君が死んだ
仮にここに、二人の漫画家がいたとしよう。
「担当がさぁ、君は自分を切り売りする漫画をやるタイプだから気をつけろっていうんだよぉ。なのに休載させてくれないのおかしくない?」
彼女の名は、ツチノクモ。私の友人にしてプロの漫画家だ。
「切り売りしてたら、そのうち枯渇して描けなくなるんじゃない?」
嫌味で返す私の名は、賤ヶ崎 端。残念ながら、プロではない。
「そうなったら死ぬだけだよぉ。売り切っちゃったら、怖くも痛くもないでしょう?」
こういう人間を天才と呼ぶ――――ツチノクモと出会ってから、嫌というほど味合わされた現実。
「センスで人気保ててるうちに、画力あげときなよ。そうすれば食いっぱぐれない。一度売れた名前は、ブランドになるからね」
嗚呼、嫌味ばかりが上手くなる。
「ブランドねぇ」
「そういう時代でしょ。あんたフォロワーめっちゃいるじゃん」
私から言わせれば、あんたの漫画なんてご時世に愛されて売れただけ。
「SNSきらーい。あ、やめようかなぁ」
「あんたはもう、どうでもいいこと呟いても拡散される人気者でしょ。やめたらファンが心配するよ」
「あー。なら続けようかぁ」
「…………」
鬱売れキャラが愛される時代は、まだまだ終わらないようですね。
「 端ぁ~端ぁ~」
「名前伸ばさないでよ、繰り返さないでよ」
「おまえさぁ~、人間が死ぬのは切羽詰まったときだと思ってるタイプでしょ」
「はぁ? っていうか今、おまえって言った? なんで?」
もしかして、苛々が顔に出てたかな?
「友達だから伝えとくねぇ、死は端が思ってるよりもっとふわふわしたものだよぉ」
「なにそれ」
「死にたい気持ちはさぁ、タイミング読まずにねぇ、ふわっとやってくるからたちが悪いんだぁ」
「あー、いかにもあんたの漫画にありそうな台詞だね」
「あるかなぁ」
「えっと、私も一応漫画やってる身なのでね、ネタ作りに利用するのはやめてほしいんだけど?」
翌日、ツチノクモは飛び降りた。
マンションの四階から、午前七時に。
私が見舞いに行ったのは、それから約一ヶ月後のこと。
「四階でよかったよ。あんたの部屋がもっと高い階だったら……」
「そうだねぇ。高くても飛んでたと思う」
「なんで飛んだの」
我ながら、酷い質問だ。
「洗濯物取り入れに行ったらさぁ、朝日が暖かいなぁって。そう思ったら、飛んじゃったよ」
「はは……あんたの漫画にありそうな台詞だね」
今私が吐いた台詞も、あんたの漫画にありそうだよ。
「ありそうかなぁ。まあ端が言うならあるんだろうねぇ」
病室の窓から見えるのは、朝焼けではなく夕焼け。空襲みたいな色で嫌になる。
「脚、もうだめなの?」
「だめだねぇ。そんなことよりさぁ、 端のこと無断でモデルにしてごめんねぇ。まんま使わないように気をつけてはいたけど、バレてたでしょぉ?」
モデル……って、漫画のキャラクターの? 私、全然気づいていなかったんだけど。
「どのキャラクター? ガチでわかんないんだけど」
なんか、バカ正直に聞いちゃったな。
「んー。言わないでおくよぉ」
「なにそれ……まあ、脚はだめでも、手が無事で良かったじゃん。良かったよ」
私って本当に嫌なやつだな。こんなことになっちゃう前に、友達としてできることがあったはずなのに。
「ご飯食べにくいのは、困るからねぇ」
「あんたは三度の飯より漫画でしょう? 道具が必要なら持ってきてあげるから」
認めるよ、あんたは私より真剣に漫画を描いている。全てを漫画に注いでいる。だからさ、飛び降りた経験も漫画にブチ込んじゃいなよ。
「いいや、漫画はやめたから」
「なんで!」
「声が大きいよぉ」
しまった。この病室、もう一人いたんだった。飛んだやつは一人にできない……とかなのかね。
「あんたみたいなやつが漫画をやめたら――」
「飛ぶのって、すごく怖いんだぁ」
季節外れの蝉の声が聞こえた。
帰り道、食欲のない私はコンビニエンスストアでジンジャエールだけを買う。歩きながら飲むつもりはない。人前で飲むならミネラルウォーターだ。
「……」
スマートフォンが、短く振動した。メールの送信者は……ツチノクモではない。
「え……」
それは――出版社から――――連載を前提とした打ち合わせをしたい――――との――こと。
「よしっ……! よしっ!」
ああ、私の時代がきた。