デザートはかき氷
車を降りれば、生ぬるい風が吹いた。
夕暮れといえども、うだるような暑さが残っている。
「あつーい」
姫橋優子が不満げに言った。
「かき氷食べたーい」
「今までアイス食ってたじゃねーか」
呆れたように土御門秋春が呟けば、優子がスマホの画面を見せる。
「ねえ、帰りはここに寄ろうよ」
大人の顔より巨大な、常識を逸したサイズのかき氷の画像。青いシロップが涼しげだ。トッピングのサクランボ、黄桃、白桃、スイカといったフルーツが皿から溢れている。
「ふざけんな。仕事で来てんだぞ」
「心がせまーい。秋春は、いつから仕事人間になったの?」
「お前の悪食に付き合ってられっか」
「お腹すいたー」
「アイス食っただろ」
ひもじそうに唇へ指をあてる優子を置いて、秋春は石造りの階段を上る。雑草が生い茂り、苔が生えている。一歩、進むたびに、植物の青臭い匂いがする。
「待ってー」
のんびりとした口調で、優子が秋春の後を追う。ときおり、優子が半袖のシャツから伸びた腕をぺちんと叩く。
「蚊よけスプレーやってくればよかったー」
「お前の血を吸うなんて、蚊も悪食だな」
ごすっ、と秋春は背中を優子に叩かれた。
「いてーよ」
「先輩を敬えー」
「いまさら?」
タメ口で話してもスルーしていたくせに。都合の良い時だけ、年功序列を持ち出す。
「かき氷、秋春のおごりね」
「後輩にたかる先輩って……なぁ」
「稼いでるでしょ、エース」
「同じ部署だから、懐具合は知ってんだろ」
「今月の損害賠償、ヤバい?」
「……それほどでもねぇよ」
石階段を上り切れば、雑草が風に揺れる境内。
崩れかけた本堂が、かろうじて寺だったことを物語る。
生い茂る木々に夕陽が遮られ、辺りは薄暗い。カナカナカナ……、とヒグラシが一匹、かすれた声で鳴いている。
「んで、どこだよ」
秋春が周囲を見渡すが、繁茂した雑草と崩れかけの本堂しかない。何もない。誰もいない。
「んっとねー、探すしかないんじゃない? ほら、『かくれんぼ』って言ってたじゃん」
優子の言葉に、秋春が顔をしかめた。
「おいおい。黄昏時を過ぎて、丑三つ時まで掛かるんじゃないだろうな」
「知らなーい」
「かき氷、食えなくなるぞ」
「それは、やだー」
優子が雑草をかき分け、本堂へ近づく。中を覗いて、秋春に首を振った。
「何もないよー」
「めんどくせ」
がりがりと秋春が頭を掻く。
腰から下げていた薄いポーチから札を二枚、抜く。ふうっと秋春が息を吹きかけると、札はたちまち二羽の白い小鳥になった。
「行ってこい」
白い小鳥が日暮れの空に羽ばたく。
しかし、すぐに戻って来た。
「何もいない……?」
そんなはずは、ない。
「役所の人は、鬼がいるって、言ってたよねー」
それがヒトを食べるのだと、役人は震えながら伝えた。
「子供たちがここで『かくれんぼ』して遊ぶと、鬼に食べられるって。ひとり、ふたり、さんにん。行方不明だって」
「鬼ねぇ」
秋春が呟く。頭上を旋回する白い小鳥を、札に戻す。
カナカナカナ……、と鳴いていたヒグラシの声が止んだ。
「隠れているから、探せってか?」
生ぬるい風が、秋春の足元から立ち上る。草と苔の青臭い匂い。
「変だよねー」
のほほん、と優子が言った。
「何が?」
「だって、鬼を探すんだもん。『かくれんぼ』なのに」
秋春が首を捻る。
「違うのか?」
「……。えーと」
優子が引き攣った笑みを浮かべた。
「秋春って、『かくれんぼ』して遊んだことある?」
「ない」
「うんうん。友達いなさそーだもんね」
憐みに視線を投げられた。
「物心ついたときから、修行三昧だったからな。遊んでる暇なんてねーよ」
「友達がいないことは、否定しない?」
「んなもん、必要ねえ」
それで、と秋春が優子を促す。
「『かくれんぼ』ってどういう遊びなんだ?」
「んっとー、鬼になった子が数をかぞえて、その間に他の子が隠れるの。鬼が『もういいかい』って聞いて、まだ隠れていない子は『まだだよ』って言う。鬼は『まだだよ』が聞こえなくなって、全員が『もういいよ』って言ったら、隠れた子を探す。最初に見つかった子が、次の鬼」
秋春が眉を寄せた。
「おもしろいのか、それ」
「今度、部署のみんなで遊んでみる?」
「ふざけんな」
「照れなくてもいいじゃん」
ふふふ、と笑う優子に、秋春はため息をついた。
「んで、見つければいいんだろ? 隠れたヤツを」
「本当は、鬼が見つけるはずなんだけどねー」
そう言って、優子は口に手を添えた。
叫ぶ。
「もーいいーかーい?」
風に乗って、彼女の声が響き渡る。木々が枝葉を揺らす。
かすかに、声が聞こえた。
「……『もういいよ』だと」
秋春が優子を見る。優子が頷く。
「じゃ、探そう。れっつごー」
「めんどくせ」
秋春が、札を一枚抜いた。再び、白い小鳥になる。
「あ、ズルする気でしょー」
「追うぞ」
白い小鳥は真っ直ぐに飛んでいく。
生い茂る雑草をかき分け、白い小鳥の後を追う。崩れかけた本堂の裏、そこから伸びる獣道。本堂を囲む森の奥へ奥へと進む。
日没を迎えたのか、森の中は薄暗い。ひどく静か。セミの鳴き声、ひとつしない。
獣道の先に、小さな祠があった。その後ろに、何かの気配。
秋春と優子が祠の裏へと回る。幼い男の子が、膝を抱えていた。
「みーつけた」
優子の声に、男の子が顔を上げた。黒髪に大きな瞳。幼いながらも、整った顔立ち。
「……おねえちゃんたち、だれ?」
「君を探しに来たんだよー」
優子が微笑んで、しゃがむ。男の子と目線が合う。
「君、かわいい顔して、すごいね。何人食べたの?」
男の子の周りには、白い人骨が散らばっていた。
「……わかんない」
「そっかー。わかんないかー」
優子が、男の子の顔を手で包み込んだ。
「ずっとここにいたんだね。さびしかった? お腹空いた? もう、大丈夫だよ」
ふふふ、と優子が笑う。
「ねえ、秋春」
「ああ」
白い小鳥を肩に留まらせた秋春が言う。
「喰っていいぞ」
優子がキスをするように、男の子に顔を近づけた。
がり、と固い音。
「お前も悪食だな」
デザートはかき氷か、と秋春が呟く。