春一番が連れて来たのは
主要人物の登場回です
まだまだ肌寒い冬の日、寒空の下、いつもの道を歩く。
スーツの右ポケットに入れていたスマホが振動し、表れた名前を見て、半ば確信しながら電話に出た。
「はい。日日です。田貫さん、何かありましたか?」
「…あぁ、日日。見回りの途中にすまん。今、大丈夫か?」
「ええ、平気です。何かありましたか?」
「申し訳ないんだが…」
案の定思った通りだ。事件が起こったらしい。上司の綿貫が言うには、俺が担当する見回りの地区で窃盗犯が目下逃亡中のようだ。本来、窃盗犯などの取り締まりや逮捕を行っているのは捜査三課の仕事なのだが、今回はイレギュラーだろう。けれど、こうも毎回毎回俺の担当場所で空き巣だの、強盗だのが発生するのは呪いのようだと感じる。俺が呪われているのか、それともこの街が、なのかは言及を避けるが。
幸いにもこの街の地図は頭に入っている。逃走中の犯人が逃げ込みやすい路地裏などの人通りが少ない場所をピックアップしていく。犯人が見つかった場所、時刻、犯人の特徴から鑑みて、恐らくそこまで離れていないだろう。
大きく息を吸い込み、伸びをして力を籠める。待ってろ、犯人。
路地裏を走り回ってようやくそれらしき男を見つけた。まだ息は上がっていないが、自分が思っていた場所とは全然違うところに居られると羞恥で転げまわりたくなる。
真面目に犯人の逃走ルートを考えて行動した結果なのだが…
気持ちを切り替え、犯人をきちんと観察する。見た目の特徴、背格好、挙動不審な姿。全て電話で聞いた窃盗犯の特徴と一致する。田貫の話だと空き巣に入ったらしいがそれらしい盗品は目に見える所にはない。恐らく現金などの隠し持てるものを盗んだのだろう。
まだ俺と犯人との間には5メートル程の距離があり、相手はこちらに気づいていない。ちょうど犯人は曲がり角の突き当りにいて、その角を曲がれて視界から消えられる前に確保したい。
気配を悟られないように距離を徐々に詰めていく。もう犯人の男を確保できるところまで近づいたところで、男は狂ったように声を上げ、ナイフを取り出した。
マズイ…なんで気づかれた⁉
しかし、よく見ればナイフを向けているのはこちらではなく、ちょうど曲がり角の先。その先に目をやるとそこには可憐な女性がいた。
黒いパンプスに黒いスーツ、髪は黒髪を上の位置で高く留め、ポニーテール。化粧はいわゆるナチュラルメイクで、清楚な感じに仕上がっている。就活生なのだろうか、手にはそれなりに大きなこれまた黒のバッグを抱えている。大きな瞳は意思が強そうに大きく開かれ、たれた目は見る人に癒し系なイメージを与えるだろう。
明らかに荒事が不得手のフワフワとした見た目の大学生くらいの女の子が、精いっぱい目を吊り上げて窃盗犯と対峙していた。
「反抗すれば、更に罪は重くなります。抵抗せず、素直にこちらの言うことに従ってください」
おいおいおい!?一体全体、何をしてるんだ。明らかにここは一般人が勇気を振り絞ってはいけない場面だ。これは男女差なんて関係ない。ガタイの良い人間であっても刃物と向き合うのは危険で慣れていなければ、致命傷を負いかねない。ましてや、ぽやぽやの女子大生には荷が重すぎる。
スーツを抜いでいつでも男を取り押さえられるように距離を一気に詰めていく。
…っ!ここだ!
俺が駆け寄る寸前、その子は俺の顔をまじまじと見た。そのせいで犯人が俺に気づいてしまう。すると犯人はその子に対峙していた体をこちらの方に向き直り、がむしゃらにナイフを突き出してきた。
良かった。俺に攻撃を仕掛けてくるなら、あの一般人に危害が及ぶことはない。
犯人の手に持つナイフを手首ごと掴むことで無理やり手から離させる。
…っ、いきなり蹴り上げてきた!?マズイ、力の加減を間違えた。男の手首から、ガキリとしてはいけない音が鳴る。
手首の骨を折ってしまったことに驚き、拘束していたはずの手が緩む。
その瞬間を見逃さなかった男は手首の激痛を堪えながら、俺から逃走した。
何をしてるんだ!俺は!目の前にはあの女性が!?
彼女が突き飛ばされ、けがをしないように手を伸ばした瞬間。
目の前で俺から逃げようとした窃盗犯が綺麗に宙を舞って地面に投げつけられた。
これがもし柔道の大会だったら、満場一致で一本が決定するようなそれはそれは見事な背負い投げだった。目の前のどちらかといえば小さめの女の子が、それなりに体格のいい男を打ちのめしたという事実になぜか俺が打ちのめされ、一瞬惚けていた。
が、すぐに犯人を確保しなければならないことを思い出すと、時刻を確認し、窃盗犯に手錠をかけた。
そして逮捕の立役者になってくれた一般人へと向き直る。今回は彼女に武術の心得があったから良かったものの、そうでなければ男に突き飛ばされ、けがを負わせてしまっていたかもしれない。一般市民を守るための警察が目の前の女性すら守れなくて何を守るんだ。俺は申し訳なさでいっぱいになりながら、頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
「犯人逮捕にお手伝い頂きありがとうございます。武道の心得があるようですが、一般の方にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありません。お怪我はありませんか?もし、ご都合が宜しければ署の方に来ていただけませんか?女性警察官も居りますし、お礼を申し上げたいのですが…」
頭を上げて反応を見る。…おかしいな、彼女は俺の言葉に何の返事も返さない。表情も硬く、反感を買ってしまったのかもしれない。やっぱりあれだけの腕があっても怖かったのか…?
俺がもう一度、謝罪の言葉を口にしようとすると彼女は手を前に突き出して、俺の言葉を静止させた。
「…あのぉ、田貫さんから聞いてないですか…?」
思い当たる節がなく、俺は思わず首を捻る。
そうこうしているうちに俺は犯人逮捕の知らせをしなければならないことを思い出し、田貫へと再び電話を掛けた。そこで俺は森ガールみたいな雰囲気を漂わせる女性が、新しくこの東雲署刑事部捜査一課特殊犯係第三班に配属された大卒のエリートだと知り、度肝を抜かれるのはまた別の話。
それが、今後バディを組むことになる結城凛との初対面だった。俺が最初に彼女に抱いていた印象はその後打ち砕かれることになるのだが、それもまた別の話。
この物語の主要人物の1人が「日日徹」。日日と書いて「たちごり」と読みます。
もう1人の主要人物は「結城凛」です。