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イヴの天秤

泣き虫美波

作者: 長谷川真美

遠い昔の記憶を辿る

いつも兄ちゃん達がいた。


何があっても最後は助けてくれる。

そんな兄ちゃん達は今日も私のヒーローだ。

美波(みなみ)、こっち来いよ。」建基(たてき)兄ちゃんが呼ぶ。「美波、危ないから来ちゃだめ。」悠人(ゆうと)兄ちゃんが呼ぶ。どちらを信じたら良いか分からず途方に暮れる。5歳上の建基兄ちゃんと2つ上の悠人兄ちゃん。困っていたら怒っているお母さんとともにお兄ちゃんたちが二人そろってやってきた。「建基、悠人、二人共だめじゃない。美波を泣かせないの。」わたしは泣いていたようだ。「お兄ちゃん達ごめんなさい」涙声になる。「泣き虫美波(なきむしみなみ)。」というこの時に建基兄ちゃんが私を表した言葉が20歳を迎えた今でも変わらないのだから我ながら悲しいものである。河口美波(かわぐち みなみ)は大学2年生にして留年するか夢をあきらめるかの危機に瀕している。


 大学2年の前期末、経済学部の中でも環境経済の専攻を希望する学生の必修科目の統計学のテストの合否結果が学科掲示板に張り出された。見るまでもなく不合格だった。4月のオリエンテーションの時から教授がExcel(エクセル)R(アール)と何度も繰り返している段階で見切りのいい学生は他のコマにある統計学に逃げて行った。Excelは大学工学部土木工学専攻の兄ちゃん達が帰省した際に操作をしているのを見ていたため教養科目は乗り切れた。それで、いたずらな過信を抱いてしまった。もう逃げられない本履修になったとたんに教授が私には見えていなかった牙を見せた。先生の話しだけではなくレジュメが様変わりした。周りの学生たちに聞いても何を話しているか分からない。質問しようにも自分がどこから分からないことすら分からない有様だった。その時点で兄ちゃん’(にいちゃんズ)に相談すればよかったのだが考えが及ばなかった。他の学科の必修科目と両親から進学の条件になっていた教職科目にも追われていくうちに時間はあっという間に去っていった。環境経済学ゼミの必修科目は一科目でも落としたら専攻できない。他の専攻なら選べたが、この大学で環境経済学を専攻したくて大学受験の時に必死になって勉強してきたのにその努力を水泡に帰すことはしたくなかった。再テストまであと一週間。両親には相談する前から答えは分かっている。-不甲斐ない妹でごめんなさい-兄ちゃん’sにそれぞれ同じ文面でそれぞれの携帯にメールを送る。送ってから直ぐに私の携帯電話が鳴った。「美波。俺だ。建基だ。専門の統計学の概要を教えろ。」思わず涙が出てくる。言葉が詰まる。「美波。悠人だよ。統計だったら建基兄貴よりも俺のほうがまだ分かるから教えて。」電話越しの久しぶりの兄たちはやっぱり頼もしかった。ExcelだけではなくRのことも告げると悠人兄ちゃんが困った声を出す。数値シミュレーション系の研究をしている悠人兄ちゃんでもRは使っていなかった。悠人兄ちゃんからせっかちな建基兄ちゃんに電話がいきなり変わった。「美波。分かる人に心当たりがあるから明日まで待ってくれ。」「はい。ありがとうございます。」お礼を言うと建基兄ちゃんは今まで聞いたことのない優しい声で「お願いだから、今日はもう泣くな。前を見ろ。こっちも最善を尽くすからな。」と言って電話を切った。もう泣かない。涙を拭いて本履修になってからのレジュメとノートを取り出し、できる限り足掻く。次の日の金曜の夜に建基兄ちゃんから電話が来た。「俺と同じ塾講のバイト先でRが分かる人がいた。美波と同じ大学の理工学部情報工学科4年生の女性。悪いけど明日、こっちのファミレスまで来い。」建基兄ちゃんは昨日の優しい声が嘘だったかの如く嵐のようにまくしたてると来た時と同じように急に電話を切った。


 風が吹き荒れる土曜日の朝、余裕をもって家を出たが電車が遅延と運休をしていた。約束の時間に間に合わない。自分から助けを求めておいて待たせるなんて申し訳ない。髪が崩れることを気にせず駅から約束をしたファミレスまで走っていく。息が荒くなる。ファミレスには建基兄ちゃんだけではなく悠人兄ちゃんもいた。兄ちゃん二人と談笑していた初めて見る女性がこちらを見て驚いていたが、ゆっくりとほほ笑んで言葉を発する。「初めまして、河口建基さんと同じバイト先の廣瀬佑奈(ひろせ ゆうな)と申します。河口さん、大丈夫ですよ。急がずに落ち着いて。ゆっくりしてね。」「ご迷惑をおかけするだけではなく、遅れてしまい申し訳ございません。私は河口美波と申します。よろしくお願いいたします。」鞄から出した教科書を床に落としてしまった。廣瀬さんは「落ち着いて。ゆっくりして。大丈夫ですよ。」と繰り返す。兄二人がいたのも大きいが廣瀬さんの穏やかな口調と表情を見て次第に落ち着いていった。四人で時折脱線しながらも勉強をしていく。主に廣瀬さんが説明をしていき、数学では建基兄ちゃん、プログラミングパートでは悠人兄ちゃんが補足をしていく。暗号が解読されていく。希望の光が見えた。外の風も凪いでいった。廣瀬さんと次の勉強会の約束をする。学校の最寄りの喫茶店に水曜日の17時。「今日は一日、お忙しい中、時間を割いていただきありがとうございました。」と言いながら深く礼をする。そんな私を見て廣瀬さんが恐縮する。兄ちゃん二人はどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。東京まで遠距離通学の私は19時にはファミレスを後にした。駅までの道を悠人兄ちゃんと一緒に向かう。「兄ちゃん達がいてくれてよかった。廣瀬さんも優しくてよかった。人見知りの気がある私でも一日で普通に接することができたよ。」悠人兄ちゃんが照れくさそうにする。「やっぱり建基兄貴は俺たちの誇れる兄貴だね。困ったときはいつでも頼りにしても大丈夫。だって俺たちは美波の兄ちゃんなんだから。」改札に入る。階段を昇るところまで悠人兄ちゃんは私を見送っていた。帰りの長い電車の中で必死に今日の勉強会の復習をする。自宅に着いても時間が経つのを機にせずに勉強を続ける。私のために尽力してくれた兄ちゃんと廣瀬さんに報いなければならない。夢のためにも頑張りどこだ。あっという間に水曜日の夕方を向かえた。約束の喫茶店で廣瀬さんと会う。疑問点を潰していく。前回のテストを解きなおす。自分でも驚くほど解けた。「河口さん、もう完璧だね。明日のテストは大丈夫。」廣瀬さんから太鼓判を押される。「廣瀬さんのおかげです。お忙しい中、ご教授いただきありがとうございました。」何回言っても足りない謝辞を述べる。「もしよかったら明日のテストが終わったら私の携帯にメールをしてもらっていい?明日はバイトだから返信は遅れちゃうけど」断る理由はなかった。お互いのメールアドレスを交換する。そして決戦の日を迎えた。緊張で手が震えている。試験会場の教室で最後のあがきをする。携帯の電源を切ったか確認をする。受信メールが3通。メールを開封する。「美波、前を見ろ。努力は報われるのだから。」建基兄ちゃんから。「緊張すると思うけど美波なら大丈夫。夢のために頑張って。」悠人兄ちゃんから。「河口さん。落ち着いて。大丈夫だから自分の力を信じてね。」廣瀬さんから。目頭が熱くなる。私には大切な人たちがいる。スイッチが入った。落ち着けばできる。テスト用紙が配られ、先生の「始め」という声を冷静に聞く。一回目のテストと違って問題文が暗号ではなく意味があるものに見える。大丈夫。ペンを走らせる。時間が短く感じた。「終了」何とか全問を解き終える。終わった。達成感が全身を支配する。終わった、終わったのだ。自己採点をする。得点率は8割。喜びの声を上げそうだったが最後まで油断はできない。廣瀬さんに慌ててメールをする。「お疲れ様です。再試が終わりました。自己採点では8割でした。明日結果が出ますのでまたメールをいたします。」廣瀬さんからすぐメールが届いた。「お疲れ様。今日はもうゆっくりしてね。明日のメールを待っています。」気もそぞろで家に帰ったら気絶したように力が抜けて夕飯をとることもなく眠りについた。死んだように眠った。翌朝、テストの結果を見に学校に向かった。10時ちょうど。震える両手を握る。恐怖から目をつぶる。掲示板に先生がテストの合格者の学籍番号が書かれた紙を張りだす。つぶっていた目を時ゆっくりと開ける。書かれていた学籍番号は一つだけだった。恐る恐る見る。私の番号だった。無機質な8つの英数字で書かれた番号を見る。目を疑う。何回も見直し、携帯のカメラで合格者が書かれた紙を撮影する。学食で待ち合わせていた友人に携帯を見せる。「美波、大丈夫だよ。良かったね。美波の番号だよ。」「やった。私合格したんだね。合格できた。単位取れた。」合格した喜びをようやく手放しで喜べた。兄ちゃん’sと廣瀬さんに結果をメールで送ろうとしたが涙で画面が見えなかった。『泣き虫美波』だった。FIN.

9月の台風が接近している三連休は物書きに励んでいました。

書きたかった美波の話が書けました。

河口三兄妹が揃いました。

また、美波目線の物語を書けたら書きたいです。


2017年9月17日

BGM:J-wave

長谷川真美

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