空色ブルース
重複投稿です(noteより)
今ここじゃない場所。でも、今だイマこの瞬間の、そうイマのお話をしよう。
物語の舞台は、誰も知らない場所。自分じゃ何もできないって思ってる。信じちまってる。その臆病な人間のアタマをハンマーでかちわるようなキセキのお話を始めよう。
マチはこの街の事が好きだ。よく行く図書館の赤茶色の煉瓦は、なかなかオシャレで、そのてっぺんから見える景色は、この街を全部見渡すことが出来る。
けれど、図書館の建っている隣にある、山というよりは少し低すぎるが、丘とも言いがたい場所の頂上に建つ塔から日に3回、7時と12時と21時に流れる鐘の音はどうにかできないだろうか?
日に3度鳴る、あの鐘の音はなんとかできないだろうか? マチは悩む。別にマチも人生が始まった始めからあの鐘の音が嫌いというわけではなかった。
マチの小さな頃は21時の鐘の音は
「良い子は寝る時間!」という母が、少しふざけて怒ったフリをするその合図だったので、そのたび「キャー」とさけびながら布団の中にもぐりこんだ事を覚えている。
そんな記憶が確かにある。
そのころはマチはまだ、あの鐘の音が嫌いではなかった。いや、むしろお気に入りの音のひとつだった。
マチには他にもお気に入りの音があった。それは、マチの父が酔っ払った時に時々弾いてくれるどこか哀しげな、しかし、なんだかウキウキもするような、不思議なギターの音だ。
その曲の名前は忘れたが、ブルースというジャンルの曲のひとつで、ブルーというのはマチでも知っているが外国語で「青い」という意味だ。
マチにはなんで「青色」ということばがその曲をあらわしているのか以前父に言って感心されたことがある。
「ねえ ブルースって青色って意味でしょ? 青って空の青だよね? でも、空はさわやかな青だけじゃなくって、夕焼けの赤色だってある。そして、夕焼けの赤色はちょっとさびしい気持ちになるよね? さわやかな青色とかさびしい赤とかブルースって実は空自体のこと?」
マチの父はその言葉を聞くともともと大きな目をもっと見開いて、マチをまじまじと見つめると
「驚いたな……。」と独り言のように呟いた。
マチはその父の反応を見て、自分が正しかったのだ、しかも、自分の年でそこまで理解できる子供はそうそう居ないのだと、得意になったことを覚えている。
そして、そのすぐ後にマチの父が上機嫌になって、ジャカジャカと2度ギターをかき鳴らしてその曲を終わりにすると。
ギターをスタンドに立てかけ、そのあぐらをかいた足の上に、小さなマチを後ろから抱き込むように座らせてくれ、頭を優しく撫でてくれたことも覚えている。
マチの記憶はわりと、音に関することが多い。
鐘の音については、昔好きだったものが今は、そうでは無くなってしまったというのでマチにとっては少しさみしいような悲しいような気がするが、しかし、人との関係も上書きされて行くように。好きだった音に対する意見や考え思いも移り変わったりもするのかなと感じている。
「ブルースだなあ……。」つぶやいて
マチは図書館のてっぺんで、そんな思いを巡らせていた。
この街は7時と12時そして21時に鳴り響く鐘がある。良い子は起きて(7時)飯食って(12時)寝ろ(21時)って合図になっていて、この街の人々の心に鳴り響いては、染みついて毎日それを繰り返している。
物心ついたこの街の子供たちは、いつかこの街を出て行くまでその音を聞き続けて暮らしているんだ。
ユーゴもその中の一人だ。この街に暮らしている。そして、毎日7時と12時と21時にその鐘の音が聞こえる家に暮らしている。
街の人々と同じようにユーゴも7時に起きて12時に昼食を食べる。さすがにもう、21時にベッドに横になることはないけど、ただ、その他の街に住む人々と違うところは、ユーゴには両親がいないということだ。
まだ幼いユーゴにはちょっと理解できない理由があるみたいだが、まだ幼いから、ユーゴにはちょっと意味がわからない。
「この世の中には自分じゃどうしようもない理不尽なことがある。」
ユーゴは、そういう大人達にかこまれて育ってきたことで、他人からみたら「不幸」といわれるようなその境遇も
「そんなもんかな」と割りきって考えることが出来ていた。
まだ、幼いユーゴにはどうにも出来ないことがあった。それは、お腹が空くこと。夜に眠くなること。7時と12時21時に鐘がなること。そして、ユーゴには両親がいないということだ。
他にもたくさんあるユーゴ自身にはどうも出来ないことを、一度ユーゴは紙に書いてリストアップしてみたことがある。それなりの分量があったがユーゴはその紙を無くしてしまったし、もうほとんど忘れてしまった。
だってしょうがないじゃないか。
自分じゃどうにも出来ないんだ。
それに気付いて、それと向き合って、それを紙に書いてみただけでも十分じゃあないだろうか?
大切なのは
「そういうことがある。」と気づくことだ。苦しむなら忘れた方がいい。かなしいことからは目を背けて。苦しいことはなるべく避けて。きびしい言葉は聞き逃す。
「まともな人間」と呼ばれるためにはそうやって生きるしかない。ユーゴは自分では、まだ幼いと言っているが、幼いということを自覚出来ているなら十分に大人だ。
でも、ユーゴ自身は考える。自分は「まともにはなれない」と思っている。「まともな人間」とか「まともな大人」っていうやつは、なかなか自分よりも正しくて、そして強くてゆうずうがきかないともユーゴ自身、最近になって気付いた。
ユーゴは「そうはなれない」というよりも、「そうはなりたくない」気持ちの方が強い。
だから
自身を「まだ幼い」と定義づけすることで「他人」と(いや、この場合普通との)ある種、壁をつくって、自我と自分らしさとを保っている。
「まだ幼い」ながらも、彼は大切なのは、気づくことだと考える。
先に述べたがユーゴは、ままならぬ境遇、生活について考察して、そして「そういうことがある」と気づくことが自分には必要だと思っていたし、そして、いわゆる「まともな人間」はその事から目をそらすということにも気付いた。
そして、正しく、強く、融通がきかない「まともな人間」はまるで、幼い子供がダダをこねるように「だってしょうがないじゃないか」を繰り返し、自分ではどうしようもないから、諦めるということにも気付いてしまった。
それからというものユーゴは「だってしょうがないじゃないか」はもうやめにしようと考えるようになった。
そして、「まとも」であるよりは「変わってる」。
「大人」になるよりは「幼い子供」でいようと決めた。
そして、この世界の理不尽さ、いや彼の生きる世界の「当たり前」と静かに対決すると決めた。
ユーゴは考える
もし面と向かって反抗すれば潰される。斜に構えて何もしなければ叩かれる。
かといって、何もしないままなんてもういやだった。
ならば、彼はアタマの中で心の中で精一杯の反抗をしようと考えた。よもや、心やアタマの中は覗かれないだろう。
そうだ、なら何を考えたって、何に気付いたって、罪にはならない。考えや思い感じたこと意見を自分自身の中で留め置いておけば何も問題はあるまい。そして、誰の迷惑にもなるまい。ならばオレは
「まだ幼い」と人から思われ笑われて。そのじつアタマと心オレのオレである真ん中の部分は誰にもあかさずにこの人間を演じつづけてやる。
そうすることで「まとも」や「当たり前」と決別してやろうと決めた。
心の中アタマの中だけは、オレはオレでいよう。そして、外側は幼い子供でいようじゃないか。
ユーゴはそう決めた。
しかし、それは、実は人間の心にとって危機的なことだということには気付かなかった。
彼のアタマと心は、常に「まとも」を疑って「世界」に喧嘩を売りつづけ疲弊しつづけることになったのだった。
人間は(いや、どんな生き物もおそらくはそうだが)緊張と弛緩の中で生きているものだ。どちらか一方だけを続ける事は出来ない。例えるならば呼吸がいい例となるだろう。呼吸するどんな生物も息を吸いつづける事は出来ない。同じように生物は常に緊張しつづけることは出来ない。
ユーゴの闘いは、彼の心とアタマに、常に「考える」そして「疑う」という緊張を伴う行為を強いる事になった。
結果彼の心とアタマは、空気を入れすぎた風船のように思考の圧力で破壊された。
ユーゴは精神を病んでしまった。
お巡りさんお願いです その銃で ボクの頭を撃ち抜いてください いくら首を振ったって ボクは覚悟できてます そのために ここまで歩いて あいにきて お願いします よろしくどうぞ こわくなんてまったくありません カチカチ 奥歯を力無く噛み カタカタ ふるえるやせっぽち お巡りさんお願いです ボクを助けたいのなら ボクを救いたいのなら 腰につってるその銃で ボクの頭を撃ち抜いてください 雨に濡れたから キット 生きてたら 明日は 風邪を引いちゃうから ボクの頭を撃ち抜いて ラクにならせてください ボクは少しおかしいんです
ユーゴの状態は悪く
彼の心はボロボロとひび割れたうえにカラカラになって、頭はただの飾りオズの魔法使いに出てくる案山子になってしまったみたい。考えをまとめようとするが、なにか、霧かもやのようなものが思考の海の航海の行く手を阻み、藁がつまっている方がまだマシなくらい、ボンヤリとした状態で
自ら命を絶とうとしていたところを警察に保護されて、隣町の精神病院に入院した。
ユーゴはいわゆる「まともな人間」じゃなくなった。
錯乱した彼の頭のはたらきが以前の状態に戻ったとき、彼はいわゆる閉鎖病棟に入院していた。自傷他害の可能性があるので、病室には、ヒモ靴は持ち込めずメガネも無かったので、ユーゴの景色は彼が少し落ち着いて考えられるようになった後もボンヤリとにじんで、彼の目は以前のアタマと同じように世界を写した。
少し落ち着いたユーゴは病棟の個室に入っていた。周りを力無くぼんやりとそしてゆっくりとみまわすと、病室はベッドと仕切りのむこうに便器があって、扉には鍵がかけられるようになっていた。
ユーゴはあとになって思いだそうとしたが、結局思い出せずにその個室での数日か数十日かを忘れ去っていた。
ただ、「何もしない」ということをしていた気がする。
というか、その事だけは思い出せた。
しかし、思い出すことが出来たのはそれだけだった。
何をしていたのかー何も
何を考えていたのかー何も
何か気になることはー何も
何かしたいことはー何も
何か言いたいことはー何も
とにかく疲れていた彼は「何もしない」をひたすらしていた。なので、誰かに質問されても当時のことは上手く答えられない状態だった。
とにかく外の世界と隔絶されて「なにもしない」ことしか、彼には出来なかった。
いや、ユーゴには他のことをする気力や思考力が戻ってきていなかったのでまるで独房のような部屋でゆっくりと、ただ「なにもしない」で過ごしていた。
外の世界のことは、知らない、わからない、知るスベも無かった。
外の世界は彼のことになど、全く興味をしめすことなく、いつも通り7時と12時と21時に鐘がなっていた。
けれど、病院のある隣町まではその音は届かず。ユーゴは入院中鐘の鳴る音を聞かなかった。
マチは朝目覚めるとふと考えた。そして気付いた。それからその考えをノートに書きとめた。わかりやすいように簡単な形にして。しかし、わかりやすくしたがために、読む側が勝手に解釈して、誤解する可能性だって十分にあった。
しかし、マチは書いた。
書かずにはいられなかった。
マチはなぜこんな気持ちになるのか、よくわからなかったが、マチの好きな歌の歌詞を思い出して呟いた。
「こたえは風にふかれてる そうさ 風にふかれてる」
マチが書いた。マチの答えを、考えを、ここに書き写すとする。読み手の誤解や混乱を恐れることなくマチの書いたママで書き写すことにする。
マチのノートにはこう書いてある。
例えば、かなしいことがある。その人はたぶん、世界で一番不幸だとそう思うくらいかなしいことがあるとする。そうしたなら、きっと、その人は世界で一番不幸な人だ。例えばその人が世界で一番楽しいトキを過ごす(バンダイのキャッチフレーズか!?)とする。そうしたならキット、その人は世界で一番楽しいトキを過ごしていることになる。つまりは、我々の感情や境遇から生じる、自分の気持ちなんかは、個人的な事柄できっと他の人には伝わらないものなんだ。世界で一番不幸なのは自分で、幸運なのも自分自身だ。まわりの目線で、あの人は不幸だと思われているときも、自分自身で「ああ 不幸だ」と思ってるときも。結局は個人的なことがらなんだ。タンスのかどで足の指をぶつけて痛いのも、ムカッとくるのもその痛みも、その人自身じゃないとわからない。例えば親がいないという境遇で、世間的にみたら「不幸だアノ子は」「かわいそう」って思われるような人物も、大声で笑い楽しいトキを過ごすことが出来るんだ。いや 出来るというより、きっとそうしている。我々は、他のダレカになりかわることは出来ない。だから、生きるという事は、個人的な営みだ。なんかの本で、だれか物分かりのいい大人が書いてたけど「人生は遠くからみたら喜劇で、近くからみたら悲劇である」「クローズアップとロングショット」とその人は確か表現してたな。。このノートに書いた考えは、この考えだって個人的なものだ。しかし、この世界で「個人的でない」ものごとなんて あるんだろうか?書いてるうちにわかりやすい例えがうかんだ。それを最後に書くとする。これは詩みたいだが詩なのか?モノローグなのかそれとも若者の戯言か なんだって構わない 個人的な事柄だ、とにかく、これを書いているイマ。これを考えた人物は世界で一番の人物ってことになるだろう。朝6時に起きてノートに考えを書いて7時に鐘の音が鳴る。そしてこの詩を書いている。世界で一人っきりの1番がここにいる。
失恋した カナシミの大きさは大王イカ並だ
そんなの 小さいことだろう じゃあ 泣いてる
ボクのカナシミは それをたべる
マッコウクジラ並だ
なあんだ そんな ていどなの?
私は私のカナシミは
イカやクジラのすんでいる
大きな海の広さなみ
ではではオイラは……それよりも……
もういいよ
カナシミの大きさを人とくらべたって
イミはないんだから
せいぜい めいめい
世界で一番のカナシミの 大きさを
自慢すればいい「地球で1番」「世界で一番」
でも
オレのカナシミはなんてったって
この宇宙より大きいんだけれどな。
これを書いたあと、マチは、ホットミルクをいれて飲んだ。7時にはいつものように鐘がなった。そして、マチは眉間にシワをよせてチッと舌打ちをした。
ユーゴは自分の入院生活の事を思い出すとき、そんなに「辛い」とか「かなしい」とは感じない。おそらく、と彼は考える。
「つらい」とか「かなしい」という感情は一過性のものなのではないだろうか
ある一瞬、あるかぎられた期間その感情に浸り、自分は「つらい」「くるしい」と感じたりする。しかし、寒い冬が永遠に続かないように、この星はクルクルまわって、また暖かくなる。「つらい」「くるしい」という思考の螺旋の、どん底で、「つらくてくるしい」と感じたユーゴ自身はおそらく本物だろう。けれど、その気持ちは永遠に続かず「そうでもない」イマにいたっている。
まとまらない、アノ入院生活のときの混乱は、永遠には続かず「そうでもない」イマにいたっている。
繰り返すような平凡な日々は、永遠に何も変わらず続いているし、これからも続いていくように見えるし、感じるけれど、この宇宙に永遠なんてものはない。すべてのものは移り変わっていく。
「万物は流転する」byタレス
や
「ゆく川の流れはたえずして……。」by兼行法師
という言葉達がアタマの中をクルクルまわった。徒然なるままに、ユーゴの考えは巡り、自分でも少し楽しくなってクスッと笑う。
ユーゴは「普通」ではないし、「まとも」であることもやめた。おまけに心を病んでいるとされ入院だって体験した。
でも、我々はユーゴとどう違うと言うのだろうか?
マチはその伝説のことを知っていた。
ユーゴは全く知らなかった。
そして、セージはその伝説を信じて行動した。
12時になった時に鳴る鐘の音はもう、とっくに薄く拡散してしまった。もしも、音が太陽ならば、ギラギラと街を照らした後、真っ赤に西の空を照らすようになる、そのくらいの時間が経過したあとの十字路にて、3人は、はじめてお互いの存在を確認した。
ユーゴが退院し、マチが図書館のてっぺんで、「ブルース」を感じたその日の十字路で3人は互いの存在を確認した。
これは、共時性とか偶然と言いかえることも出来るが、あえて言う。そこで、キセキが起きた。
月並みな言葉だが、キセキは本当にある。本当に起こりうる。それも、地球の裏側や、海の向こうとかいった遠い非現実的な場所ではなく、起こるのは、いつも、イマ・ココだ。
そのイマ・ココをつくりだしたのは、3人の人間のバラバラで自分勝手な行動だが、それのおかげで3人は十字路でお互いに出くわすことになった。
十字路で「ブルース」が産声あげた。これに偽りはない、だって、実際本当に産声あげて「ブルース」が十字路で鳴り響いたんだ。
ユーゴのキセキの前触れは。入院していた病院の作業療法(OT)の時間に偶然手に取ったCDの音にさかのぼる。前にも書いたが、ユーゴは「何もしない」でいたかった。しかし、OTの時間に「何もしない」でいると、入院患者の中でも浮いてしまい、職員に「何か好きなことか興味が有ることないですか?」と丁寧にたずねられるので、そうされないため長テーブルにずらりとならんだヘッドホンつきのラジカセで、自分の世界に閉じこもりCDを聞きながら何もしないでいようと思ってラックから2、3枚適当に抜き取った。そのときのCDがサニーボーイウィリアムソンのCDだった。
CDのジャケットにはボロボロの服を着て、ヒゲをモジャモジャとだらしなくのばした男の写真が印刷されていた。
ユーゴは偶然選んだCDのジャケットのその男が、なんだか自分みたいだと思った。ユーゴ自身もおそらく入院せずに、もし、外の世界で今生活するとしたらおそらくこうなるだろうな。入院中に電気シェーバーで毎朝剃っているヒゲはのばしっぱなしだろうし、服は着っぱなしでヒゲを剃り服を着替えることもやらず「何もしない」で日々を過ごすうちにCDの男のようになる。まるで、入院していない自分の姿を見ているようだと一瞬だけ思ったが、すこしの違和感が彼を襲った。
サニーボーイのCDの男をよく見ているうちにユーゴは、この男は自分とは違うと感じた。
違和感の原因はその男の目だった。
ボロボロの服でモジャモジャのヒゲをのばして、ダラリと道の隅っこで寝転がっているその男の姿は、人生を諦めたようにも見えたのだが、しかし、目だけはイマをアキラメていなかった。すべてと向き合っていた。その男の目は生きていた。精一杯世界に向き合っていた。
ラジカセの再生ボタンを押そうとしたユーゴの手は少しだけ躊躇ったが、結局、力強くボタンを押し込んだ。
そのときのユーゴには、流れてくる音が一体何の音かわからなかったのだが。行ったり来たり、また行こうとしたり、でも結局その場から動けないでいるような、そんな音色が耳から流れ込んできた。
青空のようにあかるくて、でも、少し無理してそう振る舞っているような。サニーボーイ・ウイリアムソンが奏でる、何かわからない楽器と彼の歌声が、サニーボーイが奏でる音が、決して押し付けではなく奏でられるその音楽にユーゴーは数秒でみせられてしまった。
その日、ユーゴは「ブルース」にであった。
疲れきってカラカラにひび割れている。水もない砂漠で迷子になったみたいな、彼の心とアタマに、サニーボーイは雨を降らせた。
彼の心には「ブルース」が染み込んでいった。
マチとブルースとの出会いは前に書いた。
だから、新しく物語に登場する人物のことと、そのもう一人のブルースとのかかわりを書くことにする。
そう、十字路で伝説を信じて、それを実際に行動にうつしたセージの事だ。
セージの奇妙な行動の原因は有名なある伝説に関係している。
真夜中12時に十字路で一曲演奏する。そう、一曲やらかしたら、そこにブルースの悪魔が現れて。人間業じゃないくらいのテクニックをその魂と引き換えにあたえてくれる。
いつだって、若者はバカモノであれ。著者は誰かがそう言っていたのをきいたことがある。ユーゴ、マチ、セージは先の表現を借りると、3人ともまだ幼い若者で、そして3人ともバカモノであった。
暗く始まった物語は第二部に展開していく。バカモノ子供たちのブルースするお話だ。
三人のバカモノは、それぞれ、ブルースと現状への不満をめいめい破裂しそうなくらいその小さな体にため込んで、その十字路で遭遇した。
時間は少し巻き戻り、太陽が空から街を照らす時間まで時を戻す。
ユーゴは詳しくない音楽に関する知識を補うため、インターネットの知識を借りた。
どうやら、サニーボーイ・ウィリアムソン2(2というのはサニーボーイというプレーヤーは2人いて、そのうちの1人だからこういうらしい、ちなみに血の繋がりはないそうだ)があのCDで、歌いながら演奏していたのは。
ブルースハープという楽器らしいということを知った。ちなみに、ブルースハープは小さなハーモニカの事だ。
ユーゴは彼のCDとブルースハープを買うために、入ったことのない楽器店に入った。
店内はギターだった。
なんというか、ユーゴはその光景に圧倒されてしまった。様々な色・形のギター・ギター・ギターそしてギターが天井から、だらんとぶら下がっているのを見て、数年前にいったぶどう狩りの事を思い出した。ぶどうのように天井からぶら下がるギターの群れは。ユーゴを威嚇するようにキラキラとライトを反射させて光る。
正直くじけそうになったが、ユーゴは頑張った。
とりあえず店内を歩き回る。恐る恐るだが決して挙動不審になっていることがバレてはいけない。格好悪いから。通路はせまい、ギターに両サイドを挟まれた道は人が一人やっと通れる程しかない細さだ。
向こう側から人が来た。
決して挙動不審になっていることがバレてはいけない、格好悪いから。ギターを背負ったその人は、堂々としていて店の空気と溶け合っていた。「ギタリスト」という商品タグをつけられて売られていても不思議ではないなとユーゴは思った。
ユーゴは狭い通路で立ち止まるとギタリストの通過を待った。すれ違うそのとき、ギタリストにぶつかりそうになって少し焦ったが。大丈夫、とっさに、反対のギターの方に避けた。ユーゴが避けたその先のギターの値札が一瞬目に入った。ゼロの数がとても多かった。ユーゴが贅沢して1か月生きていけるくらいの金額が貼ってある。
決してキョドっては……。
ぶつかる! 「うおぁッ!」
おもわず声が出た。
ギターに傷でもつけてしまったら何と言われるか。避けるとき少しギターと接触してしまったか?見間違いだろうか?ギターがユラユラと揺れている気がする。まだ何もしていないのに正直くじけそうになった。
ユーゴは頑張った。嫌な汗をかきながら、ギタリストにヘンな目で見られながら。
結論から言おう。
ユーゴは、目的の一つしかはたす事が出来なかった。
ギタリストとすれ違ったあとのユーゴは、もうテンパってしまって。自分が何をしているのか。もう、キョドキョドしていることも忘れて。そう見られないように装うことも忘れて。キョロキョロと捜し回り、ハーモニカコーナにブルースハープを見つけたのはいいけど。そこに書いてあるCとかDとかの意味もわからないまままに。たくさんあるハーモニカの中から、持ち前の貧乏根性を発揮すると1番安いプラスチック製の赤いハーモニカをレジに持って行った。
Cキーと書いてあるそのハーモニカは、ユーゴがその日に食べたランチより安かった。ついでにつけ加えると、レジの横においてあったオシャレな小さなハーモニカの形をしたペンダントよりも、お手頃に手に入る値段だった。不思議なことにCDは楽器店においてなかった。まあ、CDはCDショップラジカセは電気屋へ行けということだろう。
ユーゴは頑張った。
退院してから久しぶりに「何か」をした。それが、他人から見たら笑ってしまうくらいくだらないことだとしても。
キセキの準備はととのった。
マチは父のギターをケースに入れて背負って街を歩く。
ギターを背負って外を歩くと、ダレかに見られてるそんな気がするのは一体なぜだろう。
マチは歩く「楽しいことないかな」と、ずっと捜してる。
マチは今日はこの街で空に1番近い丘の上の公園でギターを弾いた。弾いてると空に音がすいこまれていくような。音がシャボン玉みたいに空に向かって、ふく風をうけて舞い上がるような。レンガづくりの図書館の屋上はマチがこの街で1番好きな場所だ。ちなみに、先に書いたが、マチが「ブルースだなあ…。」とつぶやいたのもココである。
ユーゴがハーモニカで、なれないフェイクやベンドの練習をしているとき。
マチは図書館の屋上で、空にむけてギターを弾き音のシャボン玉をとばしていた。
もうすぐキセキがおこおる。
そして、忘れてはならない。もう一人のこの物語の登場人物は何をしているのか。
セージのその日は一体どんな日だったのかを書く。
セージはその日が誕生日だった。
もう子供というには、背が伸びすぎていて、大人というには、少し足りない。モラトリアムということばがあるが、その言葉がそのままセージに当てはまるピッタリな言葉かもしれない。
セージは自分自身で自分のことを「中途半端だ」とよく言う。「何も成し遂げていない」といった意味でその言葉を使って、そのたび自分で自分を傷付ける。
セージは、自分自身が使う言葉のナイフで、自分の心をなぞってヒリヒリする切り傷をつける。
「中途半端」「何者にもなれていない」「ナマケモノ」
マイナスな気分のときのセージは、言葉で自分を傷付ける。
セージは気分の浮き沈みが他人よりも大きい。すごくテンションが高くて何を言っても、言われても自分にとってプラスに感じ気分爽快、アタマも良く働くし全然疲れない気分のときもあるけれど、反対に何をしても、何も出来てない気がするし気分も最悪で考えもまとまらない。アタマに白い霧がかかってしまいそのせいで考えがまとまらない。憂鬱がつづいてそれがこのまま永遠に続くんじゃないかと錯覚する気分になることもある
彼はいわゆる躁鬱気質で気分の波のムラがひどい。
もちろん、その両極にしかいないわけではなく。テンションの高い躁と落ち込みまくる鬱の中間で波のあいだの普通の状態のときもある。
今日、誕生日を迎えたセージは焦ってる。
モラトリアムに浸ってこのまま生きていても、このままのまま変われないんじゃないのか?
だって人間は蝶じゃない、じっとしてたって羽は生えないんだ。それどころか、じっとしてたら幼虫のまま腐っていく。生きてるか死んでるのかわかんねえぞそんな状態。何か行動せねば。
けれども、焦るセージは何をしていいか、何をすべきか全く思いつかなかった。この時、悩むセージが思いついたことがキセキを起こすことになる。
ーある人のモノローグ ひょっとしたらこの物語の主人公の考えをまとめたものかもしれないー
どこまで行けば逃げられますか?
ゆううつ かなしみ ときどきのしっと
ネガティブな感情がボクをこらしめにやってくる
1人部屋の中にいるときなんかがとくにそうだ
このまま1人 いつまでも1人 まどの外は楽しむ人
ボクより先をいってる人
ゆううつ かなしみ にくしみ しっと
ゆううつは 1人ぼっちのままだとおどし
かなしみは オマエとりのこされたぞとからかい
にくしみは アノ子に キラワレたと うそぶいて
しっとは 成功してる ボクよりも わかい人をピックアップする
どこまでいけば逃げられますか?
ネガティブな気持ちから
大丈夫 ポジティブになるのには少しのテクニックがいるけど
そんなにムズかしいことじゃない
考え方で 世界は かわるそうだ どこかのダレカが
いっていたんだ
ゆううつには変化を
かなしみには 友を
にくしみには やさしさを
しっとには そうだな少しむずかしいけど
目の前のことに全力を出せばいいって
たぶんどこかのダレカがいっていたんだ
カホンを叩くとセージは楽しくなる。
ギターを弾くとマチは嬉しくなる。
ブルースハープを持つだけでユーゴは期待いっぱいになる。
この物語の主人公たちは、三者三様の悩みや病気、苦しみを持っているけれど、それが「強み」になるのが、彼らがこれから奏でるようになる「ブルース」だ。
もともと、奴隷としてアメリカで虐げられてきた黒人たちの音楽だったブルース。
高くて届かない青空に、手を伸ばし届けと叫ぶ叫び声。
つらく哀しい、悔しい日々と、かわらない今日とかわりっこない明日のことをくだらないと笑いながら、夕焼けに染まった西の空に、朝焼けに染まって始まる今日に「何か」を求めて歌いはじめた。奏ではじめられたブルース。
この苦しみから解放される時は、いつの日か来るのだろうか?その、少しの希望をも塗り潰される日々。雨の日の空みたいに、どんより曇った空。
それでも黒人たちはブルースを続けた。つづけなけりゃ、やっていけなかったんだと思う。
「明日 死ぬとしたら?」がリアルに問われる生活じゃ。
開き直るしかなかったんじゃないだろうか。「毎日、毎日オレはブルースする」と
届かなくても空に天の上の神様に歌声をきかせてやる。
再び物語に戻る前に、ここでこの物語の3人の登場人物の事をおさらいしておこう。
まず初めに書いたマチだが。マチはうまくいかない母との関係に悩んでいる。ブルースとは物心つく前からのつき合いで、気づいたときには、父がギターを弾くのを見て育ちギターを弾いている。
そして、ユーゴ。彼は心を病んでしまい入院した。精神病院に入院中にブルースと出会い退院した後にブルースハープを買った。
セージは今日誕生日を迎えた。ひょっとしたら、セージも病気なのかも知れない彼は躁と鬱の波が激しく、何者にもなれていない自分に焦りを感じていてそして、自分を追い立てている。カホンというペルー発祥の木の箱のような楽器を叩いている。
物語の続きに戻る
ユーゴはブルースハープを買った後どうしたか?
とにかく、ブルースを始めたいと思った。ユーゴはブルースにみせられてしまった。ユーゴの買ったブルースハープはその値段もあいまってか「詳しい」人から見るとまるてオモチャで吹きにくくチープな音しか出ないが、ユーゴは、これで「ブルース」できるとアタマと心のスイッチをONにしたし。彼の旅の行き先をブルースにさだめてそこにむけてシフトチェンジした。サニーボーイはユーゴの道しるべになった。
もっとも、ユーゴの言うブルースとは、まるで、つかんだと思ったら形をなくして消えてしまう雲か霧のような存在で。しかも、遥か彼方の雲の上にあった。でも、サニーボーイが翼をくれた。それが、イカロスの翼かもしれなくとも。とにかく、羽ばたきはじめたユーゴだった。
部屋で一人ブルースハープを吹く、ユーゴの翼の生えた時間は、飛ぶように過ぎていった。
彼は夕焼けが燃え尽き夜になり、燃えかすの星くずがキラキラと光り出した時やっと気づいた。
「アァ……。おなかすいた。」
つぶやくと、ブルースハープとともに外にでた。
この物語は、やっと、玄関に立って靴を履いた。
何かの音が聞こえる。花火だろうか? いや違う。コンビニで飲み物とサンドイッチとチョコレートを買ったユーゴは、その十字路に近づくとポケットに入れているブルースハープを無意識にギュッと握りしめていた。
ギターを背負って、ちょっと、遅くなりすぎた帰り道。門限過ぎの時間帯までマチは今日もギターを弾いていた。母さんは、たぶん怒るだろうなとふと思って憂鬱にひたりそうになったとき。スネアドラムを叩く音が聞こえた。こんな場所でナンデ?
その十字路に近づくと、マチは好奇心と直感にしたがった。
門限なんてもうどうせ過ぎ去ってしまっている。8ビートを叩くドラムセットみたいだったが、ちょっと違うなとマチは気づいた。
ずっと叩きつづけると、悪魔があらわれてくれやしないかと、セージはカホンに座ってひたすら叩く。孤独なミュージシャンの座る長方形の木箱は、高い位置を叩くとシャッとしたスネアドラムのような音がする。マチがスネアドラムみたいと思ったのはこの音だ。
そして、下に下がっていくにつれて低い音を鳴らすことができる。四角い木箱はシンプルだが多様なビートを奏でることができる。
十字路に近づいていくユーゴ。思うにユーゴは努力の才能を持っていると思う。ひたすらハーモニカを吹きつづけられる集中力といってもいいかもしれない。そして、人並み外れたハーモニカでの音の再現力。ハーモニカに始めて触ったその日にユーゴは、ブルースのようなものをもう、わずかながら吹けていた。それは、サニーボーイのCDを聴きまくったことのおかげか、何時間もひたすら集中してハーモニカの練習をしたおかげかはわからないが、ユーゴは、もうブルースの雰囲気をしっかりと掴めていた。
ポケットのハーモニカをギュッと握りしめながら、ブルースする準備はもうととのっていたがユーゴは残念なことに少しシャイすぎた。
セージの才能は言うまでもない。その行動力と、馬鹿みたいな話を嘘とわかった迷信を自分自身で確かめてみるまで信じつづけた子供っぽさだ。
カホンにまたがったセージは、一心不乱に叩きつづけていた。セージは近づいて来るユーゴと、ギターケースを地面においてギターを取り出したマチの存在に、まだ気づいていない。
セージは叩く。汗を流しながら。モラトリアムのもやもやを何とかしようと。
マチの才能は、思いっ切りのよさと人を楽しませようとする心くばりだ。そして、(これは、才能ではなく練習の積み重ねだと本人は言うが)ギターを即興的に奏でられる表現力だ。マチの弾くギターはミスタッチをひっくるめてもなんだかノれる。そして、ギターを弾いているマチは、とても堂々と、そして自信満々で陽気だ。その姿はユーゴをブルースが通過する交差点に引っ張り出すことになる。
まずはセージが。そして、セージの叩く音にいきなり、アコースティックギターのストロークが重なって鳴った。
セージはビクッと驚いて一瞬ぽかんとしたけけれど。構わずにマチはギターをかき鳴らす。そして、アルペジオをまぜてブルースを弾いた。毎日弾いてるフレーズ、父親から受け継いだフレーズを惜し気もなくすべてその場にさらけ出す。ブルースは三種類の和音の繰り返しでギターでなら一人でも弾けるシンプルな構成の曲が多い。
マチのギターにあわせてセージも叩く
暗い十字路にブルースのフレーズが響く
それをユーゴはじっと聴いていた。ポケットのブルースハープはユーゴ自身も知らないうちに、あごの高さ口元にきていつでも吹いてくれと待っていた。
マチとセージはセッションしている。二人ともユーゴの存在には、気づいていないのか。yeahとビートの合間に、セージが叫ぶと、マチはそれに答えてジャカジャカ弾いたり、歩き回るような低音のフレーズを繰り返す。
ユーゴはじっとみている。赤いプラスチックのハーモニカを口元にもっていったままじっと、二人のことをみている。
大きなクラクションの音が鳴った!
そして、汽車の汽笛の音がつづく!
カホンとギターの二人は音の方向を反射的にみた。
赤い安物プラスチック製のブルースハープを吹くユーゴが、そこには居た。クラクションがもう一度鳴る。そして、シュッシュッパッパという汽笛のようなフレーズが続く。
ユーゴは思いっ切り吸った息を、腹からはき出して、ブルースハープを吹いていた。音色はまだまだサニーボーイには及ばないが、魂を鬱屈した心のうちを音に変えて。ブルースを奏でたときの気迫めいたものはギターとカホンの二人もおもわず演奏を止めた。
この子は一体何なんだ?
ユーゴは吸って吐いてブルースハープを鳴らしつづける。
12小節の繰り返しはブルースの基本的な要素で、この繰り返しが基本となって1つの曲として演奏される。
マチもセージもそれを知っていた。ユーゴは聴きまくったサニーボーイの演奏をひたすら途切れないように真似して吹いている。
マチがさっき弾いていたフレーズを彼なりに繰り返してみた。しかし、一人だけが奏でる音は次第に自信なげにフェードアウトしていった。
音はやがて、しょんぼりと小さくなり自信なさ気に裏返ったあとユーゴは吹くのをあきらめた。
ー彼のブルースはたった二人の人間にさえまだ届かなかったと、ユーゴは思った。
ーが! しかし
そうだ この物語は、この「ーが! しかし」がないと成り立たない。セージは悪魔なんて来るはずない。が! しかし十字路でカホンを叩いたし。マチは、嫌がられるかもしれないと思った。 が! しかし抑え切れずセージのカホンにあわせてギターを弾いたし。ユーゴはたった二人の人間にさえ自分の奏でたブルースハープの音は届かないと思った。
ーが! しかし
ユーゴは唸った。
ブルースハープを口元から離して。
uh……la……ha……と!
リズムはセージのカホンが
さっきまで奏でていたので身体に染み付いていた。言葉にならないコトバをメロディにして。うなった がなった わかってもらえなくても またメロディをつむいだ。
ブルースハープも吹けないボクに
はたしてブルース できるでしょうか?
空に向かって 手を伸ばし 雲をつかむような はなしです
ブルースハープもふけないボクに このかなしみ ウタに できるでしょうか
えんぴつ削って ノートに書いた たわごと これは ブルースなんです
あなたのようにはナヤンでないけど あなたのようには苦しくないけど
ボクの心は このえんぴつは 書けなくたって動き出す
ブルースハープもったこのボクに はたしてブルースできるでしょうか
ボクのブルース をつかめるでしょうか
ボクの青色は ブルースになるでしょうか
青空のように明るくて 青空のように哀しい 景色
ブルースを ブルースを奏でたい
はたしてアナタにとどくでしょうか
ブルースハープも吹けないボクです だけどもこりずにガナリます
「すごいコエ」
マチはそう呟いて再びギターを構えなおした。
そして、嬉しそうに笑った。
ユーゴの声はおおよそブルース向きじゃなかった。と言うのもユーゴの声はブルースを歌うには、すきとおりすぎてキレイすぎた。ユーゴの声を聴くと「ブルースするなら 酒焼けしたガラガラな声じゃないと」と言う人もいるかもしれない。
それでも、セージは、もうずっと上機嫌だった。
なにせ、「何もおこりっこない」はずが、ブルースの悪魔か神様かはわからないが。とにかく、そいつが彼に、彼のもとに仲間を連れて来てくれたから。
ユーゴの歌声を聴いた瞬間。セージは、全身に鳥肌がたった。
ユーゴの透き通った青色のウタゴエは二人にもう一度演奏してくれと続いている
uhーとスキャットを続けていける
ユーゴが諦めかけたとき……。カホンの低音でドンドン チャカカっと軽やかなビートが鳴った。それに合わせてずっと足でリズムをとっていたマチのギターがかさなった。
ユーゴが二人の方を向くと
セージとマチはユーゴに向かって、もう、昔っからの友人や家族に向けるようにニッコリと微笑んだ。
三人はそれぞれに頷くと
音楽をつむぎはじめた
交替して互いに目配せして頷くとそれぞがソロをとった。
セージは以前から考えていたことを口に出した
「よし! 次 クロスロードブルースやろ!」
「OK!」
マチは大声で同意した
十字路でブルースしてクロスロードブルースを奏でるなんてなんだかロマンチストなんだなこのカホンの人はと、マチはクロスロードの有名なギターリフを奏でる。
アッ! そっちか! とセージは慌てたがマチの真似をしてユーゴはすでにブルースハープでメロディを引き継いでいた。
しかたないけどオモシロイとセージは古いロックンロールのリフを奏でる二人についていった。
そうしているうちに
この街に21時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
マチは今日の鐘はえらくノリがいいと笑った。