聖女の覚醒
周囲の視線から逃げるように、中庭の奥にあるガゼボへとやってきた。
ここに来るのも久しぶりだ。入学してすぐの頃は、よくお世話になっていたのだけど。
滅多に人が来ないこの場所で、1人で時間を潰すのが日常だった。大した思い出はないはずなのに、ここに居ると暖かい気持ちになれるのは何故だろうか。
校舎内は今、大きくなり過ぎた噂のせいで嫌でも好奇と同情の目を向けられた。
これでやっと、少しは落ち着いてものを考えることが出来る。
ロザリア様が、私を憎いと言った。
テオドア様はロザリア様の婚約者になる予定の方なのだから、側にいた私をそう思うのも無理からぬことだ。
だけどロザリア様の目には、憎しみなんて宿っていないように見えた。
複雑なことに、人から侮蔑や憎悪や妬みの目で見られることには慣れている。この1年で嫌でも慣れさせられた。
だから分かる。あれはきっと、ロザリア様の本心なんかじゃない。
彼女はわざと悪役になろうとしている、そんな気がした。
私の足の怪我のことも、まるで自分が階段から突き落としたような言い方をしていたが、あの時周りには誰もいなかったはずだ。
だってあそこは倉庫として使われていた棟の、更に外れで……。
そういえば、私はなんであんなところにいたんだっけ……?
背後から、ガサッと茂みの揺れる音が聞こえて振り向いた。
なにやらばつの悪そうな様子のハルオーネ様が、隠れてこちらの様子を伺っている。
「……何か御用ですか?」
「用、というか、その……わ、私が、怖くないんですの……?」
「はぁ……?なぜ私が今更あなたを怖がらなければいけないんですか」
そもそも初めから怖いとは思っていなかった。
我慢しなきゃいけないのが辛かっただけで。ただ耐え続けるだけの日々は苦しくて、幸せとは程遠かったと今なら素直に言える。
認められるようになったのは、誰かが力を貸してくれたから……。
「なぜって、さっきのこと忘れたんですの!?」
「……ああ、そういえば。それで、トドメでも刺しにいらしたんですか?」
ロザリア様のことばかり考えていて、すっかり忘れていた。言われてみれば、最初に短剣を持っていたのはハルオーネ様だった。
まぁそれを踏まえても別に怖くはない。元々この人にそんな度胸があるとは思えなかった。
脅されていた……ということは無いと思うので、大方騙されるなり操られるなりしていたのだろう。
殊勝な態度をとられると違和感があって、つい軽口を叩いてしまう。
「このっ……!!私が素直に謝りに来てあげたというのに!!本当に捻くれた平民ですわね!!!」
「すみません、冗談です。ハルオーネ様が謝罪に来てくださるなんて珍しくて」
「わ、私だって、謝るくらいしますわ!!それに、信じてもらえないでしょうけど、あんなことをするつもりはありませんでしたのよ……」
「……でしょうね。ロザリア様だって……」
何か理由があったはず、と続けようとして、俯いたハルオーネ様が弾かれたように顔を上げた。
「ロザリア様は何も悪くありませんわ!!私のことを、庇って……!!大体、初めからおかしかったんですのよ!!貴女どうしてしまったんですの!?あんなにロザリア様のことを慕っていたというのに……!!」
「……私が?」
「テオドア様もアレン様もユリウス様も、みんなですわよ!!忘れたとは言わせませんわ!!」
みんながロザリア様を慕っていた?いつ?どうして?それなら何故覚えていないの?
困惑しながら、頭の中を探ってみた。
学園祭も、競技大会も、夏休みも、舞踏会も、ぼんやりとしか思い出せないことに気付く。
だけど、側に誰かがいてくれたことだけは覚えていた。その人が居ないと、何もかもが色褪せて見える。
私はこの場所を必要としなくなってから、ずっと幸せだったはずだ。幸せになる方法を教えてもらったのだから。
誰に?ロザリア様に……?
……たい……か……?
「……今、なにか聞こえませんでしたか?」
「え……何も聞こえませんわよ?空耳じゃありませんこと?」
微かにだけど聞こえた、穏やかで優しい誰かの声。聞き間違い……?
……い……たい……ですか……?
まただ。ハルオーネ様の様子を見る限り、私にしか聞こえていないらしい。
私の中から響いているような、そんな声。ならばきっと何か意味があるはずと、耳をすませた。
……思い……出したい……ですか……?
漸くはっきりと聞こえてきた声が、私に尋ねた。
思い出したいかって、そんなの決まってる。
思い出したい。このまま失うことだけはしたくない。
何かが足りないと気付いてしまったら、もう戻れない。
……強く……願って……
その声に従って、神に祈るように両手を組んだ。
どうか、お願いします。何も知らずに終われない。取り戻したい……!
ぎゅっと手を握り締めた瞬間、白い光が辺りを包む。頭の中でパキンッと音を立てて何かが弾けた。
溶け込んでいく、鮮やかで、優しくて、もう二度と忘れたくない大事なもの。
そして同時に悔しくて、涙がこみ上げた。
「ッ……ロザリア様の、馬鹿」
私が必要だって、言ったくせに。
あの人はいつも1人で抱え込んで、何も話してくれない。一番最初に自分を犠牲にしようとする。
きっとまた何かを守ろうとしているんでしょうね。だけど、あなたのことを大切だと思ってる人の気持ちも考えて欲しい。
何度言ったって分からないんだから、酷い人。
「なんですの……!?今の、光……?」
「……ハルオーネ様、私の顔を思いっきりひっぱたいて頂けますか」
「はあっ!?あなたなに言って……」
「お願いします……入学式のときみたいに」
皮肉なことに、あれが全ての始まりだった。今は親しくなれて良かったと思っていますよ。
ハルオーネ様は納得のいかない顔をしていたが、諦めたようにひとつ息を吐いた。
「……必要なこと、なんですのね?」
「はい。気合いを入れたいので」
「そう……なら、手加減は致しませんわ!!」
言葉と同時に振り上げられる手。
乾いた音と、頰に衝撃が走った。正真正銘、手加減なしの平手打ちだ。
そういうところ、嫌いじゃない。
「私、初めてあなたに感謝しました」
「……ふふ、これで貸し借り無しですわよ!さ、早くお行きなさい!!絶対にロザリア様を連れ帰って来なくては許しませんわ!!あなたは私が唯一認めた平民なんですからね、ルチア!!」
「……はい!!当然です、ハルオーネ!!」
まだ痛む足も無視して走り出した。
ロザリア様がどういうつもりでみんなの中から消えたのかは知らないが、そんな勝手なこと許さない。
そして怒って、文句を言って、今度は私が手を差し伸べる番だ。