正しい世界です。
朝、屋敷の食堂で両親とアレンと共に朝食をとる、登校前のいつもの光景。
違うのは少ない口数と、漂う雰囲気だけ。
「……先、行くから」
食事を終えると、アレンはすぐに席を立った。
振り返ることもなく投げかけられた言葉は、返事を必要としていないものだ。
使用人から鞄を受け取ると、さっさと出て行ってしまった。
「学園祭の後からアレンの様子がおかしいようだが、喧嘩でもしたのかな……?」
「アレンがロザリアを避けるなんて……何かあったのね?」
急な変わりように、両親は首を傾げている。
だけど思春期の男の子なんてこんなものだろう。今までの方がおかしかったのだ。
「いいえ、何も。アレンももう子供じゃありません。むしろ姉離れをするのが遅かったくらいです。これが普通でしょう」
安心させるように、笑顔を浮かべて答える。
お母様もお父様も納得をしていない顔をしていたが、それ以上聞いてくることはなかった。
「……おはようございます、テオドア様」
「ああ、おはようロザリア嬢」
隣の席の王子は、にこやかに挨拶を返す。
婚約の約束をしているというだけの薄っぺらい関係なのだから、そこに他の令嬢との違いなんてない。なくて当然だ。
何か用があったのであろうクラス委員は、突然他人行儀になった私達を見ておろおろとしている。
「あ、あの……学園祭の報告書なんですが……」
「ああ、私が書いて出しておくわ。ありがとう」
王子は次期生徒会長とはいえ、報告書の記入から提出まで頼るわけにはいかない。
監督を務めていた私が担当するのが妥当だと、書類を受け取った。
昼休み、生徒会室に向かうため教室の扉を開けようとすると、タイミング悪く誰かとぶつかる。
「あ……申し訳ありません!!」
慌てて頭を下げたのはルチアだった。
自分で歩けるようにはなったものの、まだ足に違和感を感じているようだ。そのためオズが扉を開けてあげたところらしい。
男爵家の令嬢が、公爵家の令嬢にぶつかった。それは私が手をあげるには十分な理由で、少なくともロザリアなら激昂して罵倒している。だから私は、手を振り上げて……。
「……っ、邪魔よ、気を付けなさい」
振り上げて、振り下ろし損ねた手で、道の妨げになっていたルチアの肩を押し退けた。よろけたルチアはオズがしっかりと支えてくれる。
「っと、大丈夫か?足まだ痛えんだろ?」
「ありがとうございます。でも悪いのは私なので……」
「だからって、なにも怪我人を押すことねーだろ」
ルチアを守って発せられた文句なんて、私は意にも介さない。
不満気なオズの視線を背中に感じながら、廊下を歩き出した。
「……失礼します、ユリウス様、学園祭の報告書をお持ち致しました」
「……そこに置いておけ」
読書をしていたユリウスは、こちらを一瞥もせずに答えた。
机の上に雑多に置かれた報告書をまとめていると、奥からカップを持ったノーマン先輩が顔を出す。
「ロザリア様、丁度お茶が入ったところです。ご一緒していかれますか?」
「あ……いえ、私は……」
遠慮します、と返事をする間もなく、ユリウスは一つため息を吐くと別室へと移動した。
彼は親しくない他人のいる空間では集中が出来ない人だ。
取り残されたノーマン先輩は、断られるどころか出て行ったユリウスに呆気にとられている。
「ユリウス様……?」
「……すみません、お気遣いありがとうございます。私は用があるので、これで」
廊下の窓から外を覗くと、ルチアを気にかけながら歩くオズとテオ、そしてその後ろを一定の距離をあけて着いて行くアレンが見えた。
よかった、私が居なくてもアレンはみんなと行動することが習慣付いているらしい。
みんなと一緒にいた時間も無駄ではなかった。全て予定通り、これは私が本来しようとしていたことに他ならない。
だから……少しだけ痛む心に目を瞑る。
私にそんな資格はない。早く慣れて、消えてなくなれ。
「ロザリア様!!どうなさったんですの!?皆様がロザリア様と別行動なんてありえませんわ!!」
私とルチア達が一緒にいないのが余程衝撃的だったのか、驚愕した様子のハルオーネが走ってきた。
好感度を下げるのが攻略対象にだけ有効だったのか、あのとき彼らのことだけ考えていたからなのか、ハルオーネが元々取り巻きの1人だったからなのかは分からないが、こうして心配してくれる友人が残ってくれているのが救いだ。
「……まぁ、長い付き合いだし、そういうこともあるわ」
「ありません!!!何があったのかは存じ上げませんが、ロザリア様が思ってる以上にあの方達はロザリア様のことを好いておりますのよ!!!脳に異常が生じたとしか思えませんわ!!」
うーん、ハルオーネ惜しい、のかな?
正常に戻したと言った方が正しいが、随分な言われようだ。
「やっぱり変に見える?」
「変ですわ!!妙ですわ!!奇行ですわ!!!……それに、既にあらぬ噂が飛び交っておりますのよ。皆、低俗な憶測で好き勝手言って……!」
ギリッと歯を軋ませて、ハルオーネは私より悔し気に教えてくれた。
なまじ目立つ集団だったせいで、あっという間に広がった噂は私の耳にも届いている。
みんながルチアに乗り換えたとか、仲違いしたとか……私がルチアを階段から突き落としたせいだとか。
根も葉もない噂だが、今更そんなことどうだっていい。怪我のことだって、どうせ私がやるはずだったのだから。
それよりも、問題なのはルチアのことを良く思っていない噂の方だ。
「……どこかで認めさせなくちゃね……」
けじめをつけなきゃ。
ルチアが私を差し置いても許される理由を、相応しい悲劇を。ヒロインがヒロインたる為に、私は必要なのだから。
それは私の最後の仕事。まだ、覚悟が出来ないでいる。