第27話 洋酒の虜
カシャカシャカシャカシャ
景気よく鍋の中の生クリームを混ぜる音が響きます。
いつもは紅茶の匂い溢れるアイゼル宅ですが、今日は甘い匂いに包まれているようです。
楽しげな鼻歌が開放的な台所から聞こえてきます。
「〜〜〜〜♬」
ご機嫌のようです。
たった一人のその空間は、甘い匂いと彼の鼻歌で包まれています。
ガチャ
扉が開きました。
充満していた甘い匂いは外へと誘われ、かわりに外の匂いがする空気が部屋の中へと入ってきました。
「・・・・。」
扉を開けた二人組の男性は室内に充満する甘い香りに顔をしかめている様子。
それに気付かない彼は実に楽しそうな鼻歌を歌いながら作業を進めていきます。
沸騰する前の生クリームにチョコレートを加え混ぜる。
溶けきったらブランデーを大さじ一杯加えて混ぜる。
甘い香りがいっそう引き立ちました。後は少し冷ましてココアを振りかけるだけですね。
彼は先程使っていたヘラを右手に高らかと歌い上げます。
「俺は非凡の菓子職人〜↑♪生チョコトリュフもお手の物〜↓♪そうさ、俺こそ!」
「天下のパティシエさ〜♬!」
「・・・何やっとんだケイスケ。」
高らかに歌い上げていた彼ーケイスケは彼等—アイゼルと桔梗丸の姿を確認すると固まってしまいました。
当分帰ってこないだろうと鷹をくくっていたようです。これは完全に黒歴史扱いですね。
あきれかえるアイゼルは一歩室内へと足を進めました。
っとん
「・・・?」
足に何かが当たりました。足下に何かあるようです。
つつっと目線を下に下げるアイゼル。一緒に桔梗丸も目線を下げます。
下にあったのは、黒くて、ふかふかで、温かい。命を感じるもので——?—
「わん!」
「・・・犬に見えるかッ!!!」
犬のフリをしてアイゼルをごまかそうとしたマグ兄弟なのでした。
はてさて、どうしてマグ兄弟が居て部屋が甘い香りに包まれているのでしょうかね。
「しばらくその体勢で反省しろ。」
「・・・了解っすー・・・。」
「むぅ。」
俺は今何故か床で正座をさせられている。なんでだ。理不尽な。ちょっとだまって部屋中を甘い匂いで包んだだけなのに。いや、それ以外に重要な理由がある事はわかってるけども。
ちらり、と右へ—台所へ視線をやる。・・・間違いなくマグ兄弟を家に入れたのが理由だろう。俺もまさかまたマグ兄弟を部屋に招き入れる事になるとはおもわなかったんですって。
事の始まりはこうだ。今日も元気に市場に買い物に行った俺。今日は桔梗さんはアイゼルと一緒に仕事だったもんで、俺はマグ兄弟に買い物を付き合ってもらっていた。
買い物も終盤。そろそろ帰ろうかなという頃にマグ兄弟のたっての願いで近くの古本屋に行く事になったんだ。古本屋って俺この世界にあると知らなかったもんで。なんか良いもんあるかなと思いながら一緒について行ったんだ。
ついた先は、まぁ普通の古本屋で—この辺りは別に問題ないんだよ—俺は色々な本を手に取って見てみた。
そこは図書館みたいに遺跡とか、一般人にわかりにくい本じゃなくて料理に関する、絵だけでわかるような本も置いてたんだ。
そして、たまたまマグ兄弟が一冊の本を手に取った。
手に取った弟キークは何の気なしに兄メークに見せた。メークは、更に何の気なしに俺にその本を見せた。特になんでもないただのお菓子作りの本だったんだけども。うっかり言ってしまったわけだ。「俺そのお菓子作れるよ」と・・・。
その本は普通のレシピ本。絵だけでも内容がわかる、日本人でなくとも全世界の人々が見て理解出来る、作れる内容だった。・・・英人は知らないけども。
作れるのは良いんだよ。問題は相手は甘いもの好きのメークだってことで。
うっかり作れるとか言ってしまった俺は「じゃぁ作ってくれよ」と言われたわけで、「場所がないですよ」と返すと「お前ん家あるじゃん」といつかどっかで聞いた事あるような台詞で返されてしまったんだった。
アイゼルは仕事で帰り遅いはずだし、・・・ちょっと、食べてみたいよなー。と思った俺はマグ兄弟を家に招き入れ、んで。今、こういう事になってるんであった。
・・・目の前の視線が痛い。・・・そうっすよー。俺が悪いんすよー。
ふてくされてみる。さっきまでとなりにいたはずのマグ兄弟は吹っ飛んだ後である。いっつもすっ飛んでくけど良く怪我しないよなー。
とりあえず今は目の前の脅威より、正直言って、冷蔵庫のトリュフが気になる・・・ッ!!!
「あ、あのー・・・。」
「なんだ?」
優雅に紅茶を飲むアイゼルに問いかける。
勝算はある。俺が生チョコトリュフを食べれて、更にアイゼルの機嫌を損ねない方法。
そのためにもうまいこと事を運ばなくては!
無い頭を必死で動かす俺。勝算はあってもそれに繋げる言葉がまずくては意味が無い。
桔梗さんは洋菓子はあまり好きじゃないハズ。という事は今回の件で桔梗さんの助けは借りられないだろう。
慎重に考えをまとめる。うまくやらないと生チョコトリュフが・・・!
・・・今生チョコトリュフに執着しすぎだと思った奴。甘い、生チョコトリュフより甘いのです!
良く考えるんだ。あれは自分で作った物だ。自分で、苦労して、考えて、自分好みの味に仕上げた生チョコトリュフに執着して何が悪い!
・・・もしかしたらこの時の俺は甘い匂いとブランデーで酔ってたのかもしれないなー。俺強くないから。
なにはともあれ、決意した俺はアイゼルへと言葉を発した。
「ブランデー・・・。」
「!」
にやり、計画通り・・・・!!!
別にどっかの月の人みたいな笑顔はいたしまへん。さすがにもうちょっと白いさ俺は。
「ブランデー」の言葉に引っかかったアイゼルを見る。釣れた。
何を隠そうアイゼルの一番好きな酒はブランデーなのだ。どんな種類だったかは忘れたが大好きなのは間違いない!
俺は計画通りに進んでいる事を確認し、この言葉をアイゼルへと発した!
「生チョコトリュフには、大好きなブランデーが入ってるんすよね!」
「!!!」
その言葉を聞いて飲んでいた紅茶のカップをソーサラーへ戻すアイゼル。
釣れたー!俺の策略完!!!
釣れたアイゼルに心の中でガッツポーズをする俺。さすがにここまでやる事も無いなと思うんだけども、この時は初めてのアイゼルへの勝利に喜びで心がいっぱいだったんです。はい。
アイゼルに「持ってきます」と言ってその場に立ち上がる俺。正座をしていたせいで足の感覚がおかしい。しびれになる前にさっさと持ってこよう。
そう思い、一歩台所へ足を踏み入れようとしたその時。
ギュッ
「?どうしたんすか?」
俺はその時アイゼルに腕を掴まれた。なんか他にも持ってこいって言われるんだろうか。それとも何か作れって?・・・しょうがないな!この天下のパティシエ圭介くんにまっかせなさい!
完全に勝ったつもりで調子に乗る俺。調子に乗りやすいのはお前の悪い癖だって、昔っから友人に言われてたんだけども。癖なんてそうそうすぐ抜けるもんじゃない。
有頂天の俺は桔梗さんが俺に向けていた視線の意味に気付かなかったわけで。
アイゼルが、俺に向かってこう言った。
「ブランデー・・・。」
「へ?」
さっき俺が言った言葉と同じだ。なんだろうか。
俺は台所に向けていた体をアイゼルの方へ向け次の言葉を待った。
そして、後悔した。さっさと台所に行って生チョコトリュフ確保しときゃよかったと。
「そのブランデー・・・。どっから持って来たのだ?」
「えと、その・・・」
アイゼルさんの——酒蔵(と言う名の酒瓶置き場)から、かなー・・・?
現代でまだ未成年な年の俺は、いくらか酒を飲んだ事はあっても自分で買いにいく度胸なんて無い物で。
家に帰って来て、洋酒の用意を忘れた事に気付いた俺は、度胸も無い上マグ兄弟を家に放置するわけにもいかず。
ちょっと、くらいなら、ばれないよ、なー・・・?という思いでアイゼルの酒蔵に手を伸ばしたのだった。
呆れた視線を向けてくる桔梗さん。なんだか棒でつんつんされてる気分だ。
俺は正座を延長。楽しみに待った生チョコトリュフは今目の前でアイゼルに食われる始末。それ他のひとの分もあるんですが・・・。コレなんていじめ?
目の前でばくばく食べられていく俺の努力の結晶は、哀れんでくれたのか一個だけ桔梗さんによってアイゼルの魔の手から救われ俺の胃袋に収まった。
・・・それ以外は全部食べられたんだけどなー。や、さすがに自分で作っただけ合って美味しかったけども。
一番の被害者は作ってと言い食う前に吹っ飛ばされた兄メークか、兄に付き添ってついて来た弟キークか、はたまた目の前で努力の結晶を食べきられた俺か。
いったい誰だろうかなと、俺はその次の日送られて来た大量の赤い小包の中身、タバスコチョコをみながらそう思うのだった。
ビターチョコ:ミルクチョコ 300g:100g ぐらいの割合
生クリーム 200ml
ラム酒(ブランデーでも可) 大さじ一杯程度(度数による)
ココアパウダー 適量
レシピの中身でした。生チョコトリュフは熱した生クリームにチョコをぶっ込むという楽な作り方で好きです。14日も過ぎたチョコネタでした。