前世の記憶を思い出しました。
ゴツンッと頭に響く音がした。
8歳の誕生日を迎えた私が浮かれて歩いていたせいで足をとられ、おでこから床に激突した音だ。
あまりにも勢いよく転んだせいか打ち所が悪かったのか、薄れゆく意識の中で私は自分の前世を思い出し、そして絶望した。
私、公爵家に生まれた由緒正しいお嬢様、ロザリア・エルメライトは前世でプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢だったのだ————
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ん……夢……じゃ、ないよね……やっぱり……」
「お嬢様!! 意識が戻られたのですね!! 今奥様を呼んで参ります!!」
目を覚ますといかにも貴族のお屋敷です、といったシャンデリアのぶら下がる天井が目に入る。
気絶した私の看病をしていた使用人のマリーが駆け出していった。
私がロザリアであることも何もかも全て夢で、目を覚ましたら前世の自宅である狭いアパートだったらどんなに良かっただろう。
私の前世はいたって平凡な乙女ゲームが趣味のOLだった。享年24歳。
仕事の帰り道、今日は誰を攻略しようかな〜なんて呑気に歩いていたら居眠り運転のトラックに轢かれあえなくお陀仏というわけだ。
丁度その時はまっていたのがこのいわゆる剣と魔法の世界、『黒の棺と白の聖女』というタイトルの恋愛シュミレーションゲームである。
庶民に生まれ育ったヒロインが実は男爵家の血筋だったことが発覚し、16歳になる貴族の子息令嬢が通う学園へ入学するところからゲームは始まる。
そこで1年をかけ4人の攻略対象たちと恋に落ちていくという話だ。
この世界エステルティアは白の神と黒の神と呼ばれる対となる神から生まれ、白の神は喜びや幸福を、黒の神は憎しみや怒りを司っていた。
あるとき人間は負の感情を生み出す黒の神に勇敢にも戦いを挑み、長い戦の末に封印することに成功した。
そしてこの世に幸せの光が満ちた。
それがこの世界に伝わる創世記であり、『黒の棺と白の聖女』のオープニングである。
その戦いの際、魔王を追い込んだとされる英雄が建てた国がここ、レイジア王国。
そして英雄はこの地に黒の神を封印したのだ。
封印された黒の神はいつしか魔王と呼ばれるようになり、その封印場所も忘れ去られお伽話のように今は誰も信じてなどいない。
が、たしかに封印された魔王は存在し、それが学園に眠る黒の棺である。
白の聖女とはもちろんヒロインのことだ。
1学年の終わりに復活する魔王を、聖女の力に目覚めたヒロインと攻略対象が愛の力で倒しハッピーエンド。
英雄が建国した国だからこの国にあるのはわかるけど、何を思って魔王の封印場所に学校なんて建てたのか。
ちなみに攻略対象を全て攻略すると魔王との恋愛ルートに進むこともできる。
そして攻略対象である王子の婚約者であり、この作品の悪役令嬢ロザリアこそ私である。
幼い時に王子に一目惚れをし、他の婚約者候補たちを退け強引に婚約者の座を勝ち取った王子至上主義の女なのだ。
そのせいでたまたま入学式の日に王子が目に止めたヒロインをあらゆる手を使いいじめ倒すこととなる。
ただでさえ平民嫌いの典型的な貴族に育ったロザリアはある時はヒロインの鞄を池に投げ捨て、またある時は階段から突き落とし、ドレスを引き裂き……よくやるなぁと感心するほど日々の生活の尽くに突っかかってくるのである。
なまじ家柄が良いせいで誰もロザリアを咎めることが出来ず、やりたい放題したあとに魔王にその悪逆非道ぶりを見込まれ付け入られるのだ。
憎しみの感情を増幅され、感情のままヒロインを殺そうとしたところを現行犯で捕えられる。
今までの悪事も白日の下に晒され、最後はあっさり処刑されておしまい。
私の未来悲惨すぎる……。
絶対いやだ。事故死の次は処刑って!!!
私は寿命いっぱい生きて今度こそ幸せに死にたい!!!
「幸いまだ王子に会ってすらいないし……このまま高飛びでもして他国に逃げられないかしら」
私が悪役令嬢の役を放棄してもヒロインなら問題なく誰かしらと恋人になってくれそうだ。
誰にでも優しく人当たりのいい彼女なら、むしろ私がいない方がスムーズに幸せになれそうじゃない??
よし!! そうしよう!!! 魔王が復活してもヒロインがどうにかしてくれるでしょ!!
国からの逃亡を心に決めていると部屋の扉が開いた。
「ああロザリア、目が覚めたのね……あなたが倒れて気を失ったと聞いたときは心臓が止まるかと思ったわ」
「お母様、心配をかけて申し訳ありませんでした。もう大丈夫です。マリーも付いていてくださってありがとうございました」
「「えっ……」」
先程部屋を出ていった使用人にまだお礼を言っていなかったなぁと思って口にしただけなのに、何故か2人とも固まってしまった。
前世を思い出した影響で言葉遣いでも間違ったんだろうか?
「お2人とも、何かおかしなところでもありましたか…?」
「ロザリア……あなた、頭を打ったと言ったわね? 凄く強く打ったのね? どうしましょう意識が混濁してるんじゃ……医者はまだなの!? 大変、気が動転しているんだわ……! ロザリアが使用人に礼を言うなんて!!」
「奥様!! 落ち着いてください!! お嬢様、体を起こしてはなりません。すぐに横になって安静にしていてください!!」
はい早速やらかしました。
そういえばロザリアは……いや、数時間前までの私は物凄くプライドの高いわがままで高慢な子供だった。
少しお礼を言っただけでこの言われよう……。
うん、反省します。
「お母様、私、今までの行いを反省したんです! これからは素直で優しいいい子になります!」
「ロザリア……あぁ、この日をどんなに夢見たか……頭を打ってくれてよかった……」
お母様本音が漏れてます。
まぁ確かに頭を打ったおかげで前世を思い出し、性格がガラッと変わったわけだけど。
「ところでお母様、私少しお願いがあるのですが」
「なんでも言ってちょうだい! あなたがこのままいい子でいてくれるならなんだってするわ!!」
「私国外に逃亡したいのですが」
そう言った途端、上機嫌だったお母様が頭を抱えて崩れ落ちた。