出会いがしらに豚骨
「遅刻だあああああああああっ!」
我ながら間抜けな声を上げて、慌てて駆け出していく。
「おい、次郎丸! 朝っぱらからやかましか!」
「じいちゃん学校行ってくる!」
食堂からじいちゃんの声がしたが、もちろんメシを食ってるヒマはない。
よりによって入学式で遅刻とか洒落んならん!
つうか、虹乃姉、行き先同じなんだから起こしてくれていいだろ畜生!
顔にまとわりつく豚骨臭が染みついたのれんをかき分けて、玄関を飛び出す。
高校は家から近い。
前は博多駅の裏に店を構えてたんだが、最近外国人のお客さんが多すぎてじいちゃんが言葉の壁に激突して昨年、博多区の区役所の傍に引っ越したのだ。
そんなわけで地形には明るいとは言えないが、同じ博多区だし、入試以来でも場所はわかる。
思いっきり急げば、じゅうぶん間に合うだろう。
これでも出前で鍛えた足腰には自信があるんだぜ!
わき目も振らず、ご町内を疾走する。
そして、角を曲がった瞬間――
「きゃっ!?」
出会い頭に、誰かとぶつかった。
そして、同時に熱いものが、顔面に降り注いだ。
ばしゃばしゃばしゃばしゃ!
「ぎぃやああああああああああああああっ! のけぁゃああああああああああああああああ!」
熱い! バリ熱い!
ん、懐かしい……この香りは……豚骨!?
俺の頭で斬新な帽子と化しているのは、まさしくラーメンのどんぶりだった。
そして、俺の前で制服姿の女の子が倒れていた。
「いたかあ……」
半身を起こし、左手で頭をさする少女。右手には、箸が握られ、数本の麺が絡んでいた。
いやそんなより、大股開きで倒れてスカートの中が丸見えになっていて、そこからのぞく純白の――締め込み(フンドシ)。
「色々突っ込ませろやああああああああああああああああ!」
「きゃあっ! 変態」
「そういう事じゃねえっ! なんで締め込みなんだ! なんでパン咥えて走ってくる感覚で豚骨ラーメンなんだ! しかもラーメンのスープの出来がイマイチじゃねえか! そして、その制服、博多高校のヤツだろ俺と同じ! だったら俺の進んでる方向が正しいんだ何でこっちに走ってきてんだああああああああああああああああああああああ!」
「てへぺろ?」
「そいやああああっ!」
スパコーン!
反射的に、豚骨女の頭を引っぱたいていた。
「いたかあ~」
「ってこんなことしてる場合じゃねえ!」
豚骨女をそのままに、学校に向かって慌てて走っていった。
「それじゃあ、順番に自己紹介して行きましょうねえ~」
甘ったるい声が教室内に響く。
このクラスの担任である、松原虹乃の声だ。というか俺の姉だ。
「じゃあねえ~、自己紹介したい人~」
なんちゅうキラーパスだオイ!
それで手を挙げるヤツいるわけないだろ!
当然、誰も手を挙げるわけがなく――
「ええ~ウソお~……残念ねえ」
よほど意外だったらしく、涙すら浮かべている。
普通なら、カマトトぶった演技とでも思うだろうが、タチの悪いことにあれは素だ。
天然なんてもんじゃない。なんかもう別次元の何かだ。
昨日も、料理中に俺が後ろにいると思い込んで二時間も壁と話し込んでいたらしい。
気付けよ! 振り向けよ! あと二時間かけて作ったのが肉じゃがかよ! どうやったらそんなにかかるんだよ! おまけに、俺がとっておいた杏仁豆腐までつまみ食いしやがって!
「じゃあねえ、先生が指名します」
なんだ指名って。
普通に出席番号でいいだろオイ。
「松原虹乃の、第一回選択希望選手は~」
どこどこどこ……と口でドラムロールする姉。
アカン。我が姉ながら、というか姉だからこそ死にたい。
「ホークスの麻呂中選手で~す!」
空気が、凍りついた。
きっと絶対零度の世界とはこんな感じだろう。
ああ、知ってるよ。虹乃姉が、地元ホークスのファンだって。
だけど、このギャグの寒さはひど過ぎる。
もう、なんか麻呂中選手までスベった感じになってるし。
「あ、あれ? 伝わらなかった? これはね、指名とドラフトの指名をひっかけてね……」
「ぎゃあああああああああああああ!」
寒さに耐えきれなくなり、おもわず絶叫していた。
「滑ったギャグの説明まではじめんなよ! しまいにゃそこの窓から飛び出すぞ!」
「あらあ、危ないわよお。ここ三階だし。そんなことになったら大惨事、なんてね」
「はああ!? まさか、今の三階の「三」と、大惨事の「惨」をかけたギャグだったのか? 全然かかってねえよ! フリーダムだなこのヤロウ!」
「どうしたのお? そんなに杏仁豆腐食べたこと怒ってるの? ジロちゃんのいじわる」
ざわっ
教室内の空気が、更に一変した。
ま、まずい。
入学初日から変な噂が立ちかねん。
すでにひそひそ「アイツ、先生とどんな関係だよ?」「よっ、熟女キラー!」「初日に手を出すなんて……」とか聞こえてきてるし。あと熟女キラーとか言ったやつが、虹乃姉にはたかれてる。
「機嫌なおしてよお……またジロちゃんの大好きな事してあげるから」
つうか、噂立ったら困るの俺より教員の虹乃姉だろうが! 助長するようなことしてんじゃねえよ! しかも好きな事ってどうせ足つぼマッサージだろ! ぶっちゃけ痛いけど我慢して気持ちいいフリしてんだよ! ああなんか結局エロい事言ってるみたいだな畜生!
くそ、仕方ねえ!
「はーい! 俺は、呉服町中学から来ました松原次郎丸です。実家は松原ラーメンって店やってるからよろしく。担任はまことに不本意ながら、実の姉です。OK? OKだよな! そうと言え! はい次! 出席番号一番の人から自己紹介よろしく!」
強引にまくし立て、話を打ち切る。
何とか普通に自己紹介が始まっていく。
「よう! 西新だ! みんな野球部入ろう! そして、一緒にホークス目指そうぜ!」
「甘髪こあですわ。よろしくしてあげてもよろしくてよ」
「俺は貝塚九大。彼女絶賛募集中! 頼むぜ!」
……なんか濃いヤツが多い気がするが気のせいだろう。うん。
それと、中学で見知った顔も結構多い。つうかそいつら俺と虹乃姉の関係知ってるだろ。知っててさっき悪質なネタ吹き込んでやがったな……覚えてやがれ……!
「はい。じゃあ次は、祇園さん」
次は横の席の女子の番のようだ。
「櫛田中学から来た祇園纏たい。気軽に「マツリ」ば呼んでくれんね。好いとーとは、豚骨ラーメン。みんなも好いと~?」
……おい。
お前は土地の古老か! いくらなんでも博多弁濃すぎだろ!
突っ込みたい気持ちを必死で抑える。某姉のせいで完全なツッコミ体質になってるな俺。
「……ん?」
このマツリって子、中学が違うから知るはずはないんだけど……どっかで見たような?
髪は真っ黒で短めだが、後ろで結んでくいっと縦に一房持ち上げてる。これなんてヘアスタイルなんだ? 総髪? まあそれはいいや。ほかに特徴は……くりっとした目で、身長もそんなに高くないから、何となくネコっぽいな。
んー、思い当たらん。気のせいか。
……と思った次の瞬間――
自己紹介を終え、座ろうとしたマツリがスカートの端を椅子に引っかけた。
ええ、見えましたとも。ちょうど角度的に俺だけ。
純白の、締め込みが。
「あああああああああああ! お前は……豚骨女!」
「あんたは変態!」
ベタだ。
なんてベタなんだ。ホントに起こるのかこんな事!?
「つうか俺は変態じゃねえっ!」
それはお前だろ締め込みなんか履きやがって……とは言えない。みんなの前でそんな事を言った日にゃ、二人とも大やけどだ。
「こらーっ!」
がすっ!
「あだっ!」
突如、脳天に衝撃が駆け抜けた。
「女の子に向かって豚足とは何事ですか!」
くっそー、虹乃姉めエンマ帳の角で思い切り頭をぶん殴りやがったなオイ。
それに豚足じゃなくて豚骨だ。……あんまり変わらんな。言い返すのやめとこう。
こうして、なんか踏んだり蹴ったりラーメンかけられたりの登校初日が過ぎて行った。
今日は、説明だけなんであっという間に学校は終わった。
やることもないんで、駅のそばのビルのゲーセンで時間をつぶすことにした。
こう見えて格闘ゲームには自信があるんだ。
なんかダンスゲームを思いっきり踊ってる女が居たが、気にしないことにする。
たとえ、そいつがスカートの下に締め込みしてるのに激しくダンスなんかしてるから気になってしょうがないけど、気にしないことにする。
他の観客が気づいてないのが唯一の救いだ。
うん、気にならんぞ。なんかこっちは連勝ストップしちまったけど、気になんかしてないぞ。たまたまだ。たまたま乱入してきた相手が強かったんだ。うん。
「おかあさ~ん、なんかガチャガチャしてたら勝ったよ~」
「まぁ、たっくんお利口さん」
……向かいの対戦台から、未就学児童が降りて行ったような……うん、気のせいだろう。
そうこうしてるうちに、耳にドンドコドンドコ小気味良いリズムが響いてきた。
このリズムは、祭りでよく聞く太鼓のビート。
どうやら、太鼓を叩くゲームで、誰かが腕前を披露しているようだ。
人だかりが出来ていて、誰がプレイしてるのかはわからないが、いい腕だ。
博多っ子としちゃあ、祭り好きの血がうずいてくる。
俺は、ジュースの自販機で当たりが出た時のような、ちょっとした昂揚感を感じながらゲーセンを後にした。
気づけば、辺りも暗くなってきていた。
博多の大通りを、家に向かっててくてく歩いていく。
来月にはどんたくだ。
この道もぎっしり人で埋まるだろう。
どんたくに思いを馳せながら、大通りから脇道へ入っていく。
ふいに、いい香りが漂ってきた。
屋台の焼ラーメンの香りだ。焼ラーメンは、茹でたラーメンの麺を焼きそばのように炒める料理で屋台の定番だ。
学生がそうそう屋台で買い食いできるわけじゃあないんで、ちょっと憧れの食べ物だったりする。個人的に。
と、今度は、ツンと鼻をつく匂いがした。
これは、覚えがある。
そうだ。プラモ作った時に……接着剤とかスプレー使った時に嗅いだ事があるぞ。
ってことは――有機溶剤?
胸騒ぎがして、匂いのしてくる方へ向かってみる。
そこは、公園。
周りにはいくつか屋台が軒を連ねていた。
その中心、公園の広場で――
何かがぶつかる音が響く。
黒い影が、交差する。
何が起こってんだ?
目を凝らしてみると、影は少女と男だった。
その二人が戦っている……?
『ジャマだッてんだろ!』
男は、いかにもなラッパーといった風体だ。
でっかいゴーグルと、腰にずらりと巻いたスプレー缶が目を引く。
そして何より、男はカメレオンだった。
繰り返す。
男はカメレオンだった。
自分でも何言ってるかわからねえ。
でも、男は、二足歩行で服を着たカメレオンだったんだ。まるで、日曜の朝にやってるヒーロー番組の怪人みたいに、当たり前にそいつはいた。
そして、スプレー缶から手元のエアブラシに管が伸び、スプレーの中身をまき散らしている。公園の地面や遊具に、ミミズがのたくったような落書きがされていく。
「せからしか!」
一方、少女のほうは、白字に青文字で「祭」と書かれた水法被を着て太鼓のバチみたいなものを両手に持って振り回している。
顔もはっきり見えているのに、頭にモヤがかかったみたいによく認識できない。額にあるねじり鉢巻のねじりの数まではっきりわかるのに、顔だけよくわからない。
そんなことより、あの少女も締め込みだ。
流行ってんのか? あれ。
『ザケやがって。オレぁ、博多の屋台を全部、エアブラシアートの屋台にすんだよ。ジャマするんじゃねえッ!』
頭が痛くなってきた。
有機溶剤の匂いだけじゃない。こいつの言ってる言葉の意味が分からないせいだ。
何を言ってるんだこいつは。博多の屋台は一〇〇軒以上だぞ。
それが全部エアブラシアートの屋台になったりしたら――
「そげなこつはさせん! ただでさえPM2.5やら黄砂やらでみんなげしげし言よる! 一軒や二軒なら便利けど、全部の屋台をそげんはさせん!」
まったくその通りだ。いい事言うぜ。
『アートのわからねえやつめ! てめえも、そこのオヤジたちみてえに転がしてやろうか』
「なっ……」
言われて気づいたが、屋台の店主たちが、倒れ伏していた。
屋台の正面を覆うのれんでほとんど隠れているが、その隙間から苦しそうに呻いている顔がちらりと見えた。
『オレのアートは生身の人間にゃあハードでなあ。ちょっとキツめのスプレーの匂い嗅いだだけでバタンQだ。ヒヒヒ!』
にたにた笑うカメレオン。
ふざけやがって……!
俺は反射的に殴りかかろうとして、そこで膝をついた。
「……え?」
だ、ダメだ。頭がくらくらする。これ以上近づいたら……俺もこの臭気にやられちまう。
『てめえだけだ。ジャマなのは、てめえだけなんだよ! 豚骨魔法少女……博多ン!』
怒気を込めてカメレオンが飛び掛かる。
「それはこっちのセリフたい!」
魔法少女……?
あれが? アニメとかで見る?
顔丸出しなのに、正体がバレないのは、俺みたいに顔を認識できないからかー……ってそんなことじゃなく!
なんだよ豚骨魔法少女って! なんだその枕詞は! 豚骨と魔法がどう関係あるんだよ! あれか魔女が煮込んでる謎の鍋が豚骨か? 仕込みにすげー時間かかるんだぞあれ。魔女のばあさんの体力じゃしんどいだろオイ。っていうか魔女じゃねえよ魔法少女だよ何言ってんだ俺は。
「博多ん平和を乱すきさんらは許さん! お櫛田さんが許しても、あたしが許さん!」
カメレオンが放つスプレーを切り裂いて、魔法少女――博多ンのバチが敵の腹を突く。
ちなみに、「きさん」とは「貴様」であるが、「あんた」くらいのニュアンスでも使われる。
『ぐへあ!』
飛び掛かっていたカメレオンは完全に死に体だ。
落下を始めているが、それを許さず博多ンが追撃する。
「もいっちょ!」
返す刀でバチが振るわれる。
『ひいっ……』
カメレオンは慌ててガードを取るが、遅い。
渾身の力を込めて振り下ろされたバチが脳天に叩き込まれる。
『ほげぇあーーーーーっ! ぼがっ!』
悲鳴を上げたカメレオンだが、地面に叩きつけられてさらにわめく。
「とどめたい!」
実力差は明白。
博多ンは両手にバチを交差させ、カメレオンに迫る。
と、その瞬間――
ぐううううううううううううううううううううううううううううう~
鳴った。
そりゃもう、ドでかく。
博多ンの腹が。
「あっ……」
ふらりと、よろける博多ン。
「ら、ラーメニックエナジーが足りない……っ」
なんだよラーメニックエナジーって。その取ってつけたような名前は!
ラーメンか? ラーメンなのか?
『ヒヒ……チャンスだぜえ』
のろのろと起き上がるカメレオン。
『オレが屋台のオヤジたちを気絶させたのはなあ! てめえのエネルギー源を削るためでもあるんだよお! ヒヒヒ!』
「く……」
『てめえの肌に、オレのアートを刻んでやるよ。そうすりゃあ、てめえはもう俺に逆らえねえ。ヒヒヒ!』
「ひ、卑怯たい……」
博多ンはもう、立っているだけで精いっぱいに見える。
ラーメニックエナジーなんてふざけた名前だが、本当にそれが活動源らしい。
それでも、必死にバチを構えていた。
『バカめ。なんでそこまで博多を守ることにこだわりやがる。黙って見過ごしてりゃ済む話なのによぉヒヒ』
「博多が……大好きだから……! それ以外に、何がいる……!」
――俺は、何をしてる?
あいつはあそこであんなに体を張ってるのに?
博多が好きってだけで、あんなに頑張ってるのに?
俺は?
有機溶剤?
頭が痛い?
ふざけろ。
俺は、駆け出した。
頭がガンガンするが、そんなもんどうでもいい。
なめんな。
俺だって生まれも育ちも博多っ子。
あんなフンドシ女にばっかりいいカッコさせてたまるかよ!
「おっちゃん、屋台借りるぜ!」
手近な屋台に飛び込む。
屋台の仕組みは知ってる。客として行った事はないけど、親戚のおっちゃんをさんざん手伝わされたからな!
ガスコンロに点火。大鍋を温めてる時間はない。大鍋の豚骨スープをお玉で汲み出し、熱燗を作るための小さな鍋に移す。その小鍋を火にかけ、スープを沸騰させる。
「あ……う……ぼうず……一体……」
倒れ伏した屋台の店主が呻いている。
「悪ぃ。今は俺を信じてくれ!」
麺も別に茹でてる時間はない。沸騰したスープに、麺を上げるときに使う振りザルを入れてその中に麺をブチ込む。これでスープと麺を同時に温めるしかねえ。
麺の量と茹で時間は、完全に俺の感覚だ。とにかくスピードを重視して、少量を作り上げる。
「よしっ!」
ご飯茶碗に麺とスープを注ぎ、割りばし片手に屋台を飛び出した。
目に入ったのは、エアブラシの噴霧を、転げ回りながらかわしている博多ンの姿。
無様だ。だけど、必死だ。
だから、俺も走る。
「博多ン!」
「え?」
そこで初めて博多ンは俺に気づいたらしい。
驚きに目をむく博多ン。そんな驚かなくてもいいだろうが。
「き、きさんは……ってそげなこつより! 危なかろ! はよ逃げな!」
自分だって一杯いっぱいのくせに、俺を遠ざけようと声を上げる。
そんな静止なんて聞いちゃいられない。
止まったらブッ倒れる。
俺は無視して二人の間に割って入った。
「豚骨ラーメンだ! 食え!」
茶碗に割りばしを添えて、倒れた博多ンに突き出す。
『て、てめえ! 何を!』
「うるせええええっ! 車で走行中に前後左右を筑豊ナンバーの車で固めるぞ!」
『え? うえ?』
俺の恫喝で一瞬、カメレオンがたじろぐ。
その隙に、博多ンにラーメンを渡すことに成功した。
「あ、ありがと!」
「さっさと食え。のびるぞ……」
手渡した直後、俺はそのまま前に倒れこんでいた。
ダメだ……もう体が全く動かん。
だけど、何かよくわからないんだが――
俺のラーメンを美味そうにかっこんでる姿を見たら、コイツが負けるなんて想像できなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ラーメニックエナジー全開たいいいいいいいいいいいいいいっ!」
倒れた俺と入れ替わるように跳ね起きる博多ン。
『ちょっ、待っ……』
「問答ば無用!」
双眸に炎を燃やし、博多ンはカメレオンに飛び掛かった。
『畜生!』
噴霧されるエアブラシ。
だがそんなものは、博多ンの両手のバチで雲散霧消する。
「オイッサ!」
『ぎゃっ……』
博多ンのバチがカメレオンの足をすくう。
「奥義! 博多暴れ太鼓!」
前に倒れ伏したカメレオンの尻目がけ――
「オイッサ! オイッサ! オイッサ! オイッサ!」
打つ。打つ。打つ。打つ!
その姿、まさに太鼓の達人。
右尻、左尻、右尻、左尻!
カメレオンのケツがリズミカルに打ち鳴らされる。
博多の名誉のために言っておくが、こんな儀式や懲罰はないし、そもそも暴れ太鼓なんてものもない。念のため。
「オイッサーーーーーーーーーーーーッ!」
『ひ、ひぎゃあああああああああああああああ!』
天高く掲げられた両手のバチが、両尻に容赦なく叩き込まれた!
まるでよく晴れた日に高原で深呼吸をするような、そんな爽やかな音が高らかに鳴り響いた。
カメレオンは、熱病に浮かされるようによろよろと起き上がり、そのまま公園の中央へフラフラ歩いて行った。
そして――
『シュラウド……ばんざあああああああああああああああああああい!』
高らかに叫ぶと、大爆発を起こした。
シュラウド……それが何かはわからないが、日本人として子どものころから見続けてきたこの様式美溢れる爆死の様から、何か巨大な組織がバックにあることは、なんとなくわかった。
カメレオンが倒されたことで、急速に空気が澄んでいく。
頭痛が和らぎ、四肢に力が戻ってきた。
「あ、あんた……」
俺は博多ンに声をかけようとした。
が、博多ンはまるで逃げるように背を向けて駆け出した。
「あ、あたしは用があるとよ! じゃ!」
去っていく博多ン。
俺は、ハッピ姿に、目を奪われていた。
きっと、粋ってのは、こういうことなんだろう。
カッコだけ締め込みしてるようなヤツには真似できないだろうな。
『ピースカメレオンがやられたようだ。まぁ、あんな半端者がどうなろうが大した問題ではないが』
静謐な空気を湛える指令室に、気取った声が響きます。
何時になってもこいつの声は好きになれませんわ。
『じゃあ、あなたが行けばよろしいのではなくて? チャカ』
『ふっ、君が怖いというならそうしよう。グレネーディア』
前髪をいじりながら、長身の男――チャカが言います。
『ふざけないで。……いいわ。私が行く。あなたは引っ込んでいて』
苛立ちを魔力に変え、指先に収束させます。
この方の顔なんて見たくもないですわ。この上から目線にはいい加減飽きてきたところですし、焼き尽くしてさしあげるのも悪くないですわね。
『ははは。怖い怖い』
『……!』
正面にいたはずのチャカが、いつの間にか背後に回り込んでいます。
そして、あろうことかわたくしの頭に手を置いてきたのです。
『そういうところも可愛いよ。ははは』
ブチッ、と自分の中で何かが切れる音がいたしました。
『離れなさい下郎!』
掌に生み出した炎をまき散らし、振り払うものの、そこにもうチャカはいません。
指令室のドアが開いています。既に部屋を出て行ったようですわ。
『ははは。今回は私が手伝ってあげる(、、、)よ』
廊下の奥から、声だけが木霊してきます。
最後まで上から目線……。
反吐が出ますわ。
なぜ首領はあんな下郎を幹部にしたのでしょう。
……まぁいいですわ。
これ以上あんな方の事を、頭の片隅にだって置いておきたくないのです。
物理の宿題もやっていませんでしたし――
しかし、昨日は凄かったなー。
なんだったんだアレは。
新聞では、変質者がスプレーをまく事例発生、くらいに数行で済まされている。大事になってる様子はない。
考えてみれば、ここ最近都市伝説みたいな噂もよく聞くし、あの怪人みたいなヤツらが、実は他にも暴れてたりするのかもしれない。
何かよくわからんが、粘りつくような気持ち悪さを感じる。
こう、日常が浸食されてくような……。
「なんチンタラしよるか! さっさと学校行かんか!」
「うおっ!」
のんきに新聞なんか読んでる場合じゃなかった。
じいちゃんの叱責を背中に受けながら、のれんを潜って外に飛び出し――
「あ」
瞬間、視界が暗転した。
何も、見えん。
自分が転倒したということだけはわかってる。
真っ暗で、そしてやわらかい。
何か、顔にマシュマロのように柔らかい何かが乗っている。
それが、ケツだと気づくのに、それも締め込みを履いたケツだと気づくのに、数秒かかった。
そしてそれを理解できたとき、俺の顔面目がけて正拳突きが叩き込まれていた。
「べふっ!」
「こん……変態! 一度ならず二度まで! あんた、気は確かと!」
マウントポジションで俺をぶん殴りやがったのは、もちろんあの豚骨女。
痛みは置いといて、冷静に考えよう。
確かに、女性のケツの下に顔があったら、悪逆非道な犯罪者だ。殴られても仕方ない。
上から急にこいつが落ちてきたせいじゃなければな!
「ふざけんなあ! 何で上から降ってくるんだよ! 何かあれか? ローカル丸出しのくせに国民的アニメ映画のヒロイン気取りか? っていうか他にも丸出し過ぎるんだよ! スカートの中に短パン履いて少年の夢を壊すぐらいの恥じらいを持ちやがれ畜生!」
「なん言よるかわからん! 博多弁でOK」
ありもしねえ胸張りやがって。
よーしわかったそっちがその気なら――
「くらすぞ!」
「え? 暮らす……? 一緒に……? そげな急に」
「ちょっと待てええええええええええええええ! 博多弁って言ったよな! 博多弁で『くらす』は殴るだよな? ネイティブの俺が知る限りそうだよな? 何でそこだけ共通語で取るんだあああああ! 赤面してんじゃねええええええええ!」
結局、俺たちは遅刻した。