第七章 思わぬ出来事(4)
大きな大きな心を残したまま、ここから去りゆくルフィノ。その思いをひしひしと感じながら、ティアは彼のその後ろ姿を見送る。傍らには不機嫌顔のヴィートが。その存在も気になって、思わずといったよう、おろおろとしながら、ティアはヴィートの姿にも目をやってゆく。そして、二人の姿を交互に見遣ると、ティアはどうすればいいのか煩悶する。戸惑いに胸がかき乱されそうになりながら、ティアは二人の間で煩悶する。だが、今はヴィートだった。勿論ルフィノも気になったが、この場から立ち去った今、まず取り掛からなくてはならないのはヴィートだった。そう、とてつもない事が今起こりつつあった。その事の重大におののきながら、ティアはおずおずとヴィートの元へと近づいてゆく。そして、
「本当に、戦うの?」
心配げな顔でそう言う。それに表情も厳しく、
「ああ」
と言うヴィート。
「死にに行くようなものよ」
エンツォか誰かから既に詳しく聞いていたのだろう、状況の悪さ、先行きの暗さ、待ち受ける危険をティアは知っていたらしく、心配も露わにそんな忠告をしてくる。すると、それを聞いたヴィート、思わずといったよう、くしゃりとティアの頭を撫で、
「俺は、負けない」
だが、そういう彼の表情は虚勢を張っているかのようなものがあった。弱気は自分に似合わない、そう言い聞かせ、虚勢を張っているように……。思わず、ティアの胸に、込み上げるようなもの湧きあがる。そして、戦うことしか出来ない、粗野で傍若無人な、けれどもどこか気高い彼の体に、ティアは堪らず強く抱きついてゆく。そう、止まらぬ涙を流しながら。
「なんだよ、なに泣いてんだよ」
突然の事にヴィートは驚く。するとそれにティアは、
「あなたがあまりに馬鹿者だから……」
「呆れてんのか?」
「憐れんでいるのよ」
ティアの言葉に、思わずヴィートは苦笑いを浮かべる。そして、抱きつくティアの頭を撫でながら、名残惜しげに、だが厳しい表情で顔を上げ、
「おい、戦の準備をしておけ」
近くにいたエンツォにそう言葉をかける。すると、エンツォは忠誠を示して膝をつき、
「では……」
「そうだ、全力で戦う」
力強い言葉だった。それにティアは驚いてヴィートの顔を見上げる。だが、彼は引かないようだった。それを察してか、言われたエンツォは従うよう頭を垂れ、そうするべくその場から去っていった。
★ ★ ★
それからティアは何度も懇願した。「無謀よ」「無理だわ」「お願い、考え直して」などの言葉をその口から零れさせ、何とか戦を諦めさせようとしていった。そう、どう考えてもコルノの方が不利だと思ったからである。だが、ヴィートは、心配してくれているらしい彼女に、愛しい思いが唯こみ上げるばかりのようで、きつく、その体を抱いてゆく。そしてこう言った。
「ティア、まだ時間はある。戻りたかったら、戻っていいんだぞ」
さっき言った言葉と正反対だった。矛盾する言葉に、ティアは「えっ?」となって、顔を上げると、
「あの時、お前は迷っていた。ここで答えを出させるのは酷だと思った。いかない、と言えば、お前は売国奴の烙印を押される。ならば、俺が許さなかったことにして、お前に少し猶予を与えようと思った。それなら、返事は保留できるからな」
「ヴィート……」
「どうする? 俺は敵だ。また、敵同士に戻るか?」
ティアの目に涙が浮かんだ。そう、分からない、本当に分からないのだ。確かに彼は敵。いつの間にか彼を憎めなくなっていたが、敵には違いないのだ。それは分かっている。なのに……。訳の分からぬ気持ちにティアは無理やり理由づける。そう、この気持ちは、こういう状況だからかもしれない、と。コルノ国に、彼自身に、危機の迫った……。
「今はまだあなたの妻。もう少し、時間を頂戴。お願い……」
それにコクリと頷くヴィート。そしてニコリと笑って、抱いた腕に力を込めると、
「俺だってお前を殺したくはない。敗れる気はさらさらないが、お前が行きたいと思うなら、俺に構わず行ってもいいんだぞ。命だってかかってるかもしれないんだからな」
ヴィートの気遣いだった。それを感じて、ティアも思わずニコリ笑みを浮かべると、
「ありがとう」
ヴィートの前では中々素直になれなかったティアだった。だが今、素直な自分をティアは彼に見せていた。選択肢を、時間の猶予を与えてくれたヴィートに感謝して、素直な自分を見せていた。すると、珍しいその反応に、ヴィートは堪らない気持ちになったのか、彼女の髪に触れると、くしゃくしゃとそれを愛おしげに撫でまわしていった。そして、
「この光景を奴が見たら、嫉妬するかもしれないなぁ。」
おどけたようにそう言ってゆくヴィート。それに、思わずといったよう、ティアはクスリと笑ってゆくと、
「今だけは許されるわ」
すると、ヴィートは胸に抱くティアを離し、その顔をじっと見つめてきた。
「本当は、こんなことしている場合じゃないんだけどな」
そして、そう言ってヴィートは自らの唇をティアの唇へと近づけてゆく。
触れる唇と唇。いつものように、人形になられるかと、ヴィートは思った。だが、今回はそうではなかった。そう、今までにない反応をティアは見せたのだった。それは、拒絶することのない、ちゃんと受け止めてくれるキス。それに驚いて、思わずヴィートはティアの唇から唇を離すと、まじまじと彼女を見る。すると、そこにはどこか照れたような表情をしてうつむく彼女の姿があった。
愛おしい思いがあふれ出るヴィート。そして今度は激しく、深い口づけをしてゆく。すると、それにもティアは答えてゆき……。
「お前の愛する者は分かっている。そう、一生愛されなくていい、これが最後になるなら、今一度……」
堪えきれない思いに、ティアの髪を撫ぜながらヴィートはそう言う。だが、それは余りに刹那的なものであって……。
「不吉なことを」
思わず目に涙を浮かべながら、ティアはそう言葉を返してゆく。それに薄く笑うヴィート。
そして、ヴィートはその場からティアは横抱きにしてゆくと、天幕の中へと入っていった。甘い、二人の雰囲気。すると中に残っていた重臣達は、それに察したのか、彼らを見ないよう顔をうつむけると、お邪魔、お邪魔とでもいうよう、皆そそくさと外へと退散していった。
二人だけとなった天幕。そこで、ヴィートは壊れ物でも扱うよう、優しく、ティアを褥の上に横たえる。そして、その上に覆いかぶさり、再び彼女の髪を撫ぜた。
「まだ、日も高いというのに……」
「構わないさ」
ニコリと笑うティア。だが、その笑顔にヴィートはもう耐えきれなかった。堰を切ったよう、彼女の体に唇を落とし、服に手をかけ、ヴィートは愛おしげにティアを抱いていった。それは、狂おしいほどに切ないひと時。ティアも今までの頑なな心を捨てて、感じるままに感じ、背に手を回し、動き、声を上げ、激しくヴィートに抱かれていった。
そして、夕暮れ。
「もうすぐ日が落ちる頃か……」
明日になれば全てが決する。その時の速さに、悲しい思いになりながら、ティアはヴィートの言葉に頷く。そして、
「また、こんな時を過ごせる日は来るのかしら?」
すると、それにヴィートはニコリと笑い、
「さっきは可愛かったもんな。いつもこんなだといいのに」
その言葉に、先ほどのあられもない姿を思い出し、ティアは頬を赤らめる。
「勘違いしないで。私は……私は……」
言葉に詰まるティアにヴィートは彼女をギュッと抱きしめる。
「分かってる。これは憐れみなんだってことを。お前の一生の恋人は別にいるんだということを」
彼の胸の中で、ティアは切なさに身を委ねながら、そうなんだけど、何かが違う、と感じていた。だが、それが何なのか、やはり分からず、ティアはもどかしい思いをする。そう、情なのか、愛なのか……。相変わらずの気持ちを持て余しながら、ティアは、
「私、戦に出るわ」
その言葉に目を丸くするヴィート。
「戦に出るってことは、お前……」
「そうよ。ここに残るわ」
有無を言わせないティアの言葉だった。そう、もう決意は固まった、そう言わんばかりの、凛とした。すると、それにヴィートは驚きの表情のまま、
「何故……ルータの再興は……」
「私は、あなたの最期を見届けてやるのよ。心配しないで、武器を持っても、あなたの背後を襲うようなことはしないから」
だが、ヴィートはそれを許さなかった。否、許せる筈がなかった。厳しい顔でヴィートはティアを見つめてゆくと、
「駄目だ。危険だ。コルノに残るなら、お前はここに残れ!」
「嫌! 私の力は知ってるでしょ。一振りで十人は倒せる。ここまで来たら、最後まであなたについてゆくわ」
意地を張り通すティアであった。だがそれは、彼女の故国、ルータを捨てるということでもあって……。彼女の決意を前に、ヴィートは困ったような顔でティアの髪を撫ぜ、
「お前は……」
「許すと言って。私を戦に出す、と」
そう言って、ティアはヴィートを優しく抱いてゆく。それにヴィートは苦笑いを漏らすと、自分の背に回すティアの片方の手を取った。それは、剣の鍛錬によってできた、ごつごつとした豆だらけのとても女らしいとはいえない手。それを愛おしそうにヴィートは握りながら、
「俺は好きだな、この手が」
ルフィノは嫌った手だった。それを好きと言ってくれる。嫌な気持ちではなかったが、まじまじと見つめてくる彼の視線に、思わずティアは羞恥に陥ってゆく。そして、一体何が言いたいのだろうと困惑していると、
「負けたさ。仕方ないなってことだよ。好きにすればいいさ」
ティアは目を丸くする。そう、まさか本当に許してもらえるとは思っていなかったから。嬉しさに思わず、
「やったー!」
と、大声を上げてしまうティア。それに、思わずといったよう、ヴィートもつられて笑みを浮かべてしまう。だが、そんな彼にティアは気付いてやっている余裕はないようだった。「ほんとに? ほんとに?」と、まだ信じられないよう、唯ひたすらティアは彼へと確認を取っている。それにヴィートは「ああ」と頷いてゆくと、はっきり取り付けた彼の了解、それに無邪気に喜んで、再び腕を彼に回し、ギュッと力を入れてゆくティアであった。
R15になるか、ちょっと悩みました……。もし、これR15じゃない? と思う方がいらっしゃれば、言ってくださいませ……。




