第九章 愛故に(2)
「陛下が、陛下がお戻りです!」
慌てて身を翻し、兵士がそう叫んでゆく。
すると、見張りのその報告に、一同は驚き、そして喜んだ。だが、それからが大忙しだった。その報告に、上へ下への大騒ぎとなる城の中の者達。取り敢えずその男……ヴィートを城内へと迎え入れ、まずは休んでもらおうと、彼の自室へと通す。
すると、ふらふらとベッドへと歩いてゆくヴィート。そして、やっぱり疲れていたのだろう、ドサリとそこに身を預けて横になり、ピクリとも動かなくなる。それを見て、侍女は邪魔をしないようにそっと部屋を出ると、外にいた一人の侍女にこう言う。そう、
「王妃陛下には?」と。
尋ねられた侍女は、それにコクリ頷き、
「もう、使いをやってます」
そう、このことを知らせる為、既に他の侍女をティアの元にやっていたのだった。早急に、速やかに知らせるべく、もうことは為されていたのであった。
そしてその時その侍女、今まさに、走りに走っていた。早く、早く知らせねば、という思いの中、
「王妃陛下!」
ノックもせずに、侍女はティアの自室に駆けこんでゆく。その突然の訪問に、ティアは思わず驚いて、侍女を見る。そう、まだ何も知らぬティアであったから、それもそうなるだろう。そして、縫っていたらしい、子供の為の産着を手に握りしめ、
「一体、どうしたの?」
それに侍女はぜいぜいと息を切らしながら、この重大事をティアに報告すべく、大声でこう叫んでゆく。
「王妃陛下、陛下がお戻りになられました!」
思わず固まるティアの体。そして一瞬呆然とすると、すぐにティアの表情は歓喜に変わった。胸を占めるのはやっぱり、やっぱり生きていた! という思い。満ちる喜びにティアはいてもたってもいられなくなると、
「何故? 何故こんなに遅く?」
「陛下は徒歩でした。やはり、それで遅くなっていたかと思われます!」
その言葉に納得し、ティアは手にした産着を卓の上に置く。そして、はやる胸を抑えながら、ヴィートに会うべく彼の部屋へと走ってゆくと……。
ひたすらドキドキし続けるティアの胸。彼に会える、彼に会える、その思いで。そうして走りに走り、彼の部屋にたどり着くと、もう見慣れてしまった彼の部屋の扉を目の前にする。更に高まる胸の鼓動。なんとかそれを抑えながら、静かに扉に手を当て、そっとティアは足を一歩進める。
するとそこには、かなりすすけた、髭も髪も伸びに伸びきった、まるで別人のようなヴィートが眠っていた。全く、一見すると誰だか分からないような風貌だったが、それでも、明らかにヴィートはヴィートであった。
「ヴィート!」
喜びに、ティアは大声を上げ、ヴィートを呼ぶ。すると、それに応えヴィートはベッドからゆるゆると起き上がり、
「ティア……」
ティアがいることに、ヴィートは驚いているようだった。どうやら、彼女はここにいないと思っていたらしい。だが、そんなヴィートに構わず、ティアは彼の元に駆けより、その体に思いっきり抱きつく。
困ったように苦笑いするヴィート。そのティアの体を感じながら、
「おい、おい、ずっと風呂に入ってないんだ。臭いだろ」
うん、うん、と頷くティア。
「でも、いいの」
そう言って、抱きしめる手を更に強めてゆくティアだった。そして、
「でも、何故? 何故エンツォがヴィートに?」
ずっとわだかまっていた疑問、それを解決すべくティアはヴィートに尋ねてゆく。すると、
「知っていたのか」
思わずポツリ呟くヴィート。それはどこか悲しげな調子を含んだもので、口元にもどこか悲しげな笑みを浮かべてゆき、
「奴め、最後の最後にやりやがった。本当に奴は……」
エンツォを思ってか、どんどん小さくなってゆくヴィートの声。そして、あふれるその悲しみを堪えるよう、ヴィートはキュッと口を引き結ぶと、悲痛に顔をうつむけてゆく。だが、それだけでは訳が分からなかった。訝しく思って、ティアは小首をかしげると、
「?」
そんなティアの表情に、ヴィートは淡い微笑みを浮かべる。そして、事の成り行きを説明すべく、ヴィートは、
「あれから、俺達は新たな一団を迎え撃とうとした。声の聞こえる方へと馬を走らせようとした。そしたら……」
そこで一旦言葉を止めるヴィート。
「そしたら?」
先を促すようにティアはそう言う。
「そしたら、突然頭に激痛が走った。それからの記憶はない」
「え……」
思わぬ展開に、言葉を失うティア。唯ひたすら驚きの中、その先を聞こうとティアは沈黙で彼の言葉を待っていると、
「目覚めたら、死体の下敷きになっていた。あの、ティアが最後に戦った場所で、俺は死体の下敷きになって目覚めたんだ。そうして、着ているものを見てみれば、七カ国同盟の服。俺は訳が分からず、とりあえず陣屋に戻った。だが、もうそこはもぬけの殻で、誰もいなかった」
そこで一つ息をつき、辛いように目をつむってゆくヴィート。何があったのかはまだわからない。そう、これだけではまだ話の全容は伝わってこなかったから。ぼんやりとした輪郭しか見えていないその状態、まだ完全には分かっていないその状態。恐らく彼にとって辛い出来事であっただろうことは想像できたが、そんな状態のティアであったから、取り敢えず出来ることといったら、流れる沈黙を埋めるよう、なるほど、と頷いてゆくことだけで……。そして、彼の言葉からティアはこう考える。そう、あの戦で皆は散り散りになって、陣屋は捨てられたのだろう、と。ある者はコルノにたどり着いたかもしれない、ある者はまだアレジャンにとどまっているかもしれない。それぞれの詳しい経緯は分からないが、とにかく軍は分裂し、ヴィートが戻ってきた時には、戦は終わった後だったのだ、と。恐らくそれは妥当な考えだろう。その、自らの予想に納得し、心の中でティアは頷いていると、
「それから、俺は近くを通った者に、戦の事を聞いた。すると、その者は、コルノ王は切られ、皇都でさらし首にされている、と言ったんだ。俺はびっくりさ。この通り生きているんだから」
数奇な出来事、だった。そう思いながら、ティアはその、彼の身に起こった数奇な出来事をじっと黙って聞いていった。それは、自らの通った道筋を再び辿るかのような、既視感を覚える丁寧な語り。その語りでティアが分かったこととは……。まず、言葉の真偽を確かめるべく、その後彼は皇都へと向かったこと。そこで、ティアと同じく、さらされたエンツォの首を見たこと。そして、
「それから俺は、エンツォの体を探しに森へ入った。奴が最後に戦った場所に。探しに探したさ。そして見つけた。奴は、俺の服と鎧を着ていたのさ。そうさ、奴は俺を昏倒させ、その間に俺の服と鎧を着て、俺に成りすまし、そして敵にその身を切らせた。俺が生き延びたのは、奴の……奴のおかげだ」
語る彼の口調は憎々しげだった。そう、こんな馬鹿なことをしやがって、と。だが、それでも悲しさは隠せないようで、ヴィートは表情にその悲しみを乗せてゆくと、
「そうして俺は、その場で戦ったコルノの兵達を土に埋め、コルノに帰ることを決意した。奴がくれた命、無駄にできるかと誓ってね」
相変わらずの悲しげな表情。それに、ティアは微笑んで、慰めるようヴィートの頭を撫でてゆく。そして愛おしげに、
「帰ってきてくれて、嬉しい」
「ああ、俺もだ」
「それは、エンツォのおかげなのね」
「ああ、そうだ」
少し目がうるんで声がつまるヴィート。だが、何とかそれを堪え、「けれど……」と呟いて、ヴィートは少し口ごもると、
「俺は、お前はルータに戻っていると思っていた……」
予想できた言葉だった。その、予想できたヴィートの言葉に、ティアは今一度微笑むと、彼の右手を手に取り、それを自分の腹へと導いていった。
「分かる? 赤ちゃんがいるの」
「え……」
驚いた表情をするヴィート。ティアの腹に触れながら、思わずといったよう、彼女の顔をまじまじと見つめる。
「あなたの子だもの、コルノで育てないと」
それですべてを理解したようだった。それでヴィートは、ティアの言葉に元気を貰ったかのよう、ようやく表情を明るいモノに変えてゆくと、彼女をきつく、きつく抱きしめ、
「そうだな」




