思春期は大概ブレーキが壊れている
思春期拗らせガールである遠藤 凪沙は、恥も外聞もなく、幼馴染である黒田 聡の母親に泣きついた。
「おばさん、お願い協力して!」
自分の気持ち、卒業式で目撃したことなどを勢いに任せて全て話した。
後で冷静に考えれば、とんでもなく恥ずかしいことである。
しかし、このときの凪沙は冷静ではなかったので、全く気づいていなかった。
そして案の定、ことが終わったあとに聡の母親と自分の母親から微笑ましい出来事として語り継がれていくことになる。
話を本題に戻そう。
凪沙から話を聞いた聡の母親は、とてもニヤニヤが止まらなくなった。
生まれたときから知っている女の子からの恋の相談である。
普通に微笑ましい。
この時期の子供でしか見られない、初々しい心の機微に胸を踊らせていた。
ましてや相手が自分の息子である。
楽しくならない訳がない。
聡の母親は全力で協力した。
もう高校生になるというのに、浮いた話がなかった息子に彼女ができるかもしれない。
しかも相手はご近所さんで美人と評判の凪沙ちゃんである。
息子には勿体ないと思わないでもなかったが、もう一人の娘と言っても過言ではない程度に付き合いのある凪沙ちゃんである。
普通に協力しない理由がなかった。
計画実行の日、聡の母親は息子に留守番を命じると、聡の妹を連れて出かけた。
聡としても特に用事がなかったので素直に留守番をしていた。
聡がボケっと自室で漫画を読んでいると、来客を告げるチャイムがなった。
聡は面倒臭いなと思いながらも、インターホンに付いているカメラの映像で来客の姿を確かめる。
そして聡は困惑した。
どうせ宅配便か何かだろうと思っていた聡は、ここ数年まともに口を聞いていない、同じマンションに住んでいる女の子がモニターに映っていたからである。
困惑しつつも玄関を開ける。
自分とはあまり接点がなかったが、妹や母親とは仲良くしていたのは知っていたからである。
「何? 今日は愛美も母さんも出掛けてるけど……」
玄関を開けて、開口一番に妹と母親の不在を告げる。
別に他意はない。
この男は何も聞かされていなければ、何も感づいていないからである。
一方の凪沙はというと、久し振りに同じ学校に通う近所の子としてではなく、凪沙という個に声をかけられたことに感極まっていた。
しかも部屋着で、不審がる表情で、である。
それは久し振りに見る、素の聡だった。
もう満足かもしれない。
凪沙はだいぶ拗らせていた。
返事もなければ、動きもしない凪沙を見て、聡はあることを察す。
(あ、予想外の人間が出て来てびっくりしたんだな)
「じゃ、そういうことだから」
(わかるぜ、久し振りに面と向かって話したもんな……)
微妙に掠めていったが、全然察せていなかった。
聡は完全に用事は済んだと考えている。
そのことは凪沙にも鋭敏に伝わった。
このままでは目的を達成することが出来ない!
凪沙は急速に立ち直る。
「ちょっと待って! 今日はアンタに用事があるのっ!」
凪沙の突然の再起動にびっくりする聡。
「え、あ、そうなの……?」
何事だろうか。
小学生の頃に話しかけるなと言われたとき以来の会話である。
その相手から用事があると告げられた。
いったい何を言われるのだろうか。
聡の困惑は続く。
閉じかけた扉を、もう一度開ける。
正直、腕が疲れてきていた。
玄関の扉は意外と重いのである。
このマンションの玄関扉は外開きである。
つまり開け続けるということは、重い扉を押し続けているということだ。
早くしてくんねぇかなぁ……、という思いが聡に溢れる。
聡が焦れ始めたそのとき、凪沙の覚悟のチャージが完了した。
俯き加減だった顔をキッと聡に向ける。
そのとき目に飛び込んできた聡の顔は、迷惑顔だった。
(何よっ、私の告白は迷惑だとでも言うの!?)
完全に被害妄想である。
このとき聡は、凪沙の覚悟がチャージするのを結構待っている。
もう腕がダルくて仕方がない状態だった。
もういっそうドアストッパーを使ってやろうかなぁ、などと考え始めていたときだった。
そして突然睨まれた聡は気圧される。
(え、何?)
チャージが完了した覚悟に、怒りがブーストされた凪沙は、聡の胸に両手を当てると、そのまま玄関の中に押し込んだ。
そしてこんなことをされると思っていなかった聡は、抵抗することもなく押し込まれる。
支えるものがなくなった玄関の扉が、バタンと閉まった。
(え、なになになに!?)
肩で息をする凪沙と、ただただ恐怖する聡。
凪沙の発する雰囲気と、玄関という狭い空間に押し込められた聡はただただ怖かった。
後ろに廊下が広がっているにも関わらず、後ろに下がるという選択肢がこのときの聡からは抜けさっていた。
人間は訳のわからない状況に追い込まれると、頭が真っ白になるものである。
そして、そんな聡に向かって、凪沙は指を向ける。
足を肩幅に開き、左手は腰に当て、右の人差し指を聡に向かって突き出す。
なんならちょっと仰け反って偉そうなポーズだ。
「聡! あたしの彼氏をやりなさい!」
顔を羞恥と興奮で真っ赤にしながら言い放つ。
突然の宣告に、聡はぽかーんとしてしまう。
凪沙は恥ずかしさで震え出す。
そこに勇気を出して告白したのに、何の反応も返さない聡への怒りも合わさってきた。
そして爆発する。
「何とか言いなさいよっ!」
ちょっと半泣きだった。
この咆哮に聡の硬直が解ける。
そして混乱状態に陥った。
しかし何も言わないのはまずいと判断した聡は口を開く。
「どうした、気でも狂ったか? まあ、とりあえず落ち着けよ……」
一応ここで聡の擁護をしておくと、けして悪意があって言った言葉ではない。
混乱状態の脳が弾き出した言葉のチョイスが適切ではなかっただけである。
しかし口から発せられた言葉を取り消すことは出来ない。
余裕のない凪沙は、気が狂ったのかという言葉の破壊力に耐えられなかった。
「うぅっ……、ひどいよぉ……、人が……、勇気を出して告白したのにぃ……、気が狂ったなんてぇ……」
そのまま玄関にうずくまって泣き出してしまった。
これに聡はギョッとする。
正直に言って自分が何を口走ったのかは覚えていない。
しかし自分の口走った言葉で女の子を泣かしてしまった。
しかも目の前で。
ここで聡も心のキャパが崩壊した。
「ご、ごめんっ、そんなつもりで言ったわけじゃなくて……!」
妹と喧嘩をして、妹が泣いたときには、放っておいてもそのうち泣き止むが、この状況で泣いている女の子を放っておく選択肢は、さすがの聡も取れなかった。
こういうときどうすればいいのだろうか……。
聡は必死に頭を働かせた。
今までで一番頭を働かせたのではないだろうか。
そんな聡が導き出した答えは、泣いている凪沙の背中を撫でてあげるであった。
何故その答えに至ったのか。
それは妹が母親に泣きついたときに、母親が妹にやってあげていたことだからである。
そんな聡の手の温もりを感じた凪沙は。
(聡優しい……、好き……)
となっていた。
凪沙は色々と拗らせていた。
自分を泣かせる一言を発したのは聡であるということを、凪沙は頭の隅に追いやった。
一方の聡は手の平から伝わってくる熱や、髪から漂ってくるシャンプーの匂い、そして服越しに感じるブラの感触にドギマギしていた。
聡も男の子である。
そういうお年頃なのだ。
察してあげてほしい。
そんな状況も凪沙が落ち着いてきたことで終了する。
聡は少し残念に思いながらも凪沙に声をかける。
「少しは落ち着いたか? 少し休んで行くか?」
「うん……」
聡に下心がなかったかと言うと嘘になる。
もう少しこの時間を過ごしたいと思っていた。
一方の凪沙はというと。
(聡優しい……、好き……)
となっていた。
凪沙は色々と拗らせていた。
そんなこんなで聡しかいない家に踏み込んだ凪沙。
もうすでに満足感に包まれつつあったが、目的は達成されていない。
第二ラウンドの始まりである。