講義(1)
魔力暴走を起こしてから一週間後、クララは、魔王城にある一室にいた。そこは、黒板と複数の机と椅子が置いてあった。誰がどう見ても教室と答えるだろう。
そして、そこにはクララだけでなく、リリン、サーファ、そしてベルフェゴールがいた。そう。今日は、カタリナから知らされていた講義の日なのだ。
クララは、椅子に座って、黒板と向き合っていた。その後ろに保護者の如く二人が立っていた。ベルフェゴールが何かしらの動きを見せても行動出来るようにだ。
そんなベルフェゴールは、黒壇の前の教壇でニヤけていた。こういう人だという事は知っているため、クララは特に何も思わず、講義が始まるのを待っていた。
「ベルフェゴール殿。そろそろ初めて頂いてもよろしいでしょうか?」
講義が一向に始まらないのを見かねて、リリンがベルフェゴールに促す。
「失礼。では、本日から聖女殿に魔法の指導を行わせて頂きます。ですが、先日まで体調が悪かったという事も考慮して、今回の講義時間は短く致します」
「あ、ありがとうございます」
先程までとは打って変わって、真面目な顔でそう言われたので、クララは若干戸惑いつつお礼を言った。自身の体調を考慮してくれたからだ。
「では、今回の講義内容ですが、魔力暴走を起こしたという事ですので、魔力について話していこうと思います。もしかしたら、知っている内容かもしれませんが、その場合は復習だと思って聞いて頂ければ幸いですな」
本来であれば、最初の講義内容は魔法の使い方だったのだが、クララに今必要な知識を優先した結果、こうなったのだ。既に知っていたとしても、もう一度理解して貰う方が良いという判断もある。
「分かりました」
クララは、リリンから貰ったノートを開いて、しっかりと聞く姿勢になる。それを見て頷いたベルフェゴールが講義を始める。
「そもそも魔力とは何か。それは、人族、魔族問わず身体を巡っているものです。ただし、その量には、種族差、個人差が存在します。例えば、リリン殿とサーファ殿でしたら、リリン殿の方が多くなるのです。これは、獣族とサキュバスの違いによるものとなります。ただ、獣族は魔力が少ない代わりに、身体能力が高いという特徴もあります」
この話を受けて、クララは後ろに立っている二人を見た。その視線を受けた二人は、ベルフェゴールの言っている事が合っているという風に頷いた。それを確認したクララは、再びベルフェゴールの方に向き直って、手を上げた。
「質問ですかな。どうぞ」
「あの、人族の魔力は、どのくらいなんですか?」
魔力の種族差の話から、自分の種族である人族がどの程度なのか気になったのだ。
「魔族と比較して考えれば、一番下である獣族の一つ上程度ですな。元来魔族は、基本的に魔力を多く保有しています。それ自体が、魔族の特徴の一つといっても良い程に。唯一の例外が、獣族というだけになりますな」
「じゃあ、聖女は?」
「聖女は……いえ、聖女と勇者は、人族の中の例外になります。歴代の聖女、勇者の魔力量の平均から考えると、魔王様より少し少ないくらいですね」
「そうなんですか……あれ? でも、魔王様って鬼族でしたよね? そうなると、鬼族が沢山の魔力を保有しているということですか?」
「それは違いますな。聖女殿は、魔王城の効果をご存知ですかな?」
ベルフェゴールに訊かれて、クララはリリンに言われた事を思い出す。
「確か、魔族の力を底上げするんですよね? それで、魔王様はどこにいても恩恵を得られるって」
「よくご存知で。その恩恵によって、魔王様の魔力はどの種族だとしても、全ての種族を凌駕する程に強化されます」
「? 魔王様って、皆、鬼族じゃないんですか?」
てっきり世襲制だと思っていたクララは、ベルフェゴールの説明に違和感を抱いた。そんなクララの質問に、ベルフェゴールは首を横に振る。
「世襲制では無く選挙制となっています。魔王様の死後、あるいは、執務の続行が困難な状態になった時に、選挙を行い決める事になっています。ただ、この執務の続行が困難というのは、風邪などによるものではなく、永久に意識が戻らない状態や、四肢全ての欠損など、執務を再開出来ない状態になった場合の事を指します」
「そうだったんですね。そこまでは知りませんでした」
「寿命の関係で言えば、聖女殿が生きている間に魔王様が亡くなる事はないので、経験する事はないと思われますな。話が脱線してしまいましたので、元に戻します」
ベルフェゴールはそう言いながら、黒板に簡単な人の絵を描く。
「魔力というのは、我々の身体の中を流れ続けています。この流れている魔力の量が保有魔力と呼ばれるものです。実際に使う魔力の事ですな」
人の絵の内側に、矢印で循環するような矢印を描く。身体を巡る魔力を示したものだ。
「聖女殿の身体の中にも同じように流れています。これは、理論よりも実際に感じた方が良いでしょう。リリン殿。頼めますかな?」
「分かりました。クララさん、手を出して下さい」
「はい」
クララは言われた通り、リリンに向かって手を出す。リリンは、その手を握る。その二秒後、クララの身体に、ぽかぽかと温まるような感覚がし始めた。
「温かい感覚が、身体を回っているのが分かりますかな?」
「はい。聖女の力を使う時にも感じていると思います」
「ふむ。聖女の力も純粋に魔力だけを使っているみたいですな。てっきり、聖女殿自身の魔力と聖女特有の魔力が混在しているのかと思っていましたが」
「教会では、そんな事を聞いた事がないので、全部私の魔力だと思います」
魔法のスペシャリストであるベルフェゴールも、さすがに聖女についての知識は薄かった。こうして聖女を招いている事自体が初めてなので、聖女の研究が進んでいなくても仕方がなかった。
「なるほど……少し聖女について研究したくなりますな……」
ベルフェゴールがそう言った瞬間、リリンがクララを庇うように前に出る。それだけで、リリンが何を言いたいのか悟ったベルフェゴールは、両手を挙げて降参の意思を示す。
「もちろん、直接手を出したりはしません。そこはご安心を。変態にも矜持がありますから」
その言葉に、リリンは若干呆れ顔になる。だが、それはベルフェゴールの本心だと伝わったため、元の位置に戻る。
「取りあえず、その話は後にしましょう。講義の続きをお願いします、ベルフェゴール殿」
「そうですな。聖女殿は、今回の件で、保有魔力の他にも魔力許容限界という言葉を聞いたかと思います」
「はい。その人が持つ事が出来る魔力の限界値ですよね?」
「その通り。保有する魔力が伸び、魔力許容限界を超えると、今回のような魔力暴走を起こし、魔力許容限界が伸びます。暴れ回る魔力に適応するために、このような事が起こります」
既に聞いた事がある話だったが、クララは真面目にノートに情報を書き込んでいった。
「魔力は、基本的に生物しか持たないものとなっています。自然の力は、別の名前でマナと呼ばれます。こちらに関しては、後日講義しますので、ここでは名前だけの紹介となります。魔力についての基本的な事は、これで終わりです。何か質問はありますかな?」
「魔力暴走を起こさずに、魔力を増やす方法ってありますか?」
ベルフェゴールの確認に、クララは間髪入れずにそう質問した。出来る事なら、魔力暴走を起こしたくないのだ。
「そうですな……一応あるにはあるのですが、これに関しても、少々お時間を頂きたいですな」
「? すぐに教えられるものではないということですか?」
「様々な事情から、そうなります」
「分かりました。待ちます」
もう少し食い下がろうとかとも思ったクララだったが、さすがに迷惑だろうと判断し、従った。
「今し方説明しました魔力が、魔法を使うために必要なものの一つとなります」
「一つ?」
「先程名前を出したマナでも、魔法を使うことは出来ます。これらは、魔力、マナを魔法に変換しているのです。その原理そのものの解明は出来ていないですが、いくつか仮説はありますね」
「仮説ですか?」
「魔力が世界の法則に働きかけているやら、魔力は万能物質だからやらと、そんな感じですな。これらが、まだ仮説の理由は、証明する手段がないからとなっています。これを証明出来れば、一躍有名人になれますな」
「へぇ~、魔力は不思議な物って事ですね」
「そうですな。ただ、この魔力は、魔法以外にも使い道があるのです。分かりますかな?」
ベルフェゴールの言葉に、一瞬首を傾げるクララだったが、すぐに思い当たる点があった。
「魔道具!」
クララの答えに、ベルフェゴールは満足げに頷いた。
「正解です。魔力の仮説を追及していく内に、こういった新しい技術が生まれていったわけです。今では、魔力は生活に不可欠なものになりました」
「魔力って、不思議なものですね。人族領では、戦闘以外に全く利用されませんでしたけど……」
「我々魔族は、魔力の扱いに長けた種族もいますので、魔力に関する発展力は高かったのでしょう。後は、先代の魔王様と先々代の魔王様が、技術革新に尽力したという事もあります。現魔王様も同様に、技術革新を主として動いています。その結果、現在では、魔法を推進力に使った遠距離武器の開発や馬やナイトウォーカーを使用しない移動手段の開発、大型輸送手段の模索などをしておりますな」
「うわぁ、いっぱいやってる……」
色々な開発をしているということで、クララは少し驚いていた。人族領にいた頃では考えられないからだ。
「でも、兵器開発もしているんですね」
クララは、穏健派という言葉から、現魔王であるガーランドは、そういった事はしていないと思っていたのだ。
「そればかりは仕方のないことなのです」
クララにそう言ったのは、リリンだった。
「クララさん自身もお分かりの通り、こちらに戦う意思がなくても、あちらは問答無用で攻め込んできます。それに対抗するための武器は必須なのです」
「そう……ですよね……」
クララは、自分自身が行ってきたことやラビオニアでの事を思い出して、暗い顔になる。クララがこういう反応をするという事を知っていて、リリンは敢えてまっすぐに伝えた。こういった場面で、ちゃんと伝える方が、クララのためになると思ったからだ。
クララの世話係として、これから先も傍にいる以上、甘やかすだけではいけないのだ。時に厳しく言うのも、クララの成長に繋がるという考えだった。
「取りあえず、魔力に関しての講義は、これで終わりです。少しだけ話が逸れることもありましたが、ちゃんと復習出来ましたな。後は、どんな質問でも受け付けますぞ。何でも聞いて下され」
ベルフェゴールがそう言うと、クララは少し考え込む。
「う~ん……あの、変態紳士さんは、長生きされているんですよね?」
クララのベルフェゴールに対する呼び方は、変態紳士さんで固定されていた。ラビオニアでの印象が強いからだった。
「そうですな。現魔王様よりも長生きしております。それが何か?」
「えっと……そうしたら、もしかして先代聖女の事もご存知なのではと思いまして……」
「なるほど。気になりますか? 聖女殿以外の聖女が、どのような人物であったか」
「はい」
クララは、長生きしているベルフェゴールなら、前の聖女について知っている可能性があると考えた。先代聖女などの話を知れば、自分の力をより深く知るきっかけになるかもしれない。自分自身の力ではあるが、まだその全貌を分かっていない。
「そうですな……こうして直接会った聖女は、あなたが初めてです。なので、本当に又聞きの話ですが、聖女殿と同じく能力が弱かったと聞いています。魔族への恨みが薄かったと考えられますな」
「その人も無理矢理連れてこられた人なんでしょうか?」
「そこまでは分かりかねます。ですが、当時潜入していた者が、何かしらの情報を書き留めている可能性もありますな。資料室の閲覧許可が出れば、見てみると良いかもしれませんな」
そう言われたクララは、リリンの方を見る。こういう事柄であれば、まず初めに頼らないといけないのはリリンだからだ。
クララの視線を受けたリリンは、首を横に振る。
「機密情報に近しいものですので、閲覧許可が出るかはわかりません。人族の情報ですので、クララさんが閲覧しても問題はないと思いますが、どのみち申請で時間が掛かります。今すぐには無理ですね」
「そうですか……」
「取りあえず、申請はしてみます。ですが、有益な情報はない可能性が高いです。私もクララさんの有益な情報を集めるのには苦労しました。それでもこちらの欲しい情報は手に入らなかったので、誘拐という手段に出ました」
「ああ……」
クララは、リリンの言葉に納得してしまう。リリンが集められた情報は、聖女としてのものよりも、勇者パーティーや教会などでの待遇だったからだ。それを考えると、聖女の力を知る事は難しいだろう。
「他に質問などはありますかな?」
「いえ、今日は、もう大丈夫です」
「左様ですか。では、次の講義の日程ですが、三日おきにという事で如何でしょうか?」
「最初は、そのくらいの頻度で良いかと。ただ、演習の手伝いもありますので、そこら辺の折り合いを付ける必要があります」
「なるほど。では、ガーランド殿と話し合う事にしましょう。日程がかたまり次第、リリン殿に連絡致します。それでよろしいかな?」
「はい。それでお願いします」
リリンとベルフェゴールで、次の日程の話をし、今日の講義は終了となった。
「では、愛らしい聖女殿。これで失礼します。出来れば、今度お食事」
「駄目です」
ベルフェゴールがクララを食事に誘おうとすると、その言葉をぶった切って、リリンが拒否した。クララに危害などを加えないと分かっていても、譲ることの出来ない事だった。何かの間違いがある可能性があるからだ。
「それは残念です。では、次の講義で」
ベルフェゴールは、全く気にした様子もなく、部屋を去って行った。
「食事くらいなら良かったのでは?」
クララがそう言うと、リリンは真剣な顔で首を横に振る。
「変態である以上、クララさんと食事などはさせられません。これを悔いて、変態で無くなれば良いですが、ベルフェゴール殿が変態でなくなる事はないでしょう。そんな事があれば、天変地異の前触れと認識されます」
「ベルフェゴール様の変態性は、軍でも有名ですしね」
リリンの考えには、サーファも同意見だった。これには、クララも苦笑いになってしまった。
「講義も終わった事ですし、私達も部屋に戻って、お昼にしましょう。その後は、薬作りをしても良いですよ」
「本当ですか!?」
クララは、目を輝かせてリリンを見る。この一週間は、薬作りなど出来なかったので、少し興奮気味だ。
「本当ですよ。サーファは、クララさんの監視と手伝いをお願いします。少し危なっかしいところがありますので」
「分かりました」
「リリンさんは……?」
リリンが薬室に来ないような口振りだったので、クララは少し疑問に思ったのだ。
「私は、ベッドのシーツを洗ってきます。ここ最近洗う機会がなかったので」
「なるほど」
クララが熱でベッドにいる間は、洗濯することは出来ないので、完全に体調が回復した今日が良い機会と判断したのだ。




