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佐藤可奈の話

                ☆




「それで?何が原因で彼氏と喧嘩になったの?」

 わたしは車を走らせてしばらくしてから尋ねてみた。


 佐藤可奈はわたしの問に、ゆっくりと振り向いてわたしの顔を見た。それから、すぐに視線を前方に戻すと、

「べつにそんな大したことじゃないんです」

 と、彼女は短く答えた。でも、そう答えた彼女の表情はついさっきまでしていた喧嘩のことが心を過ぎったのか、強張った表情になっていた。


「アイツが・・・彼氏が、約束を破ったんです」

 と、佐藤可奈は続けた。


「約束?」

 と、わたしは彼女の方にちらりと視線を走らせた。

 わたしの言葉に、佐藤可奈は軽く頷いてみせた。


「来月、わたし、誕生日なんです。だから、その日は彼氏がわたしに会いに京都まで来てくれる約束になってたんです・・・でも、それなのに、彼氏が、突然その日は行けなくなりそうだって言い出して」


「どうして佐藤さんの彼氏はその日、駄目になっちゃたの?」

 わたしは気になったので尋ねてみた。


「・・・仕事だって、彼氏は言ってました」

 彼女は納得していないような表情で短く答えた。


「わたしの彼氏、わたしよりも三つ年上で、京都の大学を卒業したあと、東京の会社で働いてるんですけど」

 と、佐藤可奈は付け加えて言った。


「なるほどねぇ」

 と、わたしは相槌を打った。

「仕事なら仕方がないのかな」

 と、わたしが呟くように続けると、


「だけど」

 と、佐藤可奈は不満そうに声を大きくして言った。


「ずっと前から約束してたんですよ。その日はふたりで色んなところに行こうって計画してて。わたしすごく楽しみにしてたのに。・・・それなのに。仕事だから仕方がないのはわかるけど・・・でも」

 佐藤可奈はいくらか小さな声で早口に言った。


 わたしは彼女の科白に耳を傾けながら、でも、確かに心待ちしていた約束を一方的反故されてしまうのは、納得できないかもしれないな、と、思った。いや、納得できないというよりは、哀しいのかもしれない。わたしは幼い頃、休みの日に遊園地に連れていってもらえるはずだったのに、急遽父の仕事の関係で連れていってもらえなかった日のことを思い出した。


「それで喧嘩になったんだ?」

 と、わたしが先を促すと、佐藤可奈は気落ちしたような表情で弱く頷いた。


「最初はわたしもそこまで彼氏のことを責めつもりはなかったんです。仕事だから仕方がないのはわかってたし・・・」

 佐藤可奈は軽く眼差しを伏せながら言い訳するように言った。


「だけど、彼氏は、自分が約束を破ったことをあまり悪いと思ってるような感じじゃなくて、仕事だから仕方ないだろみたいな言い方なんです。ただ、ごめんって謝ってるだけみたいな感じがして・・・それでだんだん腹がたってきちゃって・・・気がついたら口論になってました。もう売り言葉に買い言葉みたいな感じになって。ほんとにムカツイてきちゃって」


「そして最終的にここで車から降ろしてって言っちゃったのね?」

 と、わたしが微笑んでからかうように尋ねると、彼女は黙って頷いた。


 しばらくの沈黙があった。沈黙のなかに車のタイヤが高速道路を走っていく単調な音が響いた。


「でも、これからどうするの?」

 わたしは尋ねてみた。


 佐藤可奈はわたしの問に意味がわからなかったのか、それまで伏せていた眼差しを上げると、振り向いてわたしの横顔に視線を向けた。


「佐藤さんはこれでもう彼氏とは別れるつもりなの?」

 彼女はそう問いかけたわたしの顔を少しのあいだじっと見つめていた。それから、顔を窓の方に向けると、

「・・・わからない」

と、少し小さな声で答えた。



                   ☆



 たぶん、疲れていたのだろう。それからしばらくすると、佐藤可奈は車の窓に頭をもたせかけるようにして眠ってしまった。瞳を閉じた彼女の顔は寂しそうに見えた。


 わたしはすっかり日が暮れて真っ暗になってしまった高速道路を黙って運転し続けた。


 道路は混雑することなく快適に運転することができた。このペースでいけば、思っていたよりもずっと早く関西方面に辿り着くことができそうだった。


 佐藤可奈を拾ったドライブインを出てから、わたしはそのまま二時間程車を走らせ続けた。


 そのうちにだんだん瞼が重くなってきたので、わたしは適当なドライブインに入って仮眠を取ることにした。


 ドライブインに入り、車のエンジンを止めたところで、佐藤可奈が微かにうめくような声を出して目を覚ました。


「ごめん起しちゃった?」

 わたしは佐藤可奈の方を振り向くと、眠たそうに目を擦っている彼女に声をかけた。


 佐藤可奈は一瞬今の自分のおかれている状況が理解できなかったらしく、戸惑ったような表情を浮かべていたけれど、

「ごめんなさい」

 と、すぐに申し訳なそうに謝った。


「わたし、いつの間にか眠っちゃって。ヒッチハイクなんてしておきながら、すみません」


「気になくしていいよ」

 と、わたしは微笑んで言った。


「いまどこらへんですか?」

 と、佐藤可奈はあたりをきょろきょろと見回すと、不思議そうに言った。


「名古屋を通り過ぎて少し行ったくらいかな」

「だいぶ関西に近づいたんですね」

 と、佐藤可奈は感心したように頷いた。


「道路が空いてたからね。だいぶ距離を稼げたよ。このぶんだと早く着きそう」

「そっか」


「わたしはちょっと疲れちゃったから、仮眠を取るよ」

 わたしは車の座席を倒しながら言った。


「ごめんなさい」

 と、佐藤可奈は気を使ったように言った。

「わたしが運転代わってあげられたら良かったんだけど、わたし、運転免許持ってなくて」


「だから、気にしなくていいって」

 わたしは微笑みかけて言った。


「佐藤さんも眠ったら?」

 と、わたしは促してみた。すると、彼女はそうですねと頷いて、わたしと同じように車の座席を倒した。


 沈黙があって、沈黙のなかに近くで鳴いているらしい澄んだ虫の鳴き声が聞こえた。


「・・・もうすぐ夏も終わりですね」

 と、虫の鳴き声を耳にしたせいか、佐藤可奈は名残惜しそうに言った。


「そうだね」

 と、わたしは車のなかの、月の光を含んで、微かに青味かがった闇を見つめながら相槌を打った。


「大塚さんって、季節のなかでどの季節が一番好きですか?」

 と、佐藤可奈はふと思いついたように尋ねてきた。


 わたしが答えを考えていると、

「わたしは夏が一番好きなんですよね」

 と、佐藤可奈は言葉を続けた。


「夏って暑くて過ごしにくいけど、何か楽しいことが一杯あるようなイメージがあって」

 

 ちらりと佐藤可奈の方に視線を向けてみると、彼女の口元は淡く笑みの形に広がっていた。きっと楽しかった夏のことでも思い出しているのだろう。


「わたしも夏は好きだよ」

 と、わたしそんな佐藤可奈の幸せそうな笑顔を見ているうちに、微笑ましい気持ちになって言った。


「ほんとですか?」

 佐藤可奈は弾んだ声を出した。


 花火。お祭り。海水浴。スイカ。濃い緑の木々。それから、みんなの明るい笑い声。そんなものを、わたしは夏という言葉から連想した。そして、それらのものを連想することは、何故かしらわたしの気持ちに水気を含ませていった。


「ああ、ほんとに夏が終わって欲しくないなぁ」

 と、佐藤可奈は心からそう思っているように、しみじみとした口調で言った。


「確かに夏が終わると寂しい気持ちになるもんね」

 と、わたしは小さく笑って相槌を打った。


 佐藤可奈はわたしの言葉に頷いた。それから、彼女は少しのあいだ黙って何かを考えている様子でいたけれど、

「・・・アイツにはじめてあったのも夏だったんですよね」

 と、独り言なのか、呟くような声で言った。


「アイツって、今日喧嘩別れした彼氏のこと?」

 と、わたしが確認を取ってみると、佐藤可奈は頷いた。


「友達の友達だったんです。彼氏」

「へー」

 と、答えようがなかったので、わたしは佐藤可奈の言葉にただ相槌を打った。


「友達が今度ライブやるから来ないって友達に誘われてライブに行ったんですけど、そこで歌を歌ってたのが彼氏だったんです」


「バンドマンだったんだ。佐藤さんの彼氏」

 わたしは佐藤可奈の恋人に、自分との思わぬ共通項を見出して、急に親近感を覚えた。


「バンドマンっていうか、彼氏の場合はひとりで弾き語りをするみたいな感じだったけど」

 と、佐藤可奈は小さな声で言った。


「オリジナルの曲をやってたの?佐藤さんの彼氏は?」

 わたしは興味をひかれて尋ねてみた。

 すると、彼女は頷いた。


「結構激しい感じの曲?」

 と、更にわたしが尋ねてみると、佐藤可奈は短く首を振って、

「どちらかというと、スローテンポな曲。優しい感じの歌が多かったかな」

 と、彼女は彼氏が歌を歌っているところを思い浮かべているのか、宙のあたりを見つめながら答えた。


「それで、ライブハウスではじめて彼氏の歌声を聞いた瞬間に、ああ、すごくいい曲だなぁって思って。それでバカみたいだけど、わたし彼氏のことが好きになっちゃったんです。それから、友達に彼氏のことを紹介してもらって、頑張って告白して」


「佐藤さんって意外と積極的なんだね」

 と、わたしが笑ってからかうと、佐藤可奈は恥ずかしそうに微笑して、

「なんかそのときは勢いがあって頑張れたんですよね」

 と、いいわけするように言った。


「そっか」

 と、わたしは微笑んで頷くと、それから、

「彼氏はもう音楽はやってないの?」

 と、なんとなく尋ねてみた。


 すると、佐藤可奈はいくらか難しい表情を浮かべて頷いた。

「大学卒業と同時に止めちゃったみたいです。最初の頃はプロになることを目指してたみたいなんですけど、途中で自分にはそこまでの才能はないって気がついたって」


「そっか」


「・・・その彼氏の言葉を聞いたとき、なんで彼氏はそこで簡単に諦めちゃうんだろうとかってわたしもまだ若かったから思ったけど」

 佐藤可奈は俯き加減に言った。


「でも、わたしも齢をとってみて・・・歳をとってみてっていってもまだ二十一とかだけど、現実ってなかなか上手くいかないものだなってわかって・・・だから、彼氏が諦めるのも無理はないかのなって最近は思いますね」

 と、佐藤可奈はそう言葉を続けると、わたしの方を振り向いて、何かいいわけするように曖昧に口元を笑みの形に変えた。


「そうだね」

 と、わたしは曖昧に微笑んで頷いた。


 しばらくすると、彼女の寝息が聞こえてきた。ほんとに良く寝る娘だな、と、可笑しくなりながら、わたしも瞳を閉じた。そして瞳を閉じながらわたしが思い出したのは、二年ほど前にした田畑との会話だった。わたしたちが音楽を辞めることを決意したときのこと。



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