喜びと少しの異変
喜びに満たされたサーファは、クララを抱きしめたまま元の椅子に座る。
「私達、人族にはない感覚ですね」
「そうね。同じ魔族でも、獣族だけが持ち合わせる感性よ。それと、この護衛の話に合わせて、リリンとサーファの部屋をクララちゃんの隣にする事になったわ。薬室とは反対の隣に、リリンで、さらにその隣がサーファね」
クララを守るという役目を担う関係で、二人の部屋は、クララの部屋の近くに変更された。宿舎暮らしのサーファは、異例の出世と言えなくもない。
「リリンさんからは、定期的な検診と言われていたんですけど、本当はそう言う理由だったんですね」
ここで、引っ越しの音だと教えてしまうと、サーファ達のサプライズが無駄になってしまう。そのためリリンは検診だと言って、誤魔化したのだ。
「明日には、そっちの壁もぶち抜いて、直通の扉が付くから」
「また扉が増えるんですね」
「そうね。まぁ、もう増える事はないわ」
外に面する壁以外の三方に、扉が出来ているので、これ以上増やしようがない。そもそもここまでの量の扉がある部屋が異常なのだ。
「ここから大事な話なのだけど、街の一区画に薬草園を作る事が決まったわ」
「え!?」
カタリナの話に驚きつつも、目を輝かせるクララ。ここで薬を作り始めてから、薬草の種類が少ないのが原因で、作れる薬の種類が限られていたので、少しモヤモヤとしていたのだ。
「どんな薬草でも良いんですか!?」
「クララちゃんだけのものではなくて、この街の他の薬剤師にも提供するから、あまりマイナーすぎるのは、要相談でお願いね」
「分かりました! 何にしようかな……」
クララは、ニコニコとしながら、栽培する薬草を考えていた。その様子を見て、カタリナは、微笑んでいた。カタリナの今の癒しは、こうしたクララの喜ぶ姿を見ることだった。
聖女を攫う事になった時のカタリナは、ここまで溺愛する事になるとは、思いもしなかっただろう。
「薬草園が完成するのは、二週間後よ。その時になったら、リリンとサーファが同行することを条件に、城下に降りても良いわよ」
「ほ、本当ですか!?」
今日三度目の嬉しい知らせに、クララのテンションは、更に上がる事になった。今まで、城下を歩いた事のないので、こうして許可が出たことが、この上なく嬉しいのだ。
「まぁ、これは試験的なものだから、仮に危険な事があった場合は、また禁止になる可能性があることを頭に入れておいてね」
「はい!」
「あ~……元気が良いところ申し訳ないけど、他にも色々と変わる事があるのよ」
カタリナにそう言われて、クララは姿勢を正す。ちゃんと話を聞くためだ。
「これからクララちゃんには、魔法の勉強をしてもらうわ」
「え?」
まさか、ここまで来て魔法について習う事になるとは思わず、クララは驚いていた。
「これから先、自衛の手段も持っておくべきという話が出たのよ。聖女としての能力を使えば良いという話もあったけど、特性を考えるに、ちゃんと通用するか分からないって判断が下されて、魔法を教えるという事になったの。回復魔法は使えても、攻撃系の魔法とかは使えないでしょ?」
「そういう事ですか」
そう言う理由であれば、クララも納得だった。アークに攫われた時は、先にこっちの動きを封じられてしまったので、何も抵抗は出来なかった。あの状態だと、魔法が使えてもどうしようもないが、使える様になっておいて損になることはないだろう。
「それと、不本意なんだけど、担当講師はベルフェゴールになったわ」
「え!?」
これに反応したのは、ちょうどベッドメイキングを終えて、クララ達の元に戻ってきたリリンだった。
「性格抜きに考えると、ベルフェゴールが適任なのよ。知識と経験で言えば、リリンよりも上でしょ? 一応、実績もある事だし」
「それはそうですが……」
クララは、今の話の中で、少し気になる部分があった。
「実績ってどういうことですか?」
知識と経験は、何となく分かるのだが、実績という部分だけは、どういうことなのか分からなかったのだ。
「ベルフェゴールは、私の娘の講師をして貰った事があるのよ。あの性格だから、少し心配だったけど、問題無くこなしてくれたわ。だから、今回も大丈夫だとは思うのよね」
「……念のため、私達も同席します」
「そうね。その方が良いと思うわ。こっちに関しては、一週間後から始めるわ。クララちゃんが準備をする物はないから、一週間後に指定の部屋に向かってくれれば良いわ。部屋の位置は、リリンに伝えておくから」
「分かりました」
「後は……そうだ。今のところ、軍で試験しているクララちゃんの薬だけど、本格的に支給する方向になるわ。市販の線も見えてきているから、そこも頭に入れておいて」
「はい」
軍の最高司令官であるアーマルドが、訓練で試験的に使用を認めたクララの薬は、その効果を十分に発揮していた。それまで使っていた薬と同様に使える事から、本格的に運用する事になったのだ。これは、デズモンドに待機している魔王軍本隊だけでなく、その他の隊にも支給される事になる。
本隊で試験した結果の支給になるので、他の隊でもそこまで忌避されないだろう。
「これで、今のところ伝えないといけない事は全部ね。色々と変わるから、最初の内は慣れないだろうけど、頑張ってね」
「はい! 分かりました!」
伝えるべき事を伝え終えたカタリナは、自身の仕事に戻っていった。カタリナがいなくなったところで、クララはリリンの方を見る。
「そういえば、リリンさんは、どこまでご存知だったんですか?」
「サーファの件と薬の支給の件だけですね。他の事に関しては、初耳でした。今後の予定も組み直しになりますね。運動の量も減ってしまうかと」
「え? 本当ですか!?」
クララは、嬉しそうな顔をする。運動嫌いのクララからすれば、その量が減るのは大歓迎なのだ。
「密度を濃くしますか……」
「え……」
一転、クララの表情が絶望に染まる。
「そこら辺の調整もしていきます。運動がなくなる事はないので、期待はしないで下さい」
「は~い……」
肩を落として落ち込むクララを、サーファが抱きしめる。
「頑張って運動しないとね。もしかしたら、楽しいって思えるときが来るかもしれないよ?」
「運動嫌いを舐めていますね? そんな簡単に、運動好きにはなれないんですよ」
運動好きのサーファと運動嫌いのクララの意見は、当然のことながら正反対だった。このままだと、どこまで行っても平行線なので、クララは話題を変更する事にした。
「サーファさんは、これから毎日部屋に来てくれるんですか?」
「そうだね。クララちゃんの護衛だから、基本的にクララちゃんの傍にいるよ。力仕事なら出来るから、何でも言ってね」
「分かりました。よろしくお願いしますね」
「うん!」
サーファは笑顔で返事をする。クララの傍に頼もしい護衛が増えた。ただ、クララにとってはそれだけではなく、仲良くしてくれるお姉さんがいるという安心感もあった。
こうして、クララの魔族領生活に変化が訪れた。クララは、その変化を楽しみに思いつつも、少しだけ緊張していた。
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翌日。カタリナが言っていた通り、クララの部屋にもう一つの扉が増えた。リリンは、基本的にそこから出入りするようになる。逆に、クララもリリンの部屋に遊びに行けるのだが、クララの中にその発想はなかった。リリン専用の扉という認識になっているのだ。
その日は、魔王軍演習の手伝いをする日だったので、リリンとサーファに連れられて、演習場に来ていた。そして、いつも通り、観客席から演習を見ていた。
「ここから演習を見るのは、かなり新鮮かも」
「いつもは演習している側でしたからね」
いつも通りであれば、サーファがいるべき場所は、ここではなく演習場の中だ。だが、既に軍から離れ、クララの護衛に転職しているため、観客席で悠々と見学しているのだ。
他の魔族達からは、羨ましいという視線を受けていた。演習に参加しなくてもいいとなれば当然だ。自分の糧となるが、辛いのは変わらない。
「何か質問があったら言ってね! 何でも答えられるから!」
サーファは、胸を張ってそう言った。演習の説明は、少し自信があったからだ。実際に演習に参加していたので、サーファ以上に詳しく説明出来る人はいないだろう。
クララに疑問点があればだが……
「えっと、もうほとんどリリンさんに説明して貰ったので……」
「あっ……うん……」
サーファは、軽くしょげてしまった。クララは、慌ててフォローする。
「え、えっと……でも、説明して貰ったのは、基本的な事なので、まだ分からない事はあります! だから、その時は教えて下さい!」
そう言うと、サーファは笑顔になった。
「うん! 任せて!」
サーファは、勢いよくクララに抱きつく。クララは、サーファの機嫌が戻った事に安堵しつつ、されるがままになった。
「それにしても、今日は、結構激しめの訓練ですね」
「そうですね。この分ですと、クララさんの仕事も多いでしょう。大変でしょうが、頑張って下さいね」
「はい!」
リリンの言う通り、今回の演習では、クララの仕事が多かった。基本的には、擦り傷や切り傷が多かったが、中には少し深めの怪我をしている魔族もいた。
「こんな怪我をしたなら、もっと早く申告してください。本当の大怪我に繋がりかねないですよ?」
「ごめんね。でも、本当の戦場だったら、このくらいの怪我で引っ込むことは出来ないからさ」
ちょっと深い怪我をした猫族の女性に、クララが苦言を呈すると、猫族の女性は、謝りつつそんな事を言った。クララは納得出来ず、少しだけむっとする。
そんなクララを近くにいたサーファが頭を撫でて、落ち着かせた。
「そんなに怒らないで、クララちゃん。実際、戦場では多少の怪我は押して戦わないといけない場面はあるからさ。彼女の言い分も正しいといえば正しいんだ」
「むぅ……分かりました。でも、大怪我に繋がるかもしれないって事だけは、分かって下さいね?」
「うん。ありがとうね。治してくれて」
猫族の女性は、クララの頭を撫でると、立ち上がって持ち場に戻った。そんな風な治療が何度も続き、クララは、ラビオニア以来の忙しさを味わった。
クララの仕事が終わる頃には、演習も終了した。
「ふぅ……」
クララは、息を吐いて脱力する。そこに、アーマルドがやってくる。
「今回は大活躍だったな。こっちも助かったぞ」
「今回は、本当に大変でした。もう少し安全な演習でも良いのでは?」
「駄目だな。生ぬるい演習だと、実戦になった時に、身を滅ぼすことになる。これは、俺達の安全のためにも必要な事なんだ」
そう言われてしまえば、クララも黙るしかない。自分の我が儘で、魔王軍を危険に晒すわけにはいかないからだ。
「まぁ、クララの気持ちは有り難いけどな。ともかく、今回は疲れただろ。もう戻って構わない。ゆっくり休んでくれ」
「分かりました」
「では、失礼します。サーファ、馬車の準備を」
「分かりました!」
リリンの指示を受けて、サーファが動く。リリンは、クララを連れて観客席に戻り、帰りの準備をし始める。そんな中で、ある事に気が付いた。
「クララさん、少しフラついていませんか?」
「え?」
リリンにそう訊かれて、クララは首を傾げる。自分の認識では、特にフラついている感覚はないからだ。だが、改めて、自分の身体を見下ろしてみると、リリンの言う通り少し揺れていた。
「もしかしたら、少し頑張りすぎたのかもしれないですね。今日は、早めに就寝しましょう」
「分かりました」
魔王城に帰ると、クララ達は、すぐにお風呂を済ませて、クララの居室に向かった。その後、夕飯を済ませて、少しだけ談笑すると、普段よりも早い時間に就寝した。
寝付くのに時間が掛かるかと思っていたクララだったが、その予想に反して、すぐに眠りについた。




