旅行計画
クララの歓迎パーティーから一週間の時が流れた。クララは、相変わらずリリンの監視の下、薬室で薬を作り続けていた。サラから新しい薬草が出来たという話は来ていないため、傷薬などの量産がメインだ。
さらに、この一週間の間で、街の薬屋と契約し、試験的に薬を販売する事が決まった。売るのは、取りあえず傷薬と消毒液、解熱剤だけだ。これらを売って何も問題がなければ、他の薬も売り出すことになる。
そのための大量生産でもあった。
「クララちゃん、消毒液の濾過が終わったよ」
クララの手伝いをしていたサーファが、クララに報告する。今やっていたのは、大鍋で作った消毒液を大きめの布で濾すという作業だ。少量であれば、濾過器を使ってやるのだが、大鍋でやるのであれば、これが一番早いという結論が出た。消毒液であれば、布でもしっかりと濾過が出来る。
「ありがとうございます」
「他に何かやることある?」
「じゃあ、エヴァ草をすり潰してください。解熱薬を作りたいので」
「了解」
サーファは言われた通り、エヴァ草を持って大きなすり鉢に移す。薬草を入れている箱には、サーファでも分かるように入っている薬草の名前を書いてある。そのため、薬草に詳しい訳ではないサーファでも迷わずに手に取る事が出来る。
そんな作業をしていると、突然薬室の扉が開け放たれる。
「クララちゃん! いい話を持ってきたわよ!」
意気揚々と入ってきたのは、魔王妃であるカタリナだった。
「いい話ですか?」
カタリナの突然の登場にも、既に慣れたクララは、特に動揺した様子もなく首を傾げていた。そんなクララの成長を嬉しいと同時に若干寂しい気持ちにもなったカタリナは、一旦落ち着いたテンションに戻った。
「そうよ。でも、取りあえず仕事が終わってからにしましょうか」
カタリナはそう言って、リリンの隣に置いてある椅子に座る。
「カタリナ様、お仕事の方はよろしいのですか?」
「ええ、あらかた片付けてきたから、このくらいの余裕はあるわ」
もしかしたら仕事をサボってきているのではと思ったリリンは、一応カタリナに確認をしていた。いつもであれば、目を逸らすところだったが、今回のカタリナは、しっかりと仕事を進めてから来たので、後ろめたさが全く無かった。
リリンとカタリナが見守る中、クララとサーファは自分達の作業を終わらせていった。薬室での作業を終えたクララ達は、クララの部屋に移動した。
カタリナの対面の席にクララが座り、その左右にリリンとサーファが立っている。話す準備も出来たので、カタリナが口を開く。
「クララちゃんには、旅行に行ってもらうわ」
「旅行?」
突然の話に、クララはリリンを見る。それを受けてリリンは首を横に振る。つまり、リリンも今初めて聞いたという事だ。
「ついさっき決まった事みたいでね。あの人から伝えるように頼まれたのよ。この部屋の入口は、あの人には少し狭いから」
そう言われてクララは自分の部屋の入口を見る。確かに、自分達が利用するだけなら、特に不便はないが、ガーランドのような巨体では、頑張らなければ入れないだろう。
「まぁ、本当は旅行じゃなくて挨拶に行ってきてって感じなんだけど」
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
カタリナのこの言葉で、リリンは全てを察した。クララとサーファは、全くピンときておらず、首を傾げている。
「クララちゃんには、ここから西にあるマリンウッドって場所よ」
「そこって……」
「はい。前に話をした場所です。申請はしていたのですが、まさか、このような形で了承されるとは思いませんでしたが」
「どういう場所かは知っているみたいね。そこを治めている人魚族に会って欲しいのよ。この前の歓迎会に来られなかったから、きちんと挨拶をしたいらしくてね。その人については、リリンがよく知ってるから、安心して良いわよ。出発は、一週間後よ。リリンは準備をよろしく」
「かしこまりました」
「基本的には、沢山遊んで良いから、楽しんでくると良いわ」
カタリナはそう言って、クララの頭を撫でると、部屋を出て行った。カタリナがいなくなると、サーファがクララを抱き上げて、椅子に座って自分の膝に載せる。
「やったね、クララちゃん! マリンウッドに行けるよ!」
「はい。楽しみです」
「せっかくですから、全力で楽しむために泳ぎの練習もしましょうか」
「お、泳ぎですか? 私に出来ますか?」
「まずは、一人で湯船に入れるようにならないとですね。早速今日から練習をしましょう。サーファも手伝って下さい」
「任せて下さい!」
サーファは張り切ってクララをぎゅっと抱きしめた。その中心にいるクララは、顔を強張らせていた。まだ、一人で入る事も出来ないクララとしては、泳ぐ事にハードルの高さを感じていた。
「じゃあ、早速お風呂に連れて行きますね!」
「いえ、その前に夕食ですので、ここで待っていて下さい」
クララを抱き上げて浴場へ行こうとするサーファを制してから、リリンは部屋を出て行く。
「先に英気を養わないとね。一人でも湯船に入れるようになったら、お風呂がもっと楽しくなるよ」
「別に一人で入れなくても楽しいですけど……」
「じゃあ、並んで一緒に入れるっていうのはどう? 楽しそうじゃない?」
「それは……そう思いますけど……」
「なら、頑張ろう!」
「おぉ~」
サーファのおかげで、クララも少しやる気を出した。若干、不純な動悸とも言えるが、やる気を出してくれるのであれば、それでも良いかとクララの頭を撫でた。
その後、皆で夕食を食べ、浴場へと向かった。リリンに身体を洗われた後、サーファに連れられて、湯船まで来る。
「じゃあ、中に入ってみて」
「はい」
クララは、恐る恐る中に入っていく。クララのお腹まで湯に浸かる事になる。クララは不安げな顔でサーファを見る。そんなクララの顔を見て、サーファも湯船に入る。だが、クララを抱き上げる事はしない。
「ほら、頑張って! ここまで歩いておいで!」
サーファは、クララ五歩程離れたところで両手を広げている。クララの不安そうな顔を見て、これなら少し頑張れるかもしれないと思ったのだ。洗髪剤で髪を洗いながら、その光景を横目で見たリリンは、
(意外と鬼ですね。いや、サーファは、最初からあんな感じでしたか)
運動場でのクララのサーファの追いかけっこを思い出しながらそう思っていた。
クララは、サーファに手を伸ばしながら、一歩一歩ゆっくりと進んで行く。そして、ようやくサーファの元まで辿り着き、サーファに抱きついた。
「良く出来ました。実際に、一人で浸かってみたら、あまり大したこと無かったでしょ?」
「全然大した事です。動きにくいですし、滑りそうですし、怖いです」
「これは慣れないと駄目だね。よし! もう一回!」
「え、えぇ~……」
クララの懇願の目もむなしく、サーファはクララをその場に置いて、また五歩程離れた。
「ほら、ここまで来たら、ぎゅっとしてあげる! だから、頑張って!」
クララは、涙目になりながらサーファに向かって歩いていく。そして、サーファの目の前まで来ると、サーファがぎゅっと抱きしめてくれる。
「はい! 良く出来ました! いい子! いい子!」
サーファは、クララを抱き上げて頭を撫でる。
「じゃあ、今度は少し潜ってみようか」
「えっ!?」
今日は、これで終わりだと思っていたクララは、サーファの言葉に絶望を感じた。
「一度、水の中を体感しておくのは良いですね」
「えっ!? リリンさんもですか!?」
身体を洗い終えたリリンが、湯船に入って来た。リリンは、クララに助け船を寄越すでもなく、サーファの案に賛成していた。
「大丈夫です。サーファがしっかりと抱えてくれますし、潜る時間は三秒です」
「うぅ……分かりました……」
クララの返事を聞いたサーファは、少し深いところまで移動する。
「それじゃあ行くよ。息を大きく吸って」
サーファに言われて、クララは肺に空気を送っていく。
「止めて!」
「むっ」
クララが息を止めたと同時に、サーファは身体を湯に沈める。身体全体がお湯の中に入ったクララは、少し驚いて空気が漏れてしまう。
(うぅ……呼吸が出来ない……これが水の中……怖い……)
空気が抜けて、口の中から大きな気泡が出て来る。それを見たサーファは、すぐに上がってクララを水面から出す。
「けほっ、けほっ」
「クララちゃん、大丈夫?」
「けほっ……大丈夫です」
「良かった。でも、よく頑張ったね」
クララが実際に潜っていた時間は、三秒では無く五秒だった。少し意地悪だったが、サーファとしても、早くこの水に入る事に慣れて欲しいと思っての事だった。
「でも、水の中は怖かったです……」
「そうですね。呼吸が出来ない空間ですから、怖いのも当然です。ですが、慣れれば落ち着く空間に変わるかもしれませんよ」
「そうでしょうか」
この会話をしている間に、サーファはクララをリリンに渡す。自分が抱いているよりも、リリンに抱かれていた方が安心すると思ったからだ。
「よく頑張りましたね。これからは、毎日同じように練習しましょう」
「えっ、毎日……」
「はい。その代わり、出発前日まで続けられたら、ご褒美を差し上げます。美味しいご飯とデザートです。それも大盛りを用意します」
その言葉を聞いて、クララが目を輝かせた。
(本当にこういう部分はちょろいですね。そこが可愛いところではありますが、ご飯に釣られて誘拐されないか心配です)
リリンは、四度目の誘拐があり得るのではないかと思い、少し心配になった。
「私もぎゅっと抱きしめてあげるよ」
サーファがにっこにこの笑顔でそう言う。
「それは、いつも通りな気がしますけど」
「じゃあ、いつも以上に抱きしめてあげる!」
「私、死んじゃわないですか?」
サーファに力強く抱きしめられたら、呼吸困難で死んでしまいそうだとクララは思っていた。実際、何度も息が出来ない状況になった事があるので、冗談でも何でもなく、本当に起こり得る事だった。
「さすがに、そこまで抱きしめないよ。主人を癒やすための行為だもん」
「未だに主人って言われるのは、慣れないですね」
「えぇ~、こっちも慣れて欲しいなぁ。ちゃんとクララちゃんのものって証もあるんだから」
サーファは、自分の首に刻まれている紋様を見せながらそう言う。湯の中では、サーファの尻尾が楽しげに揺れている。
「もっと主人らしく、堂々としていた方が良いですか?」
「ううん。全然今のままで良いよ。可愛くて好きだから」
そう言われたクララは、ちょっと嬉しそうにする。そんな話をしていたからか、クララの中からさっきまでの水に対する恐怖が薄れていた。
その後の一週間は、クララにとって地獄のような一週間だったが、少しだけ成果は出ていた。泳ぎの練習の他に、魔王軍と薬屋に渡す薬を大量生産していった。
それをきちんと見届けたリリンは、しっかりとクララにご馳走をあげた。サーファも、クララが死なない程度にぎゅっと抱きしめてくれた。




