幸せです。
「お嬢様、ロザリアお嬢様、朝ですよー?」
マリーが私の部屋の扉を叩く音がする。
いつもならすぐに入室の許可を出して挨拶のひとつでも交わすところだが、今日はベッドから起き上がる気にもならない。
頭まですっぽり毛布にくるまって聞こえないフリをした。
昨日、あのあとからずっと落ち込んでいる。
ルチアに合わせる顔がない。友達になるどころか嫌われてしまうなんて。
やっぱり私がヒロインに関わろうとしてはいけなかったのよ。
よくよく思い返してみれば、昨日の私の発言は完全にお節介以外のなにものでもない。
ルチアが大きなお世話だと怒るのも頷ける。あの時の自分の顔をぶん殴ってやりたい。
はぁ〜、もう終わりだ。
あっという間に噂が広がって私は厚顔無恥な令嬢として処刑されるんだ……。
ついでにハルオーネ嬢たちを不可抗力で脅したことも罪に問われるんだ……。
こんなことなら昨日笑い死にそうになっていたテオをシメておくんだった。
いつまでも返事を返さない私にしびれを切らしたのか、マリーが扉を少しだけ開いた。
「お嬢様……? 体調が優れないのですか? 起きてこられないので奥様も旦那様も心配しておられますよ」
「……学校行きたくない……」
「えっ……やっぱり具合が悪いんですか!? すぐに医者を……!」
「うそごめん、大丈夫! 大丈夫だから!! ちょっと言ってみただけよ!! ちゃんと行くから!!」
少し駄々をこねてみただけで部屋から駆け出しそうになったマリーを押し留める。
こんなことで一々医者なんて呼ばれてたらかなわないわ。
大ごとにされそうな気配を察知し諦めて身支度を整えた。
急いで向かった食堂では既にお父様とお母様、アレンが私を待っている。
「ロザリア、今朝は学校に行きたくないと言っていたそうじゃないか。昨日の夜も元気がなかったようだし……本当に大丈夫なのかい? 行きたくないなら行かなくてもいいんだよ?」
「いいわけないでしょう。あなた、適当なことを言わないでください。でも何か理由があるのよね? 私たちにも言えないことかしら」
「いえ、そんなことは……その……クラスメイトに……」
余計な世話を焼いて嫌われました、とは言えずに口ごもっているとお父様が何かに気付いたように血相を変えた。
「まさか……いじめか!? くそ、教師はなにをしている!!! どこの家だ!? お父様が潰してやる」
「落ち着いてお父様!!! 違うわ、ちょっと私がクラスメイトを怒らせちゃったから気まずいだけなの!!」
「そうですわあなた。アレンがついていながらそんなことになるはずがありません。私がきっちり仕込んでおきましたから」
ちょっと待って初耳なんだけど。
アレンになにをしてるんですかお母様。
「アレン……仕込まれたってなにを……」
「ん……? 秘密」
いくら聞いてもアレンもお母様も微笑むばかりで答えてはくれなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
騒々しい朝食を終え学園までやってきた。
私が怒らせたと言っているのにロザリアは悪くない、の一点張りなお父様に付き合ってられなくなったのでとっとと登校したが、教室に入りたくない。逃げたい。
どうせユリウスが生徒会室でサボってるだろうから混ぜてもらおう。
「私は今日は生徒会室で自主学習をするわ」
「いいけど、僕も行く」
「おはようロザリア、アレン。そんなこと僕が許すと思ったのかな?」
くるりと教室に背を向けたところで、がっしりと後ろから肩を掴まれた。
あーあ、鬼に見つかったわ。
テオに引き摺られ席に着くことになってしまった。
せめてルチアの様子を伺っておこうと視線をやると、向こうもこちらを見ていたようで目が合った。が、すぐに逸らされてしまった。
……避けられてるよね、これ。元々仲良くなれるはずもなかったとはいえ、へこむなぁ。
結局、今日一日なにをするにも身が入らなかった私は放課後になったというのに机にへばりついている。
「昨日のことそんなに気にしてたのかよ……」
「ほっとけって言われたんだからほっとけばいいのに……」
「そうね……わたしもそう思うけど……」
だけどどうしても気になってしまう。
関係ないと無視して生きるには彼女はあまりにもこの世界にとって重要過ぎる。
「僕は面白かったけどね。……ふふっ」
「……テオ嫌い」
「きらっ……僕の全身全霊をもってルチア嬢と仲直りできるよう協力すると誓おう」
「ほんとね? テオ好き」
「僕も好きだよ」
デレデレと笑うテオに持ち上げる気力もなく突っ伏していた頭を撫でられた。
甘やかされてる。気分がいいので私を笑ったことは許してやろう。
「あの、ロザリア様……少しお時間頂いてもよろしいでしょうか?」
「ルチア様!? ……ええ、もちろんです」
ぐだぐだとやさぐれていたら不安げな様子のルチアに願ってもない言葉をかけられた。
私が彼女に誘われて断る選択肢などない。
なにを言われるのかは分からないがこのチャンスを無駄にせずせめて許しを乞おう。
ルチアの提案で、人目につかない中庭の奥のガゼボで話をすることになった。
「その、昨日はすみませんでした!」
先手必勝、頭を下げた。
45度の綺麗な礼だ。伊達にテオやお母様に謝り続けてない。
「えっ……! えっ、なんでロザリア様が謝るんですか!? 謝らなければならないのは私の方です。ロザリア様は私を心配してくださっただけなのに、あんな失礼な態度をとって……申し訳ありませんでした」
なんと……わたしを許すどころか逆にルチアの方が申し訳なく思っていたなんて。
優しいいい子だ……眩しい……。
「私の方こそ余計な口を出してしまったわ、ごめんなさい」
「いえ、そんな……私も少し意固地になってました」
「……よかったら、話だけでも聞かせてくれないかしら」
私も彼女があんなに頑なだった理由が気になっていたのだ。
ルチアは躊躇いがちに了承してくれた。
「……そんなに面白い話じゃないんですけど、知ってると思いますが私この間まで平民として暮らしてたじゃないですか。それが突然、父親だという人が現れて貴族になって……亡くなった母は男爵家の元使用人で愛人だったんですよ。なので家では正妻である奥様からの視線が痛くて……」
自嘲気味に笑いながら、ぽつりぽつりと話を続けた。
「学園に来てもひそひそ噂話はされてるし、ことあるごとに愛人の子であることを蔑まれて……ちょっと疲れてたみたいです」
「……辛かったわね」
「そんな顔しないでください! 1人になって路頭に迷うかもしれなかったところを、こんな豪華な学校にまで通わせて頂いてるんです! 充分幸せですよ!」
明るく気丈に振る舞う彼女は私の知っているヒロインそのものだった。
でもダメ、それじゃダメなのよ。
「それは幸せなんかじゃないわ」
彼女は攻略対象達を救う側であって、救われる側ではない。
不遇な立場でありながら同じく悩み苦しんでいる攻略対象を前向きな彼女が照らし導くことで彼女の幸せな結末が訪れるのだ。
けれど今ここに可哀想な彼らはいない。私が私の役割を放棄してシナリオを捻じ曲げたから。共感し得る人間がいないのなら、彼女はいつまでも孤独なままだ。
私が告げた言葉に、ルチアの顔が少しだけ歪んだ。
「……あなたに、なにがわかるって言うんですか」
「知っているわ、全部ね。そのままではあなたは幸せになれない」
「っ私は……私は、不幸なんかじゃない……!」
「それも知ってる。だってあなたは幸せになるために生まれたんだもの」
『ルチア・ベルハート』は、そのために存在するキャラクターなのだから。
私は優しく微笑んだ。
不幸なのは結末を知らない彼女と全てを知ってしまっている私と、どちらなのでしょうか。