第八章 決戦(1)
それから二人は、最後になるかもしれない残り少ない時を噛みしめるようにして過ごしていった。二人だけの夕食。少しばかりの語らい。明日の準備。だが、時はあっという間に過ぎてゆく。砂時計の砂のように、止めたくても止められず、あっという間に時は過ぎてゆく。夜も容赦なく更けてきて、大事な一戦を控えた今、いつまでもこうしている訳にはいかなくなった。そう、明日に備えて体を休めねば。それにヴィートは、思わずといったようティアへと向かって手を伸ばす。まだまだ離れ難いと、ヴィートはティアへと向かって手を伸ばす。そんなヴィートの願いに応えて、彼と同じ床へと入ってゆくティア。そう、先ほど彼に抱かれたあの褥へと……。そこで感じるヴィートの腕。その腕に包まれながら、ティアは、
「明日で全てが決まるのね……」
思わずポツリとそう言う。それに、「ああ」と言葉を返してくるヴィート。
心が、重かった。ティアの胸は、渦巻く心配で思わず破裂しそうになっていた。そんな中でティアが強く思うことは、唯一つ、
「死なないでね」
それにヴィートは鼻で笑い、
「馬鹿、死ぬもんか」
そうしてやがて、眠りの中へと入ってゆく二人。すると、時の歩みは本当に早いもので、あっという間に夜は明けてゆき、目覚めの朝がやってくる。そう、とうとうだ。二人は名残惜しげに床から起き上がると、まずは身支度を整え、朝食を取っていった。それは、微笑みすら漏れる、穏やかな朝食。そう、まるで、嵐の前の静けさのような……。だが、それが終わり、早速戦の仕度と、鎧を身に着けてゆくと、これからの現実がまざまざと感じられ、心が引き締まったような思いに二人はなる。後は、出陣を待つばかりだった。心を落ち着かせるよう大きく息を吸い、天幕を出るヴィート。そこには既にコルノ軍が準備を終えて待っており、
「コルノ!」
「コルノ!」
「コルノ!」
恐らく最後になるだろう戦いを前に、皆興奮したよう、そう口々に叫んでいた。
全く、驚く程の大音量だった。そんな彼らの叫びに、心が奮い立つような思いになるヴィート。きっとできる、と自分に言い聞かせていると、何者かが肩に手を置くのを感じた。振り返ってみると、それはティアで、勇気づけるよう、口元に笑みを浮かべていた。
それに、笑みで返すヴィート。
そして、迫りくる時を感じながら、ヴィートは兵士達の間をすり抜けてゆくと、皆の状態はどうなのかと、しかとこの目で確かめていった。そう、近づきつつある運命の時、その時の中で皆はどうなのかと。すると、不安な要素は一切なかった。士気は上々、準備も万端。
後はもう、出発するばかりとなっていた。それを今一度確認すると、ヴィートは少し高くなっている台の上に乗り、皆を鼓舞するべく、威勢よく言葉を発していった。
「今日は、決戦になると思っている。だが、俺は心配していない。お前らの実力を知っているからだ。へなちょこな、アレジャンの腰巾着にやられるようなことはないだろう! いつものように、コルノの兵らしく、勇気をもって、七カ国同盟の奴らを蹴散らしてくれ!」
その言葉に兵士達は、
「おー!」
響く雄叫び。この雄叫びで、戦に賭ける兵士達の意気が伝わってくる。それを目に焼き付けながら、今こそと、ヴィートは出発を命じていった。
それに、再び雄叫びを上げてゆく兵士達。そして、一行は戦地目指して、意気揚々と歩を進めていった。
そうして、どのくらいの時間が過ぎただろうか、恐らく、まだ約束の時間には少し早いだろう、その位の時に、七カ国同盟の軍がビオットの街の前に見えてきた。そう、遠くに、霞む程度に。
しかしながら、軍を引き連れてのこの登場。七カ国同盟軍は、交渉は決裂したと判断するだろう。もう、この後は戦いしかない、と。
そしてその可能性を裏付けるように、ヴィートは兵士達に楔形隊形を敷くよう命令してゆく。前列に騎兵を楔形に配し、その後ろに歩兵が続くという陣だ。確かに弱点もあるが、騎兵が自慢のコルノにとって、突撃に特化したこの陣形はまさしくうってつけといっていいものだった。
そう、戦いの準備は万全だった。後は、約束の時間を待つだけだった。
少しずつ、少しずつ、時は平等に皆の元から過ぎてゆく。だが、待つという時間は意外と長く感じるもので、今か、今かと焦れながら、兵士達は戦いの開始の合図が鳴るのをひたすらじっと待ち続けていった。
そして、やがてやってきた三時課、七カ国同盟の方から、戦いの始まりのラッパが鳴った。
雄叫びを上げながら、両軍は武器を手にお互いの方向へと駆けてゆく。そんなコルノ軍の先陣は騎兵だ。それは、いくつもの楔形で、その、楔形の頂点の一つに、やはりというか、ヴィートの姿があった。皆を率いるよう、先陣を切って彼は大地を駆け抜けていった。そして同じ楔形の中に、ティアの姿もあった。そう、頂点ではないが、ヴィート率いる楔形の陣形に、やはりティアの姿もあったのだった。
そんなティアに与えられた役割は、楔形陣形の外側に位置し、突撃して敵の隊形を粉砕し、縦横無尽に駆け抜けてゆく、というものだった。彼女は騎馬隊の重装騎兵だったので、そんな役割を与えられたのだった。
だがしかし、当の彼女は緊張で心臓がバクバクしていた。敵陣の方へと馬を走らせながら、ティアの胸は抑えきれない緊張で飛び出さんばかりになっていた。そう、剣には親しんでいるが、実際の戦に出るのは初めてだったティア、初の舞台にこれとは、あまりに荷が重すぎて。だが、これこそが本当の戦、容赦なく見せつけてくるあまりに凄惨な現実に、ティアは身が引き締まるような思いになりながら、馬を走らせる。
それは、身に着ける鎧が重く感じる程。その重さを感じながら、ティアは慣れない槍を横に構え、どんどん敵方へと向かってゆく。
そして、
響く悲鳴。馬の脚に感じる何かを踏みつける感触。
そう、敵陣に突撃したのだ。
だが、陣形は多少崩せたようだが、槍は誰を殺すこともできなかった。ホッとしたような、残念なような、複雑な思いを抱えながらティアは敵陣を抜けて旋回し、また自陣へと戻ってゆく。すると、その後に続くのは歩兵だ。その歩兵達が、今度は崩れた敵陣に雪崩かかり、槍で、剣で、兵士を殺してゆくのだった。その間、騎馬隊は馬を休ませ、陣形を整える。そして、また突撃するのだ。勿論、ティアも再び敵陣へと駆けてゆく。すると槍は、今度は相手の槍と交錯し、真ん中からポッキリと折れてしまう。すぐに槍を投げ捨てるティア。代わりに慣れた剣を腰から引き抜き、高く頭上へと振り上げ、襲ってきた七カ国同盟の兵士の体を、
ザンッ!
真横に切りつけた。
倒れ行く兵士。この手ごたえから、恐らく死んだであろうことが感じられた。
そこでティアは大きく息をつく。そう、自分は切ったのだ。元々は自分の側であった、七カ国同盟の者を。そして思った。これで、自分は身も心も売国奴になってしまったのだ、と。もう、元には戻れない、と。
それで吹っ切れたのか、そこからのティアの活躍には目覚ましい者があった。そう、次々とその剣で、ティアは敵……となってしまった相手をなぎ倒していったのだった。
戦は一進一退を繰り広げてゆく。だが、時間が経つにつれ兵士の、馬の疲労が溜まり、数の差が如実に出てくる。
善戦はしていたが、だんだんと劣勢になってゆくコルノ軍。
その時、こんな報告がヴィートの元に入ってきた。
「七カ国同盟軍が、退却してゆきます。わが軍はその後を追っていますが……」
ヴィートは眉を顰めた。今、優位に立っているのは、七カ国同盟軍なのだ。退却する理由はない、と。そこで、嫌な予感がヴィートの胸に過る。そして、もしやの思いになると、
「駄目だ、追うな! 罠だ。追うなと伝えろ!」
ヴィートの言葉に、それを伝えるべく慌ててその場から去ってゆく伝令。ヴィート自らも辺りを駆けて、
「追うな! 追うな!」
と叫んでゆく。
すると、やはり七か国同盟の退却は罠だった。逃げると見せかけて相手に追わせ、本体から騎兵を引き離すと、包囲できる場所まで敵をおびき寄せ、くるりと向きを変え彼らに攻撃していったのだった。相手は疲れた少人数。唯殲滅を待つばかりだった。
しばらくして、その報告が耳に届いたヴィート。歯噛みをしながら、伝令に「追うな!」の命令を繰り返してゆく。だが、混乱しかけたコルノ軍に、中々命令は伝わらない。劣勢の中、皆功を焦っていたこともあり、敵の術中に嵌ってゆく者が次々と出てきた。
そう、コルノ軍は動揺していた。
命令系統が機能しなくなり、陣形が崩れてゆく。あっという間に、小さな集団集団に分かれていってしまうコルノ軍。
だが、それでは駄目だった。このままでは負ける。そう思ってヴィートは唇を強く噛みしめると、
「引け! 引くんだ!」
大将ヴィートの命令が空に大きく響く。
そう、苦渋の決断だった。
その声を聞いて、退却してゆくコルノ兵達。最初はじりじりと。そして、堪えきれなくなると、蜘蛛の子を散らしたよう、皆一気に背を向け、その場から駆け出していった。
完敗だった。明らかなる完敗だった。取り敢えず今は引いて、改めて体勢を整えようと、ヴィートは必死で退却の命令を出す。そして、自らも退却すべく、皆に混じってヴィートは馬を走らせてゆくと、
「敵が、追いかけてきます」
エンツォが騎馬上からそうヴィートに声を掛けてくる。
「ここで一気に殲滅させようって腹か? そうはいくか。おい、エンツォ、あの森に入るぞ」
そう言って、ヴィートは更に馬の足を速めていった。




