はじまりは中庭で。
可愛い。3番線のベンチに鞄を挟んで座った時、君をちらりと見てそう思った。きっかけなんてそれだけ。俺は高校2年の春、初めて女の子の顔に姿に、脳みそが支配されるという事になってしまった。
寝ても覚めてもドキドキして、おはようからかな、何処の学校なんだろ……。俺は新快速に乗るし、あの子は違うようだし、名前聞きたいけど……。
アナウンスが流れて、立ち上がる。何時も忘れ物が無いかと一度振り返る。その時少しだけ……何時も笑って大丈夫と、恥ずかしそうに笑って確認してくれる。
「お前、それは脈が有るからさっさと言え!」
皆にそう言われては、いたのだけど……、ちょっとの幸せがとてつもなく大きくて、壊れそうで俺は何も言えない。
3年目が来たというのに、言えてなかった。
じーわじーわ、じーわじーわ……、ジー。夏休み中の校内、緑の木々に蝉が止まって鳴いている。敷き詰めている煉瓦が、ジリジリ焼ける中庭。面倒くさそうな声が、ムワッとした午後の空気と混ざる。
『冬夏青青 世界平和』
校訓が刻まれている石碑の前。離れたグランドからは部活動に勤しむ後輩達の声。
「まさか美紗子の想い人が君だったとは、世の中狭いわよね……3年D組関山 清君、この私を呼び出してどういうおつもり?」
「あの……ふぇ?え!想い人?嘘だぁ!そ、そそそれ!本当?えええ!ぐ……ふぇ、うわぁぁぁん……そ、そんらぁ、えぐえぐ……」
決死の覚悟で下駄箱に、夏期講習終わったら、ここで待っているというメモを入れた相手は、櫻之宮学園きっての美少女。高等部3年A組、玉虫 虹子さんのお言葉を聞き、不甲斐ない俺はその場で大泣きをしてしまった。
小さい頃より、喜怒哀楽が大きい俺は心を動かせば、たやすく涙にくれるのだ。
「彼女ね、君の事が好きって」
グサッと刺さる彼女の言葉。
「素敵な人だって、ヘタレのどこが?」
ウッ……何も言えない。
「それで御用は何?私、放課後は忙しいの」
「ふぇえ、え、え。好きだって言おうとしてたら……、してたら。美紗子ちゃんあんな事になって……」
そう、俺には初恋の相手がいた。名前は玉原 美紗子、人づてに話を聞いて、名前と年と事件を知った。
「全く!世も末ね!好きな男からは、告白はまだだし、おまけに転落事故に巻き込まれ……」
「う、う、う……。どうしてあんな事になったの?あの、それで……、玉虫さんは彼女と、ど、どういったご関係で?詳しく知ってます?俺……先に出るから……」
関係は従姉妹よ、詳しくは知らない。そう答えをもらえた。そうかよく見れば……、どことなく似てない。美紗子ちゃんは、黒いストレートに、毒舌を吐く赤い唇ではなかった。
髪をポニーテールにしてて、優しくふんわりとしてて、俺はその隣で座っているのが、ただただ幸せで、このまま続くのだと思ってたんだ。
毎朝、6時35分、3番線のベンチに鞄を挟んで座る。ほんの数分だけど……、いつか好きだって、言おうと思ってたのに……
「美紗子は確かに、どんくさいところがあるわ、すぐ転ぶし踏み外す事は日常茶飯事、全く!覚えてらっしゃい!調べ上げたら、きっとバチを当ててやるわ!それで何、顔、拭きなさい」
うえうえ泣いている俺に、ズケズケ話してくる玉虫さん。ドラマやマンガだと優しくハンカチを手渡してくれるパターンだか、その期待は薄そうだ。玉虫さんは、腰に手を当て思いっきり上から目線だ。
夏場は腕で拭うにも夏の制服じゃぁ布地が無い、シャツをたぐり上げるのも何だし、なのでポケットに突っ込んでいる、ハンドタオルを取り出し、汚れた顔をゴシゴシと拭く。
「うん……あのその。玉虫さんって……その、見たり祓ったりしてるって、聞いたんだけ、ど……、ホント?」
さっさと聞けと言わんばかりの彼女なので、バチを当てられそうだったし、俺は遠慮なく聞いた。それにしても、不思議だ。午後の中庭を選んだ事をひたすら後悔をしている俺。
焼けこむ暑さに包まれ、汗ダラダラなのに、玉虫さんを見たら、汗ひとつかいてない、木陰の風に吹かれているかの様に、爽やかで涼しそうな顔をしている。
「ええ、ホントよ。放課後は大抵、仕事が入ってるのよ。夏休みは特にね。だからさっさと下校したいの!今日はこれから、駅ナカに見てほしいトイレがあるって頼まれてるから。で何?」
「お……、お願いします!俺『見たり、聴いたり』出来る様になりたいんです!」
「は?見たり聴いたりって何?私に聞くんだから……、まさかの霊体とか妖怪?」
そうです!お願いします!と、ここは当然の行動。土下座に出た俺。は、即座にその行いを激しく悔やんだ。ふおおぉ……、何故にどうひて。
俺の手の甲を巨大な『蟻』が、チクチクモゾモゾ……。おまけに、熱いのだ。焼けたは煉瓦は石焼きプレート。
じーわじわ、ジーワジワ、チチ……。ジリジリ、チクチク、チクチク……モゾモゾ、背中に感じる蝉の声。首筋と手のひらに熱。ぬるりと筋引き流れる気持ち悪さ。そして蟻……。アリンコ、ありぃぃ。
ジーワジワ、ジーワジワ、ジー、チチ!
聴こえる声に刺激され、脳裏に浮かぶアブラゼミが無残に転がっていた、アスファルトの映像。小学生の頃だったか。たまたま見つけて、何気にしゃがみ込み観察してしまった。
――、暑い日のプール帰りの道。転がる蝉の虚ろな目玉から、蟻がゾーロゾロ……。分割された頭部と胴体、網目の様な羽がバラバラに。
蟻が、出たり入ったり、でたりはいったり、デタリハイッタリ……。口に小さな小さな肉を咥えて、巣に運ぶ。やがて内から食い尽くされた獲物は、夏の太陽に焼かれて、カラカラに干からび、バラバラになり……。
ぞわぞわぞわぞわ……。ゾワゾワゾワゾワ。
「ふぉあああああ!ありぃぃ!」