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福島さんの話 海の音

   ☆



「先輩が自殺したのは、わたしが高二の秋だったの」

 と、福島さんは言った。


 わたしは福島さんの言葉があまりにも唐突だったので、驚いて福島さんの横顔をじっと見つめた。そして、

「自殺?」

 と、わたしは自分が何か聞き間違いをしてしまったのかもしれないと思って小さな声で反芻した。


すると、福島さんはわたしの言葉に黙って首を立てに動かした。


「・・・色々あったの」

 わたしが福島さんの言葉にどう答えたらいいのか適当な言葉を見つけられずにいると、福島さんは説明するように続けて言った。


「わたし、先輩の絵を観てから、少しずつ先輩と色んな話をするようになっていったの」

 と、福島さんは心持顔を俯けながらゆっくりとした口調で言った。


「放課後、部活で一緒に絵を描いているときか、そのあと一緒に家に帰るときか。それでわたし先輩のこと、色々詳しく知るようになったんだけど」


「もしかして、福島さんは先輩と付き合うようになったんですか?」

 わたしが気になって尋ねてみると、福島さんは振り向いてわたしの顔を見ると、

「残念ながら、ただ仲が良かっただけ」

 と、少し哀しそうに微笑んで言った。 


「その頃にはわたしは先輩のことが好きになってたんだけどね、でも、先輩には他に好きなひとがいたから」


「先輩には他に付き合ってるひとがいたんですか?」

 と、わたしは気になって更に尋ねてみた。すると、福島さんは目元で迷うように微笑んでから、

「先輩は女の子に人気があったら、好意を寄せてるひとはたくさんいたみたいだけど・・・でも、特定の付き合ってるひとはいなかったみたい」

 と、答えた。


「というのも、先輩は先輩で片思いをしてたみたいなの」

 と、福島さんはわたしの顔に向けていた視線を前に戻しながら言葉を続けた。


「そのひととはアトリエで知り合ったみたいで、三つくらい年上のひとだって言ってた。わたしは直接会ったことはないんだけど、そのひとが、亡くなったお姉さんに似てみたい」

 福島さんは何か眩しい光景を目にするときのように心持目を細めるようにして語った。


「福島さんの先輩は確かお姉さんを亡くしてるんですよね?」

 と、わたしはさっき福島さんから聞いたことを確認してみた。すると、福島さんは黙って頷いた。


「先輩が中学一年生のときに。交通事故で」

 わたしの今見えている情景に重なるようにして、突然お姉さんを失って途方に暮れている少年のイメージが浮かびあがってきた。お姉さんの使っていた部屋と、お姉さんの描きかけの絵。


「もしかしたら」

 と、福島さんはわたしのとなりで少し躊躇ってから口を開いた。わたしが彼女の方に視線を向けると、

「もしかしたら、先輩はそのひとがお姉さんに似てたから、そのひとのことが好きになったのかもしれないなって思う」

 福島さんは水色の色素を帯びたような声で言った。


少しの沈黙があって、沈黙のなかに波の音が何かの隙間に迷い込むように響いていった。


「先輩のお姉さんは先輩に対して優しかったみたいなの。年が離れてたせいか、いつも可愛がってくれてたって言ってた」

 福島さんはわずかな沈黙のあとで口を開くと言った。


「これはあとになって・・・先輩が亡くなってから知ったことなんだけど、先輩のうちは両親の仲があんまりよくなくて、それでそんなとき、先輩の心のよりどころになってたのがお姉さんの存在みたいなの。だから、先輩はお姉さんを事故で亡くしてからすごく精神的に不安定になってたんだと思う。支えを失って。わたしや、他のひとと接するときはいつも明るく振る舞ってて、そんな素振りは見せてなかったんだけどね」


わたしは福島さんの言葉に耳を傾けながら、自分の肉親を事故で亡くしてしまうということを想像してみた。いつも自分に優しくしてくれた大切なひとを失うということを考えてみた。


「その先輩は」

 と、何秒間の沈黙のあとで、わたしは福島さんの方を振り向くと言った。福島さんは不思議そうにわたしのことを見た。

「その好きな人に告白とかはしたりしなかったんですか?さっき福島さん、片思いをしてたって言ってたけど」


 福島さんはわたしの問に、目元を微かに微笑みの形に変えると、短く首を振った。

「何度か告白しようと思ったこともあるらしいんだけど、でも、結局できなかったって言ってた。自分が子供にしか見られてないのがわかって、とてもできなかったって。それに、そのひとにはもう既に特定の付き合ってるひとがいたみたいで」


「そっか」

 と、わたしは頷きながら、少し、田畑のことを想った。


「でも」

 と、福島さんは言葉を続けた。

「先輩にとってそのひとと付き合う、付き合わないはあんまり問題じゃなかったんじゃないかなって思う」

 と、福島さんは哀しみを含んだ、でも、優しい目をして言った。


「先輩はたぶん純粋にそのひとに憧れてたんじゃないかなって思う。そのひとのことが好きだというよりも、先輩にとってそのひとはお姉さんの代わりのようなものだったのよ。たぶん。だから、先輩はただ側にいて、そのひとの存在を感じているだけで良かったんじゃないかな。そのひとの側にいると安心できたんだと思う。お姉さんが側にいるような気がして。もしかしたら、先輩自身はそんな自分の気持ちには気がついてなかったのかもしれないけど」


 福島さんはそこまで言葉を続けると、また前に向き直って、何か物思いに沈むように海に視線を向けた。わたしも黙って海を眺めた。そしてさっき福島さんが口にした言葉を頭のなかで反芻してみた。福島さんの好きだったひとがお姉さんに抱いていた想い。


 ふと、目の前に、逆光のなかで撮った写真のように、白く霞んでそのお姉さんの姿が淡く浮かびあがって見えた気がした。雨に濡れた水色の花のような。


「昔、今日みたいに」

 と、わたしがぼんやりとそんなことを考えていると、福島さんは言葉を続けて言った。

「先輩と一緒に写生にでかけたことがあるの。ふたりで。そのときも海を描きにいったんだけど」


 わたしは振り向いて福島さんの横顔を見つめた。


「確か先輩が自殺しちゃう、一ヶ月くらい前のことだった思う」

 と、福島さんは続けた。

「そのとき、先輩が海を見ながら、ときどき俺死んでもいいかなって思うことがあるんだって言ったの。冗談めかして。生きてても楽しいことなんて何もないしって。わたし、そのとき、先輩が明るい口調で言ったから、あんまり気に留めてなかったんだけど、でも、今にして思うと、あのときあんなことを言ったのは、ほんきでそんなことを考えてたんだなって思う」


 福島さんは微かに目を細めるようにして、どこか波打ち際あたりを見つめながら言った。海からの風に彼女の長く伸ばした髪の毛が揺れていて、見ていると、まるでそれは空間のなかに福島さんという存在が淡く溶けだしていくみたいに思えた。


「その、先輩は」

 と、わたしはちょっと躊躇ってから今まで気になっていたことを思い切って尋ねてみた。

「何が原因で自殺しちゃったんですか?」


 福島さんはわたしの言葉に、僅かなあいだ黙ったままでいた。それはわたしの問に答えることで、再び好きなひとを失ってしまうんじゃないかと恐れているようにも感じられた。耳元を吹きすぎていく風の音が奇妙に誇張されて聞こえた。


「進路とか、家庭の問題」

 と、福島さんはやがて口を開くと、短く答えた。

「・・・遺書は見つからなかったから、確かなことはわからないんだけど、先輩、両親のこととか、進路のことで色々悩んでみたい」

 福島さんは眼差しを伏せて、呟くような声で言った。


「さっきも話したと思うけど、先輩の両親はもともとあんまり関係が上手くいってなかったみたいで・・・それで先輩が自殺する少し前の月に、正式に離婚することが決まったみたいなの・・・そのせいで、先輩は大学に進学できなくなっちゃったらしくて・・・お金のこととか色々あって・・・先輩はもっと絵の勉強をするために美大に行きたいって話してたから、そういうことが重なって、生きているのが嫌になっちゃったのかなって思う」


「・・・だけど、進路のことたったら、お金のことだったら、奨学金を取るとか色々方法もあったんじゃないですか?」

 わたしは先輩が簡単に自殺してしまったことが納得できなくて言った。


 すると、福島さんはわたしの科白に、それまで俯けていた顔をあげてわたしの顔を見ると、

「冷静に考えればそうね」

と、福島さんはわたしの単純な発想をやわらかく受け止めるように目元で弱く微笑んで言った。それは今にも形を失って消えてしまそうな感じのする透明感のある笑顔だった。


「でも、そのとき先輩はそんなふうに何かを冷静に受け止めたり、考えたりすることができなくなってたのよ。たぶん」

 と、福島さんはそう答えると、また前に向き直って、何か先輩の死について考え込むように、あるいは先輩と過ごした時間を辿るように、目の前に広がる濃い青色をした海にぼんやりと視線を彷徨わせた。


 わたしは福島さんの言葉に何か答えようとして口を開きかけたけれど、でも、結局、自分の心のなかに生まれた感情を上手く言葉に置き換えることができなかった。わたしは諦めて開きかけていた口を閉ざすと、福島さんと同じように黙って海を眺めた。海の上では砕けて無数の細かい破片になった太陽の光がどこか遠慮がちに揺れていた。


「・・・先輩のお葬式はすごく寂しいお葬式だったな」

 と、福島さんはいくらか長い沈黙のあとで口を開くと、そうポツリと言った。

「その日は冬で、すごく冷たい雨がしとしとと降ってて、みんなで火葬場に行って、そこからのぼる煙を見たの」

 そう言った福島さんの瞳のなかにはそのときの情景が凍り付いて残っているかのような沈んだ、鈍い光があった。じっと福島さんの瞳を見つめていると、そのとき福島さんが目にしていただろう情景がそこから読み取れるような気がした。冷たい雨と、火葬場からのぼる煙と、灰色の厚い雲。


「・・・どうして」

 福島さんは聞き取れないほどの微かな声で言った。

「どうして先輩はわたしに何も話してくれなかったんだろう」

 福島さんは小さな声で言った。それはわたしに向かって話しかけているというよりも、自分の心のなかに浮かんだ言葉をそのまま口にしただけといった感じがあった。


「わたし、先輩と仲良かったのに。一杯色んなこと話したのに。絵のこととか、お姉さんのこととか、色々・・・。・・なのに」


 福島さんがそう言った直後に、まるで福島さんが口にした言葉を、海の冷たい青色の色素に染めていくように、波の音が静かに響いていった。


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