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第一幕

魔族の女王へと婿入りした件の王子。否、人族の元王子は正装を身にまとい、やや硬い表情で己の伴侶を待っていた。和睦が結ばれてから約半年、ようやく人と物とが行き交うようになり、彼は魔族の王宮へ居を移す事を許されたのだ。和睦の席に立会いを許されなかった為、女王とはこれが初めての顔合わせであった。


王はお忙しい身ですのでと言い渡されてから早数時間。

彼は数人の従者を傍に置き、案内された部屋の中でひたすらにその時を待っていた。従者の一人が落ち着きなく足を揺らすのを横目にしながら、ただひたすら待った。


「お待たせ致しました、レイヴァルト様」


好々爺といった風情の――魔族特有の紋様が鮮やかに額に浮かび上がっているのでそれ相応に位の高い者であろう男が、深々と頭を垂れ同行を促す。


「散々に待たせた上呼びつけるとは何事か」


落ち着きない様子を見せていた従者が気色ばむ。軽く肩を竦め発言を控えた男の所作に、更にその怒りを深めたらしい。従者は今にも飛び掛からんばかりの勢いで足を踏み出した。


「控えろ。此方が訪ねた身の上に、相手はこの国で最も尊きお方。ご足労願うものではない」


低く、されどよく通る声でレイヴァルトが従者を制した。押し黙った従者をひたと見据え、小さく嘆息する。やはりかと。

気を持ち直すよう深く息を吸い込み、すっくと立ち上がる。柔和な笑みを崩さぬ老人へ向き直ると、見苦しいところを見せたと詫び、レイヴァルトは男に案内を促す。

歩き始めて数分、レイヴァルトは先を緩やかに行く老人を見遣り、感心していた。案内役の男は年齢を感じさせぬ程しなやかな身のこなしであった。老いてなお洗練された動き、ある意味不自然に整い過ぎており、軍部の人間を思わせた。執事のような格好をしているが元はそれなりの部下を従えた者か、或いは王族の警護の担い手、暗躍した者か。そう思考を彷徨わせた末、魔族の女王は我々を試しているのではという一つの仮説に行き着く。


(まぁ何だって良い)


やや投げやりな結論で締めくくり、案内先の広間へ足を踏み入れる。

豪勢で広々とした造り、一目で謁見の間であることは知れた。玉座に深く腰掛ける女性、彼女こそが魔族の王であろう。そこに居るというだけで放つ存在感は人族の王となんら変わりない。ただ、周囲からそこはかとなく感じる違和感。人族に対する敵対心のせいか、それとも違う何かかと頭の片隅で考えつつ歩を進めた。

唐突に、すと腕が翳される。謁見の間には人魔問わず共通する暗黙のルールというものがある。拝謁を許された者と玉座との距離もその一つであった。案内役の男は、拝謁を許された者の中でも最下位級の者が立ち入りを許される位置、その最も遠い位置でレイヴァルトを押し留めた。


(これ以上を許さないか。信頼されていないと受け取るか、侮られているのだと受け取るか)


冷静な判断をするレイヴァルトに反し、先程吼えた従者は激昂を露にした。留める間もなく、従者は前方に躍り出て声の限りに叫んだ。


「共に並び立つお方に対し、この仕打ちとは…魔族の王は礼儀を知らぬのか!」


その瞬間、ひやりと場の空気が凍った。背を這う怖気にレイヴァルトは迂闊だったと歯噛みする。


「痴れ者が。…赤錆色の、妾に礼節を説くお前は何者?妾は何者かしら?」


甘やかな声でありながらぞっとするような凄味を乗せた声音だった。口をはくはくとさせながら従者が慄く。


謁見の間を訪ねた場合、緊急時を除き訪問者は許しを得るまで言葉を発してはいけない。ましてや一介の従者がそれを許される筈もない。不敬罪で済むなら上々だがその場で首を跳ね飛ばされても文句は言えない程である。本来であればレイヴァルト一人のみの謁見も有り得たが、長きに渡る種族間の諍いを鑑みた結果、最初の顔合わせは従者が侍る事も許した。無論、人族の王と魔族の王女の対面もそうだ。この場で従者が自ら前に出るなど、最悪和睦を利用して闇討ちに来たのだと思われかねない行為。年若い従者は考えが浅い、仕来りにも疎い、魔族に対する敵愾心も弱くはない。よくよく考えれば起こり得る事だとレイヴァルトは己の浅はかさを呪った。


(最低限の者を寄越したかと思えば…あの狸爺め)


氷点下まで気温が下がったのではと錯覚するほどの寒気に震える。しばしの静寂の後に女王は片腕を揺らした。それを確認した瞬間には、レイヴァルトは身を低くして地を蹴っていた。


「応えよ、下郎が」


大気中の魔力が一点に集中するのを感じる。同時に、レイヴァルトは視界の端で老人が動くのを見た。だが構ってはいられなかった。女王はこの礼儀知らずの従者を屠る気でいる。半ば反射的に保護の術式を多重展開し、従者を引き倒した。

魔力の塊が飛来する。レイヴァルトは右腕を掲げて構えた。次いで轟音と閃光が弾ける。


音と光が収まるまで、しばしの静寂が降りる。


(何が最善だ、考えろ…!)


一時の静寂の後、逸早く動いたのはレイヴァルトだった。

微かな布擦れの音に、事の発端である従者は恐る恐る目を開ける。左腕に鈍色の短剣を突き立てられ、右腕を眼前に翳した主人の姿がそこにはあった。裂けた衣服からは所々血が滲んでいる。だが痛みに呻く事もせず、彼はその場で右の拳を左肩に当て跪く、魔族での臣下の礼を執った。


「…人族の王子、否、妾の夫殿であったな。その礼の意味を知っていて?」


愉しげな調子で問いかける女王に、レイヴァルトは深く頭を垂れた。肯定の意を示された事にくつくつと喉を鳴らすと、彼女は傍らで短剣を握る老人を見据えひらりと手を振る。


「グリフ」

「ですが」


先程より微弱ながらも、一点で魔力が渦巻いた。

重い体を起こし、グリフと呼ばれた男に向けられた攻撃の術をやはりレイヴァルトは保護の術式を展開してそれを防いだ。目を見張る女王に再度臣下の礼を執り、深く腰を折る事で発言を請う。


「……許す」

「先ずは、許可なく魔術を使った事お詫び申し上げます。そして、御前に進み出でた事も。平にご容赦下さいますようお願い申し上げます」

「如何なる理由をもって二度魔術を使ったか、答えよ」

「一つは…魔と人の諍いは久しく、例え和睦が成ったと言えど小さな火種は大きな戦へ至るもの。そう心得ております…私的理由を申し上げれば、折角の出会いを汚すのも忍びませんでした故」

「良いだろう。二度目は?」


鷹揚に頷いて女王は先を促す。レイヴァルトはちらと目線をグリフへと向け、再度口を開いた。


「そこなる御仁、唯の案内役でないとお見受けしました。彼を害するのは御身にとっても損失かと判断した次第で御座います」

「良いだろう。夫殿の機転に免じ、そこの者の無礼は咎めぬ」


感謝の意を目礼で返し、レイヴァルトは一先ず危機を回避したことに安堵した。同時に、張り詰めた心の糸が緩み、徐々に体が痛みを訴え始める。それでも、彼は呻く事をしなかった。


「して、その礼の意味を知っているとの事だが?」

「仰せの、通り。されど、人族の王家としてという意味合いでは…御座いませぬ」

「…ほう」


器用に片眉を跳ねさせ、女王は更なる言葉を待った。


「私は、御身の夫となった身。もはや、我が身は貴女様のモノです。私は…貴女の愛の下僕に御座います。どうか、女王陛下。このレイヴァルト・シュヒテン・エンガルドを、お傍に置いて下さいませ」

「愛の、下僕…っは、く、くく。良いだろう。夫殿、妾が手ずから手当てをしてやろう。グリフ、我が伴侶を寝室へ」

「…恐れながら、」

「良い、この手負いの者に何が出来ようか。魔術を繰る程度の身なら、妾の敵ではないのも知っておろう?」

「御意に」


グリフの手を借り、レイヴァルトは立ち上がる。腰が抜けた従者をご随意にと引き渡して謁見の間を後にした。

レイヴァルトの長い一日はまだ始まったばかりである。

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