

 そして、スタジオの中央が開けられる。そっくりなふたりが並んで立つ姿は、もうそれだけで神秘的。そして、流れてきた音楽は――Nya-oX(にゃおっくす)の『コンコ☆ニャー』!?

 この曲は、Nya-oX――キツネのこんなぎさんとネコのあんにゃさんによるポップでコミカルなリズムに乗せた愉快なデュエットソング。可愛いフレーズも散りばめられていて、思わず笑顔になっちゃう。静音ちゃんにはピッタリだけど……奏音ちゃんがこの曲で踊るの!? いやいや、意外性の塊すぎて面白そう!!

 一体、どんなパフォーマンスが待っているのか、ドキドキしていると――

「キツネの尻尾が揺れるたび♪」

 わっ、静音ちゃんがこんなぎパートだ! かわいい!!

「ネコ耳ピコンと気にしてる♪」

 奏音ちゃんのあんにゃパート、想像以上にハマってる!! クールな奏音ちゃんがネコっぽく振る舞うのはビックリするほど可愛い。何より、このペアダンスっぷりは本家以上かも。同じ顔をしたふたりが、くっついたり離れたりしながら踊る姿は、見てるこっちがドキドキする。静音ちゃんが軽やかにステップを踏んで、奏音ちゃんがその動きにピタリと合わせる瞬間、まるで呼吸まで揃っているみたい。ふたりが背中合わせになって滑らかに腰をひねると、そのままくるりと向き合い、視線を絡める。その一瞬の緊張感に、見ている私まで息を呑んでしまう。

 そして、一番が終わり、間奏に入ると――奏音ちゃんが言っていたとおり、静音ちゃん、何気にすっごく『競技ストリップ』のこと気にしてたんだなぁ。“このパートですべきこと”をちゃんとわかってる。静音ちゃんは楽しそうに、奏音ちゃんは淡々と――だけど、そのギャップがまたいい感じに引き立て合ってる。ふたりは身体のラインまでそっくりで、ジャージのときは本当に見分けがつかないくらいだった。でも、下着になるとちょっと違いが出てくる。

 静音ちゃんは可愛らしい水玉模様の下着。

 奏音ちゃんは無駄のないシンプルな黒の無地。

 この違いがふたりの性格を表してるみたいで、なんかほっこり。

「あっちがいいって、こっちがいいって♪」

「言い合うけれど、それが楽しい♪」

 二番も終わると大サビに向けて、とうとう最後の一枚まで――! さっきまで見えてた小さな違いもなくなって、ふたりはまるで鏡に映った分身みたい。同じ姿をしたふたりが裸で踊る姿は、どこか現実味がなくて、まるでファンタジーの世界に迷い込んだ気分だ。

 最後に、ふたりが手をつないで、決めポーズ。静音ちゃんは軽く膝を曲げて片足を上げ、明るい笑顔を浮かべてウインク。一方の奏音ちゃんは背筋をピンと伸ばして、クールな表情のまま片手を腰に添えている。その対照的な表情とポーズが見事に調和して、まるで一つの芸術作品みたい。こんなのもう……完璧としか言いようがない……!

「すごい、すごいっ!!」

 私は拍手しながら大喜び。このふたりのシンクロ率といい、個性の違いといい、もう見てて圧倒されちゃった。

 でも、そんな私の隣で、由香は腕を組んだまま少し考えて――

「確かにすごいけど……ペアでこそ真価が発揮されそうね」

「ペアダンスなんて大会の種目にありましたっけ?」

 由香のピリ辛コメントに、かがりちゃんも現実的な指摘。けど、千夏だけはわかってくれてる。

「そーいう細かいことはいーじゃん!」

 だよねっ! だって、ふたりのストリップ、すごかったもん!

 ……あ、舞先輩はこういうことにはマジだから、変なこと言わなければいいけど……って、満足そうに頷いてる!? ……あー……そっか、先輩は元々プロだし、大会の形式にはあんまりこだわりないんだよねー……。たぶん、ライブハウスのステージを想定して可能性を見てるんだろうなぁ。あのガンガンピカピカな舞台で、ふたりが踊る……おおお! 想像しただけで盛り上がってくる!

 みんな、言いたいことは色々あったものの、触発されたことには違いない。いいものを見せてもらったお礼と言わんばかりに、今度は私たちがひとりずつソロステージを披露。みんな、それぞれの個性が光ってて、見てるだけで心も踊っちゃう。全員が踊り終わったときには、息を切らしながらも笑顔を浮かべる仲間たちの姿があって、額から流れる汗がスポットライトにきらめいていた。スタジオ全体に満ちる熱気とともに、なんとも言えない達成感が静かに漂っている。

 そして――

「ねーねー、服着る前にひと泳ぎしてみな~い?」

 なんて、千夏が奏音ちゃんに絡みだす。ちょっとびっくりしちゃったけど……あ、そういえば、ふたりって同じクラスだったっけ。だからこんな感じで気軽に誘えるんだろうな。何より、この施設を借りた本当の目的を、奏音ちゃんも何となく察してるはず。でなきゃジム側だって、他の部屋は閉じてるのに、わざわざプールだけ開けてくれたりはしないし。

 とはいえ……まあ、奏音ちゃんは、奏音ちゃんだからね。なかなか言い出しづらいところもある様子。

 すると――舞先輩が無言で立ち上がり、スタジオを出ていこうとしてる!? 全裸のままで! 一瞬、ちょっとちょっとー! って焦ったけれど……まあ、今夜は貸し切りだからね。

 けれど――うわっぷ!?

「ヤヤッ!? 皆さんもこれからプールで特訓ですか!?」

 スタジオの前を通りがかったのはうさぎマスクさん。けど……さっきまで水着着てたじゃん! 何で全裸になってんの!? なのに、頑なにマスクだけはかぶってるし。肩からタオルを掛けて……見ようによっては、お風呂上がりです、って雰囲気だけど、マスク入浴はさすがにヤバイ。

「水着持ってきてないけど、いいかしら」

 なんか、舞先輩すごいこと平然と質問してるー!?

「はい! ……あ、でも、キャップはかぶってくださいね。規則ですので!」

 水着を着なきゃいけないって規則はないの!? ……あー……ジムの規則以前の規則だよなぁ、そんなの。けど、今夜はプライベートレッスンだから!

 ジムの人自身が全裸遊泳していたっぽい、ということで、奏音ちゃんの気持ちも固まったみたい。

「……まあ、ここまでお膳立てしてもらって断るのも、逆に悪いし」

「やったー♪」

 なんて、一番喜んでるのは千夏だったり。……ちなみに私、プールと聞いて念のため水着も用意してきてたんだけど……ま、せっかくだから……♪

 裸のまま廊下を歩くのもちょっとドキドキだったけど、更衣室をそのまま通り過ぎるのはなかなかに斬新な体験。冷たい床の感触が足の裏にじわりと伝わってきて、そのたびに心臓がバクバクする。照明は控えめで、換気扇の音さえはっきり聞こえるほど静かだった。壁に映る自分の影が妙に大きく見えて、なんだか自分じゃないようにさえ思えてくる。

 更衣室を抜けても、誰もいない静けさが逆に緊張感を煽るようだ。ここまでくると、恥ずかしいというより変な感覚。準備運動なんてとっくに済んでるし、むしろひと踊りした後だから身体はすっかり温まってる。冷たいシャワーをさっと浴びたとき、ひんやりした水滴が肌を滑る感覚に、思わず鳥肌が立った。でも、それさえも、ちょっと楽しくなってくる。

 プールに着くと、広々とした水面が静かに輝いていた。キラキラした反射がゆったりと揺れて、光る波紋が踊っている。深夜の静けさの中で、私たちの足音だけが静かに響いていた。

「一応、かぶっておいてね」

 先生が持っているのは全員分のキャップ。ジムのロゴが入っているので、どうやらうさぎマスクさんから借りていたらしい。

 それで各々髪をまとめて――全裸にキャップって……何このアンバランスさ。けど――そういえば、舞先輩のスク水ステージ、見逃してたんだよなぁ。最終的には、こんな感じになってたのかも。

 その舞先輩は、トントンと静かな歩調で、さも当然のように飛び込み台へ上がり――その立ち姿だけでも、すでに小さなステージみたい。けれど、スー……っと前屈みになると――タンッ――綺麗なフォームで宙を舞い、するんと大きな飛沫も上げずに――わおー……さすが、としか言いようがない。

 一方、千夏は――

「いえ~~~い♪」

 なんて、お気楽な雄叫びと共に――ドボンと。ま、私たちなんてそんなもんだよね。ということで、私もそれに続かせてもらった。水の冷たさが心地良くて、思わず子供の頃、海を裸で泳いだ記憶が蘇る。夏の海、太陽がギラギラと照りつけて、波打ち際の砂が熱くて飛び跳ねたあの日。水に入ると、冷たさと同時に潮の匂いが鼻をくすぐり、波に揺られながら大声で笑っていた。周りのみんなも一緒になって大騒ぎで、何もかもが楽しくて仕方なかった。あの頃みたいに無邪気に楽しめるなんて、ちょっと感動。奏音ちゃんも満足そうな笑みを浮かべて、プカっと水に浮いてる。たぶん、お風呂感覚でリラックスしてるんだろうな。

「先生も泳がないのー?」

 千夏がプールサイドに声をかけると、先生はちょっと困った顔で返してくる。

「先生は一応、監督役って立場だから……ね?」

 真面目だなぁ。でも、プールサイドで体育座りしてる先生の姿には、どこか哀愁が漂ってて……ちょっとだけ誘ってみたくなる気もする。

 それは、誰もが同じ気持ちだったようで――けれど、実際に声をかけたのは意外な人物だった。

「……顧問?」

 全裸でポタポタと雫を落としながら、座っている先生を見下ろしているのは――舞先輩! その短い問いかけの意味を、先生は理解していた。何より、ひとつだけ残ったキャップをしっかり握りしめているわけだし。うさぎマスクさん、先生の分も用意してくれてたんだなぁ。

「でも……ほら……」

 先生はいまももごもごしているけれど……

「水着持ってないから~、なんて言わないでよ~!」

 これには思わずみんなで笑ってしまう。いまはもう、お風呂みたいなもんだもんね!

 そして、舞先輩は首を傾げてもう一度。

「……顧問?」

 ストリップ部の顧問として、あるべき姿を見せろ、と言いたいのだろうな。先生も先生で、ずっと舞先輩のことを気にかけていたから、そのへんはちゃんと察している。

「も、もぉ……他の人には言わないでね……?」

 先生は立ち上がると――もそもそと服を脱ぎ始める。これにはみんなも大喜び! だけど――実は、私は以前見たことあるから知ってるけど――先生、ブラ取ると、すごいんだよね……。それまで賑やかだったプールが、その瞬間、シンと静まってしまって――

「えっ? えっ!? や、やっぱり……やめておいたほうが……?」

 みんなの視線を一身に浴びて、恥ずかしそうに頬を赤らめた先生は、視線を泳がせながらそわそわと腕を胸元に押し当てている。その仕草が余計に目を引いて、可愛いというより、なんというか……やっぱり、えっちだった……


 ダンスに続いての水泳は思った以上に体力を消耗したみたい。スタジオに戻ってきたときは、もうちょっと練習しようって思ってたけど――なんかもう、みんなまったりモード。

 全裸でいるのは恥ずかしくないわけじゃないんだけど、ここまでお互いに見慣れてしまうと、なんというか……感覚が麻痺してきたというか。最初は視線をどこに置いていいかすらわからなくて緊張してたのに、いまではそれが当たり前みたいになっちゃってる。でも、心のどこかでまだくすぐったいような違和感もあって、不意に誰かと目が合うとドキッとしたり。パジャマはちゃんと持ってきてるけど、結局着替えるのも面倒で、全裸にシャツだけっていう怠惰なスタイルに落ち着いてしまった。マットの上にごろんと横になって……あー……さすがにはしゃぎすぎたなぁ……なんてぼーっとしていると――

「部長、今後の方針について話し合いたいんだけど」

 ビクッ!? 『部長』って呼ばれた瞬間、身体がシャキッと引き締まる。奏音ちゃんの真剣な声に、眠気なんて吹き飛んじゃったよ。顔を上げると、奏音ちゃんは背筋をピンと伸ばし、鋭い視線で私を見下ろしていた。その表情は、まるで生徒会の会議中みたい。軽く結んだ唇が、これから話そうとしていることの重大さを物語っているようだ。隣には先生と由香も。舞先輩はというと、まだ黙々とダンスの練習中。キャップは脱いでいるけれど服は着ておらず、ストリップとしての魅せ方について研究しているみたい。

 千夏とかがりちゃん、静音ちゃんはすでに夢の中。かがりちゃんは一応シャツを着てるけど、千夏と静音ちゃんは全裸のまま熟睡してて、見てるこっちが心配になるレベル。お腹冷やさないでねー……。何かかけてあげたほうがいいかな?

 由香も奏音ちゃんも真面目だから、ちゃんとジャージを着直している。もちろん、先生の服も元通りに。うぅ……私だけだらけた感じだぁ……

 奏音ちゃんがふと、私の目をじっと見つめながら問いかける。

「あなたたちが、生徒会室にアリバイを持ってきたときのこと、覚えてる?」

 その言葉に、私たちの空気がピンと張り詰めた。奏音ちゃんの声は静かだけど、その眼差しの光は強い。まるで、あの瞬間に何か大切な手がかりがあったと訴えかけているようだ。

 けど。

「う、うーん……?」

 覚えてるといえば覚えてるけど……正直、うろ覚え。でもこの流れ、何か大事な話が始まる予感がして、私は必死に記憶を掘り起こす。

「会長、まるで“学校がなくなる”かのような、そんな言い方だったでしょう?」

「う、うーん……」

 やっぱりうろ覚え。こんなとき、紗季がいてくれたら、きっと細かいところまで覚えててくれたんだろうな……なんて思っていると――

「先生も、赴任する前年度に何かあった、くらいしか聞いてなかったけれど」

 そう前置きしたうえで、小此木先生が職員室での話を教えてくれる。

「理事会も新しくなったばかりなので、皆さん軽率な行動は避け、慎重にお願いします、って就任早々訓示があって」

「理事会が新しく……?」

 由香が眉をひそめながら言葉を返す。その目はどこか懐疑的な色を含んでいて、ただの質問というより、何か引っかかるものを感じ取っているようだ。

「生徒会の資料でも詳細はわからなかったけど……どうやら、理事会解散のゴタゴタがあったようで」

 奏音ちゃんの言葉に、私はますます頭の中がハテナマークでいっぱいだ。

「ところで、理事会って何する人なんです?」

 基本的なところからわかってなくてごめんなさーい! けど、先生は嫌な顔ひとつせず教えてくれた。

「校長先生が現場責任者だとしたら、理事長さんはそのさらに上。学校の運営方針そのものを決める人だけど……現実的なところでいえば、理事長さんの寄付で学校が賄われていた部分が大きくてね」

「金蔓?」

「そんな酷いこと言わないで!」

 由香の身も蓋もない表現に、私は思わずツッコミ! たしかに現実はそうかもしれないけど、そんな風に言っちゃうのは可哀相だよー!

「とにかく、先生の言う、その前年度に何かあって……」

 奏音ちゃんがキリッと話の襟を正す。

「三月までに新しい理事を探さなきゃいけなくなって。それまでの間は一先ず寄付金を募ろう、って」

 奏音ちゃんの言葉を聞きながら、私はふと考える。寄付金って……そんな簡単に集まるものなのかな? と思ってたら、やっぱり由香も同じ疑問に当たっていた。

「そんな理由で寄付してくれる人なんてOGくらいじゃない?」

 変な感じだなー、と私も思うんだけど、ひとつ言えることは。

「ともかく、まだ学校があるってことは、お金は集まったってことなんだよね」

「新しい理事会も発足されたみたいだし」

 小此木先生もそう言うけれど、正直どうやって集まったのかは気になるところ。

「で、戦々恐々の中、開催された去年の文化祭は……」

 それは、奏音ちゃんも体感したこと。けれど、その前の年の理事会騒ぎを経験している三年生にはそれ以上に思うところがあるらしい。

「それで、会長はとにかく揉め事に警戒しているみたいね」

 やっぱりかぁ……。ストリップ部なんて一歩間違えれば大問題だもんね。悩ましげな空気の中、小此木先生が真面目な顔で続ける。

「そんな生徒会にストリップ部を見直してもらうためには……」

 私の言葉に、由香がクスッと冗談めかして口にする。

「全国大会で優勝! ……って千夏なら言うでしょうね」

 私たちの視線がすやすやと寝ている千夏に向けられた。全裸のまま気持ちよさそうに寝てるその姿に、由香がヤレヤレと肩を竦める。

「そしたら、私はこう言ってやったわ。文化祭の方が先なのよ、ってね」

 ……なんだかそのやり取り、妙にアメリカ映画のワンシーンみたいだなぁ、なんて思いながら私は笑いを堪える。確かに全国大会での優勝と引き換えに『部を存続させてください!』なんて熱い展開だけど、それじゃ文化祭には間に合わない。

 私はふと、舞先輩の方に目をやる。舞先輩は、相変わらず黙々と練習を続けていた。先輩の目指しているのは文化祭だけじゃなくて、自分のライブの舞台。でも、私は……舞先輩と一緒に文化祭の舞台に立ちたい。学校のみんなに、舞先輩の凄さを見てもらいたいんだ。

「会長は、とにかく学校の存続を案じていたわ」

 奏音ちゃんの言葉に、私は再び現実に引き戻される。これに、小此木先生も付け加えた。

「文化祭自粛派も似たようなことを言っていたわ。あまり過激なことをして、理事会の心象を悪くすることは避けるべきだと」

 おそらく、この両者の方針は一致しているのだろう。

「けど、去年のあれじゃさすがに『管理社会』に逆戻りって感じだったわ」

 由香が皮肉っぽく言い放つ。確かに、過剰に抑え込むのも良くないけど、自由にやりすぎても問題になるし……バランスって難しいよね。

「それで今年は法律や校則に反しない範囲で、としたんだけど」

 先生の言葉に、奏音ちゃんがため息。

「その中間はなかったのかしらね」

 これに、由香が端的なひと言を投げる。

「まさに学校の授業で習ったとおりじゃない。『管理社会』による抑圧の反動が『自己責任社会』っていう」

 自己責任……その言葉がやけに重く感じる。もしその結果として廃校になったら……なんて考えると、さすがにシャレにならない。

「焦りもあったのよ。せっかく持ち直したのに、今年の入学者数、目に見えて減ってたから」

 小此木先生の言葉には迷いも感じさせる。学校の未来、部の存続、文化祭――先生にとってはどれもが欠かすことのできない問題だ。何しろ、一年生のクラス数は去年よりひとつ少ない。受験生が学校を選ぶとき、文化祭だけが決め手になるわけじゃないけど、迷ってるときの後押しにはなるかもしれない。やっぱり学校の雰囲気って大事だもんね。

「ともかく、文化祭を盛り上げたいのは生徒会としての意向でもあるわ」

 奏音ちゃんが真剣な表情で言う。それは、想像以上に険しい道のりらしい。

「とはいえ、無茶をしすぎるクラスもちらほらいて……たとえば中華料理に危険な火力を使おうとしたり、隣の部屋まで響くようなスピーカーを使おうとしたり……監視とか警告とかで忙しいのよ」

 うわぁお……なんだかストリップのが何倍も大人しく見える暴挙の数々だよ……。けれど、これにはみんな――先生や奏音ちゃんさえも、呆れつつも理解するように笑っている。他のクラスや部活のコたちもギリギリまで頑張ってるってことなんだよね。

「うん、それじゃあ……!」

 一同納得したように頷く。方向性は決まった。ストリップで文化祭を盛り上げることができるって証明すれば廃部も免れるかもしれないし、そしたらきっと全国大会への道も見えてくるはず。

 けど、今夜は時間も時間だから。

「話もまとまったことだし、そろそろ寝とく?」

 由香が腕を伸ばしてあくびをしながら言う。

「チェックアウト何時だっけ?」

「旅館じゃないっての」

 ついホテル気分で尋ねてしまった私に、由香から呆れ顔でツッコまれてしまった。

「深夜の空き時間を借りてるだけだから、七時には出ないと迷惑がかかるわ」

 そうか、あと三時間くらいは寝られるってわけね。

 でも……ふと目を向けると、舞先輩はまだレッスン中。静かなスタジオの隅で、鏡越しに自分をじっと見つめながら同じ動きを繰り返している。まるで写真家が至高のアングルを探すように、ひとつのポーズに対して若干角度を変えては確認し、ほんのわずかな違いにも目を光らせている。その真剣な眼差しと動きの一つひとつに、舞先輩のこだわりが見て取れた。一つひとつの所作が研ぎ澄まされていくのを見ていたら、私だってじっとしていられなくなってくる!

「よーし、私も!」

 私は思わず立ち上がった。

「それじゃ、新参者の私がサボるわけにはいかないわね」

 奏音ちゃんも、私に続いてくれる。

「私もウカウカしてたら追い抜かれちゃうわ」

 さらに、由香もニヤリと笑って腰を上げた。

「生徒が頑張ってるのに、先生が寝てる場合じゃないものね」

 最後には、小此木先生までも。

 みんなの気持ちがひとつになったその瞬間――舞先輩がこちらに歩いてくる。え、もしかして舞先輩も一緒に? ……と思ったら、舞先輩は無言のまま荷物をごそごそ。そして、ジャージのズボンを穿き、長袖に腕を通して、そのままマットスペースにゴロンと横になった。

「…………」

 これには、全員が沈黙。舞先輩のマイペースさに圧倒されつつも、何だか笑えてきて――結局、私たちもそのままマットに横になることにした。目覚ましは六時半にセットして。

 スタジオの空気はしんと静まり返り、わずかに聞こえるのはみんなの穏やかな寝息だけ。あと少しだけ、この静かな時間を楽しんだら、明日からまた全力で頑張ろう――そう思いながら、私はゆっくりと目を閉じた。


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