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いつか沢田と話したこと


                              ☆



 昼食を食べ終えると、またわたしは自分の車を運転して沢田の故郷を目指した。地図で見ると、沢田の実家はここから一時間以内の場所にあるはずだった。昔、沢田と話したときに、沢田は自分の故郷はいいところだと話していたが、なるほどな、と、わたしは思った。綺麗な海があって、自然がたくさんある。


 沢田はこの場所で一体どんな青春時代を過ごしたのだろう。きっと色んなことがあったんだろうな、と、わたしは想像した。わたしがそうだったように。腹が立つことがあり、悔しいことがあり、嬉しいことがあり、哀しいことがあったりしたのだろう。


 そして考えているうちにわたしはふと思い出した。昔、沢田がわたしに話してくれたことを。あれは確かわたしが沢田に何が切っ掛けで小説を書くようになったのかと尋ねたときのことだ。確かわたしが沢田の家に遊びに行って、そこで話しているうちに、どういう会話の流れからか、そういう話になったのだ。

 


                               ☆



 沢田は高校の頃まで本なんてほとんど読まない男だった。学校で読書感想文を書かなければならないようことでもない限り、まず活字ばかりの本なんて手に取ることはなかったね、と、沢田は何故か誇らしそうにわたしに話した。


 じゃあ何が切っ掛けで本を読むようになったのか、と、わたしが尋ねると、彼は、実は自分は高校の頃、ちょっとした病気をして入院していたことがあるのだ、と、わたしに教えてくれた。


「入院!?」

 と、わたしがびっくりして言うと、

「いや、入院っていってもそんな大層なものじゃないよ」

 と、沢田は苦笑するように笑って言った。


「ちょっとした肝臓の病気。といっても、さっきも言ったように全然大した病気じゃなかったんだけどね。でも、手術やなんやかんやあって、結局、一ヶ月くらい入院することになった」


「入院かー。わたしなんて身体だけは丈夫だからそういうのは一度もないな」

「なんだか羨ましいみたいな言い方をするね」

 沢田はわたしの発言に可笑しそうに笑って言った。


「入院したことが一度もないなんて、それ、すごく恵まれてるんだよ」

 わたしは笑ってそうだねと認めた。


「入院が決まったとき、正直、俺、すごく落ち込んだんだよ」

と、沢田は話を続けた。

「俺、高校のときサッカー部に入ってたんだけど、その入院のせいで、大事な退会に出場できないことが決まっちゃったからさ」


「って、沢田レギュラーだったんだ。万年補欠みたいなイメージがあったけど」

 わたしが笑って軽口を叩くと、沢田も笑って、

「あのさ、俺がいくら小説書いてるからって、運動オンチみたいな見方やめてくれる?」

と、迷惑そうに言った。

「これでも結構期待されてたんだから。沢田の黄金の左足って」

「はい、はい」

 わたしは微笑して沢田の話を流した。


「それで」

 と、沢田はやれやれというふうに軽く肩をすくめると、また話を続けた。

「その入院しているとき、同じ病室になった子がいたんだ」

と、沢田は言った。そう言った沢田の表情はそれまでと違って、どことなく影を含んでいるように感じられた。


「同い年の女の子でさ。その子がすごく本を読むのが好きな娘だったんだ」


「それで?ロンマスが生まれたりしたわけ?」

 と、わたしが笑って茶化すと、

「そうだったら良かったんだけどね」

 と、沢田はどこか哀しみを含んだような笑顔でわたしの顔を見ると、

「でも、残念ながら、そういう雰囲気にはならなかったよ」

 と、沢田は苦笑して言った。

「まあ、比較的綺麗な娘だったし、だから、こんな娘と付き合えたらいいだろうなくらいは思ったけどね」


「そっか」

 と、わたしは曖昧に微笑んで頷いた。


「ちょっとした片思い、だったのかな」

 沢田は続けて冗談めかして言うと軽く笑った。少し水気を帯びたような笑顔だった。





                              ☆


「目を覚ますと知らない病室にいたんだ」

 と、沢田はひとつひとつ記憶を確認しながら話すようにゆっくりとした口調で言った。


「手術が終わったあとで、麻酔が切れはじめてるみたいで、腹のあたりがズキズキ痛んだ。でもそのときは意識が半分ぼんやりしてて、自分の身体に何が起こったのか、よく認識できなかったんだ。自分が手術を終えたばかりで、いま、病院に入院してるんだってことがよくわらかなかった。回りの世界が妙に白っぽくて、だから、一瞬、自分が死んだのかなって思ったくらいだよ」

 沢田はそう言うと、わたしの顔を見て、可笑しそうに口元を綻ばせた。


「で、だんだん状況が飲み込めてくると」

と、沢田は話し続けた。

「気になったのは、蝉の声だったな。季節は夏で、カーテンの開けられた窓から、朝の、透明な、でも、夏で、勢いのある光が一杯に差し込んできてた。それから、となりを見てみると、自分の寝ているベッドのとなりに、ひとりの女の子がいたんだ」


 わたしは沢田の言葉に耳を傾けながら、自分が手術を終えたばかりで、病院のベッドに寝かされているところを思い浮かべた。白い壁。白い天上。消毒液の匂い。窓から差し込んでくる、躊躇いのない光。耳障りな蝉の声。そしてとなりにいる女の子。


「彼女は俺と目が会うと、おはようって言った。それで俺もよくわけもわからずおはようって返した。続けて彼女はあなたはなんの病気って訊いてきた。それで俺がまだよくまわない頭で肝臓の病気だけどって答えると、彼女はふうんって頷いて、俺に興味を失ったみたいな感じでそれまで読んでた文庫本の続きに戻っていった・・・そのとき、綺麗な子だけど、なんか絡みづらい娘だなって思ったよ」


 わたしはどう答えたらいいのかわからなかったので、曖昧に相槌を打った。


「で、それ以来、俺も何を話していいかわかんないから、ずっと黙ってた。でも、その部屋ってテレビもなんにもないし、だから、すごく退屈なんだよ。かといって、手術したりばかりで身体は動かせないし、眠ろうにも、眠れないし、そのうち看護婦さんが術後の経過を観に来て、またすぐ出て行って。そのうちにまた女の子が話しかけてきたんだ。なんか本貸そうか?って。退屈なんでしょって。それでうんっていうと、彼女が貸してくれたのが小説だった。俺、さっきも話したと思うけど、それまで小説なんてあんまり読んだことなかったし、だから、漫画本じゃないのかって内心げんなりしたけど、でも、まあ、このまま退屈してるよりかはマシかって、その貸してくれた本を読みはじめたんだよ」


「そしたら、意外と面白かった?」

 と、わたしは尋ねてみた。すると、沢田は微笑して頷いた。

ほんとに意外だったよ」

 と、沢田は軽く笑って言った。

「小説ってこんなに面白いものなんだって思ったよ。病室っていう特殊な環境だから余計にそう感じたのかもしれないけど、集中して一気に読んだ」


「ちなみに、そのとき、その娘が貸してくれた本ってなんの本だったの?」

 と、わたしは気になったので尋ねてみた。すると、沢田はちょっと困ったように眉根を寄せると、

「それがタイトルとか、作家の名前がよく思い出せないんだ。」

と、告げた。


「確か外国のひとが書いた結構古い小説だった思うけど。十八世紀とか十九世紀くらいの・・・内容なら覚えてるんだけどね」

 と、沢田は残念そうに続けて言った。


「どんな話?」

 と、わたしは続けて尋ねてみた。すると、沢田はどう説明しようかと悩むようにうーんと唸って腕組みすると、

「一口で説明するのは難しいんだけど・・・なんだろう、哀しい話だったな」

 と、言った。


「フランスかどこか外国の、田舎育ちの女の子が、都会に憧れて都会に出て、そこで自分なりの居場所を確立しようするんだけど、なかなか思うようにいかなくて、最後は失意のうちに死んでしまうっていう話だったな・・・結末はすごく哀しいんだけど、でも、綺麗な小説だった。


 最後の場面で雪が降ってるんだけど、そのなかで主人公の女の人が好きなひとのことを回想している場面があって、その描写がすごく印象に残ってるな。透明感があって。雪の結晶が目の前できらめきながら冬の凍てついた大地に体積していくような気がした。夏なのに、自分がいま雪で覆われた世界にいるような気分になった」


 わたしは沢田の話に耳を傾けながら、雪の降る、外国の夜の街を思い浮かべた。ひとりの女の人がアパートのベッドに寝ていて、窓の外に見える雪の夜を眺めている。


「そのひとはなんで死んじゃうの?」

 わたしは沢田の話を聞いているうちに、その物語の主人公が報われないままに死んでしまうのが納得できないような気持ちになっていた。


「ずいぶん昔に一度読んだきりだから、細かい部分はあんまり覚えてないんだけど、確か病気だったよ」

 と、沢田は言った。


「それもそんなに重い病気ってわけじゃなくて、風邪とかをこじらせてって感じだった。昔だから、風邪をこじらせたりするだけでも、命とりだったんだろうね。彼女が病室で死にかけているとき、彼女の別れた恋人が、彼女に会うために彼女のもとに向かってるんだけど、結局、彼女はそのひとに会えないままに死んでしまうんだ」


「哀しい話だね」

 と、わたしは感想を述べた。沢田はわたしの話に黙って頷いた。


「それから」

 と、沢田は気を取り直したよう話し続けた。

「入院しているあいだに彼女に貸してもらって色んな本を読んだよ。外国の小説から、日本の小説まで」


「それで文学に目覚めたわけだ?」

 わたしが微笑してからかうように言うと、沢田は苦笑するような笑顔を見せて、

「まあ、そんなところかな」

 と、頷いた。


「じゃあ、その娘に感謝しなくちゃね。だって、その娘が沢田を文学の世界に導いてくれたわけでしょ?」


「そう言われればそうかも」

 沢田はわたしの発言に軽く笑って頷いた。


「で、その同じ病室に入院してた娘とはその後どうなったの?」

と、わたしは気になったので尋ねてみた。

「頑張って告白したりしたの?それとも沢田が退院してそれっきり?」


「・・・いや、それがさ」

 と、沢田はわたしから表情を隠すように顔を俯けると、いくらかいいにくそうに言った。


 



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