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高岸姉妹の秘密と決意

 あの大人しい静音ちゃんがキレた――涙声ではあったけど、あれは、確かな怒り――

 その迫力に、私も、奏音ちゃんも、紗季さえも何も言えず――黙って美術室を後にしていた。

 時刻はまだ四時半を回ったところ。学校はいまなお活気に満ちている。けれども、私たちは示し合わせたように――自然と下校のために正門までやって来ていた。何というか、完全敗北感がすごい。

 校門をくぐったところで、奏音ちゃんがピタリと足を止める。

「……あのコが誰かと付き合ってるとか、そういうことはないわよ。それは、私が保証する」

 静かにそう告げると、奏音ちゃんはそれ以上何を言うこともなく、足先を家路に向けた。その背中を見送りながら、私はぽつりと呟く。

「これは、紗季の想定通り?」

 紗季はこれに、ただぼんやりと返す。

「いいえ。あのコを怒らせるつもりはなかったわ」

「ふーん……」

 紗季なら、わざと静音ちゃんを追い詰めて、本音を引き出そうとしててもおかしくはないけど。

「……ただ、用心深い奏音さんなら、私が“計画的”に手伝いを欠席すれば、警戒して場を変えるだろう……とだけ」

 ああ、それで――

『椎名さんがそう言ったのは、“昨日”のことね?』

 私からのひと言で、そこまで深読みしてたんだなぁ……このふたり、なんか怖い。何より、揃っていまだに油断していない。紗季の視線は鋭いままだし、奏音ちゃんは――

「……ん?」

 私にもちょっとした違和感はあったけど、紗季には決定的だったらしい。慌てて駆け出そうとして――少し足を止め、短く告げる。

「桜、今日は先に帰ってて」

 そしてすぐに改めて早足で――奏音ちゃんが曲がった角の様子を慎重に窺い、その先へと入っていった。……うん、なんかおかしいと思ったけど、たぶん奏音ちゃん、普段の通学路と道順が違う。きっと、意図的に変えたんだ。どんな意図か私にはわからないけれど、紗季にはわかっているのかもしれない。

 先に帰ってて、と言われても……静音ちゃんに申し訳なさすぎて、このまま帰ることなんてできそうにない。今ごろ、ひとりで泣きながら作業してるのかもしれないし――かといって、何食わぬ顔で手伝いに戻ることも、怒られたばかりなので憚られる。

 ポツポツと他の生徒たちが下校していく中、私は何もできず、門の前で呆然と立ち尽くしていた。こんなところにいても邪魔になるので、私は端のほうに寄り――そのまま花壇の縁に腰を下ろす。そして、ため息。……あぁ、私は一体どうすればいいんだろう? 時間は、まだ大して経っていない。スマホに紗季からのメッセージもない。私にできるのは、ただ、ここでこうして待つことだけ。もしかしたら、作業を終えた静音ちゃんがやってくるかもしれないから。けど、私がいるのに遠目で気づいて、裏門のほうから出ていってしまうかもしれない。むしろ、そうしてとっくに帰っているかも。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか五時を過ぎていた。時間の無駄かもしれないけれど――せめて、下校時刻くらいまでは待ってみよう。

 こんな遅くまで学校中に活気が満ちているのを感じるのは、初めての体験かもしれない。普段なら、せいぜいいくつかの部活が残っているくらいだから。やることのない人はとっくに帰っていることもあり、この時間に校門を通る人は少ない。そんな夕方の景色を眺めながら――時々、紗季や誰かからメッセージが届いてないかなー……なんてスマホをチェックしながら――あぁ、完全下校時刻になっても、出てくる生徒はまだ少ない。きっと、これから帰り支度をして……って感じなんだろう。

 普段の静音ちゃんなら、とっくに出てきてもいい頃合いだ。けれど、いまのところその姿は見当たらない。やっぱり、裏門から帰ったのかな。せっかく仲良くなれたのに……明日から顔、合わせづらいな……

 さすがに六時を過ぎると……帰る生徒も集団が多くなってくる。作業を打ち切られて追い出されたー、って感じかな。

 それで私は、ふと静音ちゃんの言葉を思い出す。

『三〇分くらい過ぎれば、先生たちもいなくなるから――』

 いや、実際には職員室でお仕事とかしてるんだろうけど、少なくとも教室に生徒はいないと見なして、それ以上監視することはないのだろう。

 なら、そのくらいにもう一度様子を見に行って……誰もいなければ、そのときは諦めて帰ればいい。うん、そうしよう!

 本来帰るべき時間帯に校門の前でウロウロしてたら先生に何か言われるかもしれないから、私は少し離れて――それでも、静音ちゃんが出てきたらすぐにわかるくらいの道端で。

 私はスマホの時計と学校のほうを交互にチラチラと窺いながら、軽く立ち位置を変えたり、スカートの裾を無意識に指で摘んだり。やるべきことが近づいてきていると思うと、どうしてもソワソワと落ち着かない。

 ……ふぅむ、なるほどー、六時一五分くらいが下校のピークで――それを過ぎると、急速にひと気はなくなっていった。そして、時刻は六時四〇分――よし、そろそろ行こう!

 私は校門をくぐると昇降口から――って、うぐ、もう鍵がかかってる。ということは、先生の見回りも一通り済んで、生徒は残ってない……ってことなんだよね? 少なくとも、先生たちの認識としては。

 だからこそ、私は校舎内に忍び込む。職員が使う通用口のほうから。こっちはまだ開いていて――中は静かだ。うっかり先生に見つかったら怒られるんだろうなー……って思うとやっぱりビクビク。こんな環境で作業してたなんて、静音ちゃん、変なところで度胸あるんだなぁ。

 廊下や教室は基本消灯されてるんだけど、常夜灯みたいのはポツポツと道標みたいに続いている。夕陽もほぼほぼ落ちかけているけれど、地平の向こう側からかろうじて存在感をアピールしているみたいで、窓を通じてほんのりと暖かい。

 そんな中、脱いだ靴を片手に、先ずは二年B組――私たちの教室へ。中には当然誰もおらず、書き割りも戻ってきていない。ということは……もしかして、まだ作業中なのかも。今日は結果的にひとりになってしまったし、夜遅くまで残るつもりで。

 私は焦る気持ちを抑えながら、速足で美術室へと向かった。

 その途中――

 コロ――コロ――コロ――……控えめに、キャスターを転がす音が響いてくる。もしかして――!

 私は思わず駆け出して、渡り廊下へと躍り出る。

「しず――」

 名前を呼びかけようとしたその瞬間、びっくりして喉が詰まる。ローファーが指先から滑り落ち、コトリと柔らかく床を叩いた。私の目に飛び込んできたのは、よちよちと大きな書き割りを押している静音ちゃん。

 けれど――

「きゃ――っ!?」

 静音ちゃんは小さな悲鳴を上げると、とっさに書き割りの陰に隠れようとする。けれど、縦にして押してきたから――右へ、左へ――薄い板の側面に隠れられる場所なんてどこにもない。

 夕方の残滓が窓から差し込む薄暗い渡り廊下で、静音ちゃんは観念したように肩を落として――

「……B組の教室で、待っててもらっていい?」

「……うん」

 その言葉に、私は小さく頷くことしかできなかった。そして、私は靴を拾い直すと踵を返す。重い書き割りを運んでいる静音ちゃんに、私は『手伝うよ』と言えなかった。そして、静音ちゃんも『手伝って』なんて言えなかったのだろう。書き割りをその場に残して、私たちはその場で別れた。いま目撃したこと、されたこと――それをどう消化していいのか、お互いの胸の中でもやもやを残したまま。


 ひとりで戻ると、教室は静かだった。小道具担当のコたちも作業をそのままに帰ることはなく、机も元通りに片付いている。けれど――見慣れた大きな書き割りがないのはちょっと寂しい。そんな、ガランとした部屋の中で、私は自分の席に座っていた。

 しばらくして――

 制服姿の静音ちゃんが、重い書き割りを押しながら教室へ戻ってきた。私は、声をかけるべきか迷ってしまう。何を言えばいいのか、どうすればいいのか――

 だけど、静音ちゃんのほうから先に口を開く。

「……見た?」

 小さく、小さく、かすれた声。

「……ううん」

 私の言葉に、静音ちゃんはピクリともしない。ただ、短く。

「……嘘」

「……ごめん、見た」

 気休めさえ言えないほど、決定的な状況。

 だって――

 渡り廊下で見た静音ちゃんの姿は、上履きに靴下だけの姿で――

“それより上は何も身に着けていなかった”から。

「ごめんね、ごめんね……」

 静音ちゃんが震える声で繰り返す。

 何度も、何度も。

「だ、誰にも言わないから……ほら、私、ストリップ部だし!」

 そういうのは見慣れてるんだよ! 励ますように、どうにか言葉を紡ぐけど、静音ちゃんは首を振る。

「だからだよ……」

 静音ちゃんは唇を噛みしめながら、何かを振り切るように肩を震わせていた。そして、小さく息を吸い込んでから、嗚咽混じりに絞り出すように私に告げる。

「ごめんね、私の所為で、部活をめちゃくちゃにしちゃって……」

「え?」

 私は、思わず聞き返してしまう。

「あのね……公園に出た変質者って……私、なの」

「……え?」

 ええええええええええ!?

 いきなりの告白に、私の頭は一気に大混乱!! あまりの動揺に目眩がして、心臓がバクバクと音を立てている。ずっと、静音ちゃんを信じてきたのに……けど、さっきの件もあるから――

「……………………」

 うん、よくわからなくなってきたから、とりあえず黙って話を聞こう。私は口を堅く結んで静音ちゃんと向き合う。

「私、実は……不安だったり、怒ったりすると……そのー……服を脱ぎたくなる癖がある、というか……」

 えっ……?

「ええ――」

 と叫びそうになったけれど、静音ちゃんの泣きそうな表情を見て……そういえば、下校時間後の校舎に忍び込んでいたことを思い出した。こんなところで大声上げたら、先生が飛んできて大目玉だよ! 静音ちゃん、先生から怒られるの、すごく嫌がるから……

 私の動揺が落ち着いたところで、静音ちゃんは視線を落としたままぽつぽつと言葉をつなげる。

「今日もあの後、しばらくはひとりで落ち込んでたんだけど……」

 静音ちゃんは自分の指をぎゅっと握りしめる。その小さな手が震えているのが、私にもはっきりとわかった。呼吸は浅く早くなり、視線は床をさまように動いている。まるで、何かに耐えるようなその様子に、私の胸の奥も痛い。

「そのうち、部屋に誰もいないのをいいことに……制服どころか、下着まで脱いじゃって……」

「そ、そっかぁ……」

 って、そっかぁ、じゃないよ、私! けど、こんなとき、なんて相槌打ったらいいのかわかんないし!

「でも、校舎内に誰もいないって思ったら、つい……そのまま、書き割りを教室まで戻してみようかな、って思って……」

 待って待って待って! ちょっと、ストップ! 大変なことが多すぎて、どこからツッコめばいいの!? 予想外の連続に、手のひらが汗ばんでくる。どっちを見ればいいのかもわからないし、呼吸も浅くなってきた。まるで夢の中にいるみたいに現実味がない。あー……もー……紗季ーっ、助けてー!!

 ……ああ、紗季なら話が終わるまで黙って聞いてるだろうな、うん。脳内で紗季のシミュレーションをしている間も、静音ちゃんの独白は続いていく。

「金曜日のときも、同じだったの……」

 ひぇっ!? そ、そういえば、あれって、どんな事件だったっけ? なんか、途中から杉田先生と誰かがー……みたいな路線になっていたけれど――

「何で私ばっかり、こんな遅くまで残らなきゃいけないのか、って……帰りながらそんなことを考えていたら……」

「ご、ごめん……」

 てことは、私も事件の片棒を担いでたも同然じゃん……

 そんな私の謝罪に、静音ちゃん逆に暗い表情をさらに暗くする。

「公園を通りがかったとき、誰もいなかったから、つい……」

 やってしまわれましたか……。“さっきみたいなこと”を。

「そのまま広場を走って一周して、滑り台を駆け上がったり、ブランコを立ち漕ぎしたり……」

 私の脳裏にはさっきの光景がはっきりと残っているので、頭の中で簡単に合成できてしまった。静音ちゃんの姿と、問題の公園が。なので……そのヤバさが鮮明に伝わってくる……! だって、あの敷地、結構見晴らし良かったよ!? 外周には簡単な木が植えられてたけど、一歩中に入ったら……。実際、目撃されてたわけだし……!

 私の動転っぷりが顔に出ていたようで、静音ちゃんはしゅんと肩を落としてしまう。けど……やっぱり、私に非がないわけじゃない。

「そもそも私が静音ちゃんに全部押し付けてたのも悪かったんだし!」

 私が慌てて言うと、静音ちゃんは首を振る。

「それを言ったら、他のコもそうだったし……」

 由香も……他にも何人かいたはずだよね、大道具担当。けれど、みんながみんな、自分の部活のほうばっかりで……。むしろ、サボってたみんなで謝りたい気持ちだったのだけど。

「――結局、変なことしちゃったのは私自身だから……」

 そう言って、静音ちゃんはギュッと拳を握りしめる。教室内には重たい空気が流れ、窓の外から聞こえるわずかな風の音さえ大きく感じた。時計の秒針が刻む静かな音が、やけに耳に残る。こんなとき、私には何を言えばいいのか分からない。

 少し沈黙が流れた後――静音ちゃんは視線を床に落としたままま一度大きく息を吐いた。そして、拳を強く握りしめると、震える肩を少し持ち上げ、決意を固めるように顔を上げる。その瞳には迷いが消え、強い意志が宿っていた。

「……私、やっぱり正直に話すね」

「え?」

「生徒会室に行って、私の口からちゃんと謝りたい」

 え……それって……

 私は静音ちゃんの表情を見つめる。その顔は、いままでに見たことがないくらい真剣な面持ちだった。

 だから。

「……私も、一緒に行っていい?」

 私の申し出に静音ちゃんは一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑みで返す。

「……そうだね、今回一番の被害者だもの」

 そういうわけではないのだけれど――ただ、静音ちゃんをひとりで行かせてはいけない――そう直感させるほど、思い詰めた顔をしていたから。


 次の日の朝、いつもより早く登校した廊下は静かで、空気は澄み切っている。けれど、それを痛く感じてしまうのは、これから話すことがどれだけ大事件か、肌で感じているからだろう。

 念のため、私は約束の二〇分前から生徒会室前で待機していた。廊下の静けさがやけに耳に響き、足元から冷たい空気が這い上がってくるようだ。早すぎる気もするのだけれど……心臓がドクドクと波打ち、息も苦しくなってくる。それだけ、本当に嫌な予感がしているってことか。

 生徒会役員たちはもっと早くから登校しているみたいで、いまのところ部屋の出入りはなし。シンと静まり返った校舎に、私の心臓のドキドキ音がやけに響いている気がする。うぅ……緊張するなぁ……

 落ち着かない私の前に、静音ちゃんがそっと現れる。

「……おはよう」

 小さな声で挨拶する静音ちゃん。生徒会室の中には奏音ちゃんがいるから、気を遣っているのだろう。

「おはよう……奏音ちゃんには?」

 私は気になって聞いてみる。すると、静音ちゃんは少し目を伏せながら首を横に振った。

「話してない。これは、私が自分で決めたことだから」

 それを聞いて、私は何故か少しだけホッとしていることに気づく。私も、紗季には話していない。あのふたりはすごいけれど……いまだけは、静音ちゃんが思うように進めてほしいから。

 静音ちゃんが深呼吸をひとつ。私もそれにならって、背筋を伸ばす。

 そして――

 コンコン――静音ちゃんが生徒会室の扉をノックした。扉を開けると、生徒会役員たちが黙々と作業を進めている。みんなそれぞれタブレットを操作していて、何かのデータを整理しているようだ。生徒会の仕事って、やっぱり大変なんだなぁ……

 みんなの視線が集まる中、私たちは入室する。会長はいつもの笑顔。だけど、奏音ちゃんだけは明らかに動揺している。

 少しの沈黙の後、会長は静かに息をついた。

「どうぞ」

 そう言って、応接席に私たちを促す。会長の態度はいつも通り穏やかだけど、その眼差しはどこか鋭い。生徒会として、しっかり対応しようとしているのが伝わってくる。そして奏音ちゃんも、いまは静音ちゃんの妹ではなく、副会長として。同席するために立った書記のコに一瞥だけすると、再び自分のタブレットに目を落とした。けれど、しっかりと聞き耳を立てているはず。いや、奏音ちゃんに限らず、他のみんなも気になっていることだろう。

 これまで紗季が座っていた場所に、今日は静音ちゃんがいる。頼りない……ということではないのだけれど、ふたり揃って叱られているというか、まるで裁判を受けているような気持ちだ。

 そんな中、静音ちゃんが深く息を吸い込む。そして――

「今日は、私から皆さんに謝りたいことがあってきました」

 そのひと言で、奏音ちゃんの表情がさらに険しくなる。なんだか、すべてを察しているような顔に見えた。

 静音ちゃんは少しだけ視線をさまよわせ、唇を噛みしめると深く息を吸い込む。そして、肩を小さく震わせながらも、まっすぐに会長と向き合った。ふたりの視線が交錯したとき、静音ちゃんはすべての想いを言葉に込める。

「ごめんなさい! クレームのあった公園の変質者は……私なんです!」

 静音ちゃんは膝に手をつき、深々と頭を下げる。渾身の自白を受けて、生徒会室の空気が変わった。会長が静かに目を細め、奏音ちゃんは険しかった表情をさらに暗くする。

「けれど、クレームには『公園に全裸の人がうろついていた』とあったのですが?」

 会長の淡々とした声に、静音ちゃんは再び顔を上げ、力強く頷いた。

「はい……全裸になって、公園を走り回ったり、遊具によじ登ったり……間違いありません」

 生徒会の人たちも、これにはさすがに手が止まる。嘘にしてもあまりにも突拍子がなさすぎて――情報の波……というか、濁流に飲み込まれているようだ。

 案の定、隣で聞いていた書記のコも理解できずに目を見開き、他の役員たちも『いまの聞き間違いかな?』って感じの怪訝な表情をしている。

 会長は少し考え込んだあと、静かに言った。

「それはよくありませんね」

 いや、もうちょっと驚いてもいいんじゃない!? 簡単に受け入れすぎでしょ! けど……まあ、一先ず信じないと話が進まないというか、話を進めて泳がせてみようとか、そういう魂胆なのかも。

「なぜそんなことを?」

 会長は表情を引き締め問い質す。静音ちゃんは少し震えながら、それでも真っ直ぐ前を見据えていた。

「私、ストレスが溜まると、よくないところで裸になりたくなる癖がありまして……」

 その言い訳は無理がある! ……って雰囲気が生徒会室に充満しているようだ。実際、私だって、渡り廊下の件がなかったらにわかに信じられなかったよ。書記のコは固まったままだし、奏音ちゃんは……一周回って再び作業に戻っている。現実逃避かな?

 そんな空気を無視してか、あえて立ち向かおうとしているのか、静音ちゃんは構わず謝罪を続ける。

「私の反道徳的な行動によって、学校の評判や品位を汚してしまいました……なので……」

 一度、言葉を詰まらせ、拳をギュッと握った。目を閉じて一度大きく深呼吸。目を開けたとき――小さな肩の震えは止まっていた。

 そして――

「私の退学処分と引き換えに、ストリップ部の廃部を撤回していただけないでしょうか!」

「いやいやいやいや!!」

 静音ちゃん、なに言ってるの!? そんなの、私が納得するわけないじゃん!

 だけど……そんな反応を想定していたのか、静音ちゃんは落ち着いた声で私を諭す。

「ずっとね、思ってたの。この学校に入ってから、かのちゃんは生徒会として頑張ってた。だけど、私は何もできなくて……」

 静音ちゃんの声が震える。

「それどころか、こんな変な癖のある私なんかが、かのちゃんの傍にいたら……迷惑になるだけなんじゃないかって……」

 そんなことない!! 奏音ちゃんだって、静音ちゃんのこと、大好きだもの。

「だから……私のことを誰も知らない場所に行って、私はひとりで――」

「そんなのダメだよ、静音ちゃん!!」

 私は叫んでいた。胸が締めつけられるような苦しさに襲われて、叫ばずにはいられなかった。そんな結末、絶対に受け入れられない。唇を噛み締めても、こみ上げる感情を抑えきれない。

「奏音ちゃんがどれだけ静音ちゃんのことを大事に思ってたか、私、ずっと見てたもん!! そんなの、勝手に自分だけ逃げるなんて――」

 私は奏音ちゃんの方を振り向く。そうでしょ!? 奏音ちゃん!!

 だけど――

 奏音ちゃんは震える声で言った。

「……ひどいよ、“かのちゃん”……!」

 ――え……なんか思ってたのと違う!?

「かのちゃん……?」

 一番驚いたのは静音ちゃんだった。でも、驚いてるのは私だって同じだよ! 目の前で同じ顔のふたりがにらみ合ってるんだけど!? 髪型も声も、ほんの少しの仕草さえも瓜ふたつで、どっちがどっちか全然わかんない! まるで鏡に映った姿を見ているようで、一周回って背中に冷たい汗が流れる。え、これって何が起きてるの!?

 そんな混乱もお構いなしに、副会長の席に座ってるほうの静音ちゃんが怒りの声を上げる。

「かのちゃんが私に任せておけ、って言うから任せたのに!」

「え……まさか……」

 私はゆっくりと、隣に座っている奏音ちゃんを見て……いや、ちょっと待って。ということは、あっちで立ってるのが――静音ちゃん!?

「ち、ちがっ、違うよ! 私が静音! かのちゃん、本当に何言ってるの!?」

 隣の静音ちゃんが必死に訴える。けど、あっちの静音ちゃんの瞳は揺るがない。

「私を学校から追い出したいなら、こんなことしなくても……」

 いやいや、そういう話じゃなくない!? 何この展開!?

 私が混乱している間に、会長が立ち上がる。

「時間の無駄だったようですね」

 ふわりと髪をなびかせながら、踵を返す会長。ああ、これはヤバイやつだ……会長、いまものすごく機嫌悪い……ッ!

「本気で学校を辞めたいのであれば受理しますが、それとストリップ部への処分は別問題です」

 冷たい声が響く。ああ、とんでもなく居心地が悪い……

「証拠がどうとか、犯人がどうとか……そういう次元の話はとっくに終わっているのだと、そこの“元”部長さんから説明を受けてください」

 ちょっ、“元”って、私のこと!? 私、ストリップ部諦めたわけじゃないんですけどーっ!

「それと――」

 会長がゆっくりと振り向いた。その表情は、にこやかな笑顔……だけど、目の奥は氷のように冷たく、じっとこちらを見据えている。口元は微笑んでいるのに、頬の筋肉はぴくりとも動かず、まるで仮面をかぶっているようだ。周囲の空気がピリッと張り詰め、生徒会室の誰もが息を呑んで硬直する。本当に、笑顔だからこそ余計に怖い!!

「高岸さん方約二名は一旦部屋の外で話し合ってきてください。そして、副会長だけ戻ってくること」

 まるで命令のような言葉に、ふたりの静音ちゃんは同時に息を飲む。うわ、本気で同一人物!

「……忙しいのですから、茶番はほどほどにお願いします」

 はい、終了。その場の空気が一瞬で凍りつき、ふたりとも何も言えなくなる。どっちの静音ちゃんも、いまにも泣きそうな顔をしているけど……激怒した会長の前じゃ何も言えない。

 こうして、私たちは追い出される形で生徒会室を後にした。

 そして。

 部屋を出た途端、片方の静音ちゃんが、もう一方の静音ちゃんの手をぐいっと掴む。

「行くわよ」

「え、ちょっ……」

 強引に引っ張られる静音ちゃん。引っ張ってるほうの目つきが鋭くなったので、これでふたりの見分けもつく。私もついていこうとしたけど、すぐにふたりは階段のほうへと消えてしまった。

 校舎の中では、早くも文化祭の準備をしている生徒たちの声が遠くから聞こえてくる。明るい話し声、作業の音――そんな日常の空気の中で、ふたりの間には違う空気が流れていた。階段の麓で、奏音ちゃんの肩はわなわなと震えている。その目には抑えきれない怒りが見え隠れしていて、深呼吸をするものの、感情の爆発は抑えきれないようだ。

「学校を辞めるとか、あなた、バカなの!?」

 静寂を切り裂くような、鋭く響く奏音ちゃんの怒声。

「だ、だって……もうそうするしか……」

「そうしたって無駄なのよ! そこの“のほほん部長”から聞かなかったの!?」

 いや、私“のほほん”としてる!? とはいえ、そんなことを抗議できる雰囲気じゃない。

「静音ちゃん……私に相談してくれれば、ちゃんと説明したのに」

 まさか、退学と引き換えに……なんて考えてるとは思わなかったからなぁ。

「ご、ごめんなさい……」

 静音ちゃんが俯く。奏音ちゃんの声は厳しいけど、その目はどこか悲しげだった。

「ちょっと早いけど、シズは教室に行ってて。私はそこの“のほほん部長”と話があるから」

 奏音ちゃんの声は冷静を装っているけれど、微かに震えている。目を伏せたままのその表情には、怒りと悲しみが入り混じっていて、静音ちゃんに対する強い思いと同時に、何かを隠そうとする葛藤が見え隠れしているようだ。

「で、でも、私も桜ちゃんに……」

「あなたたち同じクラスでしょ? 授業の合間にでも話しなさい。ほら、行って」

「う、うん……ごめんね、かのちゃん、桜ちゃん……」

 静音ちゃんはペコペコと頭を下げ、トボトボと階段を上がっていった。

 そして、その姿が見えなくなると――

「かっ、奏音ちゃん!?」

 奏音ちゃん膝が震え、まるで糸が切れたように床に崩れた。目は見開かれたまま、呼吸は弱く、顔から血の気が引いていくのがはっきりと分かる。あまりの突然の出来事に、私は慌てて駆け寄った。

「大丈夫!?」

「……少し、疲れたわ」

 奏音ちゃんは顔を上げることなく、か細い声で言う。

「行儀は悪いけど、このまま話させて。時間はかけないから」

「う、うん……」

 私は戸惑いながらも、階段の一段目に腰を下ろした。

 さっきまであんなに強気だった奏音ちゃんが、いまはただの女のコみたいに力を失っている。いつも冷静沈着で、まるでどこかの女王様のような態度を崩さない奏音ちゃんが、ここまで疲れ切った表情を見せるなんて……。こんな姿、初めて見たかもしれない。

「今回の件は……本当に悪かったわ。こっちが勝手に隠しごとをしていて、そのせいで事態を複雑にしちゃって」

 ぽつりと呟くその声は、珍しく力がなかった。普段なら凛とした鋭さを持つ奏音ちゃんの声が、まるで別人のように掠れている。視線は床に落ち、肩はわずかに震えていた。これまで堪えてきたものが一気に崩れてしまったのだと、言葉以上にその様子から伝わってきた。

「えーと……どこまで知ってたの?」

「何のこと?」

 私からの問いに、奏音ちゃんは一瞬とぼけるように微笑んだが、その笑顔がすぐに消え、深いため息をついた。

「シズのことなら何でも知ってる……つもりだったんだけどね。まさか、あそこまで思い詰めてたなんて、思いもよらなかったわ」

 そう言って、奏音ちゃんは軽く天井を仰いだ。大きなため息をつき、肩を落とす。

「勉強も、料理も、絵も裁縫も……学生らしいこと、女子らしいことも何でもできて、それで私の足を引っ張るとか、意味がわからないわ。私はあのコの妹として、少しでも恥ずかしくないようにって、せめてもの思いで生徒会を始めたのに」

「そうなの?」

 私は驚いた。奏音ちゃんたちが仲良かったのは知ってたけど、まさかここまでとは。

「シズのことなら何でもわかる、と言ったでしょう?」

 少し自嘲気味に微笑む奏音ちゃん。その視線は宙をさまよい、微かに唇が震えているのが分かる。指先は無意識に制服の裾をつまんでいて、まるで自分の感情を抑え込もうとしているようだ。

「私がこの学校を選んだのは、“シズが行きたそうだったから”よ」

 静音ちゃんは雑談の中で、『奏音ちゃんが受けるから』と言っていた。けど、本当は逆で……静音ちゃんが行きたそうなのを察して、奏音ちゃんも受けたってこと?

「シズが言ってたわよね。私はいつも勉強してるとか」

「うん」

 奏音ちゃんってエライなー、って思ったよ。

「そうしなければ入れない、ついていけない学校に、静音は“何となく”で通ってるのよ」

「……あー……」

 そういえば、『何となく気になっていた』とも言ってたっけ。確かにこの高校、少々偏差値は高めかもしれないけれど……私も“何となく組”だから、奏音ちゃんの前では何も言えない。

「それに、あのコ、アレで結構モテるしね」

「え、それって……」

 でも、静音ちゃんは『付き合ってる人はいない』と言っていた。

「中学時代は何度も告白されて……そういうのはまだ考えられない、と全部断ってたみたいだけど」

「まぁ……未成年だしね」

 それでも、双子なんだから、奏音ちゃんもモテたのでは……?

「大人しくて愛想のいいシズと違って、私は……ほら、結構キツイ性格してるから」

 ぅ、リアクションに困る……

「そんな私でも、一度だけ告られたことあるのよ」

 わっ、やっぱり?

「……シズと間違われて」

 そ、そうなんだ……。笑ってもいいのよ、と言いたげに、奏音ちゃんは寂しげに微笑む。

「高一の頃、憧れの朝廷大の人だったから……私、つい、悪いとは思ったのだけど……」

 朝廷大といえば、新MARCHとも称される超名門大学。その大学の先輩に憧れて、奏音ちゃんは――

「少しでもシズに似せようと、シズを観察して、研究して、それでも全然似せられなくて……一週間でバレちゃった」

 苦笑しながら、奏音ちゃんは遠くを見つめる。その瞳の深くには、他人には伝わることのない不安と想いが宿っていた。自分は、姉に遠く及ばない――悲痛な心の声が聞こえてくるみたい。

「そんな私に迷惑をかける、だなんて……足を引っ張ってるのは、むしろこっちよ」

 奏音ちゃんは顔を手で覆う。さすがに相当堪えてるみたい。でも、そんな奏音ちゃんがふいに顔を上げて、ふっと笑う。どうひっくり返っても“奏音ちゃんのほうが一方的に静音ちゃんから迷惑をかけられること”を思い出して。

「シズが深夜、時々家を抜け出して……“悪いこと”をしていたのには気づいてたわよ」

「えっ……!?」

 奏音ちゃんからの告白に、私は言葉を失った。

「実際に現場を見たことはないけど、深夜、自宅の玄関のあたりで鉢合わせたシズが、パジャマではなく普段見ないワンピースを着ていたのよ。しかも、ノーブラで。まさかな、とは思いながらも、漠然と察したわ」

「ノーブラ……」

「ボタンもずれていたから、何か“慌てて服を着なくてはいけないようなこと”があったんでしょうね」

 とってもチグハグで怪しいシチュエーションだけど……それを、最大限善意的に推測した結果が、“これ”だったんだろうなぁ。

「ま、見つかりさえしなければ、誰かに直接迷惑がかかることもないだろう……って何も言わなかったんだけど」

 奏音ちゃんなら、静音ちゃんを止めることもできたはず。けど、止めたとき、静音ちゃんがどんなに恥ずかしい思いをするか――それを考えたら、止められなかったのかもしれない。ただただ、無事に帰ってきてくれることを願って。もし誰かに目撃されたら――“同じ姿をした女のコ”だけに、自分にもあらぬ疑いがかけられたかもしれないのに――

「けど……ある事件を機に、そうも言ってられなくなったのよ」

「事件……?」

 奏音ちゃんは、きゅっと拳を握り、そして――えっ? 私のことを睨みつけて――?

「あなたたちが……ストリップ部なんて変なことを始めなければ……!」

 八つ当たりのような怒りを込める奏音ちゃん。けれど、その苛立ちは長くは続かなかった。ふぅ、とため息をつくと、呆れた調子で語り始める。

「まるで、恋する乙女みたいな顔してたわよ。学校ではキラキラしながらストリップ部に憧れの視線を送って、家でひとりのときはシュンと寂しそうに膝を抱えて」

 ……そんな静音ちゃん、見たことない。そもそも、ストリップ部に憧れの視線? そんなの、全然気づかなかったよ! だって、静音ちゃんっていつもおっとりしてて、ストリップに対してもどこか冷静というか、普通の反応というか……

「だったら、入部してくれれば良かったのに……」

 部活を作ろうと駆け回ってたとき、人員確保は本当に大変だったんだから! 静音ちゃんが入ってくれてたら、あんな苦労しなかったのに!

 でも、奏音ちゃんは悲しそうに首を振る。

「うっかりストリップに触れることで、もっとおかしくなっちゃうんじゃないか、って不安だったのよ。これ、私だけでなく、シズも同じ考えだったはずよ」

 ……そんなに悩んでたんだ、静音ちゃん。部活に入りたくても入れなかったって……。さすがに、それには気づきようもなかったけれど……

「でもね――」

 奏音ちゃんは短く目を閉じ、静かに深呼吸。さっきまでの疲れ切った表情が少しだけ薄れ、瞳に確かな光が戻ってきたみたい。立ち上がるその動作には迷いがなく、まるで何かを決意したかのように背筋をピンと伸ばす。

「それもバレて、あちこちに迷惑をかけたこともあって……多分、もうちゃんと向き合うと決めたんでしょうね。さっき、シズから鈴木さんに話がある、って言っていたでしょ」

「うん」

 あとにして、と奏音ちゃんに追い返されてたけど。

「それ、ストリップ部に入る、ってことだと思うわ」

「えっ……!」

 やった! 静音ちゃんならきっといいパフォーマンスしてくれそう!

「けど、部はもう……」

 廃部になっちゃってる。いまさら入部したいって言われても……

「部長のあなたがまだ諦めていないのなら、シズだって諦めないと思うわ。それに、私もね」

「奏音ちゃん……」

 いま、すごく大きな味方ができた気がした。生徒会副会長が、私たちの側に立ってくれるなんて。

「シズはきっと、入部のことは私に秘密にしておいてくれ、と言うと思うわ。だから、こう返してやって。『奏音ならとっくに入部してる』って」

「うん……って……ええええええええ!?」

 奏音ちゃんが……入部!?

「なに? 私も廃部撤回のために協力するって言ったじゃない」

「いやっ、それっ、生徒会としてって意味かと……」

 だって……ごめん! 奏音ちゃんとストリップって全然イメージ結びつかないから……!

「もちろん生徒会(そっち)側からも協力するけど、なによりシズのことが心配だし……というか、私は敵だから入部させないってこと?」

「ううんっ! いつかわかってくれるって信じてたもん!」

 またまた調子いいことを……って顔で奏音ちゃんが笑う。でも、ストリップのこと、好きでも嫌いでもないのなら、好きになってくれてもいいもんね!

「……ということで、今日からはあなたのことを部長と呼ばせてもらうわ。……で、部長、早速お願いがあるんだけど」

「部長かー……えへへー」

 奏音ちゃんからそう呼ばれると、ちょっと照れるなぁ。そういえば、誰からもそんなふうに呼ばれたことなかったし。

「聞いてる?」

「あ、うん」

 なんか、奏音ちゃんの方が部長っぽくない?

「シズの秘密については伏せておいておいてほしいの。生徒会のみんなにもそう言っておくし」

「そうだね……うん、そのほうがいいかも」

 ステージとか、認められた場所以外で脱いでしまう静音ちゃんの悪癖は、今度こそストリップ部の存続を危うくしてしまうかもしれない。これは、私も慎重にならなきゃ……!

「入部の動機は会計が疑ってたのと同じ。今回の会長の決断があまりに強引だったから」

 会計……というと……佳奈ちゃんのことね。

「けど、私は会計と違って、規則であっても柔軟に対応すべきだと思ってるから。シズはそんな私が心配だからついてきた、ということで」

 これは、静音ちゃんとも口裏を合わせておけってことなんだろうな。というか、佳奈ちゃんが私たちのために動いてたの、生徒会室でもバレバレだったんだなぁ。

「椎名紗季とは、自分の姉を露骨に疑ってたからイラっとした、ということにしておいて」

「うん、紗季ならわかってくれると思うよ」

 少なくとも、これからは奏音ちゃんも味方になってくれるのだし。

「というか、ずっと疑問だったのだけど……」

「うん?」

「椎名さんは部員じゃないのでしょう? 何で部員みたいな顔して混ざってるの?」

 ああ、やっぱり妙だと思う人は思うよねぇ。けど、私は答えを用意していた。

「それは……友だちだからだよ!」

 やっぱり、そういうことなのだと思う。私が答えると、奏音ちゃんは一瞬呆気にとられた顔になった。目を伏せて何かを考えるように小さく息を吐いたあと、ふと顔を上げる。その瞳には、これまでの争いや誤解が少しずつ溶けていくような柔らかさが宿っていた。

「……ふふっ、そういうところが、あなたの強みなのね」

 そう言って、いままで見たことのない、ちょっと柔らかい笑顔を浮かべた。

 ようやく私たちは――同じ目線で並び立てるのかもしれない。


 次の週明けには、私たちの大切な部室が閉鎖されてしまう――

 この部屋は片付けのために開けられている……という設定だ。けれど、私たちには片付ける気なんてさらさらない。だって、私たちはストリップ部を続けることを微塵も諦めてないから。

「閉鎖後も、できる限りこのまま保存しておくように動くけど……貴重品の類は念のために避難させておいて」

 奏音ちゃんがきっちりと指示を飛ばす。その視線の先には、部室の奥にあるあのミラー。板にミラーシートを貼っただけの簡単なものだけど、しっかり重いしデカい。あれをまた動かすなんて、考えただけでもゾッとする……!

 先のことは頭の外に追いやって……今日のお昼はいつもとちょっと違う。新たな部員――そう、高岸姉妹が加わって、みんなでご飯を囲んでるんだから!

 今日の静音ちゃんたちのお弁当はまさにお見事。ふっくらとした白ご飯の上には、梅干しがちょこんと乗せられていて、真っ赤な彩りが目を引く。隣にはふんわり焼き上げた卵焼き、照り焼き風の鶏肉が艶やかに並び、ほうれん草のおひたしがその緑で全体のバランスを整えている。小さなタッパーには色とりどりのピクルスが詰められ、最後にデザートとして入れられた梨の薄切りが、涼しげな秋の風を感じさせてくれる。遊び心こそ控えめだけれど、この完璧な彩りとバランスには、今朝の話し合いへの静音ちゃんの強い決意が感じ取れる。

「昨日みたいに、しょんぼりお弁当だったらどうしようかと思ったよー」

 私はなんだかホッとした。紗季との同席に、放課後の言い争いが頭をよぎって、少し不安だったけれど……静音ちゃんは少し頬を赤らめながら、小さな声で答える。

「昨日のは……あんまり早く起きられなくて……」

 どうやら理由は私が思っていたものとちょっと違っていたみたい。てっきり、その直近の作業でストレス溜めさせちゃったからだと思ってたけど。……ん? ストレスいっぱい? 静音ちゃんのストレスが溜まるとどうなるかを思い出した私は、ああ……と気づき、この話題にはこれ以上触れないほうが良いと静かに悟った。奏音ちゃんからも睨まれてるし。

 さてさて、今朝、教室に戻ってからの経緯なんだけど……奏音ちゃんの言ってた通り、私は静音ちゃんに「ちょっとだけ」と呼び出され、始業前のギリギリのタイミングで階段に引っ張り出された。でも、結局静音ちゃんはうまく言葉にできず……もう時間がないってことで、私から先に言っちゃったんだよね。「奏音ちゃんはもう入部してるよ」って。そしたら静音ちゃん、目を丸くして、口をパクパクさせてたなぁ。

 それに何より、脱ぎ癖……って呼ぶものなのかな? その件について、口裏を合わせておくことも大事だし。もちろん、静音ちゃんはみんなに正直に謝りたがっていたけれど――それも予想通り。けど私は「ここでは黙って隠し通すのが、みんなに対するお詫びだと思って」と言い聞かせた。それで、静音ちゃんも渋々納得してくれたみたい。

 そして紗季。私からの説明に、どこか腑に落ちない顔をしてたけど、一応、納得はしてくれたみたい。変質者関係の情報を静音ちゃんからどうにか引っ張り出して、そこから反撃の手口を考えようとしていたみたいだけれど……まあ、変質者の正体がわかったところで解決するわけじゃない、ってこともあるし、一先ず静音ちゃんとの関与は置いておく、とのこと。ただ、相変わらず何かを疑ってるところはあって、隙あらば『生徒会副会長の姉が良からぬことをしている』と攻め口にしようと狙ってるじゃ……と思えて、ちょっと怖い……。何しろ、静音ちゃんの入部動機は、奏音ちゃんの付き添いってことになってるから。そんなんで、みんな信じてくれるかなー、って心配はしていたのだけれど。

「そんじゃさ、またボディペやってよー! 今度は秋らしいやつー」

 千夏の元気な声が部室に響く。うん、相変わらずだなぁ。二本の三つ編みを輪っかにした凝ったヘアアレンジが、本人の無邪気な笑顔をさらに引き立てている。朝から時間をかけて作ったんだろうな……と思わず感心しちゃう。

「秋らしい……といえば、紅葉かな」

 静音ちゃんがぽつりと答えると、

「なら、平手打ちでもしてあげましょうか?」

 今日もブレない由香のツッコミ。

「由香、怖い……」

 これには苦笑しか出ないけれど、意外と馴染んでくれてる感じ。そういえば静音ちゃん、以前千夏の身体にひまわり描いてくれてたもんね。だから、『ストリップにはちょっと興味があって』って言葉も信じてもらえたみたい。本当はもっと危険な事情があるけど、それは秘密!

 おおむね善意で受け入れてもらえているけれど、舞先輩だけはやっぱり容赦がない。

「で、脱げるの?」

「そこは、踊れるの、って言い方で……」

 舞先輩は、紗季のほうに意味深な笑顔を向ける。まるで、脱げないメンバーはこれ以上いらない、って言いたげなその視線。それを紗季は華麗にスルー。これについて、争うつもりはないらしい。

 けれど、ここで

奏音ちゃんから予想外の発言が。

「脱ぐ気もなしにストリップ部に入ったりはしないわ。むしろ、生徒会をやってなければ、一学期の時点で入部していたくらいよ」

 そんな強気な発言に、私は思わずお箸が止まる。意味もなく虚勢を張るような人ではないだけに。

 けれど、これに静音ちゃんから驚くべき援護射撃が。

「奏音ちゃん、裸でプールを泳いでみたいって言ってたもんね」

「端折らないで」

 奏音ちゃんがピシャリと釘を刺すけど、その顔が若干赤いのは気のせいじゃないよね?

「かのちゃんの気分転換は、お風呂なの」

 うーん、前に『気分転換は必要ない』って言ってなかったっけ? けど、それで思い出されるのは、ストリップ部設立当時のこと。紗季にもどうにか入部してもらおうと頑張った結果、ものすごく怒られて、しばらく紗季の前で“裸”の話題が禁句になっちゃったんだよね。奏音ちゃんのあの即答は、それと似たようなものだったのかもしれない。ストリップ部に刺激されていた静音ちゃんにそれ以上葛藤させないための。

 けど、もうすべて受け入れているから。

「前に家族で温泉行ったとき、かのちゃん、もうプールみたいに」

「泳いでないわよ。でも、泳いでみたいとは思ったわね」

 静音ちゃんの無邪気さに、奏音ちゃんも呆れ顔。でも、これが高岸姉妹の良さなんだなぁ。

「普通に水着着てプール、じゃダメなの?」

 由香の疑問はもっともだけど。

「少なくとも、そっちには興味ないわね。まあ、広い温泉の延長線として泳いでみたい、ってぼんやりとした思いがあるだけ。実際に泳いでみたらプールと変わらなかった、と幻滅するかもしれないけど」

 やったことがないからやってみたい、ってことね。そういうの、あるあるー!

 なんて普通なら想像の話が膨らむところだけど。

「私の知り合いの知り合いに、プールもあるジムを運営している人がいて」

 舞先輩の一言に、全員の視線がピタリと止まる。賑やかだった空気が一瞬にして静まり返り――そんな中、舞先輩の口元に浮かぶ微笑みが何だか怪しげ。

「ま、マジでか……」

 千夏が驚きの声を漏らす。

「舞先輩、どこまで何でもありなんですか」

 由香が呆れ顔でツッコむけど、舞先輩は涼しい顔で一言。

「ストリップ・アイドルだから」

「いやいやいやいや!」

 思わず全力でツッコんじゃったよ! それ、万能言葉じゃないからね!? でも、舞先輩のドヤ顔があまりにも堂々としてて、何も言い返せない……

「けど、プロのダンサーがジムの経営者と知り合いでも不思議やないですね」

 かがりちゃんの言うことには一理ある。けど、ここで舞先輩から訂正が。

「ストリップ・アイドル」

 ただのダンサーではなく――どうやら、ここは譲れないポイントらしい。でも、ストリップ・アイドルだからこそ、ヌードに理解のある人脈が広がるってのも、妙に納得しちゃう自分がいる。なんだか不思議な説得力。

「だったら、そこは音楽の人脈であって欲しいところだけど」

 由香がぼそっとつぶやく。でも大丈夫、KIDSも舞先輩のコネなんだから! そっちの人脈もちゃんとあるから安心して!

 奏音ちゃんはというと、舞先輩のこの無敵感にちょっと圧倒されてるみたい。想定外だったんだろうなぁ、この展開は。

「かのちゃん……行ってみたい?」

 静音ちゃんがイタズラっぽく問いかける。おおお、これは姉にしかわからない、奏音ちゃんのちょっとした高揚感ってやつか!?

 でも奏音ちゃんは、平然とした顔で――

「まあ、機会があれば」

 あ、これは絶対行きたいやつだ。静音ちゃん、さすが見抜いてる……! これは、どうにかお膳立てしてあげなきゃねー♪


 しかし――舞先輩はやっぱり予想の斜め上を行く。

 午後一の授業が終わって、何気なくスマホをチェックしたら、舞先輩から――

『今夜11時、品川駅に集合』

 …………えっ?

 夜十一時!? え、待って、どういうこと!? これって部のグループチャットで送ってるから、個人的な話ってわけじゃないよね!?

 突然の提案――いや、これはもう提案じゃない。決定事項ってやつだ。慌てる私をヨソに、すでに議論はすでに進行中。

『オッケー!(スタンプ)』

 すかさず反応する千夏。てか、即答かよ!

『また合宿?』

 うん、由香の指摘もわかる。というか、こんな時間から合宿?

『部としての合宿であれば顧問の同伴が必要よ』

 さすが生徒会副会長、現実的な補足。

『部としての合宿でなければ?』

 と、静音ちゃんが尋ねると。

『部費からの精算不可。合宿補助もなし』

『Oh……(スタンプ)』

 奏音ちゃんからの回答に、千夏は残念な反応。

『一先ず、先生マターということで』

 なんて由香は言うけれど――そう、このグループはあくまで生徒だけの集まり。先生へのお願いは、部長である私から改めて、なんだよねー……。でもさ、先生だって社会人だし、こんな急に呼び出すのも気が引けるんだよね。こないだもKIDSの件でお願いしたばっかりだし……

 そこに舞先輩から追加提案。

『ジム10回分の利用券もつける』

『買収?』

 由香からすかさずツッコミ。

『日頃のお礼』

 舞先輩、その名目は無理がありますってー!


 ……なんてやりとりの末――ダメ元で部長である私から小此木先生にお願いのメッセージを送っておいたところ……放課後になってオッケーの返事が。忙しい中、なんかすいません……。申し訳なくなったので、回数券も差し上げますよ、なんて進言してみたけど、それは謹んで辞退してもらえた。先生が普通に良識的な社会人で助かる。こ、今度、誕生日にプレゼントをお送りするってことでー!


 そんなこんなで……まさかの合宿第二弾開催決定!! 今度もいっぱい練習するぞー!


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