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豚骨魔法少女博多ン  作者: がっかり亭
3/5

試される気骨

 遠い記憶。

 父が背を向けて歩いていく。

 その背に向かって、自分は声をかけ続けている。

 呼び止めようとしている。

 でも、止まらない。

 なぜ?

 わからない。

 だが、記憶の中の父の目は、鋭く、冷たい光を放っていた。

 博多を愛し、博多の為に戦っていた父。

 それなのに……

「父ちゃん……」

 ……!

「何ね……夢か」

 目が覚めてまず一番に目に入ったのは、天井の木目。

 人の顔のようにも見えるそれは、時々形が変わっているような気もする。

「……ダメたい。こげんこっちゃ……」

 両手で頬を思い切りはたく。

 パチーンと、いい音が響く。

「うっし!」

 気合が入った。

「父ちゃんがおらん分、ちゃんと博多を守らんと!」

 そうしたら。

 きっと。

「……父ちゃんも帰ってきてくれるばい……」




 連日、妙なニュースが続いている。

 ローカルCMに出てくるみたいな(かさ)(ぼこ)――筒状の布を傘のように持って――が猛スピードで夜の都市高を爆走してたとか。

 博物館の黒田長政の鎧が消えて、翌日戻っていたとか。ホークスが連敗したとか。

 そのうちのいくつかは、あのシュラウドとやらの怪人の仕業で、博多ンによって成敗されていた。

 しかし、相変わらずテレビでは、都市伝説扱い。

 あれだけ色々な悪事と、不条理なまでに非科学的な能力を持ったあいつらが、ニュースにすらならないのは、どう考えても異常だ。

 とはいえ、証拠は何もない。

 博多ンも、シュラウドの正体もわからない。

 まだ梅雨にも入っていないのに、粘つくような気色の悪さを感じる。

 おかしな事件の頻発が少しずつ当たり前になり始めている気がする。

「なし、そげん景気ん悪い顔しよると?」

「うるせえ」

「なんがうるさかか。隣でそげん暗い顔されたら迷惑とよ」

 こいつにゃ、悩みとかないんだろうなあ。

 もうすぐ博多どんたくの季節。

 博多どんたくは「どんたく隊」とよばれるグループが、演舞をしながら街を練り歩き、あるいは特設舞台でそれを披露するイベントだ。

 そう聞くと、小さなイベントのように聞こえるかもしれないが、そんな生易しい規模ではない。何しろ、百万とも二百万とも言われる動員数なのだ。

 イベントに人が集まりにくいとされる博多でこの動員数はケタ違いであり、国内最大級の祭りなのだ。

 その熱気は推して知るべしである。

 どんたくさえ、どんたくさえ始まれば、このどんよりした気持ちも晴れるような気がした。

 だが、無情にも、奴らはそんな願いすら許してくれないらしかった――




 その日は、クラスマッチの日だった。

 クラスマッチは、各クラス対抗で競技を行い、勝敗を決するものだ。

 一位になったからといって特に何があるわけでもないが、先生がジュース驕ってくれたりはする。

 ……っていうか先生って虹乃姉じゃねえか。

 今回の種目は、男子は野球、女子はバレーである。

 世間ではサッカーの人気が高まっているが、福岡は伝統的に野球人気が強い。

 そんなわけで、やたら盛り上がってたりもするわけだ。

 野球部の西を中心に、優勝を狙って気合十分。

 円陣を組んで手を重ねる。

 と、その中に、明らかに細い手、つまり女性の手があった。

「……何でしれっとお前がこっちにいるんだよ」

「え?」

 男子一五人の中に紛れ込んでいたのは、マツリである。

 ちなみに「しれっと」とは博多弁で「悪びれもせず平然と」みたいな意味だ。

「やっぱりクラスマッチん華は野球たい」

 胸を張るマツリ。

「説明になってねえ」

「何、いいだろ松原。別に女子の競技に男子が出るわけじゃなし。いや、むしろ、ここは祇園のやる気を褒めてやるべきじゃないのか?」

 西は笑顔で言う。

「いや、んな無茶苦茶な……」

「細かい奴だな。そんなことじゃ甲子園には行けんぞ!」

「いや、俺、野球部じゃねえし」

「なあに、初心者だって大歓迎だ。三年かけてモノにしてみせる。俺たちと青春の汗を流そうぜ!」

「前から思ってたけどこのクラス会話のかみ合わない奴しかいないのかおい」

 目から炎が噴き出しそうな西の姿に、反論はもう諦めた。

 審判である先生方もOKとの事。

 女子が出るのは普通ハンデだから、問題ないってわけだ。

 ああ、今「普通」ってつけたのにはわけがある。

「おっしょい!」

 カキーン、と小気味良い音が響き、白球が天高く舞い上がった。

 外野の頭上を抜けていき、そのままグラウンドの向こうの川へ飛び込んだ。

「見事だ祇園! 三打席連続長打な上、場外ホームランまで打つとは!」

 西が感嘆の声を漏らす。

 こいつの身体能力は、男子でもトップクラスと言っていい。

 こりゃ、女子のバレーに混ざったら阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。

 確かに、女子に混ざらなくて正解かもしれん。

 一方の俺はと言うと――

「ヘイヘーイ、ピッチャービビってる~?」

 応援係である。

 ……いや、アバラまだ折れてるし。

「くっそー、俺も出てぇなあ……」

 男子でクラスマッチに出ていないのは、俺くらいだ。

 帰宅部の奴からは羨ましがられたが、ケツを引っぱたいといた。

 自分で言うのもなんだが、俺は祭ごとに目が無い。

 血沸き肉躍るというか、体を巡ってる血が勢いよく回って、顔が火照って来る感じだ。

 クラスマッチもいわば祭。うずいて仕方ない。

 せめて応援……と行きたいところなんだが、うちのクラスは応援するまでもなく圧勝している。

 甲子園行きを目指して時代錯誤なくらい練習――もうあれ荒行の一種だろ――している投手兼四番の西だけでも充分凄いが、そこにマツリが加わった事で反則助っ人外国人を擁する球団みたいになってる。

 この試合も、早くもコールドになりそうだ。

 相手が目に見えて落ち込んでいるんだが、それに対して西が叱咤激励を飛ばしている。

「諦めんなよ! ここからだよここから!」

 いや、相手だぞそれ。

 熱い。どこまでも熱い。

 こいつを地球外に置いたら、氷河期が来るレベルだ。

 とりあえず、こりゃ女子を応援した方がよさそうだな。

 その場を後にしようとしたのだが、ホームに帰ってきたマツリと目が合う。

「ん? どこ行くと?」

「女子の応援だよ。こっちは圧勝してるからな」

「む」

頬を膨らませるマツリ。

「な、何だよ」

「ふーん、あっちの方がいいたいね」

 じと目。

 ふん、そんな面をしても無駄だ。

 俺のおやつのプリンを分けてもらおうと、虹乃姉がそんな目をよくするから俺には効かない。

「そうだな。こっちはお前がいるから大丈夫だろ」

「そげんこつ言って、女子の尻おっかけに行くったいね。この中洲大好き男!」

「ぶふぉ!?」

 中洲ってオイ!

 中洲は九州最大の夜の街。

 当然行った事はない。あ、映画館くらいはあるけど。

「誰が尻おっかけに行くだコラァ!」

「わー、やらしかー」

「うるせえ! お前だってフンドシ履いて登校してるくせに何が尻だ。お前が尻じゃねーか!」

「なっ……きさん、どこ見とーとか!」

 慌てて尻を押さえるマツリ。

「いや、今更だろ! 大体今日は体操服じゃねーか! 何を隠してんだ! というか今も履いてんのか! 何考えてんだ! 着替えの時他の女子から突っ込まれねえのか! っていうか誰か突っ込めよ!」

「えっ……突っ込むって……?」

 急に顔を赤らめるマツリ。

「またかああああああああああああああああああああああ!」

 付き合いきれないので、もうその場を後にすることにした。

 マツリの奴が何か言いたげにしてたが、ほっとく事にした。




 ところかわって体育館。

 体育館シューズがキュッキュッといい音を立てている。

 コートは4つでクラスは一学年6クラスだから、2クラスが休憩中だ。

大抵は男子の応援に回っている。

 うちのクラスはちょうどバレーの試合中だった。

「ほいっと」

 クラスの主力は、子犬(こいぬ)丸比(まるひ)()。175センチの長身のバレー部員。

 マイペースな奴だが、気がつくと点を取ってる。

 他に、(はま)姪子(めいこ)。こいつはバスケ部だが同じく長身で、二人並ぶと中々迫力がある。

 その上、コートにはちょうど甘髪が出ている。

 なんというか、凄い光景だ。

 今のローテーションだと、サイドに長身二人、正面に金髪縦ロールだぞ。

 相手チームもやりづらそうにしている。

 そんな甘髪の元に、チャンスボールが上がる。

 飛び上がる甘髪。

 彼女のそのジャンプは、背筋が綺麗に反り、絵画のような美しさだった。

 そして、腕が振り下ろされ――

「行け! 甘髪!!」

「え?」

 俺の声に反応し、こっちを向く甘髪。

 直後、相手の手が伸び、チャンスボールはそのまま跳ね返され、甘髪の顔面を直撃した。

「べふっ!?」

 そのまま背中から地面に叩きつけられる。

 騒然となる周囲。

「お、おい大丈夫か!?」

 慌てて駆けつけるが、鼻血が噴き出し、脳震盪も起こしているようだった。

 その場にいた男子は俺だけだったので、審判をやっていた先生と慌てて担架で保健室へ運んだ。




 保健室。

 保険医の診断によれば、甘髪に特に問題はないだろうとの事だったが、大事を取ってこのまま早退し、病院へ行く事になった。

 ただ、まだ本人の気分がすぐれないという事なので、保健室で寝ている。

 俺は、そのベッドの隣の椅子に腰かけていた。

 なぜって、まだ謝ってもないからだ。

「す、すまん……変な時に声かけちゃって……」

「構いません事よ。お気になさらないで」

 鼻にティッシュを詰めているのを見られたくないんだろう。甘髪は顔半分を布団に隠しながら言った。

 こりゃ、長居しちゃ悪いな。

「ま、まぁ、俺はすぐ行くからさ。気にしないでゆっくり休みなよ」

「えっ?」

 甘髪はきょとんとした目をした。

「もう行ってしまいますの?」

「い、いや、俺が居たらゆっくり休めないだろ?」

「そんな事はありませんわ。それに1人でいても退屈でしょう?」

「そか、確かにそうかもな」

 流石に最近は俺の顔見ても笑わなくなってきたし、会話も増えてきた。なんだかんだで結構喋ってる気はするな。

「ちゃんと……せ、責任取って下さいまし」

「はは。責任って、そんな結婚じゃあるまいし」

「けっ……」

 甘髪が顔を背ける。

 しまった。

 怒らせたかな……。女子の顔面を傷つけといてこの言い草は無いよな……。

「す、すまん」

「……んわ」

「え?」

 布団にくぐもってよく聞こえない。

「構いませんわと言ったのです」

「お前、いい奴だなあ……」

「……誉めても何も出ませんわよ」

 布団から目だけ覗かせてじとーっと見てくる。

 と、窓の外から快音が響いて来た。

「お」

カーテンを開けてみると、どうやらうちのクラスが試合をしているらしい。

 相手は変わっているからもう二試合目なんだな。

 そして、快音はマツリの奴が長打を放った音だったようだ。

「うちのチームが勝ってるぜ」

「あら」

「マツリの奴が三塁打打ってるみたいだ。……あっ! あいつ、そのままホームまで狙ってやがる!」

 相手ライトがボールをサードへ投げる。

 サードが中継し、バックホーム。

「行けーっ! マツリ!」

 小柄な体が猪のように突っ込み、宙を舞ってホームに向かう。 

 が、一歩及ばず。

 伸ばした手をキャッチャーミットが払うように触れてタッチアウト。

「あーーーー!?」

くっそー! 惜しい!

と、そこで、甘髪の視線に気づいた。

「わ、悪い。保健室だったなここ……」

この数分で何回謝ってんだ俺……。

「……随分熱心ですわね」

「そりゃ、うちのクラスだからな。応援しないと」

「祇園さんとは、その……仲が良いのですの?」

「マツリとか? ないない」

 俺は手を振る。

 仲がいいどころか、天敵だ。

「……またマツリって言った」

「え?」

「いいえ、何でもありませんわ」

 言って、顔を背ける甘髪。

「……ちょっと疲れました。少し寝ますわね」

「お、おう。じゃあ、俺は応援に戻るわ」

 布団をかぶってしまった甘髪を残し、俺は保健室を後にした。




 保健室から出ていく松原さん。

「あ……」

 わたくしのバカ。

 なぜあそこでスネたりなんてしたのでしょう。

 素直にしていれば、もっとお話出来ましたのに……。

『フフフ……あの方、「マツリ」なんて親しげでしたわね?』

……っ!

 また、あなたですのね!

 わたくしの心の中に入ってこないで!

『入って来る? 違いますわ。わたくしはもう一人のあなた』

 違いますわ!

 わたくしは……こんなにどす黒くありません……。

『いい子ぶらないで。あなただって、この街が穢されるのを楽しんでいたのでしょう?』

 そんな……ことは……。

『いいえ。楽しんでいたわ。全然なじめなかったですものね。博多弁ひとつしゃべれずに』

 ち、違う……。

『認めなさいな。あなたはわたくし。わたくしはあなた。街を穢したのはあなた。街を守る守護者を痛めつけたのもあなた』

 声は、体の底から響き続けてきます。

『いい事を教えてあげますわ』

 姿も見えないのに、その声の主はとても嗜虐に満ちておりました。

 聞きたくない、そう思いましたのに、自分の中からの声は耳をふさいでも止まりません。

 その内、頭がぼんやりしてきて――

『あの博多ンとか言う守護者……その正体聞かせてあげましょうか?』

正体……?

『そう……あいつの正体はね。あなたが今、一番消えてほしいと思っている人物』

 消えてほしいだなんて……。

 思っていませんわ。

 思っていませんのに……。

 なぜ……なぜあの方の顔が浮かぶの!?

『フフフ……そう、あいつの正体は――』




 悪寒が、した。

 それは、あの神社で味わったような、猛烈な悪寒だった。

 世界が黒いクレヨンで塗りつぶされていくような、悪意の奔流。

「何で……だよ」

 いち高校のクラスマッチのさなかに、何でそんな……。

 これは夢だ、そう呟く事すら許されずに、それは現れた。

『みなさんごきげんよう』

 漆黒の出で立ちで、こんな真っ昼間にコウモリ傘――シュラウドの幹部・グレネーディアだ。

 それが突然、クラスマッチ中の校庭に現れた。

 ……何で?

 マヒした俺の頭に浮かんだのはそれだけだった。

 他の奴らも似たり寄ったりだったんだろう。何が起こったかわからず、ただざわつくしか出来なかった。

 不審者に気づいた先生たちが近寄ろうとしたその時――

『あら、みなさんリアクションが悪いですのね。でも、ご招待したいのは他の方ですの。眠っていて下さるかしら』

 言って、傘を開く。

 まるで雨でも降りだすかのように……いや、違う。

 雨は降って来た。

 漆黒の闇の塊が雨のように降り注ぐ。

『シャントン・スゥ・ラ・プルィ』

 それに打たれた人たちが、次々倒れていく。

 俺は慌てて木の下に隠れて難を逃れたが、他の生徒や先生たちは何が起こったかわからずに雨に打たれてしまった。

 毒ガスが撒かれた戦場のように、辺りには多数の生徒が倒れて……。

 何だよ……何だよこれはっ!

「なんばしよっとか!」

 と、そこに黒い雨を腕の一振りで吹き飛ばし、一陣の風が駆け抜ける。

 急制動で地面を抉りながらグレネーディアの前に現れたのは、もちろん博多ン。

『あら、意外と遅かったですのね』

「きさん……!」

 博多ンは、素手でグレネーディアに掴みかかる。

 が、それをひらりとかわし――

『あなた、目障りですわ……ル・ジャルダン・スゥクレ』

 その背後に、炎の花園を作り出した。

 燃え盛る、薔薇の花園。

 まずい。

 あの薔薇は、神社で博多ンを苦しめたとんでもない威力の攻撃だ。

 それが、また放たれようとしている。

『終わりにしましょう』

「待てーっ!」

 いてもたってもいられず、俺は飛び出していた。

『あら? 飛び入り参加は認めていなくてよ』

 グレネーディアは俺を一瞥すると、軽く手を振った。

 すると、空気の塊が俺の足に激突した。

「ぐっ……!」

 そのまま足を払われ、グラウンドに叩きつけられる。衝撃がアバラに響き、息が一瞬止まった。

「ごほっ……!」

『せっかくですし、おとなしくそこで見ていてくださる?』

 炎の薔薇が放たれる。

「くっ……」

 博多ンも咄嗟にガードの姿勢を取ったが、遅い。

「博多ン!」

 薔薇が直撃し、爆発が巻き起こった。

 それだけに留まらない。一輪目が着弾した直後、二輪目が、爆風に刺さるように三、四、五……と次々と薔薇が飛び込んでいく。

「あ……あ……」

 だ、だめだ。

 あんなにくらったら……もう……。

 立ち上がろうとするが、アバラから響く痛みで、思うように立ち上がれない。

 無情にも薔薇の爆撃はその花園がなくなるまで続いた。

 炎と黒煙が辺りにまき散らされる。

 だが、その爆心地でゆらりと立つ影があった。

『な……』

 博多ンが立っていた。

 それも、煤がついているものの、大きなダメージを受けた様子はない。

「どげんしたか。なして手加減ばすっか!」

『手加減……そんなものしていない……』

 グレネーディアは困惑の表情を浮かべている。

 何だ? 失敗したのか?

『くっ、今度こそ終わりにしますわ! ル・ジャルダン・スゥクレ!』

 再度、グレネーディアが炎の薔薇を無数に生み出し、そして撃ち放った。

 先ほどよりも多くの炎の薔薇が博多ンに降り注ぐ。

 その爆撃の嵐を、

「うおおおおおおっ!」

 雄叫びと共に博多ンは耐え切った。

 体から薄く煙が昇っているが、傷は深くなく、気力も十分に見える。

「どうね!」

『う、嘘よ……』

 グレネーディアが驚愕に顔を歪め、よろめく。

『な……何でわたくしの技が通じませんの?』

「それは、お前の中の憎しみが弱まっているからだ」

『えっ……!?』

 どこからともなく声が響いた。

 壮年男性の声だったが、近くにそんな人影はない。該当するのは体育の先生くらいだが、まだ倒れたままだ。

『首領!?』

 グレネーディアは天に向かって叫んだ。

 それに続くかのように、天から声が降って来る。

「お前には、もう力は無い。破壊の意志は、お前との親和性を失ったのだ」

『そ……そんな』

「よいしょっと」

 間の抜けた声と共に、空間が引き裂けた。

 まるで、ジッパーを下ろすように無造作に虚空が開き、その奥に現れた闇から、足が飛び出してきた。

 そのままごく自然な動きで空から降り立ってきたのは長身の男だった。

 漆黒のスーツをきっちり着こなし、それだけならエリートビジネスマンかモデルかといった風体なんだが……。

 しかし、そいつはオレンジで顔の上半分を隠す仮面を被っていた。

 っていうか何で博多にわかの仮面なんだよ!

 福岡県民は天文学的回数見た事がある某せんべいのCMに出てくる事でおなじみの仮面だ。

 その仮面に描かれた今にも「ごめぇん」と言いだしそうな憎めないたれ目の絵と裏腹に、全身から放たれる圧力は並みではない。

 どこかチャカに似ているが、その風格はまるで違う。

「きさんはなんね!」

「焦るな。すぐにわかる」

 言って、グレネーディアに目をやる男。

「まったく……困ったものだ。私の命令はただ一つ。博多を穢す事。……それだけだというのに、それすらまともに出来ぬとはな」

 にわか仮面は頭を抱え、大げさにかぶりを振る。

 そのままつかつかと膝をつくグレネーディアの元へ歩いて行く。

「もう用済みだ」

 そして、酷く冷たい目でグレネーディアを見おろした。

『まっ……』

 にわか仮面が手をかざすと、グレネーディアの体から、黒い霧が抜けていく。

 グレネーディアがこちらを向いた。

 そして――

『見ないで……』

 消え入りそうな声で呟いた。

 黒い霧が色素を奪うように、グレネーディアの髪から黒が抜けていき――

 太陽の光を浴びて金色に煌めいた。

「……あ、甘髪……?」

 そこにうずくまっていたのは、間違いなくクラスメートの甘髪こあだった。

「み……見ないで……見ないで下さい……」

 甘髪は涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

「お、お前、甘髪を洗脳してたのか!」

「洗脳? 私は彼女の不満を解消するための種を与えただけに過ぎない。心と言う花壇で化け物を育てたのは彼女自身だよ」

 いけしゃあしゃあと……!

 何か、自分の中の煮えたぎった鍋が横倒しになって熱湯が溢れかえる気分だった。

「ふざけんな! あれが甘髪であってたまるか! お前のようなCMのキャラクターみたいな奴にあいつの何がわかるんだよ!」

 俺は、立ち上がっていた。痛みなんかもう感じない。ただ、自分の中の熱に突き動かされていた。

「まぁ好きに思うがいい。そこの女の姿が全てだと思うがな」

 泣き崩れている甘髪。

 何度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返している。

「さて、私が来たのは、こんな事をするためではないのだよ」

「こんな……ことだと?」

 あの甘髪の姿を見て、こんな事と言ったのか……!

「私は今日、守護者たる博多ン……君に宣戦布告に来たのだ」

 俺の方など見もせず、にわか仮面が言う。

「宣戦……布告?」

「そうだ。私は、シュラウドの首領・犬鳴峠。これより一週間後、貴君の愛する博多を滅ぼすと誓おう」

「なっ……」

 それは、淡々と、しかし絶対の確定事項として伝える、死刑宣告のようだった。

 一週間後といえば、博多どんたくの直前だ。

 コイツ……まさか……!

「何を言っとーとか! ……いや、そん声……聞き覚えが……」

 博多ンが、怪訝な表情でにわか仮面に手を伸ばす。

「き、きさん……まさか……!」

「私はシュラウドの首領・犬鳴峠。それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外でもない」

 犬鳴峠は冷たく言い残し、再び空間を裂いて消えた。

「……」

 博多ンは、犬鳴峠が消えた後も、暫くそこを見つめ続けていたが、やがて、倒れ込んでいた甘髪の方へ歩いて行った。

「大丈夫?」

「ごめん……なさい……」

 甘髪を抱え起こそうとする博多ンだったが、甘髪は泣きじゃくり、立ち上がろうとしない。

「きさんが悪いわけじゃなか。闇に取り込まれただけたい。しっとーよ、こあが優しい子なんは」

「う、う……」

 母のように優しくかけられた言葉に、甘髪の顔がくしゃっと歪む。

 博多ンの差し出した手につかまろうとして……頭を振ると一人で立ち上がった。

「ごめんなさい……!」

 そして、そのまま走り去ってしまった。

「こあ……」

 博多ンはそれを見つめていた。それは先ほどの犬鳴峠への視線とはまた違う、慈愛の色を込めた目……。

 俺も、追いかける事は出来なかった。

 どうしていいか、わからなかったんだ。

 やがて、他の生徒達が目を覚まし始め、それを見届けたように博多ンが地面を蹴って空に消えた。

 それからというもの、甘髪は学校に姿を見せなかった。

 他の生徒達に関しては、戦いに巻き込まれた記憶は相変わらず曖昧らしく、校庭に残る爆発の跡に首をかしげていたが、当事者である甘髪の記憶が消えているとは思えない。

 虹乃姉に聞いてみたが、無事なのは間違いないらしいが……。

 あいつのコンビニに行っても、もちろん居ない。

 店長であるあいつの親父さんが店に出て居る時にも聞いてみたが、部屋に閉じこもってしまい、出てきてくれないのだという。

 俺には、何か出来るんだろうか。

 博多ンでもない俺に……。

 まだ梅雨でもないのに立ちこめた暗雲は消えそうにない。


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